司馬遼太郎のレビュー一覧
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ネタバレ大河ドラマになっていたというのは全く知らなかった。
"表舞台"に登場しない村田蔵六。
上中下の三巻に渡る物語の内の中巻。
多少冗長に感じるところもある。
司馬氏は地の分に普通に自分の考えを入れたり、
わからないことはわからないと書いたり、憶測を入れたりする。
それがまた、筆者の文章の独特の魅力にもなっているのだろうと思う。
武士ではない人間たちが動かした瓦解(明治維新)。
この時期の長州人の議論は過激なほど支持され、
過激であるほど内容が空疎であるというのは非常に納得。
関ヶ原からの因縁を持ち続け、海外への視点が広く、
徳川を敬う気持ちがないところが長州の特徴だと思 -
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ネタバレ大村益次郎という人について不勉強なので、あまり知らない。
ただやはり、司馬先生は長州というか、薩長土肥贔屓だなと感じる。
東軍贔屓の自分は読んでいて色々と複雑になるところが多々ある。
筆者の視点が文中に入り込み、知らぬことは知らぬと言い切ったり
こう思う、とか現代ではこう、といったような注釈が入ったりするので、
これが史実・事実でフィクションではないと思ってしまう人が多いのではなかろうか。
時代もあって、この21世紀には当然でも、
当時は明らかになっていなかった『史実』があるのは致し方ないとしても
事実として断言されている書き方は相変わらず少々気になるところ。
下巻でも、長州弁ではない普 -
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ネタバレまだつまらない。けど、次回、西南戦争がはじまりそう…!?西南戦争前夜のきな臭い時期の日本の空気が伝わってくる。
藩閥政治に辟易し始める頃合い。結局いつの世も、政権は嫌われる。それは今の世も。
一番狙いのは、自分の生きる時代を、自分の理想のために、全力で生き抜く人間たちである。
それにしても、昔も今も、前原はカッコ悪いなぁ。
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p24 薩摩の農民
薩摩藩は他の土地と違って、富農がいない。他藩では農業生産が飛躍的に伸び、富農が生まれ読書階級になったが、薩摩では戦国時代から変わらず藩によって厳しい搾取が行われてきた。それゆえ薩摩の農民は教育を受ける時間が無く、軽侮さ -
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ネタバレ伊勢新九郎が伊豆を乗っ取る中巻。とても渋くて、あまりおすすめできないというオススメの本である。
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p29 頼朝が頭領になれたわけ
頼朝が関東八州の棟梁に推戴されたのは、彼の人望や実力というわけではない。
力を付けた関東の農民や武士団は、西の朝廷にいつまでへりくだっていなければいけないのか、不満が膨れている。そこで、自分たちで蜂起するのにふさわしい頭目を求めた。その頭は、格式高い貴種の出であることが望まれた。源頼朝は、いうても天皇家から臣籍降下した雅な人間である。ちょうど良い存在である。
鎌倉幕府の成立の頃から、頭領は担がれた神輿でしかないのである。それが、神輿を担ぎもし -
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ネタバレ戦国大名の奔りである北条早雲のおはなし。応仁の乱がわかってないと、面白さ半減だ。武士の世とはなんだったのか、その終わりの時代の物語。
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p88 礼儀作法
小笠原貞宗が『大鑑清規』を参考にして殿中作法を再編した。この応仁の乱の時代に日本の礼儀作法の基礎を確立した。
p178 通婚の文化
この時代の男女関係は男が女のもとへ通う通婚が常であった。しかし、関東の武士の文化が広まることで一夫一妻制が関西にも広がった。
p196 当時の恩
室町時代に農業技術が飛躍的に向上した。それ故に食うに困ることがぐっと減ったのがこの時代である。
「恩の主より、情けの主」ということわざがあるが -
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三巻は、秀吉に待望の男子が生まれ頃からはじまる。秀頼誕生は、いろいろな波紋と影を天下に投げかける。秀吉が跡目としてで関白に据えた秀次、秀次は、関白になり実権を実質的に握り天下に号令したいと考えているが、そもそも、その器ではない。その事がよく解っている秀吉は決して実権は渡さない。秀吉は、豊臣の天下のため秀次を関白にし、そしてその沙汰を悔やんでいる。その行き違いからは「怨み」しか生まれない。そして、秀頼の誕生により権勢を増した淀君と北の政所が角を付き合いそこに派閥がうまれていく、この要となる秀吉が老い、要として朽ちると共に豊臣の天下が傾いていく様を千代の目を通して時代の変換点が描写される。
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四巻は、関ヶ原の前哨となる奥州、上杉討伐のころから描かれる。
史書によると関ヶ原では山之内一豊は、さしたる槍働きがないとされるのにもかかわらず、土佐一国を与えられている。このくだりは、本巻のハイライトとも言えるものであろう。読者は、凡庸の中の非凡を山之内一豊の中に感じ、近親感を持って一巻から読み進めてきたと思う。千代の操縦にも上手く嵌り、誠に良く出来た山之内夫婦に理想を重ねていたかもしれない。しかし、司馬遼太郎は、そのような偶像視がいかにも人間の本質を捉えてないことを諭す。人間の器と地位との関係のバランスが崩れるといろいろ難しいということを最終巻では語っている。いろいろ考えさせられる一冊である