司馬遼太郎のレビュー一覧

  • 新装版 風の武士(上)

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    内容説明
    熊野の秘境の安羅井国とは!?幕末伝奇長編ある日、伊賀同心の末裔で貧乏御家人の弟・柘植信吾は異相の山伏とすれ違った。ふと感じた異常感。予感は的中し、信吾は幕府と紀州藩の大陰謀に巻き込まれて行く
    内容(「BOOK」データベースより)
    伊賀忍者の末裔で貧乏御家人の次男坊・柘植信吾は、小さな町道場・無一流指南練心館で代稽古を務めていた。ある日、道場に赴くと、用人格の老人が刺殺されていた。多くを語らない道場主と娘のちの。しかしこれが、巨万の財宝が秘蔵されているという熊野の隠し国・安羅井をめぐる壮絶な戦いの始まりだった。

     めちゃめちゃな時代小説ですね。司馬遼太郎も初期のころこんなものを書いていたんだと、笑いました。 

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    2013年10月18日
  • ペルシャの幻術師

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    ネタバレ

    「ペルシャの幻術師」
    外大で蒙古語を学んだというモンゴルびいきのモンゴル小説が読めるのかと思いきや、ナンの目から見たモンゴル人の描写が容赦なくてこう、いたたまれなくなってくる。ちびで粗野で、かっこいいはずの騎馬での戦闘もナンから見れば野蛮なだけで、殺すことしか楽しみを持たない幼稚な馬鹿。その上、色恋下手。そばにいることを強制して逃げるのを許さないくせに「でも許しがない限り決して手は出さない」とか果てしなく嫌悪が募るだけですよ…
    でも容赦がないだけで悪意は含まれてない気がするんだよなあ。別段美化も醜化もせず、正直に書いただけという感じ。ナンや幻術師アッサムはとてもきれいな「物語の登場人物」なのに、モンゴルの描写は生々しい。と、思う。
    終わり方はあっけなかった。

    「戈壁の匈奴」
    戈壁(ゴビ)て。読めるか。でも匈奴は変換候補にいるんだね。
    実体の伴わない単語でしか知らなかった「匈奴」のイメージがどんどん具体化されていく。
    そうか、草原の男達ってこういう感じか!と。
    正しいかなんてわからないけど、納得させる肖像を作り上げてしまう、これが作家のすごさだよな。
    テムジンの印象はかなり変わった。
    考古学者の空想から広がった物語が、またひとつの壷に収束して終わる美しい形。
    この自家発電妄想力の備わった人が考古学者になるのだろう。

    「兜率天の巡礼」
    あ、もう西方アジアのお話終わりですか…儚かったなー日本史じゃない司馬遼先生、と思ったら嬉しい誤算。
    ローマから大和への壮大な物語だった。

    宗教が日本に根付かない理由について。
    異端として追われ、コンスタンティノープルから長い長い流亡の果てに日本へたどり着いた普洞王の一行は、祖国とは異なる、その穏やかな気候に驚く。ここでは、自然は人間に牙を向かない。
    「このようなくにに住む者達は、一体、悪というものを知っているであろうか。悪を知らなければ、おそらく善をも知るまい。善悪を知らずして生涯をすごせる天地こそ、天国というべきであろう。」
    この地の人びとにとって、神とは生きていく指針を与える厳格な主人ではなく、生活の隣で一緒に暮らす友人だった。
    ああつまり「トトロ」ってそういうことか。

    「下請忍者」
    「外法仏」
    「牛黄加持」
    「飛び加藤」
    「果心居士の幻術」

    忍者話は梟の城だけでもないのね。怪かしの術にもいろいろあっておもしろい。

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    2013年10月14日
  • ロシアについて 北方の原形

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     ロシアは北方領土四島を返還することはない。その理由としてヤルタ協定のなかで広大なモンゴル高原と四島を含む千島列島、それぞれに1条項を立て戦後領域が決められたのだとか。もし、ロシアが四島を返還するとなれば、当然、中国は外モンゴルを帰せとロシアに迫るだろう。四島返還はそう簡単な話ではない。

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    2013年10月10日
  • 対談 中国を考える

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     司馬さん8割、陳さん2割くらいの内容です。もう少し陳さんにもしゃべらせてあげて欲しかった。
     中国に関しては、造詣が深い2人なので、お互いが「これ知ってるか?あれ知ってるか?」と初期のオタク会話のようになっていて、いまいちでした。

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    2013年10月09日
  • 新装版 王城の護衛者

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    幕末の5人の男たちの短編集。
    松平容保主役の本少ないから手にとる。
    この人は誰が取り上げても人物像にぶれがない印象。
    まっすぐ(すぎ)で、政治が下手で。
    容保が病に伏したときの孝明帝の祈りぷりが狂気じみていてここだけは創作であってほしいと思ったり。

    最後の作品、人斬り以蔵も面白かった。

    0
    2013年09月23日
  • 馬上少年過ぐ

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    収録作品内で少し出来にばらつきを感じる短編集。
    それでも司馬遼が好きな人には短いという意味で読みやすい作品なのかな?とは思う(当方、特に司馬遼ファンではないので見当外れかもしれませんが)。
    しかし、相変わらずの断定口調の人物評がそこかしこに散見。
    「器量無し」って決めつけられる人物の御一族の心中を察するに余りあるってやつです。

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    2013年09月22日
  • 新装版 戦雲の夢

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    ネタバレ

    四国で名を馳せた戦国大名、長曾我部家が物語の主人公。
    親が築いた22万石という大きな勢力を引き継ぐものの自身の判断の誤りによって、それらを全て失い、武士としてまた頭領としての自分を模索する。

    「虎狼のごとき欲というのは、学んで持てるものではない。人に生まれついたものじゃ。元親どのにはそれがあったが、右衛門太郎どのは、惜しくも骨柄を受け継いだのみで、虎狼の欲を受け継がなんだ。骨柄と才覚があって欲の薄い者は、天下の大事を乗りきれまい」

    生まれもったときに持つ者と持たざるべき者の差が運命を左右したといえるのではないだろうか。

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    2013年09月12日
  • 城塞(中)

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    ネタバレ

     真田幸村が登場し、大坂冬の陣がえがかれる中巻。

     武士たちは己のために自分の居場所を決め、行動している。
     様々な価値観のもとで動く武士を1つの軍としてまとめ、全体として動かすのが大将の仕事。

     大将によって、大坂冬の陣の勝敗は決まった。
     秀頼が大将として機能すれば、この戦の結果はかわったかもしれない。

     歴史の話だけでなく、どんな場面でもトップによって組織が大きく変わることはあると思う。
     トップが有能である事、それにはトップが自分自身を知り組織の人間を知り尽くしているという事が必要なのだと思う。
     決して、目立つトップが有能という事ではない。トップ自身が苦手な事は得意な人間にふるというのもトップの力。
     組織の1人1人の性格や能力をいかし、うまく使っていくことができれば、きっとその組織は最大の力を発揮する。

     徳川家康は、そういうトップだった。だから、徳川が主筋であるはずの豊臣を滅ぼすという、あぶなっかしい計画を進めることができ、成功させる事ができた。

     真田幸村の真田丸。名前は知っていたが、この小説で初めてその機能を知った。
     幸村もまた、己を知り己を生かすためにこの戦に出た。
     彼は恩賞を求めていたわけでもなければ、豊臣の勝利への固執もない。ただ、自分自身の力を試し、結果を残すために豊臣家へ戻った。

     次は下巻。

     歴史的な結果は有名で、読まなくても分かる。
     それを司馬遼太郎がどういう始点からどうえがいていくのかが楽しみです。

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    2013年09月07日
  • 新装版 王城の護衛者

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    幕末を生きた男たちの物語.全5編の短編集.一番印象深かったのは,表題作の「王城の護衛者」,会津藩藩主の松平容保.負ければ賊軍って訳ではないが,本書を読むまでは容保には良いイメージが無かった.
    でも,当時の会津藩が置かれていた状況など見えてくると,容保に対する印象も全然違う.思わず,コレ面白いぞと呟いてしまった.

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    2013年09月04日
  • 胡蝶の夢(一)

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    幕末の蘭医・松本良順、松本の弟子の島倉伊之助、同じく蘭医・関寛斎の物語。
    先に読んだ高田郁の「あい」から関寛斎をもっと知りたくなり、この本に辿り着いた。
    司馬遼太郎らしく、史実に基づいた詳細な説明があり、幕末の医療や身分制度について興味深く読んだ。
    特に江戸時代の身分制度については、学生時代に覚えた「士農工商」という単純な公式では言い表せないのだなぁ、と。
    なぜ江戸時代の奥医師は坊主頭だったのか?、それはつまり俗世間から離別した出家僧と同じ扱いだったから、などなど。
    ただ残念だったのは、一つの小説に三人の話がバラバラに描かれているようで、一つの物語=テーマとして読めなかったこと。
    それから、関寛斎については「こうだったそうだ」という感じで、司馬遼太郎の解釈がなくて、「竜馬が行く」の竜馬のように、もっと司馬遼太郎から見た関寛斎が読みたかった。
    それからそれから(笑)、もっと良順の最後も知りたかったかも。
    そして、最初からずーっと「胡蝶の夢」というタイトルが気になっていたのだけど、終盤、伊之助が野の蝶を見て荘子の一説を思い出したところでようやく「胡蝶の夢」というフレーズが出て来た。
    荘子が自分が蝶になった夢を見たが、いやそれは実は自分が蝶であるのが現実で、人間であるのが夢なのでは?と考えたというもの。
    うーん、難しい。
    荘子の考え方を調べてみたけど、これがこの小説とどう結びつくのか…。
    いずれわかる日が来るのかな。
    その日を待ちつつ、考え続けたいと思います。

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    2013年09月02日
  • 翔ぶが如く(九)

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    昨年、司馬遼太郎の「坂の上の雲 全8巻」を読みました。

    坂の上の雲の中ですごく気になったのは、司馬遼太郎が描く薩摩藩型のリーダーシップ。
    ネット上での解説を少し転載します。


    明治時代も終わりに近づいた頃、ある座談会で、明治の人物論が出た。
    ある人が「人間が大きいという点では大山巌が最大だろう」と言ったところ
    「いや、同じ薩摩人だが西郷従道の方が5倍は大きかった」と反論する人があり
    誰もその意見には反対しなかったという。

    ところが、その座で、西郷隆盛を実際に知っている人がいて
    「その従道も、兄の隆盛に較べると月の前の星だった」と言ったので、
    その場の人々は西郷隆盛という人物の巨大さを想像するのに、気が遠くなる思いがしたという。




    西郷従道(つぐみち)は「ウドサァ」である。薩摩藩(鹿児島)の典型的なリーダーの呼ばれ方である。
    本来の語意は「大きい人」とでもいうようなものだ。
    従って、西郷隆盛などは、肉体的にも雄大で、精神的にも巨人であるという点で、
    まさに「ウドサァ」を体現した男であると言えよう。

    薩摩藩型リーダー「ウドサァ」の手法は二つある。まずは最も有能な部下を見つけ
    その者に一切の業務を任せてしまう。
    次に、自分自身が賢者であろうと、それを隠して愚者のおおらかさを演出する。阿呆になりきるのだ。
    そして、業務を任せた有能な部下を信頼し、自分は部下が仕事をしやすいように場を平らげるだけで、後は黙っている。
    万が一部下が失敗するときはさっさと腹を切る覚悟を決める。これがウドサァである。



    日本人はこのリーダーシップのスタイルに対してあまり違和感を持っていないと思う。

    日本の組織のトップはリーダーというよりは殿様なのだ。殿様は知識やスキルではなく人徳で勝負。
    細かいところまで口を出す殿様は
    家老に 「殿!ご乱心を!」とたしなめられてしまう。

    でも、このリーダーシップのスタイルは世界のスタンダードではないと思う。
    世界の卓越したリーダー達で「ウドサァ」みたいなスタイルだった人を私は知らない。
    スキピオ、ジュリアスシーザー、アレキサンダー大王
    ナポレオン、リンカーン ・・・ ビルゲイツもジョブズも孫正義も
    部下に仕事を任せはするが、後は黙っているなんて事は絶対にない。

    古代中国の劉邦と劉備は「ウドサァ」かもしれない。(だから日本で人気がある?)

    私も大きな組織で働いているが
    トップに非常に細かいことまで指示される事を想像すると辟易してしまう。
    そのくせ、「トップの方針が明確でない」みたいなことを言ってみたりもする。 どないやねん!


    1年以上かけて、ようやく全10巻を読破しました。

    いや〜〜長かった。
    面白かったけど、やっぱり長いよ司馬さん。

    「翔ぶが如く」本線のストーリーは、征韓論から西南戦争に至るまでの話なんですが、水滸伝のように、周辺の人物の描写や逸話に入りこんでしまって、本線のストーリーが遅々として進まない。。

    新聞小説の連載だからなのかもしれないが、ふだんノンフィクションの実用書ばかり読んでる身としては、かなりじれったかった。

    本線のストーリーだけ書けば、半分ぐらいの頁数で済むのでは?
    と思ってしまいました。

    [読んで思ったこと1]
    本書を読み「薩摩藩型のリーダーシップ」について理解するという当初の目的は果たせませんでした。
    著者にとっても、西郷隆盛という人物は、スケールが大き過ぎて掴みどころのない存在のようでした。特に征韓論以降の西郷隆盛は、現在の我々からは訳がなかなか理解し辛い事が多いです。

    しかし、リーダーシップとは何かという事について、いろいろと考える事ができました。昨年一年間かけて考えた、私なりのリーダーシップ論は、後日別のエントリで纏めようと思います。

    [読んで思ったこと2]
    西南戦争は、西郷隆盛を担いだ薩摩藩の壮士と、山縣有朋が徴兵して編制した政府軍との戦いでした。

    当時の薩摩藩は古代のスパルタのような軍事教育国家であったため、壮士達は世界最強の兵士とも言える存在でした。
    しかし兵站という考え方がほぼ皆無に近かった。

    一方で政府軍の鎮台兵は百姓出身者が大半であり、本当に弱く、戦闘となるとすぐに壊乱してしまう有様でした。
    しかし、山縣有朋の綿密な軍政準備により、予備兵・食糧・弾薬などの後方支援が途切れる事は無かった。

    両者が激突するとどうなるのか。
    短期的には薩摩藩が圧倒的に有利なのですが、戦いが長期的になつてくるとジワリジワリと政府軍が有利になってくる・・・

    古代ローマ帝国とカルタゴのハンニバルの戦いを見るようでした。

    いや、普段の仕事についても同じ事かなと思いまして。

    仕事でも、短期的に物事をガーと進められる人に注目が集まりますけど、さまざまな兵站をキッチリ意識して、長期的に組織的に物事を動かせる人の方が最終的な結果に結びつくのかなと。

    この間、絶好調のアップルの決算発表がありましたが、今のアップルの収益性を支えるサプライチェーンとロジスティクスの仕組みを確立したのは、現アップルCEOのティム・クック氏だとの事。

    0
    2013年08月29日
  • 翔ぶが如く(八)

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    昨年、司馬遼太郎の「坂の上の雲 全8巻」を読みました。

    坂の上の雲の中ですごく気になったのは、司馬遼太郎が描く薩摩藩型のリーダーシップ。
    ネット上での解説を少し転載します。


    明治時代も終わりに近づいた頃、ある座談会で、明治の人物論が出た。
    ある人が「人間が大きいという点では大山巌が最大だろう」と言ったところ
    「いや、同じ薩摩人だが西郷従道の方が5倍は大きかった」と反論する人があり
    誰もその意見には反対しなかったという。

    ところが、その座で、西郷隆盛を実際に知っている人がいて
    「その従道も、兄の隆盛に較べると月の前の星だった」と言ったので、
    その場の人々は西郷隆盛という人物の巨大さを想像するのに、気が遠くなる思いがしたという。




    西郷従道(つぐみち)は「ウドサァ」である。薩摩藩(鹿児島)の典型的なリーダーの呼ばれ方である。
    本来の語意は「大きい人」とでもいうようなものだ。
    従って、西郷隆盛などは、肉体的にも雄大で、精神的にも巨人であるという点で、
    まさに「ウドサァ」を体現した男であると言えよう。

    薩摩藩型リーダー「ウドサァ」の手法は二つある。まずは最も有能な部下を見つけ
    その者に一切の業務を任せてしまう。
    次に、自分自身が賢者であろうと、それを隠して愚者のおおらかさを演出する。阿呆になりきるのだ。
    そして、業務を任せた有能な部下を信頼し、自分は部下が仕事をしやすいように場を平らげるだけで、後は黙っている。
    万が一部下が失敗するときはさっさと腹を切る覚悟を決める。これがウドサァである。



    日本人はこのリーダーシップのスタイルに対してあまり違和感を持っていないと思う。

    日本の組織のトップはリーダーというよりは殿様なのだ。殿様は知識やスキルではなく人徳で勝負。
    細かいところまで口を出す殿様は
    家老に 「殿!ご乱心を!」とたしなめられてしまう。

    でも、このリーダーシップのスタイルは世界のスタンダードではないと思う。
    世界の卓越したリーダー達で「ウドサァ」みたいなスタイルだった人を私は知らない。
    スキピオ、ジュリアスシーザー、アレキサンダー大王
    ナポレオン、リンカーン ・・・ ビルゲイツもジョブズも孫正義も
    部下に仕事を任せはするが、後は黙っているなんて事は絶対にない。

    古代中国の劉邦と劉備は「ウドサァ」かもしれない。(だから日本で人気がある?)

    私も大きな組織で働いているが
    トップに非常に細かいことまで指示される事を想像すると辟易してしまう。
    そのくせ、「トップの方針が明確でない」みたいなことを言ってみたりもする。 どないやねん!


    1年以上かけて、ようやく全10巻を読破しました。

    いや〜〜長かった。
    面白かったけど、やっぱり長いよ司馬さん。

    「翔ぶが如く」本線のストーリーは、征韓論から西南戦争に至るまでの話なんですが、水滸伝のように、周辺の人物の描写や逸話に入りこんでしまって、本線のストーリーが遅々として進まない。。

    新聞小説の連載だからなのかもしれないが、ふだんノンフィクションの実用書ばかり読んでる身としては、かなりじれったかった。

    本線のストーリーだけ書けば、半分ぐらいの頁数で済むのでは?
    と思ってしまいました。

    [読んで思ったこと1]
    本書を読み「薩摩藩型のリーダーシップ」について理解するという当初の目的は果たせませんでした。
    著者にとっても、西郷隆盛という人物は、スケールが大き過ぎて掴みどころのない存在のようでした。特に征韓論以降の西郷隆盛は、現在の我々からは訳がなかなか理解し辛い事が多いです。

    しかし、リーダーシップとは何かという事について、いろいろと考える事ができました。昨年一年間かけて考えた、私なりのリーダーシップ論は、後日別のエントリで纏めようと思います。

    [読んで思ったこと2]
    西南戦争は、西郷隆盛を担いだ薩摩藩の壮士と、山縣有朋が徴兵して編制した政府軍との戦いでした。

    当時の薩摩藩は古代のスパルタのような軍事教育国家であったため、壮士達は世界最強の兵士とも言える存在でした。
    しかし兵站という考え方がほぼ皆無に近かった。

    一方で政府軍の鎮台兵は百姓出身者が大半であり、本当に弱く、戦闘となるとすぐに壊乱してしまう有様でした。
    しかし、山縣有朋の綿密な軍政準備により、予備兵・食糧・弾薬などの後方支援が途切れる事は無かった。

    両者が激突するとどうなるのか。
    短期的には薩摩藩が圧倒的に有利なのですが、戦いが長期的になつてくるとジワリジワリと政府軍が有利になってくる・・・

    古代ローマ帝国とカルタゴのハンニバルの戦いを見るようでした。

    いや、普段の仕事についても同じ事かなと思いまして。

    仕事でも、短期的に物事をガーと進められる人に注目が集まりますけど、さまざまな兵站をキッチリ意識して、長期的に組織的に物事を動かせる人の方が最終的な結果に結びつくのかなと。

    この間、絶好調のアップルの決算発表がありましたが、今のアップルの収益性を支えるサプライチェーンとロジスティクスの仕組みを確立したのは、現アップルCEOのティム・クック氏だとの事。

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    2013年08月29日
  • 翔ぶが如く(七)

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    昨年、司馬遼太郎の「坂の上の雲 全8巻」を読みました。

    坂の上の雲の中ですごく気になったのは、司馬遼太郎が描く薩摩藩型のリーダーシップ。
    ネット上での解説を少し転載します。


    明治時代も終わりに近づいた頃、ある座談会で、明治の人物論が出た。
    ある人が「人間が大きいという点では大山巌が最大だろう」と言ったところ
    「いや、同じ薩摩人だが西郷従道の方が5倍は大きかった」と反論する人があり
    誰もその意見には反対しなかったという。

    ところが、その座で、西郷隆盛を実際に知っている人がいて
    「その従道も、兄の隆盛に較べると月の前の星だった」と言ったので、
    その場の人々は西郷隆盛という人物の巨大さを想像するのに、気が遠くなる思いがしたという。




    西郷従道(つぐみち)は「ウドサァ」である。薩摩藩(鹿児島)の典型的なリーダーの呼ばれ方である。
    本来の語意は「大きい人」とでもいうようなものだ。
    従って、西郷隆盛などは、肉体的にも雄大で、精神的にも巨人であるという点で、
    まさに「ウドサァ」を体現した男であると言えよう。

    薩摩藩型リーダー「ウドサァ」の手法は二つある。まずは最も有能な部下を見つけ
    その者に一切の業務を任せてしまう。
    次に、自分自身が賢者であろうと、それを隠して愚者のおおらかさを演出する。阿呆になりきるのだ。
    そして、業務を任せた有能な部下を信頼し、自分は部下が仕事をしやすいように場を平らげるだけで、後は黙っている。
    万が一部下が失敗するときはさっさと腹を切る覚悟を決める。これがウドサァである。



    日本人はこのリーダーシップのスタイルに対してあまり違和感を持っていないと思う。

    日本の組織のトップはリーダーというよりは殿様なのだ。殿様は知識やスキルではなく人徳で勝負。
    細かいところまで口を出す殿様は
    家老に 「殿!ご乱心を!」とたしなめられてしまう。

    でも、このリーダーシップのスタイルは世界のスタンダードではないと思う。
    世界の卓越したリーダー達で「ウドサァ」みたいなスタイルだった人を私は知らない。
    スキピオ、ジュリアスシーザー、アレキサンダー大王
    ナポレオン、リンカーン ・・・ ビルゲイツもジョブズも孫正義も
    部下に仕事を任せはするが、後は黙っているなんて事は絶対にない。

    古代中国の劉邦と劉備は「ウドサァ」かもしれない。(だから日本で人気がある?)

    私も大きな組織で働いているが
    トップに非常に細かいことまで指示される事を想像すると辟易してしまう。
    そのくせ、「トップの方針が明確でない」みたいなことを言ってみたりもする。 どないやねん!


    1年以上かけて、ようやく全10巻を読破しました。

    いや〜〜長かった。
    面白かったけど、やっぱり長いよ司馬さん。

    「翔ぶが如く」本線のストーリーは、征韓論から西南戦争に至るまでの話なんですが、水滸伝のように、周辺の人物の描写や逸話に入りこんでしまって、本線のストーリーが遅々として進まない。。

    新聞小説の連載だからなのかもしれないが、ふだんノンフィクションの実用書ばかり読んでる身としては、かなりじれったかった。

    本線のストーリーだけ書けば、半分ぐらいの頁数で済むのでは?
    と思ってしまいました。

    [読んで思ったこと1]
    本書を読み「薩摩藩型のリーダーシップ」について理解するという当初の目的は果たせませんでした。
    著者にとっても、西郷隆盛という人物は、スケールが大き過ぎて掴みどころのない存在のようでした。特に征韓論以降の西郷隆盛は、現在の我々からは訳がなかなか理解し辛い事が多いです。

    しかし、リーダーシップとは何かという事について、いろいろと考える事ができました。昨年一年間かけて考えた、私なりのリーダーシップ論は、後日別のエントリで纏めようと思います。

    [読んで思ったこと2]
    西南戦争は、西郷隆盛を担いだ薩摩藩の壮士と、山縣有朋が徴兵して編制した政府軍との戦いでした。

    当時の薩摩藩は古代のスパルタのような軍事教育国家であったため、壮士達は世界最強の兵士とも言える存在でした。
    しかし兵站という考え方がほぼ皆無に近かった。

    一方で政府軍の鎮台兵は百姓出身者が大半であり、本当に弱く、戦闘となるとすぐに壊乱してしまう有様でした。
    しかし、山縣有朋の綿密な軍政準備により、予備兵・食糧・弾薬などの後方支援が途切れる事は無かった。

    両者が激突するとどうなるのか。
    短期的には薩摩藩が圧倒的に有利なのですが、戦いが長期的になつてくるとジワリジワリと政府軍が有利になってくる・・・

    古代ローマ帝国とカルタゴのハンニバルの戦いを見るようでした。

    いや、普段の仕事についても同じ事かなと思いまして。

    仕事でも、短期的に物事をガーと進められる人に注目が集まりますけど、さまざまな兵站をキッチリ意識して、長期的に組織的に物事を動かせる人の方が最終的な結果に結びつくのかなと。

    この間、絶好調のアップルの決算発表がありましたが、今のアップルの収益性を支えるサプライチェーンとロジスティクスの仕組みを確立したのは、現アップルCEOのティム・クック氏だとの事。

    0
    2013年08月29日
  • 翔ぶが如く(六)

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    昨年、司馬遼太郎の「坂の上の雲 全8巻」を読みました。

    坂の上の雲の中ですごく気になったのは、司馬遼太郎が描く薩摩藩型のリーダーシップ。
    ネット上での解説を少し転載します。


    明治時代も終わりに近づいた頃、ある座談会で、明治の人物論が出た。
    ある人が「人間が大きいという点では大山巌が最大だろう」と言ったところ
    「いや、同じ薩摩人だが西郷従道の方が5倍は大きかった」と反論する人があり
    誰もその意見には反対しなかったという。

    ところが、その座で、西郷隆盛を実際に知っている人がいて
    「その従道も、兄の隆盛に較べると月の前の星だった」と言ったので、
    その場の人々は西郷隆盛という人物の巨大さを想像するのに、気が遠くなる思いがしたという。




    西郷従道(つぐみち)は「ウドサァ」である。薩摩藩(鹿児島)の典型的なリーダーの呼ばれ方である。
    本来の語意は「大きい人」とでもいうようなものだ。
    従って、西郷隆盛などは、肉体的にも雄大で、精神的にも巨人であるという点で、
    まさに「ウドサァ」を体現した男であると言えよう。

    薩摩藩型リーダー「ウドサァ」の手法は二つある。まずは最も有能な部下を見つけ
    その者に一切の業務を任せてしまう。
    次に、自分自身が賢者であろうと、それを隠して愚者のおおらかさを演出する。阿呆になりきるのだ。
    そして、業務を任せた有能な部下を信頼し、自分は部下が仕事をしやすいように場を平らげるだけで、後は黙っている。
    万が一部下が失敗するときはさっさと腹を切る覚悟を決める。これがウドサァである。



    日本人はこのリーダーシップのスタイルに対してあまり違和感を持っていないと思う。

    日本の組織のトップはリーダーというよりは殿様なのだ。殿様は知識やスキルではなく人徳で勝負。
    細かいところまで口を出す殿様は
    家老に 「殿!ご乱心を!」とたしなめられてしまう。

    でも、このリーダーシップのスタイルは世界のスタンダードではないと思う。
    世界の卓越したリーダー達で「ウドサァ」みたいなスタイルだった人を私は知らない。
    スキピオ、ジュリアスシーザー、アレキサンダー大王
    ナポレオン、リンカーン ・・・ ビルゲイツもジョブズも孫正義も
    部下に仕事を任せはするが、後は黙っているなんて事は絶対にない。

    古代中国の劉邦と劉備は「ウドサァ」かもしれない。(だから日本で人気がある?)

    私も大きな組織で働いているが
    トップに非常に細かいことまで指示される事を想像すると辟易してしまう。
    そのくせ、「トップの方針が明確でない」みたいなことを言ってみたりもする。 どないやねん!


    1年以上かけて、ようやく全10巻を読破しました。

    いや〜〜長かった。
    面白かったけど、やっぱり長いよ司馬さん。

    「翔ぶが如く」本線のストーリーは、征韓論から西南戦争に至るまでの話なんですが、水滸伝のように、周辺の人物の描写や逸話に入りこんでしまって、本線のストーリーが遅々として進まない。。

    新聞小説の連載だからなのかもしれないが、ふだんノンフィクションの実用書ばかり読んでる身としては、かなりじれったかった。

    本線のストーリーだけ書けば、半分ぐらいの頁数で済むのでは?
    と思ってしまいました。

    [読んで思ったこと1]
    本書を読み「薩摩藩型のリーダーシップ」について理解するという当初の目的は果たせませんでした。
    著者にとっても、西郷隆盛という人物は、スケールが大き過ぎて掴みどころのない存在のようでした。特に征韓論以降の西郷隆盛は、現在の我々からは訳がなかなか理解し辛い事が多いです。

    しかし、リーダーシップとは何かという事について、いろいろと考える事ができました。昨年一年間かけて考えた、私なりのリーダーシップ論は、後日別のエントリで纏めようと思います。

    [読んで思ったこと2]
    西南戦争は、西郷隆盛を担いだ薩摩藩の壮士と、山縣有朋が徴兵して編制した政府軍との戦いでした。

    当時の薩摩藩は古代のスパルタのような軍事教育国家であったため、壮士達は世界最強の兵士とも言える存在でした。
    しかし兵站という考え方がほぼ皆無に近かった。

    一方で政府軍の鎮台兵は百姓出身者が大半であり、本当に弱く、戦闘となるとすぐに壊乱してしまう有様でした。
    しかし、山縣有朋の綿密な軍政準備により、予備兵・食糧・弾薬などの後方支援が途切れる事は無かった。

    両者が激突するとどうなるのか。
    短期的には薩摩藩が圧倒的に有利なのですが、戦いが長期的になつてくるとジワリジワリと政府軍が有利になってくる・・・

    古代ローマ帝国とカルタゴのハンニバルの戦いを見るようでした。

    いや、普段の仕事についても同じ事かなと思いまして。

    仕事でも、短期的に物事をガーと進められる人に注目が集まりますけど、さまざまな兵站をキッチリ意識して、長期的に組織的に物事を動かせる人の方が最終的な結果に結びつくのかなと。

    この間、絶好調のアップルの決算発表がありましたが、今のアップルの収益性を支えるサプライチェーンとロジスティクスの仕組みを確立したのは、現アップルCEOのティム・クック氏だとの事。

    0
    2013年08月29日
  • 翔ぶが如く(五)

    Posted by ブクログ

    昨年、司馬遼太郎の「坂の上の雲 全8巻」を読みました。

    坂の上の雲の中ですごく気になったのは、司馬遼太郎が描く薩摩藩型のリーダーシップ。
    ネット上での解説を少し転載します。


    明治時代も終わりに近づいた頃、ある座談会で、明治の人物論が出た。
    ある人が「人間が大きいという点では大山巌が最大だろう」と言ったところ
    「いや、同じ薩摩人だが西郷従道の方が5倍は大きかった」と反論する人があり
    誰もその意見には反対しなかったという。

    ところが、その座で、西郷隆盛を実際に知っている人がいて
    「その従道も、兄の隆盛に較べると月の前の星だった」と言ったので、
    その場の人々は西郷隆盛という人物の巨大さを想像するのに、気が遠くなる思いがしたという。




    西郷従道(つぐみち)は「ウドサァ」である。薩摩藩(鹿児島)の典型的なリーダーの呼ばれ方である。
    本来の語意は「大きい人」とでもいうようなものだ。
    従って、西郷隆盛などは、肉体的にも雄大で、精神的にも巨人であるという点で、
    まさに「ウドサァ」を体現した男であると言えよう。

    薩摩藩型リーダー「ウドサァ」の手法は二つある。まずは最も有能な部下を見つけ
    その者に一切の業務を任せてしまう。
    次に、自分自身が賢者であろうと、それを隠して愚者のおおらかさを演出する。阿呆になりきるのだ。
    そして、業務を任せた有能な部下を信頼し、自分は部下が仕事をしやすいように場を平らげるだけで、後は黙っている。
    万が一部下が失敗するときはさっさと腹を切る覚悟を決める。これがウドサァである。



    日本人はこのリーダーシップのスタイルに対してあまり違和感を持っていないと思う。

    日本の組織のトップはリーダーというよりは殿様なのだ。殿様は知識やスキルではなく人徳で勝負。
    細かいところまで口を出す殿様は
    家老に 「殿!ご乱心を!」とたしなめられてしまう。

    でも、このリーダーシップのスタイルは世界のスタンダードではないと思う。
    世界の卓越したリーダー達で「ウドサァ」みたいなスタイルだった人を私は知らない。
    スキピオ、ジュリアスシーザー、アレキサンダー大王
    ナポレオン、リンカーン ・・・ ビルゲイツもジョブズも孫正義も
    部下に仕事を任せはするが、後は黙っているなんて事は絶対にない。

    古代中国の劉邦と劉備は「ウドサァ」かもしれない。(だから日本で人気がある?)

    私も大きな組織で働いているが
    トップに非常に細かいことまで指示される事を想像すると辟易してしまう。
    そのくせ、「トップの方針が明確でない」みたいなことを言ってみたりもする。 どないやねん!


    1年以上かけて、ようやく全10巻を読破しました。

    いや〜〜長かった。
    面白かったけど、やっぱり長いよ司馬さん。

    「翔ぶが如く」本線のストーリーは、征韓論から西南戦争に至るまでの話なんですが、水滸伝のように、周辺の人物の描写や逸話に入りこんでしまって、本線のストーリーが遅々として進まない。。

    新聞小説の連載だからなのかもしれないが、ふだんノンフィクションの実用書ばかり読んでる身としては、かなりじれったかった。

    本線のストーリーだけ書けば、半分ぐらいの頁数で済むのでは?
    と思ってしまいました。

    [読んで思ったこと1]
    本書を読み「薩摩藩型のリーダーシップ」について理解するという当初の目的は果たせませんでした。
    著者にとっても、西郷隆盛という人物は、スケールが大き過ぎて掴みどころのない存在のようでした。特に征韓論以降の西郷隆盛は、現在の我々からは訳がなかなか理解し辛い事が多いです。

    しかし、リーダーシップとは何かという事について、いろいろと考える事ができました。昨年一年間かけて考えた、私なりのリーダーシップ論は、後日別のエントリで纏めようと思います。

    [読んで思ったこと2]
    西南戦争は、西郷隆盛を担いだ薩摩藩の壮士と、山縣有朋が徴兵して編制した政府軍との戦いでした。

    当時の薩摩藩は古代のスパルタのような軍事教育国家であったため、壮士達は世界最強の兵士とも言える存在でした。
    しかし兵站という考え方がほぼ皆無に近かった。

    一方で政府軍の鎮台兵は百姓出身者が大半であり、本当に弱く、戦闘となるとすぐに壊乱してしまう有様でした。
    しかし、山縣有朋の綿密な軍政準備により、予備兵・食糧・弾薬などの後方支援が途切れる事は無かった。

    両者が激突するとどうなるのか。
    短期的には薩摩藩が圧倒的に有利なのですが、戦いが長期的になつてくるとジワリジワリと政府軍が有利になってくる・・・

    古代ローマ帝国とカルタゴのハンニバルの戦いを見るようでした。

    いや、普段の仕事についても同じ事かなと思いまして。

    仕事でも、短期的に物事をガーと進められる人に注目が集まりますけど、さまざまな兵站をキッチリ意識して、長期的に組織的に物事を動かせる人の方が最終的な結果に結びつくのかなと。

    この間、絶好調のアップルの決算発表がありましたが、今のアップルの収益性を支えるサプライチェーンとロジスティクスの仕組みを確立したのは、現アップルCEOのティム・クック氏だとの事。

    0
    2013年08月29日
  • 翔ぶが如く(四)

    Posted by ブクログ

    昨年、司馬遼太郎の「坂の上の雲 全8巻」を読みました。

    坂の上の雲の中ですごく気になったのは、司馬遼太郎が描く薩摩藩型のリーダーシップ。
    ネット上での解説を少し転載します。


    明治時代も終わりに近づいた頃、ある座談会で、明治の人物論が出た。
    ある人が「人間が大きいという点では大山巌が最大だろう」と言ったところ
    「いや、同じ薩摩人だが西郷従道の方が5倍は大きかった」と反論する人があり
    誰もその意見には反対しなかったという。

    ところが、その座で、西郷隆盛を実際に知っている人がいて
    「その従道も、兄の隆盛に較べると月の前の星だった」と言ったので、
    その場の人々は西郷隆盛という人物の巨大さを想像するのに、気が遠くなる思いがしたという。




    西郷従道(つぐみち)は「ウドサァ」である。薩摩藩(鹿児島)の典型的なリーダーの呼ばれ方である。
    本来の語意は「大きい人」とでもいうようなものだ。
    従って、西郷隆盛などは、肉体的にも雄大で、精神的にも巨人であるという点で、
    まさに「ウドサァ」を体現した男であると言えよう。

    薩摩藩型リーダー「ウドサァ」の手法は二つある。まずは最も有能な部下を見つけ
    その者に一切の業務を任せてしまう。
    次に、自分自身が賢者であろうと、それを隠して愚者のおおらかさを演出する。阿呆になりきるのだ。
    そして、業務を任せた有能な部下を信頼し、自分は部下が仕事をしやすいように場を平らげるだけで、後は黙っている。
    万が一部下が失敗するときはさっさと腹を切る覚悟を決める。これがウドサァである。



    日本人はこのリーダーシップのスタイルに対してあまり違和感を持っていないと思う。

    日本の組織のトップはリーダーというよりは殿様なのだ。殿様は知識やスキルではなく人徳で勝負。
    細かいところまで口を出す殿様は
    家老に 「殿!ご乱心を!」とたしなめられてしまう。

    でも、このリーダーシップのスタイルは世界のスタンダードではないと思う。
    世界の卓越したリーダー達で「ウドサァ」みたいなスタイルだった人を私は知らない。
    スキピオ、ジュリアスシーザー、アレキサンダー大王
    ナポレオン、リンカーン ・・・ ビルゲイツもジョブズも孫正義も
    部下に仕事を任せはするが、後は黙っているなんて事は絶対にない。

    古代中国の劉邦と劉備は「ウドサァ」かもしれない。(だから日本で人気がある?)

    私も大きな組織で働いているが
    トップに非常に細かいことまで指示される事を想像すると辟易してしまう。
    そのくせ、「トップの方針が明確でない」みたいなことを言ってみたりもする。 どないやねん!


    1年以上かけて、ようやく全10巻を読破しました。

    いや〜〜長かった。
    面白かったけど、やっぱり長いよ司馬さん。

    「翔ぶが如く」本線のストーリーは、征韓論から西南戦争に至るまでの話なんですが、水滸伝のように、周辺の人物の描写や逸話に入りこんでしまって、本線のストーリーが遅々として進まない。。

    新聞小説の連載だからなのかもしれないが、ふだんノンフィクションの実用書ばかり読んでる身としては、かなりじれったかった。

    本線のストーリーだけ書けば、半分ぐらいの頁数で済むのでは?
    と思ってしまいました。

    [読んで思ったこと1]
    本書を読み「薩摩藩型のリーダーシップ」について理解するという当初の目的は果たせませんでした。
    著者にとっても、西郷隆盛という人物は、スケールが大き過ぎて掴みどころのない存在のようでした。特に征韓論以降の西郷隆盛は、現在の我々からは訳がなかなか理解し辛い事が多いです。

    しかし、リーダーシップとは何かという事について、いろいろと考える事ができました。昨年一年間かけて考えた、私なりのリーダーシップ論は、後日別のエントリで纏めようと思います。

    [読んで思ったこと2]
    西南戦争は、西郷隆盛を担いだ薩摩藩の壮士と、山縣有朋が徴兵して編制した政府軍との戦いでした。

    当時の薩摩藩は古代のスパルタのような軍事教育国家であったため、壮士達は世界最強の兵士とも言える存在でした。
    しかし兵站という考え方がほぼ皆無に近かった。

    一方で政府軍の鎮台兵は百姓出身者が大半であり、本当に弱く、戦闘となるとすぐに壊乱してしまう有様でした。
    しかし、山縣有朋の綿密な軍政準備により、予備兵・食糧・弾薬などの後方支援が途切れる事は無かった。

    両者が激突するとどうなるのか。
    短期的には薩摩藩が圧倒的に有利なのですが、戦いが長期的になつてくるとジワリジワリと政府軍が有利になってくる・・・

    古代ローマ帝国とカルタゴのハンニバルの戦いを見るようでした。

    いや、普段の仕事についても同じ事かなと思いまして。

    仕事でも、短期的に物事をガーと進められる人に注目が集まりますけど、さまざまな兵站をキッチリ意識して、長期的に組織的に物事を動かせる人の方が最終的な結果に結びつくのかなと。

    この間、絶好調のアップルの決算発表がありましたが、今のアップルの収益性を支えるサプライチェーンとロジスティクスの仕組みを確立したのは、現アップルCEOのティム・クック氏だとの事。

    0
    2013年08月29日
  • 翔ぶが如く(三)

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    昨年、司馬遼太郎の「坂の上の雲 全8巻」を読みました。

    坂の上の雲の中ですごく気になったのは、司馬遼太郎が描く薩摩藩型のリーダーシップ。
    ネット上での解説を少し転載します。


    明治時代も終わりに近づいた頃、ある座談会で、明治の人物論が出た。
    ある人が「人間が大きいという点では大山巌が最大だろう」と言ったところ
    「いや、同じ薩摩人だが西郷従道の方が5倍は大きかった」と反論する人があり
    誰もその意見には反対しなかったという。

    ところが、その座で、西郷隆盛を実際に知っている人がいて
    「その従道も、兄の隆盛に較べると月の前の星だった」と言ったので、
    その場の人々は西郷隆盛という人物の巨大さを想像するのに、気が遠くなる思いがしたという。




    西郷従道(つぐみち)は「ウドサァ」である。薩摩藩(鹿児島)の典型的なリーダーの呼ばれ方である。
    本来の語意は「大きい人」とでもいうようなものだ。
    従って、西郷隆盛などは、肉体的にも雄大で、精神的にも巨人であるという点で、
    まさに「ウドサァ」を体現した男であると言えよう。

    薩摩藩型リーダー「ウドサァ」の手法は二つある。まずは最も有能な部下を見つけ
    その者に一切の業務を任せてしまう。
    次に、自分自身が賢者であろうと、それを隠して愚者のおおらかさを演出する。阿呆になりきるのだ。
    そして、業務を任せた有能な部下を信頼し、自分は部下が仕事をしやすいように場を平らげるだけで、後は黙っている。
    万が一部下が失敗するときはさっさと腹を切る覚悟を決める。これがウドサァである。



    日本人はこのリーダーシップのスタイルに対してあまり違和感を持っていないと思う。

    日本の組織のトップはリーダーというよりは殿様なのだ。殿様は知識やスキルではなく人徳で勝負。
    細かいところまで口を出す殿様は
    家老に 「殿!ご乱心を!」とたしなめられてしまう。

    でも、このリーダーシップのスタイルは世界のスタンダードではないと思う。
    世界の卓越したリーダー達で「ウドサァ」みたいなスタイルだった人を私は知らない。
    スキピオ、ジュリアスシーザー、アレキサンダー大王
    ナポレオン、リンカーン ・・・ ビルゲイツもジョブズも孫正義も
    部下に仕事を任せはするが、後は黙っているなんて事は絶対にない。

    古代中国の劉邦と劉備は「ウドサァ」かもしれない。(だから日本で人気がある?)

    私も大きな組織で働いているが
    トップに非常に細かいことまで指示される事を想像すると辟易してしまう。
    そのくせ、「トップの方針が明確でない」みたいなことを言ってみたりもする。 どないやねん!


    1年以上かけて、ようやく全10巻を読破しました。

    いや〜〜長かった。
    面白かったけど、やっぱり長いよ司馬さん。

    「翔ぶが如く」本線のストーリーは、征韓論から西南戦争に至るまでの話なんですが、水滸伝のように、周辺の人物の描写や逸話に入りこんでしまって、本線のストーリーが遅々として進まない。。

    新聞小説の連載だからなのかもしれないが、ふだんノンフィクションの実用書ばかり読んでる身としては、かなりじれったかった。

    本線のストーリーだけ書けば、半分ぐらいの頁数で済むのでは?
    と思ってしまいました。

    [読んで思ったこと1]
    本書を読み「薩摩藩型のリーダーシップ」について理解するという当初の目的は果たせませんでした。
    著者にとっても、西郷隆盛という人物は、スケールが大き過ぎて掴みどころのない存在のようでした。特に征韓論以降の西郷隆盛は、現在の我々からは訳がなかなか理解し辛い事が多いです。

    しかし、リーダーシップとは何かという事について、いろいろと考える事ができました。昨年一年間かけて考えた、私なりのリーダーシップ論は、後日別のエントリで纏めようと思います。

    [読んで思ったこと2]
    西南戦争は、西郷隆盛を担いだ薩摩藩の壮士と、山縣有朋が徴兵して編制した政府軍との戦いでした。

    当時の薩摩藩は古代のスパルタのような軍事教育国家であったため、壮士達は世界最強の兵士とも言える存在でした。
    しかし兵站という考え方がほぼ皆無に近かった。

    一方で政府軍の鎮台兵は百姓出身者が大半であり、本当に弱く、戦闘となるとすぐに壊乱してしまう有様でした。
    しかし、山縣有朋の綿密な軍政準備により、予備兵・食糧・弾薬などの後方支援が途切れる事は無かった。

    両者が激突するとどうなるのか。
    短期的には薩摩藩が圧倒的に有利なのですが、戦いが長期的になつてくるとジワリジワリと政府軍が有利になってくる・・・

    古代ローマ帝国とカルタゴのハンニバルの戦いを見るようでした。

    いや、普段の仕事についても同じ事かなと思いまして。

    仕事でも、短期的に物事をガーと進められる人に注目が集まりますけど、さまざまな兵站をキッチリ意識して、長期的に組織的に物事を動かせる人の方が最終的な結果に結びつくのかなと。

    この間、絶好調のアップルの決算発表がありましたが、今のアップルの収益性を支えるサプライチェーンとロジスティクスの仕組みを確立したのは、現アップルCEOのティム・クック氏だとの事。

    0
    2013年08月29日
  • 翔ぶが如く(二)

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    昨年、司馬遼太郎の「坂の上の雲 全8巻」を読みました。

    坂の上の雲の中ですごく気になったのは、司馬遼太郎が描く薩摩藩型のリーダーシップ。
    ネット上での解説を少し転載します。


    明治時代も終わりに近づいた頃、ある座談会で、明治の人物論が出た。
    ある人が「人間が大きいという点では大山巌が最大だろう」と言ったところ
    「いや、同じ薩摩人だが西郷従道の方が5倍は大きかった」と反論する人があり
    誰もその意見には反対しなかったという。

    ところが、その座で、西郷隆盛を実際に知っている人がいて
    「その従道も、兄の隆盛に較べると月の前の星だった」と言ったので、
    その場の人々は西郷隆盛という人物の巨大さを想像するのに、気が遠くなる思いがしたという。




    西郷従道(つぐみち)は「ウドサァ」である。薩摩藩(鹿児島)の典型的なリーダーの呼ばれ方である。
    本来の語意は「大きい人」とでもいうようなものだ。
    従って、西郷隆盛などは、肉体的にも雄大で、精神的にも巨人であるという点で、
    まさに「ウドサァ」を体現した男であると言えよう。

    薩摩藩型リーダー「ウドサァ」の手法は二つある。まずは最も有能な部下を見つけ
    その者に一切の業務を任せてしまう。
    次に、自分自身が賢者であろうと、それを隠して愚者のおおらかさを演出する。阿呆になりきるのだ。
    そして、業務を任せた有能な部下を信頼し、自分は部下が仕事をしやすいように場を平らげるだけで、後は黙っている。
    万が一部下が失敗するときはさっさと腹を切る覚悟を決める。これがウドサァである。



    日本人はこのリーダーシップのスタイルに対してあまり違和感を持っていないと思う。

    日本の組織のトップはリーダーというよりは殿様なのだ。殿様は知識やスキルではなく人徳で勝負。
    細かいところまで口を出す殿様は
    家老に 「殿!ご乱心を!」とたしなめられてしまう。

    でも、このリーダーシップのスタイルは世界のスタンダードではないと思う。
    世界の卓越したリーダー達で「ウドサァ」みたいなスタイルだった人を私は知らない。
    スキピオ、ジュリアスシーザー、アレキサンダー大王
    ナポレオン、リンカーン ・・・ ビルゲイツもジョブズも孫正義も
    部下に仕事を任せはするが、後は黙っているなんて事は絶対にない。

    古代中国の劉邦と劉備は「ウドサァ」かもしれない。(だから日本で人気がある?)

    私も大きな組織で働いているが
    トップに非常に細かいことまで指示される事を想像すると辟易してしまう。
    そのくせ、「トップの方針が明確でない」みたいなことを言ってみたりもする。 どないやねん!


    1年以上かけて、ようやく全10巻を読破しました。

    いや〜〜長かった。
    面白かったけど、やっぱり長いよ司馬さん。

    「翔ぶが如く」本線のストーリーは、征韓論から西南戦争に至るまでの話なんですが、水滸伝のように、周辺の人物の描写や逸話に入りこんでしまって、本線のストーリーが遅々として進まない。。

    新聞小説の連載だからなのかもしれないが、ふだんノンフィクションの実用書ばかり読んでる身としては、かなりじれったかった。

    本線のストーリーだけ書けば、半分ぐらいの頁数で済むのでは?
    と思ってしまいました。

    [読んで思ったこと1]
    本書を読み「薩摩藩型のリーダーシップ」について理解するという当初の目的は果たせませんでした。
    著者にとっても、西郷隆盛という人物は、スケールが大き過ぎて掴みどころのない存在のようでした。特に征韓論以降の西郷隆盛は、現在の我々からは訳がなかなか理解し辛い事が多いです。

    しかし、リーダーシップとは何かという事について、いろいろと考える事ができました。昨年一年間かけて考えた、私なりのリーダーシップ論は、後日別のエントリで纏めようと思います。

    [読んで思ったこと2]
    西南戦争は、西郷隆盛を担いだ薩摩藩の壮士と、山縣有朋が徴兵して編制した政府軍との戦いでした。

    当時の薩摩藩は古代のスパルタのような軍事教育国家であったため、壮士達は世界最強の兵士とも言える存在でした。
    しかし兵站という考え方がほぼ皆無に近かった。

    一方で政府軍の鎮台兵は百姓出身者が大半であり、本当に弱く、戦闘となるとすぐに壊乱してしまう有様でした。
    しかし、山縣有朋の綿密な軍政準備により、予備兵・食糧・弾薬などの後方支援が途切れる事は無かった。

    両者が激突するとどうなるのか。
    短期的には薩摩藩が圧倒的に有利なのですが、戦いが長期的になつてくるとジワリジワリと政府軍が有利になってくる・・・

    古代ローマ帝国とカルタゴのハンニバルの戦いを見るようでした。

    いや、普段の仕事についても同じ事かなと思いまして。

    仕事でも、短期的に物事をガーと進められる人に注目が集まりますけど、さまざまな兵站をキッチリ意識して、長期的に組織的に物事を動かせる人の方が最終的な結果に結びつくのかなと。

    この間、絶好調のアップルの決算発表がありましたが、今のアップルの収益性を支えるサプライチェーンとロジスティクスの仕組みを確立したのは、現アップルCEOのティム・クック氏だとの事。

    0
    2013年08月29日
  • 翔ぶが如く(十)

    Posted by ブクログ

    昨年、司馬遼太郎の「坂の上の雲 全8巻」を読みました。

    坂の上の雲の中ですごく気になったのは、司馬遼太郎が描く薩摩藩型のリーダーシップ。
    ネット上での解説を少し転載します。


    明治時代も終わりに近づいた頃、ある座談会で、明治の人物論が出た。
    ある人が「人間が大きいという点では大山巌が最大だろう」と言ったところ
    「いや、同じ薩摩人だが西郷従道の方が5倍は大きかった」と反論する人があり
    誰もその意見には反対しなかったという。

    ところが、その座で、西郷隆盛を実際に知っている人がいて
    「その従道も、兄の隆盛に較べると月の前の星だった」と言ったので、
    その場の人々は西郷隆盛という人物の巨大さを想像するのに、気が遠くなる思いがしたという。




    西郷従道(つぐみち)は「ウドサァ」である。薩摩藩(鹿児島)の典型的なリーダーの呼ばれ方である。
    本来の語意は「大きい人」とでもいうようなものだ。
    従って、西郷隆盛などは、肉体的にも雄大で、精神的にも巨人であるという点で、
    まさに「ウドサァ」を体現した男であると言えよう。

    薩摩藩型リーダー「ウドサァ」の手法は二つある。まずは最も有能な部下を見つけ
    その者に一切の業務を任せてしまう。
    次に、自分自身が賢者であろうと、それを隠して愚者のおおらかさを演出する。阿呆になりきるのだ。
    そして、業務を任せた有能な部下を信頼し、自分は部下が仕事をしやすいように場を平らげるだけで、後は黙っている。
    万が一部下が失敗するときはさっさと腹を切る覚悟を決める。これがウドサァである。



    日本人はこのリーダーシップのスタイルに対してあまり違和感を持っていないと思う。

    日本の組織のトップはリーダーというよりは殿様なのだ。殿様は知識やスキルではなく人徳で勝負。
    細かいところまで口を出す殿様は
    家老に 「殿!ご乱心を!」とたしなめられてしまう。

    でも、このリーダーシップのスタイルは世界のスタンダードではないと思う。
    世界の卓越したリーダー達で「ウドサァ」みたいなスタイルだった人を私は知らない。
    スキピオ、ジュリアスシーザー、アレキサンダー大王
    ナポレオン、リンカーン ・・・ ビルゲイツもジョブズも孫正義も
    部下に仕事を任せはするが、後は黙っているなんて事は絶対にない。

    古代中国の劉邦と劉備は「ウドサァ」かもしれない。(だから日本で人気がある?)

    私も大きな組織で働いているが
    トップに非常に細かいことまで指示される事を想像すると辟易してしまう。
    そのくせ、「トップの方針が明確でない」みたいなことを言ってみたりもする。 どないやねん!


    1年以上かけて、ようやく全10巻を読破しました。

    いや〜〜長かった。
    面白かったけど、やっぱり長いよ司馬さん。

    「翔ぶが如く」本線のストーリーは、征韓論から西南戦争に至るまでの話なんですが、水滸伝のように、周辺の人物の描写や逸話に入りこんでしまって、本線のストーリーが遅々として進まない。。

    新聞小説の連載だからなのかもしれないが、ふだんノンフィクションの実用書ばかり読んでる身としては、かなりじれったかった。

    本線のストーリーだけ書けば、半分ぐらいの頁数で済むのでは?
    と思ってしまいました。

    [読んで思ったこと1]
    本書を読み「薩摩藩型のリーダーシップ」について理解するという当初の目的は果たせませんでした。
    著者にとっても、西郷隆盛という人物は、スケールが大き過ぎて掴みどころのない存在のようでした。特に征韓論以降の西郷隆盛は、現在の我々からは訳がなかなか理解し辛い事が多いです。

    しかし、リーダーシップとは何かという事について、いろいろと考える事ができました。昨年一年間かけて考えた、私なりのリーダーシップ論は、後日別のエントリで纏めようと思います。

    [読んで思ったこと2]
    西南戦争は、西郷隆盛を担いだ薩摩藩の壮士と、山縣有朋が徴兵して編制した政府軍との戦いでした。

    当時の薩摩藩は古代のスパルタのような軍事教育国家であったため、壮士達は世界最強の兵士とも言える存在でした。
    しかし兵站という考え方がほぼ皆無に近かった。

    一方で政府軍の鎮台兵は百姓出身者が大半であり、本当に弱く、戦闘となるとすぐに壊乱してしまう有様でした。
    しかし、山縣有朋の綿密な軍政準備により、予備兵・食糧・弾薬などの後方支援が途切れる事は無かった。

    両者が激突するとどうなるのか。
    短期的には薩摩藩が圧倒的に有利なのですが、戦いが長期的になつてくるとジワリジワリと政府軍が有利になってくる・・・

    古代ローマ帝国とカルタゴのハンニバルの戦いを見るようでした。

    いや、普段の仕事についても同じ事かなと思いまして。

    仕事でも、短期的に物事をガーと進められる人に注目が集まりますけど、さまざまな兵站をキッチリ意識して、長期的に組織的に物事を動かせる人の方が最終的な結果に結びつくのかなと。

    この間、絶好調のアップルの決算発表がありましたが、今のアップルの収益性を支えるサプライチェーンとロジスティクスの仕組みを確立したのは、現アップルCEOのティム・クック氏だとの事。

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    2013年08月29日
  • ひとびとの跫音 上

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    正岡子規と妹の律そして養子の忠三郎を中心とした伝記。子規の若い頃の情熱、秋山兄弟との心の交流が兄弟の子供たちと忠三郎の世代にも続いていたことが面白く読めました。忠三郎の友人、ぬやまひろし(西沢隆二)ことタカジなどユニークな人材も多く出てきます。

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    2013年08月25日