司馬遼太郎のレビュー一覧

  • 歴史と視点―私の雑記帖―

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    太平洋戦争には戦略というものはなかった。横井庄一氏のような兵隊を汽船に乗せ、地図にあるかぎりの島々にくばてまわり、配るについては海軍がその護衛をし、まるで棄民のように島々に捨て去りにしたあとは、東条英機という集団的政治発狂組合の事務局長のような人が、東京の大本営で「戦陣訓」というお題目をひたすら唱えつづけただけの戦争であった。20

    太平洋戦争というのは、それだけの戦争である。この戦争からひきだせる教訓などなにもない。

    「日本は地理的に対外戦争などできる国ではありませんね」というふうに言ってもらうほうがよく、いわゆる、十五年戦争にわずかでも教訓がひきだせるとすれば、そういうあたり前の、小学生なみの地理的常識を再確認した、ということだけである。21
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    ネジマワシは私は知っていた。しかし陸軍戦車隊ではこれをエツキラマワシとよんでいた。柄付螺廻のことである。陸軍は海軍とちがい、英語と民間語を宗教的禁忌のようにきらう風があった。ミシンはホウセンキ(縫穿機だったかな?)であり、スリッパは上靴であり、ズボンは袴であり、物干しはブッカンバ(物干場)である。アクセルのことを、噴射践板といった。クラッチは連動版であり、ハンドルは転把である。31
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    儒教は行儀がよかった。行儀のよさこそ儒教のかなめであり、儒者たちは煩瑣で形式的な礼を考えだし、それを演出する専門家であった。

    結局、劉邦は儒者を採用せざるをえなかった。皇帝の権威を成立せしめるのは型であるということを、儒者の叔孫通はよく知っていた。長楽宮ができたのを機会に、叔孫通は三十人の儒者をうごかしてまず皇帝に拝賀する儀式を作りあげた。194

    それを実際にやってみると、その型を演技することによって皇帝はナマ身の劉邦その人ではなく、皇帝とは多分に形而上的存在であることがわかった。

    孔子の儒教はこういうものではなかったかもしれない。しかしこの学問が実際に効用を発揮したのはこのときからであり、このとき以後、中国では儒教と政治が不離のものになる。195
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    徳川家康は豊臣政権の欠陥をよく知っていた。家康が天下をとったとき、かつての室町幕府がもっていた殿中の儀礼をしらべさせ、高家という儀典専門の旗本を置き、江戸城を荘重な儀礼の場にした。195

    徳川家の典礼というのは、諸事こまごまとやかましく、武家政権らしい簡潔さというようなものはない。この典礼からみればこの政権の本質は武断主義でなく文治主義であったことがわかる。196
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    こういう西洋謁見方式でいいものかどうか、天皇の権威をたらしめるにはもっと荘重でなければならないのではないか、ということである。特に、保守家の岩倉具視や山県有朋はもっていたにちがいない。198

    欧州はそれよりも先んじていた。王政や帝政はすでに歴史のかなたに去りつつあり、そのことは山県に衝撃をあたえた。

    山県はこの趨勢をみて多くの明治の政治家や思想家たちが奇妙なほどそうであったように彼も、「合衆政」の徒にはならなかった。むしろ出発のときよりも熱烈に日本的君主制の基礎を確立すべく帰国した。

    明治十年代のおわりごろ、伊藤博文が憲法起草と立憲政治に熱中していたときも、山県は伊藤のそういう考え方に冷淡であった。立憲政体ができあがってからも、山県はむしろ日本の体制に反立憲的要素を入れようとし、その公然たる陰謀に熱中した。

    かれは陸軍と官僚をおさえ、その法王的存在になり、ついには「天皇の軍隊」「天皇の官僚」という、いわば反立憲的体制を確立することに成功した。205

    昭和前期の軍閥ファシズムを生むにいたる素地は、山県が明治期において十分につくっておいたものであった。

    明治期における山県は、漢の高祖における叔孫通にあたる者であったかもしれない。天皇の地位をいかに重厚にするかということは、かれの終生の宿題のようなものであった。206
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    2015年10月18日
  • 新装版 軍師二人

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    休日も育児で自分の時間を持つことも出来ないが、本日は一家で風邪。ダルいが、自室にこもり好きな本を飽きるまで読んでいられると言う状況は少し嬉しい。寝すぎて背中が痛いので、枕を3重にして頭の位置を高くして「軍師二人」を読む。

    黒田勘兵衛の話を読んだばかりで、軍師とは黒田勘兵衛と竹中半兵衛の話かと思いきゃ、さにあらず。関ヶ原の戦い前後の短編集。最初は著者が取材の中で集め、長編に入れられなかったマニアックな話で読みづらいなとも思ったが、読んでいくとはやり面白く、私の知識にある歴史とも繋がる部分があり興味深く読む。

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    2015年10月16日
  • この国のかたち(六)

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    ネタバレ

    「耳はばかですから」と、むかし酒を飲む席で秋田実氏がいわれた。この人は、いまは亡い。昭和初年に東京大学を出ると大阪にもどってきて、旧弊なマンザイを一新した人である。万歳を漫才という文字に変えたのもこの人だったと思うが、漫才はむしろ論理やつじつまが飛躍しなければならない。飛躍のあざやかさこそ漫才の本領なんです、と秋田さんはいわれた。ラジオの漫才を聞いている人は、例えば毛糸編みのアニメをかぞえながらでも聞くことができる。耳というのは言葉についてそれほど許容量の大きいものです、といわれた。「目はそうはいかない。実にうるさい」

    驚くことはたやすくない。大型動物を見て樹の上に跳び上がるリスのように、生まれたままの、さらには素裸の感覚が、物を見、感じ、かつそれを表現する者にはいつも用意されていなければならない。その上で、さまざまな次元での比較や、比較を通じてやがて普遍的な本質まで考えてゆくことが、物を書くということの基本的なものである。

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    2015年10月02日
  • この国のかたち(四)

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    ネタバレ

    石油戦略という核心の部分は、むろん隠され、多くの別なことばにつつまれて窺うことができません。この構造を裏づけるに十分な経済力も戦力も日本にはないということまで、さまざまなことばによっておおいかくされ、人々に輝かしい気分をもたせたのです。敗戦の日に、佐々木邦というユーモア作家が「雲の峰 日本の夢は敗れたり」という俳句を作りましたが、この間の消息が想像できます。なにしろいまでもこの幻想を持続している人がいます。この幻想のもとに、そこに参加して生死した数百万の人々の青春も死霊も浮かばれないという気持ちがあるからでしょう。しかし自己を正確に認識するというリアリズムは、ほとんどの場合、自分が手負いになるのです。大変な勇気が要ります。この勇気こそ死者たちへの魂鎮めへの道だと思うしかありません。あの戦争は、多くの他民族に禍害を与えました。領地を取るつもりはなかったとはいえ、以上に述べた理由で、侵略戦争でした。ただ当時、日本が宣戦布告したのは米英仏蘭であって、その諸領土のなかの油田を奪おうとし、また英国のシンガポール、米国のコレヒドールなどの要塞を攻撃したのです。この点では欧米との戦いだと当時の日本人は思っていました。しかし、土地に現実にいるのは土地の人々であって、その人々が日本軍の作戦によってひどい目にあいました。あの戦争が結果として戦後の東南アジア諸国の独立の触媒をなした、といわれますが、たしかにそうであっても、作戦の真意は異常にのべたように石油の獲得にあり、その獲得を防衛するために周辺の米英の要塞攻撃をし、さらには諸方に軍事拠点を置いただけです。真に植民地を解放するという聖者のような思想から出たものなら、まず朝鮮・台湾を解放していなければならないのです。

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    2015年10月02日
  • この国のかたち(三)

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    ネタバレ

    こういう不思議な例は、はるか千数百年くだって明治四年(一八七一年)の廃藩置県にもみられる。両方とも〝いまからはじまる世が、世界の普遍的な文明なのだ〟という国民的気分があって、みなやむなく従ったのかとおもえる。島国だけに、普遍性へのあこがれがつよいのである。

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    2015年10月02日
  • 人斬り以蔵

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    2015/9/30


    司馬遼太郎さんの、四冊目です。
    初めての短編。


    司馬さんは、その人の小説を書こうとするときに、
    きちんとその人の事を知って、肉体を持たせ、
    その人を愛して、そしてはじめて書くのだと思う。
    そうでなければ、あんな小説は書けないと思う。

    と、いう事を、
    山手線大崎駅の本屋前でふと思いました(笑)



    個人的には、
    『人斬り以蔵』がすきです。
    愚かさと、愛しさ、哀しさ。


    『鬼謀の人』
    大村益次郎の姿がとても魅力的に描かれていて、相変わらず司馬さんの手腕にため息。

    『おお、大砲』

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    2015年09月30日
  • この国のかたち(一)

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    人間というのは、よほど変人でないかぎり、自分の村や生国(こんにちでいえば母校やひいき球団もこれに入る)に自己愛の拡大されたものとしての愛をもっている。社会が広域化するにつれて、この土俗的な感情は、軽度の場合はユーモアになる。しかし重度の場合は、血なまぐさくて、みぐるしい。ついでながら、単なるナショナリズムは愛国という高度の倫理とは別のものである。

    しかし、その社会も成熟しはじめたいまとなれば、それがこんにちの私どもを生んだ唯一の母胎であるといわれれば、そうでもないと言いたくなる。いまの社会の特性を列挙すると、行政管理の精度は高いが、平面的な統一性。また文化の均一性。さらには、ひとびとが共有する価値意識の単純化。たとえば、国をあげて受験に熱中するという単純化へのおろかしさ。価値の多様状況こそ独創性のある思考や社会の活性化を生むと思われるのに、逆の均一性への方向にのみ走りつづけているというばかばかしさ。これが戦後社会が到達した光景というなら、日本はやがて衰弱するのではないか。

    さらに兆民の障害をみると、強烈なほどに自律的ではあったが、他から拘束されることを病的なほどに好まなかった。ただし「硬質」とはいえない。
    「硬質」という用語も、江戸期、人間批評としてよく用いられた。頑固者などといえば一種の美質のようにきこえるが、たとえば長の吉田松陰などは門人を教える場合、これをマイナスの評価として用い、固定概念にとらわれて物や事が見えないおろかしさという意味に使った。

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    2015年09月19日
  • 夏草の賦(下)

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    本能寺の変で辛くも信長の手から四国を守った元親だったが、信長に代わり秀吉が四国へ攻めてきた。
    家臣に説き伏せられ、また土佐一国になった元親。秀吉に登城を命じられ秀吉の器の大きさ、土佐の貧しさ、田舎ぶりを思い知る。

    夢を失い、土地も失い、多くの犠牲への報いもできず、鬱々と過ごす元親。
    唯一の希望は匂やかな美丈夫に育った弥三郎だったが。
    まっすぐで清すぎる息子に不安も感じる。
    「腹中に三百の悪徳を蔵った一つの美徳を行じよ。それが大将への道だ。」
    弥三郎に女をモノのように扱えといいつつ、菜々を大事にしている様子が微笑ましい。
    大阪ほど金品に恵まれてはいなかったけど、家族としては幸せそうな長曾我部一家だったのに。

    「おのれのみが正しい」と頑なになっていく元親。
    そうそう自治会の会合で意見がまとまらないのって元お偉い様だった男性陣の頑ななさのためなんだよね。
    情報を得て使うことにしても、今と通じることが多いな。

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    2015年09月17日
  • 夏草の賦(上)

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    龍馬もだけど、この人、こういう人なのー!って驚きが面白い。
    元親の小心なのか大物なのか微妙な描き方。
    美濃から嫁いだ菜々の大らかというか豪胆というか。
    「いくさに勝つということは、さほどむずかしいことではない。勝つ準備が敵よりもまさっていればもうそれで勝てるのだ。」とあっさりいう元親。それを理解し実行できるのはまさに天賦の才。
    「武士の腹は真っ白でなければならぬが、しかし、大将はちがう。墨のような腹黒さこそ統一への最高の道徳だ」
    臆病だからこそ誰よりも準備を重ねる。
    土佐から阿波を切り取り、時には大きな犠牲を払い力で押し、いよいよ四国全てが目前となった時、信長が四国まで手を伸ばしてきた。
    「天の意思に善悪はない。それを善にするのが人である。」

    歴史ものは前途が見えていてそれが切ない。

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    2015年09月16日
  • 故郷忘じがたく候

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    2年ぶりに読んだ司馬遼太郎は、以下、中篇3篇を収録。

    豊臣秀吉による朝鮮出兵の際に祖国から連れてこられた朝鮮の民。彼らが抱く故郷への思いを哀切に描く「故郷忘れじがたく候」。
    明治初年、会津討伐のため奥州に派遣された長州藩士/世良修蔵の悲劇を描く「斬殺」。
    戦国時代、明智光秀の三女にして、細川忠興に嫁いだ明智たま(後の細川ガラシャ)の奇矯な生涯を描く「胡桃に酒」。

    収録の基準はよく分かりません(落穂拾い的?)が、3篇のなかでとりわけ印象に深い作品は「胡桃に酒」。
    なんといっても夫・忠興の嫉妬深いエピソードが過激。たまたまガラシャ夫人と目が合った植木職人の首を“目が合った”というだけで刎ねてしまったり、豊臣秀吉がガラシャを狙っているとの風聞が立つや否や、彼女の部屋の至る所に火薬を仕込み、秀吉が不義を働きに来れば彼女もろとも部屋を吹っ飛ばすことを画策したり…なんと狂人。こんな男と一緒に暮らすとなれば、とてもじゃないが耐えられるものではない…と思いきや、彼女自身の人柄もまた奇態で、時に忠興すら怖れるほど。とはいえ、2人の関係を「胡桃と酒」(=食い合わせの悪いもの)と捉えるように、やはりガラシャにとって忠興の存在は鬱屈の種であったよう。そんなガラシャの壮絶な最期は絶句するしかありませんでした。武士の嫁といえば彼女の行為は潔いのかもしれませんが、それまでの忠興との関係と道のりをみている限り、どうも彼女の心には諦観の思いしかなかったのではないかと愚察してしまうのでした。

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    2015年08月31日
  • 世に棲む日日(三)

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    藩主への忠誠と自分が行おうとしていることの矛盾。そこが特に表現されていたと思う。矛盾した感情の中で、他人に苛立ったりはするが、自分の考えに迷いはないという高杉晋作の人物像を見事に確立させたかと思う。

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    2015年08月29日
  • 新装版 箱根の坂(中)

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    20150827 展開がゆっくりなので少し読み疲れてしまった。この先が本来知りたかったところなので少し疲れをとってから読む事にする。

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    2015年08月27日
  • 新装版 最後の伊賀者

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    書名となっている「最後の伊賀者」の他に六篇の短編がおさめられている。
    始めからの三編は「伊賀者」がテーマであるが、むしろ「伊賀者」がテーマではない最後の三編「天明の絵師」、「盧雪を殺す」、「けろりの道頓」が私的には楽しめた。
    難しい表現も少なくて読みやすい短編集だ。

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    2015年08月26日
  • この国のかたち(二)

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    紋;たしかに 墓には 紋が彫ってある。
    『さがり藤』

    調べてみたら。
    本で多く使用されている家紋のひとつに、藤紋がある。藤は長寿で、繁殖力の強いめでたい植物。この藤をデザイン化したものが「藤紋」。藤紋は日本でもっとも栄えた藤原氏がもちいた紋。藤原氏はもと中臣氏で、中臣(藤原)鎌足が大和に藤原の里を下賜されてからおこり、のとのちまで栄えた氏だ。人々はこの藤原氏にあやかって藤紋を使用するようになったようだ。(丸に下り藤)

    へぇ。驚いた。

    天領と藩領
    税金が違う。四公六民が 天領。紀州藩は 八公二民。
    それは、すごいなぁ。

    金と銀。
    日本が ジパングと言われるには
    金の精製技術にあった。

    13世紀の文章語。
    この考察は おもしろいな。
    日本語らしくなっていくために どうなるのか。

    汚職 があるとは、
    西郷隆盛は なぜ 鹿児島にもどったのか?
    官僚たちの腐敗、汚職にあった。
    『人間虎狼の群』より、逃げ出した。
    汚職は 社会に元気を失わせる。
    そして、物質的にも損害が与えられる。

    職人。
    日本では 重職主義とさえ言われる。

    師承 という 固陋な考え方。
    必要であり、同時に 限界がある。

    市場を 重視したのが 信長、そして秀吉。
    どこから、お金を巻き上げるかと言う思考力。

    GとF
    G  は、ゴッド。
    F は、神学の系統を引き継いだ絶対虚構。
    ドストエフスキーの『罪と罰』カフカ『変身』
    少なくとも、日本の小説は GもFもない。

    このエッセイは なぜか 日本にいらだっている司馬遼太郎が
    透き通って、見える。

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    2015年08月23日
  • 新装版 箱根の坂(上)

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    20150815 興味はあったがなかなか知る機会が無かった。大道の司馬遼太郎で書かれてない訳はなかったのだが。今の所、平坦なストーリー。この後、どう転換するのか?楽しみだ。

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    2015年08月16日
  • 翔ぶが如く(九)

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    ネタバレ

    西南戦争も佳境に入った。会津の山川浩や佐川官兵衛がでてきてテンションUP↑UP↑↑ 西南戦争は戊辰の復讐戦だぁ!



     ちょいちょい日露戦争に繋がる情報が出てくるところが司馬遼太郎。歴史の繋がりを感じる。だから明治維新は面白い。


     さらに、この頃の間違いが繰り返されているなぁと良く感じる。
     太平洋戦争はまさに同じ様相である。兵士の勇猛さに頼っただけの戦略。戦略じゃねぇ。でもこういうセンセーショナルなことの方が人々のハートをキャッチしちゃうんだなぁ。

     次巻、最終巻。長かった…。たのしみ、たのしみ。
     

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    2015年08月13日
  • ペルシャの幻術師

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    『兜率天の巡礼』ではキリスト教の異端として、5世紀東ローマ帝国の首都コンスタンチノーブルを東に逃れる一派についての記載がある。彼らは、ペルシャを経てインドへ入り、インド東岸から陸路で中国沿岸をつたいつつ東海の比奈ノ浦へ流れ着いた。兵庫県赤穂郡比奈ノ浦には大避(ダビデ)神社現存する。仏教よりはやく古代キリスト教が日本に伝わっていた可能性がある。同時期に読んでいた『風の武士』の安羅井国の住人とは日本に住み着いたイスラエル人であった。同時期に読んだ本がリンクしているのが面白い。

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    2015年08月12日
  • 新装版 風の武士(下)

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    物語の終盤になって、やっと面白くなってきた。
    最後の種明かしは楽しめたが、司馬さんの小説にしては、登場人物の人間的魅力がちょっと少なかったように感じる。

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    2015年08月01日
  • 新装版 風の武士(上)

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    伊賀忍者の末裔である貧乏御家人の柘植信吾が、巨万の財宝が秘蔵されている人知れぬ「安羅井国」の謎を解き明かすという内容。
    上巻では、なかなか物語の真意がわからず進行していく。誰が敵で、誰が味方なのか。
    話が大きく動くであろう下巻に期待。

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    2015年08月01日
  • 北斗の人 新装版

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    千葉周作を 骨太に 描く。

    馬面の馬医者を父親 幸右衛門とし、
    千葉周作との 不思議な親子関係が、
    なんとも言えない 味わいがある。
    父親の挫折、そして 母親への愛情があふれ、
    千葉周作への 想いも いいねぇ。

    千葉周作が あまり話さないひとだったという
    状況もありながらも、合理主義的な剣道の指導方法を
    編み出したことに、司馬遼太郎は 高く評価する。

    意味不明の言葉を駆逐して、『瞬息』という
    先んずれば制するという 合理にたどり着いている。
    なぜ、それにたどり着いたのかが、
    良くわからないのが 司馬遼太郎らしい物語の作り方。

    『心気力の一致』

    千葉周作は かなり筆まめだったようだ。
    そして、弟子だけで、3000人を超えるという。
    その合理的な教え方が 評判を呼んだ。

    天下一の剣術使いであろうとしたことで、
    婿養子の道から 逸脱したことになる。
    従順で、あまり決断できないにもかかわらず、
    反逆することで、自分の道を得る。
    62歳で 没する。

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    2015年07月14日