司馬遼太郎のレビュー一覧

  • 新装版 俄 浪華遊侠伝(上)

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    ネタバレ

    江戸末期の任侠モノです。明石屋万吉、晩年の小林左兵衛という実在の人物を描いています。左兵衛は晩年、自分の一生を振り返って、”わが一生は、一場の俄のようなものだ”と言った言葉から題名が付けられている。”俄”とは、路上でやる即興喜劇のことだ。当時、大阪で大いにもてはやされていたようだ。

    万吉は一生、智恵より大事なものは覚悟だと思って生きた。この覚悟が万吉を日本一の侠客にしたと言っても過言ではない。万吉のたった一つの特技は、殴られることだ。半殺しの目に合わされても、音一つあげないのである。最初は憎み、次いで驚嘆し、遂には憎悪や驚嘆が尊敬にかわっていくのだ。あいつは度胸の化け物だとも言われた。ただ、

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    2013年11月12日
  • 新装版 風の武士(上)

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    内容説明
    熊野の秘境の安羅井国とは!?幕末伝奇長編ある日、伊賀同心の末裔で貧乏御家人の弟・柘植信吾は異相の山伏とすれ違った。ふと感じた異常感。予感は的中し、信吾は幕府と紀州藩の大陰謀に巻き込まれて行く
    内容(「BOOK」データベースより)
    伊賀忍者の末裔で貧乏御家人の次男坊・柘植信吾は、小さな町道場・無一流指南練心館で代稽古を務めていた。ある日、道場に赴くと、用人格の老人が刺殺されていた。多くを語らない道場主と娘のちの。しかしこれが、巨万の財宝が秘蔵されているという熊野の隠し国・安羅井をめぐる壮絶な戦いの始まりだった。

     めちゃめちゃな時代小説ですね。司馬遼太郎も初期のころこんなものを書い

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    2013年10月18日
  • この国のかたち(五)

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    司馬遼太郎の日本人観コラム集、第五巻。
    巻末にはこれまで司馬遼太郎が小説で描いた人物についての章があります。その中でも坂本竜馬の「義理などは夢にも思うことなかれ、身をしばられるものなり」という言葉に驚いた。人懐っこいイメージだったが、強い合理性があったからこそ大事を成せたんだなあと感じた。

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    2013年10月17日
  • この国のかたち(四)

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    司馬遼太郎の日本人観コラム集、第四巻。
    巻末の「日本人の二十世紀」では、日露戦争と太平洋戦争を比較しながら日本人の特性を説いていて面白かった。自国の弱みを把握し合理主義で進めた日露戦争と、精神主義に陥った太平洋戦争。「弱さについての認識と計量がよき外交を生む」という言葉は重い。

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    2013年10月17日
  • この国のかたち(三)

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    司馬遼太郎の日本人観コラム集、第三巻。
    朱子学に対しては日本人の空論好きにつながったと厳しい評価。一方、大阪の持つ質と量でモノを見る思想は近代的とよい評価。日本人は大阪商人のリアリズムを見直す必要があるのかも。

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    2013年10月17日
  • ペルシャの幻術師

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    ネタバレ

    「ペルシャの幻術師」
    外大で蒙古語を学んだというモンゴルびいきのモンゴル小説が読めるのかと思いきや、ナンの目から見たモンゴル人の描写が容赦なくてこう、いたたまれなくなってくる。ちびで粗野で、かっこいいはずの騎馬での戦闘もナンから見れば野蛮なだけで、殺すことしか楽しみを持たない幼稚な馬鹿。その上、色恋下手。そばにいることを強制して逃げるのを許さないくせに「でも許しがない限り決して手は出さない」とか果てしなく嫌悪が募るだけですよ…
    でも容赦がないだけで悪意は含まれてない気がするんだよなあ。別段美化も醜化もせず、正直に書いただけという感じ。ナンや幻術師アッサムはとてもきれいな「物語の登場人物」なのに

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    2013年10月14日
  • ロシアについて 北方の原形

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     ロシアは北方領土四島を返還することはない。その理由としてヤルタ協定のなかで広大なモンゴル高原と四島を含む千島列島、それぞれに1条項を立て戦後領域が決められたのだとか。もし、ロシアが四島を返還するとなれば、当然、中国は外モンゴルを帰せとロシアに迫るだろう。四島返還はそう簡単な話ではない。

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    2013年10月10日
  • 対談 中国を考える

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     司馬さん8割、陳さん2割くらいの内容です。もう少し陳さんにもしゃべらせてあげて欲しかった。
     中国に関しては、造詣が深い2人なので、お互いが「これ知ってるか?あれ知ってるか?」と初期のオタク会話のようになっていて、いまいちでした。

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    2013年10月09日
  • 新装版 王城の護衛者

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    幕末の5人の男たちの短編集。
    松平容保主役の本少ないから手にとる。
    この人は誰が取り上げても人物像にぶれがない印象。
    まっすぐ(すぎ)で、政治が下手で。
    容保が病に伏したときの孝明帝の祈りぷりが狂気じみていてここだけは創作であってほしいと思ったり。

    最後の作品、人斬り以蔵も面白かった。

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    2013年09月23日
  • 馬上少年過ぐ

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    収録作品内で少し出来にばらつきを感じる短編集。
    それでも司馬遼が好きな人には短いという意味で読みやすい作品なのかな?とは思う(当方、特に司馬遼ファンではないので見当外れかもしれませんが)。
    しかし、相変わらずの断定口調の人物評がそこかしこに散見。
    「器量無し」って決めつけられる人物の御一族の心中を察するに余りあるってやつです。

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    2013年09月22日
  • 新装版 戦雲の夢

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    ネタバレ

    四国で名を馳せた戦国大名、長曾我部家が物語の主人公。
    親が築いた22万石という大きな勢力を引き継ぐものの自身の判断の誤りによって、それらを全て失い、武士としてまた頭領としての自分を模索する。

    「虎狼のごとき欲というのは、学んで持てるものではない。人に生まれついたものじゃ。元親どのにはそれがあったが、右衛門太郎どのは、惜しくも骨柄を受け継いだのみで、虎狼の欲を受け継がなんだ。骨柄と才覚があって欲の薄い者は、天下の大事を乗りきれまい」

    生まれもったときに持つ者と持たざるべき者の差が運命を左右したといえるのではないだろうか。

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    2013年09月12日
  • 城塞(中)

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    ネタバレ

     真田幸村が登場し、大坂冬の陣がえがかれる中巻。

     武士たちは己のために自分の居場所を決め、行動している。
     様々な価値観のもとで動く武士を1つの軍としてまとめ、全体として動かすのが大将の仕事。

     大将によって、大坂冬の陣の勝敗は決まった。
     秀頼が大将として機能すれば、この戦の結果はかわったかもしれない。

     歴史の話だけでなく、どんな場面でもトップによって組織が大きく変わることはあると思う。
     トップが有能である事、それにはトップが自分自身を知り組織の人間を知り尽くしているという事が必要なのだと思う。
     決して、目立つトップが有能という事ではない。トップ自身が苦手な事は得意な人間にふる

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    2013年09月07日
  • 新装版 王城の護衛者

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    幕末を生きた男たちの物語.全5編の短編集.一番印象深かったのは,表題作の「王城の護衛者」,会津藩藩主の松平容保.負ければ賊軍って訳ではないが,本書を読むまでは容保には良いイメージが無かった.
    でも,当時の会津藩が置かれていた状況など見えてくると,容保に対する印象も全然違う.思わず,コレ面白いぞと呟いてしまった.

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    2013年09月04日
  • 胡蝶の夢(一)

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    幕末の蘭医・松本良順、松本の弟子の島倉伊之助、同じく蘭医・関寛斎の物語。
    先に読んだ高田郁の「あい」から関寛斎をもっと知りたくなり、この本に辿り着いた。
    司馬遼太郎らしく、史実に基づいた詳細な説明があり、幕末の医療や身分制度について興味深く読んだ。
    特に江戸時代の身分制度については、学生時代に覚えた「士農工商」という単純な公式では言い表せないのだなぁ、と。
    なぜ江戸時代の奥医師は坊主頭だったのか?、それはつまり俗世間から離別した出家僧と同じ扱いだったから、などなど。
    ただ残念だったのは、一つの小説に三人の話がバラバラに描かれているようで、一つの物語=テーマとして読めなかったこと。
    それから、関

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    2013年09月02日
  • 翔ぶが如く(九)

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    昨年、司馬遼太郎の「坂の上の雲 全8巻」を読みました。

    坂の上の雲の中ですごく気になったのは、司馬遼太郎が描く薩摩藩型のリーダーシップ。
    ネット上での解説を少し転載します。


    明治時代も終わりに近づいた頃、ある座談会で、明治の人物論が出た。
    ある人が「人間が大きいという点では大山巌が最大だろう」と言ったところ
    「いや、同じ薩摩人だが西郷従道の方が5倍は大きかった」と反論する人があり
    誰もその意見には反対しなかったという。

    ところが、その座で、西郷隆盛を実際に知っている人がいて
    「その従道も、兄の隆盛に較べると月の前の星だった」と言ったので、
    その場の人々は西郷隆盛という

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    2013年08月29日
  • 翔ぶが如く(八)

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    昨年、司馬遼太郎の「坂の上の雲 全8巻」を読みました。

    坂の上の雲の中ですごく気になったのは、司馬遼太郎が描く薩摩藩型のリーダーシップ。
    ネット上での解説を少し転載します。


    明治時代も終わりに近づいた頃、ある座談会で、明治の人物論が出た。
    ある人が「人間が大きいという点では大山巌が最大だろう」と言ったところ
    「いや、同じ薩摩人だが西郷従道の方が5倍は大きかった」と反論する人があり
    誰もその意見には反対しなかったという。

    ところが、その座で、西郷隆盛を実際に知っている人がいて
    「その従道も、兄の隆盛に較べると月の前の星だった」と言ったので、
    その場の人々は西郷隆盛という

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    2013年08月29日
  • 翔ぶが如く(七)

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    昨年、司馬遼太郎の「坂の上の雲 全8巻」を読みました。

    坂の上の雲の中ですごく気になったのは、司馬遼太郎が描く薩摩藩型のリーダーシップ。
    ネット上での解説を少し転載します。


    明治時代も終わりに近づいた頃、ある座談会で、明治の人物論が出た。
    ある人が「人間が大きいという点では大山巌が最大だろう」と言ったところ
    「いや、同じ薩摩人だが西郷従道の方が5倍は大きかった」と反論する人があり
    誰もその意見には反対しなかったという。

    ところが、その座で、西郷隆盛を実際に知っている人がいて
    「その従道も、兄の隆盛に較べると月の前の星だった」と言ったので、
    その場の人々は西郷隆盛という

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    2013年08月29日
  • 翔ぶが如く(六)

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    昨年、司馬遼太郎の「坂の上の雲 全8巻」を読みました。

    坂の上の雲の中ですごく気になったのは、司馬遼太郎が描く薩摩藩型のリーダーシップ。
    ネット上での解説を少し転載します。


    明治時代も終わりに近づいた頃、ある座談会で、明治の人物論が出た。
    ある人が「人間が大きいという点では大山巌が最大だろう」と言ったところ
    「いや、同じ薩摩人だが西郷従道の方が5倍は大きかった」と反論する人があり
    誰もその意見には反対しなかったという。

    ところが、その座で、西郷隆盛を実際に知っている人がいて
    「その従道も、兄の隆盛に較べると月の前の星だった」と言ったので、
    その場の人々は西郷隆盛という

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    2013年08月29日
  • 翔ぶが如く(五)

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    昨年、司馬遼太郎の「坂の上の雲 全8巻」を読みました。

    坂の上の雲の中ですごく気になったのは、司馬遼太郎が描く薩摩藩型のリーダーシップ。
    ネット上での解説を少し転載します。


    明治時代も終わりに近づいた頃、ある座談会で、明治の人物論が出た。
    ある人が「人間が大きいという点では大山巌が最大だろう」と言ったところ
    「いや、同じ薩摩人だが西郷従道の方が5倍は大きかった」と反論する人があり
    誰もその意見には反対しなかったという。

    ところが、その座で、西郷隆盛を実際に知っている人がいて
    「その従道も、兄の隆盛に較べると月の前の星だった」と言ったので、
    その場の人々は西郷隆盛という

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    2013年08月29日
  • 翔ぶが如く(四)

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    昨年、司馬遼太郎の「坂の上の雲 全8巻」を読みました。

    坂の上の雲の中ですごく気になったのは、司馬遼太郎が描く薩摩藩型のリーダーシップ。
    ネット上での解説を少し転載します。


    明治時代も終わりに近づいた頃、ある座談会で、明治の人物論が出た。
    ある人が「人間が大きいという点では大山巌が最大だろう」と言ったところ
    「いや、同じ薩摩人だが西郷従道の方が5倍は大きかった」と反論する人があり
    誰もその意見には反対しなかったという。

    ところが、その座で、西郷隆盛を実際に知っている人がいて
    「その従道も、兄の隆盛に較べると月の前の星だった」と言ったので、
    その場の人々は西郷隆盛という

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    2013年08月29日