司馬遼太郎のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレこの巻は明治6年の政変の直前の状況をめちゃくちゃしっかりと「説明している」巻でした。
なので、西郷さんは、三条太政大臣から遣韓大使として韓国に行ってもいいよって話をもらい、明治天皇の勅令も下りているのに、「後日岩倉右大臣の承諾を得ること」って部分がクリアーできなくて、待ったをかけられてストレスがたまっている状況のままでした。
そもそもの征韓論がロシアの南下政策を懸念して韓国と手を結ぼうとしたものであったとしても、韓国は看板でしかなくて、実際はうしろにイギリスに実効支配された中国(清)とかがいるから、簡単にはできないって政府の意向もわからんでもないんだけどね。
話が動かないように見えるので -
Posted by ブクログ
小説、ではあるのかもだけど、司馬遼太郎が空海の小説を書くための手帳であり、絵コンテであり、下書きだったり、時々本稿だったりする。適当な言葉を探せば、その過程をライブで見るような、ロードムービーとも言えるんじゃないだろうか。集中して一気読みする類ではなかったので、他の小説読む合間にちょこちょこ読んでたら、読み終わるまで半年以上かかってしまった。しかし、読み終わっても、密教なるものの定義がやっぱり未だにわからない。。あれ?そもそも仏教なのこれ?って疑問は残ったまま。高野山の風景はもちろん仏教のそれなんですけど。んー、わからんが、密教自体に興味はないので、まぁ、よしです。
-
Posted by ブクログ
ネタバレ村田蔵六(大村益次郎)が適塾で学んだ幕末から、軍隊を洋式化し新しい陸軍のトップになる明治までを描いた作品です。
蔵六は長州藩で代々村医者を務めた家の出身で、本来であれば軍のトップになる身分ではありませんでした。また、合理主義者の蔵六は優れた技術者である一方、人への配慮や情緒を著しく欠如した人物でもありました。
このような人物が活躍できた背景には、幕末から明治という激変の時代であったことと、そして桂小五郎というリーダーがいたことがあります。
ITの時代になって、技術の進歩を喜ぶとともに感じる不気味さを、蔵六という人物に見たような気がします。そして、桂小五郎のようなリーダーの必要性も感じました。 -
Posted by ブクログ
昨年仕事絡みで、高野山の宿坊の1週間住み込み体験をしてきたが、正直その時は空海について前知識がなく、ただ高野山という宗教都市の建築、美術などに、興味があっただけだった。
しかし実際に高野山に行くと、お坊さんの豪華絢爛な衣装や華美な装飾に違和感を感じ、お坊さんのあまりに下界的な現生利益の享受の仕方に衝撃を受けた。そして、お坊さんから、空海は日本で最初の、そして世界でも屈指のビジネスマン、革命家、演出家であった、という話しを聞いて、ますます???が増していく。
そこで山を降りてから、この司馬遼太郎の「空海の風景」を購入し、つらつら読み進めている次第。
前置きが長くなったが、司馬遼太郎が小説を書く前 -
Posted by ブクログ
自分だったら、たまたま、コネのおかげで、出世できたとしても、あんまりうれしくない。冷静に分析しすぎて、引け目を感じてしまうだろう。
分析すらせず、ただ素直に地位を受け入れる伊右衛門は参考にならないが、
分析したうえで、自分のこれからのために、手に入れたものを最大限活かす。そういう開き直りができたら、いいんだろうな。
ある意味千代も、伊右衛門に依存しているのか。
伊右衛門が土佐を拝領したときに、現地の人を採用していたら、明治維新でも何か変化があっただろう。土佐内で上士と郷士の間の軋轢なんてのもなかっただろうし。武市が処刑されることもなく、もしかしたら、長州・薩摩と肩を並べる維新推進藩にな -
Posted by ブクログ
ネタバレ千代の知恵があれだけ発揮されたのは、伊右衛門が頭が良くなかったから。知恵者はいつも、人徳あるリーダーの影にいる。黒田官兵衛しかり、諸葛亮孔明しかり。・・・といったが、伊右衛門にそこまでの人望があったのか、疑問。w
メモ。
関ヶ原の戦いの勝因の1つに、千代とガラシャがいる。徳川方についた武将の懸念は、大阪にいる妻子の安否。秀吉時代の政策で、大名たちは自らの妻子を京都においていた。体のいい人質。さらに、大阪城内の部屋に参内するよう求める。それを、ガラシャの自殺、千代の家に積み上げたわらで家事を起こすと脅す。それで妻子を人質に取りづらくなった大阪側。武将たちは、安心して、戦いに挑んだとさ。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ貧農の家に生まれながら関白となり、位人臣を極めた豊臣秀吉の奇蹟の栄達は、その一族、縁者たちを異常な運命に巻き込んだ。平凡な彼らに与えられた非凡な栄誉と境遇は、ときに豊臣凋落の予兆となる悲劇をもたらす。甥・秀次、正室・北ノ政所、弟・秀長、妹・朝日、養子とした皇族や武将、そして大坂城に散った淀殿と秀頼。彼らの運命を描きながら、豊臣の栄華と衰亡の軌跡をたどる司馬文学の傑作。
秀吉は
1)卑賤から身を起こし
2)二十年で天下人となったが
3)政権は一代しか続かず
4)晩年まで実子にめぐまれず
5)嫡男はその生母とともに自殺し
6)血統は絶やされた
という、特異ないきさつを持っています。
「秀吉は、