司馬遼太郎のレビュー一覧
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昨年仕事絡みで、高野山の宿坊の1週間住み込み体験をしてきたが、正直その時は空海について前知識がなく、ただ高野山という宗教都市の建築、美術などに、興味があっただけだった。
しかし実際に高野山に行くと、お坊さんの豪華絢爛な衣装や華美な装飾に違和感を感じ、お坊さんのあまりに下界的な現生利益の享受の仕方に衝撃を受けた。そして、お坊さんから、空海は日本で最初の、そして世界でも屈指のビジネスマン、革命家、演出家であった、という話しを聞いて、ますます???が増していく。
そこで山を降りてから、この司馬遼太郎の「空海の風景」を購入し、つらつら読み進めている次第。
前置きが長くなったが、司馬遼太郎が小説を書く前 -
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自分だったら、たまたま、コネのおかげで、出世できたとしても、あんまりうれしくない。冷静に分析しすぎて、引け目を感じてしまうだろう。
分析すらせず、ただ素直に地位を受け入れる伊右衛門は参考にならないが、
分析したうえで、自分のこれからのために、手に入れたものを最大限活かす。そういう開き直りができたら、いいんだろうな。
ある意味千代も、伊右衛門に依存しているのか。
伊右衛門が土佐を拝領したときに、現地の人を採用していたら、明治維新でも何か変化があっただろう。土佐内で上士と郷士の間の軋轢なんてのもなかっただろうし。武市が処刑されることもなく、もしかしたら、長州・薩摩と肩を並べる維新推進藩にな -
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ネタバレ千代の知恵があれだけ発揮されたのは、伊右衛門が頭が良くなかったから。知恵者はいつも、人徳あるリーダーの影にいる。黒田官兵衛しかり、諸葛亮孔明しかり。・・・といったが、伊右衛門にそこまでの人望があったのか、疑問。w
メモ。
関ヶ原の戦いの勝因の1つに、千代とガラシャがいる。徳川方についた武将の懸念は、大阪にいる妻子の安否。秀吉時代の政策で、大名たちは自らの妻子を京都においていた。体のいい人質。さらに、大阪城内の部屋に参内するよう求める。それを、ガラシャの自殺、千代の家に積み上げたわらで家事を起こすと脅す。それで妻子を人質に取りづらくなった大阪側。武将たちは、安心して、戦いに挑んだとさ。 -
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ネタバレ貧農の家に生まれながら関白となり、位人臣を極めた豊臣秀吉の奇蹟の栄達は、その一族、縁者たちを異常な運命に巻き込んだ。平凡な彼らに与えられた非凡な栄誉と境遇は、ときに豊臣凋落の予兆となる悲劇をもたらす。甥・秀次、正室・北ノ政所、弟・秀長、妹・朝日、養子とした皇族や武将、そして大坂城に散った淀殿と秀頼。彼らの運命を描きながら、豊臣の栄華と衰亡の軌跡をたどる司馬文学の傑作。
秀吉は
1)卑賤から身を起こし
2)二十年で天下人となったが
3)政権は一代しか続かず
4)晩年まで実子にめぐまれず
5)嫡男はその生母とともに自殺し
6)血統は絶やされた
という、特異ないきさつを持っています。
「秀吉は、 -
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ネタバレ温和でごく自然な人情のゆきとどいたこの家の家風は、晋作の祖父のころからすでにそうであった。こういう家庭から、なぜ晋作のような、武士ぐるいの好きな一人息子がうまれたのであろう。
「松本村の寅次郎が、こうしたのだ」と、小忠太は梁のきしむような砲声のなかで言ったことがある。松陰のことである。いま諸隊を扇動してさわぎまわっている連中は、みな寅次郎の門人ばかりであった。
が、お雅はそうは思わない。教育というものがそれほど力のあるものであろうか。夫の晋作を見ていると、高杉家の、いかにも良吏の家といったおだやかな家風から、あのような武士ぐるいの好きな男が出てくるというのは、なんともつじつまがあわない。晋作 -
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ネタバレ日本は、この列島の地理的環境という、ただひとつの原因のために、ヨーロッパにはない、きわめて特異な政治的緊張が起こる。外交問題がそのまま内政問題に変化し、それがために国内に火の出るような争乱が起こり、廟堂(政府)と在野とが対立する。廟堂とは体制のことであり、外交を現実主義的に処理しようとする。野はつねに外交について現実的ではない。現実的であることを蔑視し、きわめて抽象的な思念で危機世界を作り上げ、狂気の運動をくりひろげる。幕末は維新のぎりぎりまで型に終始した。この他国にとってふしぎな型を理解するには、日本の地理的環境にかぎをもとめる以外になぞの解きようがない。
幕威のこの急速なおとろえは、嘉 -
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ネタバレ普通に面白い小説でした。
山内一豊の出世を描く、千代の内助の功の話。
伊右衛門は、木下藤吉郎(豊臣秀吉)の手についたが、出世は遅々として進まない。
そして、ついに時代に転機が訪れる。
信長が、本能寺で自害することとなったのである。
その信長の後継者を巡って対立することになる諸将の中で、いち早く飛び出したのは秀吉であった。
秀吉は、パフォーマンスと話術とで、あっという間に筆頭へと上りつめることになる。
秀吉についた伊右衛門にも、ようやく運が向いてきた。
伊右衛門は、四十歳を目前にして、ようやく大名になったのであった。
ただし、たった二万石の……であったが。
けれど、秀吉の天下も長くは続かなか