司馬遼太郎のレビュー一覧
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ネタバレ歴史小説家としての司馬遼太郎が、歴史に登場する人物がどのような考え方を持って行動したのかを手掘り感覚で発掘し、対面しているかのように語っている。そこには「日本人とはいったい何者か」とうテーマが通底しているようだ。印象に残った話は、次のとおり。
(1)大坂は町人の町。お上を恐れない。
元禄時代の大坂は、70万の人口のうち武士の数は東西の町奉行所の与力・同心をあわせて200人ぐらい(「ブラタモリ」では人口の2%と紹介されていた。江戸は100万の人口のうち、半数が武士)。僅かな数だから、大坂の町人は武士が持つ封建的な節度や美意識に影響されずにきたのだ。上方が持つ反権力の精神は、このような封建体制の経験が強くなかったという歴史的特質に起因している。
(2)信長の凄さは自分の成功体験を見習わなかった点にある。
信長は、桶狭間で今川義元に勝ったのは奇蹟だったということを分かっていた。これが信長の偉さだ。普通の人間だったら、オレはやったぞ、と生涯の語り草にして、「俺を見習え!」ということになる。しかし信長は、最後まで自分自身の成功を見習わなかった。凡人は成功体験におぼれて失敗してしまうことも少なくない。「自分自身の成功を見習わないこと」が重要だとは、自身ではなかなか気が付きにくいものだ。
(3)天皇の権力と内乱。
日本の歴史の中で、神聖者であるべき天皇が地上の権力を握ろうとしたときは、必ず乱がおこっている。後醍醐天皇、後鳥羽上皇しかりである。にもかかわらず、大日本帝国憲法が、日本的神聖者である天皇に統帥権を与えたのである。柳原二位局(大正天皇の生母)は、明治天皇が白馬に乗り大元帥の服を着て諸兵に閲している雄姿を見て、「ああ皇室もこれでおしまいになるかもしれない」と言ったという。優れた歴史感覚である。やがで、軍閥の跋扈に結びつき、太平洋戦争の敗戦によって天皇家はもとの象徴にもどることになったことは言うまでもない。
(4)日本人は「無思想」という思想を持つ。
明治の初年に廃仏殿釈があった。奈良の興福寺は権威をもった存在なのに、一片のお布令で、何の抵抗らしい抵抗もなしに、春日神社の神主になったりする。
日本人には「無思想」という思想が底の底にあるのだ。それはおそらく思想というより「美意識」だ。それは「神道」から来ている。神道は教義も教典も教祖なく、厳密な意味で宗教という概念にはあてはまらない。つまり、宗教というより、たたずまいの「美意識」とでもいうべきものだ。要するに伊勢神宮のように、玉砂利をきれいに敷きつめ、あたりの景色を清々しくしておく。清らかなことだけが、神道の教理だ。
神道は美しい形だけがあり、中身はないから、外来思想をなんでも受け入れ、変化をためらわないのだ。
(5)日本人の新しい社会(組織)を作る能力の高さ。
日本人は大化の改新以来、幾度となく社会を壊したり作り直したりしてきたが、そのなかで絶対的な、大岩盤のような貴族階級を作らずにきている。階級がつねに微妙に流動している。たとえばこの歴史のなかで、徳川三百年が最も長い政権だが、それ以前には、この諸大名も土民だった人たちだ。
このような能力は、民族のどういう性格から生まれるのかというと、「無思想」と関係があるようだ。ひとつの体制ができると、マスのエネルギーがそこに殺到する。新しい時代に参加することが正義だと考える。これは、嫌悪の対象でもあるが、日本人の貴重な能力とでもいうべきものかも知れない。 -
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小藩の家老職から乱世を生き抜き、ついには大名となった黒田官兵衛の生涯の物語。
播州を舞台に官兵衛が生まれるまでの経緯。
時代の波に流されるように、徐々に騒がしくなっていく世情。
織田家と関わるきっかけ。
荒木村重や高山右近との出会いを描いている。
物語では聡明な少年らしいエピソードが語られる。
同時に、繊細で傷つきやすい面を抱えているエピソードもある。
若者らしい傲慢さもあり、藩主を軽んじているような所業も見られる。
周囲の人間が自分より劣っている馬鹿にしか見えなかったのだろう。
だが、それを隠し通すほどの思慮はまだこの頃の官兵衛にはない。
今のように遠く離れた場所でも情報が手に入る時代ではない。
武将の名を耳にしても、田舎にいては実際はどんな人物なのか正確には掴めない。
官兵衛は小藩の家老職であり、国許にいればそれなりの扱いを期待できるのかもしれない。
けれど一歩藩を離れてしまえば、官兵衛など取るに足らない存在だ。
一方、官兵衛自身は自分の力を信じている。
試してみたいと思っている。
自分の思うように生きてみたいと思っている。
もっと世の中を知りたいと思っている。
武将としての官兵衛の人生はまだこれからだ。
第二巻ではどんな活躍が待っているのだろう。
本領を発揮する官兵衛を早く見てみたい。 -
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ネタバレ鍍金(めっき)を金に通用させようとする切ない工面より、真鍮を真鍮で通して真鍮相当の侮蔑を我慢するほうが楽である。〈夏目漱石〉
ずいぶんと人を食ったコトバである。こうクソミソにコナしつけては実もフタもないが、真鍮は真鍮なりの光がある。その光の尊さをみつけた人が、平安期の名僧最澄でだった。「一隅ヲ照ラス者、コレ国宝ナリ」
「私は科学的なものでなければ信頼する気になれませんわ。一ダース位の重宝な格言を準備して置いて、それを世渡りのいろんなポイントに使い分けして、したり顔に暮らしている世間のエライ人達を観ていると、気が遠くなりますわ。あんな瘡蓋のような思想が社会の表面を被うている限り、我々の人生は何時まで経っても明るくも正しくもならないのだ――、貴方はそうお感じになりませんか?」
橋本先生の思想的な立場をはっきりしておく必要がある、彼女は、マルキストである。それも、今日のそれではなく、昭和八年ごろのそれ、女子大を出て間もなくといった、当時としては尖端的なインテリ女性像というニュアンスがその思想にある。彼女は、マルクス・レーニズムによる社会科学が、人間と社会を“整然”と分析でき、まちがいなく救済できる唯一万能のものだとかたく信じている。徹頭徹尾、自分を社会主義的人間に仕立て上げていく以外、生存の目標をもっていない理知的でしかも戦闘的な女性である。
当然、格言などというマヤカシの存在を憎悪するわけだ。また、問題を深部まで分析、批判せずに、そういうマヤカシだけでイナしてゆく生き方をを憎悪するのである。
こういう、息の短い、歯ギシリ噛んだ態度には、健康な生活感情は、多少の反発を感ずる。また、大ナタでたち割るように、古い格言文化に対する粗大な否定の仕方は、いろんな意味でデリカシィに富み始めた今日のコミュニストなら、もはや採らないはずだが、かといって、橋本先生の言葉に含まれている本当なものは否定できないのである。
〈中略〉が、たいていの場合、格言ずきな人達は、ちょうど新聞記事に見出しをつけるような調子で、事態に似合った格言を抽出しのなかからぬきだして問題の上に貼り付け追求への努力を省略してしまう癖はないだろうか。
金言や、格言が、ある努力に対する推進力になったり、問題解明へのイトグチを作る発想の動機になったりする作用は、けっして見のがすことはできない。それでこそ、ルナールも「うまい言葉の一言は、悪い本の一冊にまさる」という格言の“格言”をのこしているのだし、ニーチェですら「立派な箴言は、文学における大いなる逆説であり、変化し行くものの中で不滅のものであり、ちょうど塩のように常に尊重されて不変の、利かなくなることのない食物である」といっているのだ。
戒心すべきことは、これらを人生に応用する態度の問題である。金言を、念仏や呪文のように自己催眠や自己弁解のために使用するとなれば、いかにすぐれた真理をふくんでいるにせよ、それは麻酔薬にすぎないのである。 -
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ネタバレ大坂の冬の陣・夏の陣を、戦が始まるきっかけから大坂城落城まで描いた歴史小説。
2016年大河ドラマ「真田丸」の予習として読んだ。
主人公は小幡勘兵衛という牢人で、後に軍学者となる人物。彼は、戦の表舞台には立っていないが、徳川方の間諜として豊臣方に入り込んでいた人物であるため、両者を行き来しつつ狂言回しとして物語を進めていく。でも、途中で時々、全く登場しなくなり、誰が主人公だっけ?となることも。司馬小説ではよくあることだけど(いわゆる「余談だが現象」)。
たまに勘兵衛が、恋人お夏のために豊臣方に肩入れして徳川を裏切りそうになり、その場面だけはグッとくるものがあるのだけど、最終的には打算と私利私欲で動く人物なので、途中からはそんなに感情移入は出来ない。
それ以外の、戦の表舞台に立つ登場人物は以下の人達
豊臣:淀殿、豊臣秀頼、大野治長、真田幸村、後藤又兵衛、片桐且元
徳川:徳川家康、徳川秀忠、本多正純、本多正信
どの人物も、何かしら足りないところや汚いところがあって、他の司馬小説の主人公(竜馬・高杉・土方・信長・秀吉ら)みたいに純粋にカッコいいと思える人はいない。でも、その人間臭さこそが、司馬さんが群像劇としてこの小説を描いた意味なのだろう。
そして、女優で歴女の杏さんが本の帯か何かで書いていた、『最強の城も、人間や組織次第でこうも簡単に滅びるのか』みたいなことが、この小説の一番のテーマ。最強の城と、実戦経験豊富な現場担当者。これらが揃っていながら、なぜ大坂城は落ちてしまったのか。上に立つ者が世間知らずでマヌケだったから、なのだろうけど、その一言だけでは片づけられない、数々のボタンの掛け違いによる失敗から学ぶことは多い気がする。
以下、印象に残ったエピソード
片桐且元の豊臣方から徳川方への転身
- 豊臣を裏切る気持ちは無かったのに、家康の策略と豊臣上層部の疑心暗鬼から、やること全て裏目に出て、転身せざるをえなかった片桐且元。豊臣への忠誠心は誰よりも強かったはずなのに、最後は大坂城へ向けて大砲を打つことまでさせられた彼の心境は、言葉に出来ない。人と人との些細な擦れ違いから、人生を狂わされてしまうこともあるのだ。大河ドラマ「真田丸」小林隆さんの悲喜劇入り混じった演技も、印象深かった。
大坂五人衆集結
- 真田幸村、明石全登、後藤又兵衛、毛利勝永、長曾我部盛親ら五人衆。戦う場所を欲して、家の再興、キリスト教布教許可など、各々の理由を持ちつつ大坂城に集まって来て、団結して戦いに臨む。大河ドラマと並行して読んでいたため、映像とシンクロしてワクワクして読み進めた(負けるのは分かっているのだけれど)。
犯罪者家康と、純粋な豊臣方牢人たちとの対比
- 司馬さん曰く、徳川家康の大坂攻めは戦争というよりも、本質は「犯罪」(主家である豊臣家に対し、騙したり、約束をすっとぼけたり、内部分裂させたりしたから)。家康をとことん悪人に描いているが、それは彼が「後世にどう思われるか」という発想が無かったから、との解釈。一方、真田幸村・後藤又兵衛ら大坂方牢人は、豊臣が滅んだら他に頼るものが無いわけで、自然、死を恐れず武名をあげ、後世に向かってよき名を残すことに純粋に研ぎ澄まされていくようになる。それぞれの生き方の違いだったのだろう。