司馬遼太郎のレビュー一覧
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前半はいろんな登場人物が、偉大だったり滑稽だったり、、ちょっと高校時代の漢文を思い出す感じだった。後半は話がどんどん進んでいくようで、でも実は全くそうじゃなかったりで…
とにかく、様々な人物が、自分の考えを語り心酔し、それについて仙八が影響されたり馬鹿にしたり、、見方が何度もひっくり返ったりするところとファンタジーなんだけどリアルに思えちゃうところが面白かった!!
ラストの終わり方も良いなー。
結局仙八も大盗禅師も倭人なんだって感じで。
個人的に、人間の本性なんて簡単にはわからないし、口車に乗せられてすぐに信用したりするものじゃないなってことがとてもとても勉強になりました。 -
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ネタバレ司馬遼太郎は、1996年2月に亡くなっているが、本巻はその年の巻であり、実際は5つの章のみで、あとは随筆集が掲載されている。最後のテーマは海軍である。海軍は商船を守る形で誕生したということが語られている。
結局司馬は、本シリーズを通して何を言いたかったのだろうと考える。
司馬は日本をこよなく愛していると感じた。室町時代に現代に至る文化の萌芽が芽生え、育っていったが、昭和初期の統帥権解釈の拡大によって、その日本は暴走を始め、滅んだ。司馬が愛している日本は、この昭和の初期までだと感じた。その愛で様々なポイントに光を照射して浮かび上がった像を鋭く描写しているのが、このエッセイの形だと思う。
自分の言いたいことが載せられるエッセイを最後にやれて良かったなぁと思った。種々雑多なことまで、いろいろ自分の考えを表現できたのだから。 -
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ネタバレ前巻からの流れで、複数章にまたがって一つのテーマを掘り下げる形が多くなっている。神道、鉄、宋学、看羊録。
神道も宋学も仏にひとまとめにしてしまえ、という動きがあったことが面白かった。日本人も面倒くさがり、というか、几帳面というか、捨てられないというか、柔軟すぎというか、乱暴というか...
神道で面白かったのは伊勢神宮のことである。伊勢神宮は内宮と外宮に分かれていて、天照大神が伊勢の五十鈴川のほとりに御魂代がやわたの鏡として祭られたのが、内宮の起源らしい。外宮は五世紀後半になってやっと造営されたらしい。外宮を造営するために食物の神が探され、丹波の比治山の頂上の麻奈井という池のほとりにまつられていた神を伊勢に移し、豊受大神となったとのこと。
また、宋学では中国や朝鮮の王朝はイデオロギーも当然だが、その型も政治の考え方にまで入り込んでいた。華と夷の違いを明確に分かつこと。また、尊王の精神であり、朝鮮は中国の王朝のみ従属し、その他の国は全て夷であるとした。日本も当然この夷に含まれ、人間扱いされていない。この様な思想が今日まで残っているので、朝鮮の人の日本を見る目が異様なのではないか? -
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ネタバレ今回特に力が入っているのは統帥権の流れ。昭和の太平洋戦争を経て国を滅ぼしたのは、この統帥権の拡大解釈のなせる業だ、というのが著者の思いである。この拡大解釈の流れが何と4章にまたがって記載してある。
幕末の藩軍を勝手に動かした西郷隆盛で統帥権のあいまいさががきざし、明治初年の薩摩系近衛兵の政治化で出発し、首相浜口雄幸が昭和五年+-月+四日にロンドン海軍軍縮条約調印に際し、「統帥権干犯」と糾弾されたのちに右翼に狙撃され、命を落とした。そこから昭和史は滅亡へと向かったというのが著者の言い分である。
統帥権があるのは天皇だが、統帥機能の長(例えば参謀総長)は天皇に対して輔弼の責任をもち、何をやろうと自由になったとのこと。
あと、面白かったのは新井白石の父の話し。
家中に酒乱の若者がいて、殿もこらえかねて手打ちにしようと白石の父を呼び、若者を打つ旨言ったところ、若者の家が絶家になるべきところを、殿の情けで父の遺領を賜った。当人はそのことを深く恩として思い、御恩に報いるためには世間人並みの心掛けではだめで胆力を練った。勢い馬鹿な振舞いが多くなったが、「しかし、若いころにかのような者でなければ、年長けてものの用にたちませぬ:と結び、後はだまった。その面の上に蚊が止まっていても、動かない。「蚊を払え」、殿が言った。言われて父が顔を少し動かすと、グミの実のように膨らんだ蚊が六つ七つはらはらと落ちた。父は懐紙を取り出し、それらをひろい、紙に包んで袖の中に収めた。
なんというか武士ってすごいなと思った。いつも命を張った緊張感がありながら、他人を思いやる心の広さにグッときた。 -
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船持船頭の高田屋嘉兵衛から、蝦夷地開拓者としての高田屋嘉兵衛と変わっていく部分の話しである。
そして、嘉兵衛の話しではなく、横道もかなり多い。横道の多さは司馬文学の特徴であろうが、この巻は特に多かった。北方領土及び千島列島(クリル諸島)におけるロシアとの領有の歴史、日本とロシアが先住民に対してどのような政策を行ったのかについて書かれている。日本の政策が今の政府がそうであるように、トップが変わるごとに二転三転していた様子も記されている。
北方四島といわれているが、国後島までは嘉兵衛以前でも、船も航法も技術も無く行き来が自由にできたようであるが、択捉島は遠い島であった、ということのようだ。その択捉島へ国後島から確実に公開できるようにしたのが高田屋嘉兵衛であり、択捉島が漁場として豊かであり、択捉島以北がロシア圏だったと、領土問題にまで踏み込みそうな話になってきてしまった。 -
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ようやく翔ぶが如くを読破。いやぁ、長かった。そして途中辛かった。元々2008年大河ドラマ「篤姫」を今年の8月に全話DVDで観終えた後、「その繋がりで薩摩藩のことをもっと知りたい」という動機で読み始めたのだが…。確かに薩摩藩士による薩摩藩士のための小説なのだが、篤姫や私のお気に入りの家老:小松帯刀は全く登場しないし、やたら政治学的な記述が多く楽しめないというまさに予想外のコンテンツ。そのため、巻によっては1ヶ月近くも要したものがあった。まぁ、その時は「新書太閤記(吉川英治著)」シリーズやら東野圭吾作品、池井戸潤作品やらに浮気していたのであるものの。
とにかく読み終わった。今まで数多く読んできた司馬遼太郎作品では最も辛かったと言っておこう。
が、司馬遼太郎ファンであるならば読むべき作品とも言える。理由は、大雑把に言って、「竜馬がゆく」「花神」などの幕末ものと「坂の上の雲」との橋渡しをしてくれる作品だからである。幕末に活躍していた志士たちが維新のキーパーソン(維新の三英傑のみならず、桐野利秋なども)となって「翔ぶが如く」において昇華する。また、「翔ぶが如く」において政府側軍人の青年期を過ごした軍人が、「坂の上の雲」において日清及び日露戦争において優秀な指揮官(西郷従道、大山巌、黒木 為楨、奥 保鞏、乃木希典、野津道貫、児玉源太郎)にまで大成長を遂げているのだ。そう考えると、「翔ぶが如く」単体で判断するのではなく、司馬遼太郎作品一連の流れを楽しむべきと言える。いつか、「竜馬がゆく」→「翔ぶが如く」→「坂の上の雲」の順で再読してみたいものである。何年か先の話なのだが。
とにかく、読破出来た。次の司馬遼太郎長編シリーズは何にしようかな。
来年の大河ドラマと並行して「播磨灘物語」か、幕末を長州側から見るため「世に棲む日々」か、同じく越後長岡から見る「峠」か、はたまた異色な「菜の花の沖」か…。迷う迷う。その前に、サスペンドしてある「新書太閤記(吉川英治著)」を進めなければ! -
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読むスピードがぐんぐん上がってきた。前半など、1ヶ月近くかかった巻もあったのに。
いよいよラスト2巻、クライマックスに近づいてくる。有名な田原坂の戦いも事細かに描かれている。
私にとって嬉しいのは、佐川官兵衛や山川浩(大蔵)など今年の大河ドラマ「八重の桜」にて主要人物だった元会津藩士がしっかりと取り上げられていることである。もちろん、政府側。薩摩と会津は幕末期に血みどろの因縁があり、その怨恨を政府側は上手に利用するのである。佐川や山川にとっては憎き薩摩であり、戊辰戦争での恨みを晴らさんと意気込む。
残念ながら佐川はこの西南戦争で戦死するのだが、大河ドラマでも中村獅童が凄絶な演技を見せてくれていた。また、山川は玉山鉄二がクレバーな雰囲気をぷんぷん醸し出しており格好良かった。
また、山川浩の実弟である山川健次郎が第5巻に引き続き登場。会津藩出身者に人望があるということで、岩倉具視から「陸軍少佐になって会津で兵を募り、薩摩征伐に行って欲しい」と依頼されて断ったというエピソード。「八重の桜」ではそんなものはなかったと思うが。
このように、「八重の桜」のお陰で、一般的にはイメージしづらい会津藩士をしっかりと頭に思い描くことができたのだ。ドラマと書の相乗効果っているのはそんなところなのだろう。
本作品で一つ注文を付けさせていただくならば、元新選組の斎藤一が登場しないという点。彼は「八重の桜」では新選組全盛期の京都時代、助っ人としての会津若松城籠城戦、そして会津藩出身者であり新島八重の幼なじみでもある高木時尾と結婚と、ドラマ内において重要な役どころが与えられていたが、彼もまた、西南戦争に従軍して打倒薩摩の想いを晴らしているのだ。ラストの10巻で出てくるのかな…。ちょっと望み薄である。佐川や山川繋がりで登場してこなかったのだから。
あらら、いつの間にか、「翔ぶが如く」の感想というより、「八重の桜」の感想になってしまっている。今年は仕方ないか(笑)。