【感想・ネタバレ】豊臣家の人々 新装版のレビュー

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Posted by ブクログ 2020年06月19日

秀吉がいなければ歴史に名を残すこともなかった人たちの、理不尽で哀しい、それでも確かな人の生き様を描き出す。
秀頼がただ一度家康と対面した場面の凛々しさ、家康を感嘆させた秀康の威厳、人生の最後秀吉の呪縛を解いた秀次。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2013年01月10日

教科書ではわからないことが詳しく書かれていて面白かった。
それにしても政権を徳川に取られるのが自分の養子や妻、側室のせいだとは・・・人を大事にしないといつかは痛い目に合うということね。

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Posted by ブクログ 2012年02月08日

太閤記→関ヶ原→城塞→そして豊臣家の人々!っていうこの究極のリレーを、本好き歴史好き司馬好きの全ての人と分かち合いたい。
長編三作のなかでちらっとしか語られなかった人物たちについての列伝。これだけ語ることがありながら長編の方ではぐっと抑えていたり、列伝では人物重視で関ヶ原の戦いが三行で終わったりする...続きを読む、抑制力やテンポ感が見事。

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Posted by ブクログ 2011年11月02日

秀吉の奇跡的な栄達のまわりで翻弄される親類縁者の短編集。一代で作り上げた栄枯盛衰は幻と呼ぶのに相応しい。淀君と秀頼の印象はこれが一番しっくりくる。

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Posted by ブクログ 2011年10月18日

秀吉に関係した人々を主人公とした短編集。
着眼点が面白く、どの話も主人公の個性がくっきりと描かれています。
個人的には羽柴秀長(秀吉の実弟)が主人公になっている短編が特に好きで、この短編を読んで以来、自分の一番好きな戦国武将は秀長になりました。
常に陰に控えてしっかりと兄秀吉を支え、温厚な人柄で秀吉...続きを読むと諸将の間を取り持った秀長。
もっともっと評価されるべき魅力的な人物だと思います。

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Posted by ブクログ 2010年08月05日

将雪が最初に司馬遼太郎の本を読んだのは小学生の頃で、当時は作者が誰かは気にせずに読んでいましたから、今となってはシバリョーとの出会いがどれだったのか断定できません。
でも、たぶんこれかな、と思います。
今でも時々読んでいて、そんな時はいつも真ん中あたりからランダムに読み始めるのですが、気がついたら結...続きを読む局全部読んでしまっているんですよね。
さて、内容についてですが。
これは短編集で、秀吉「以外」の、まあ歴史的に見たらあまり重要ではなさそうな(裏切りとかで重要な人はいますが 笑)、脇役的な人たちを扱っています。
おね、朝日姫、淀殿、宇喜多秀家、小早川秀秋、豊臣秀長、結城秀康などなどが登場しますが、彼ら・彼女たちの全てが、豊臣家の滅亡に何らかの形で貢献してしまっていることが暗示されています。
将雪的には、たぶん最後までボロを出していないのは豊臣秀長だけだと思われます。
彼は終生秀吉の背後霊(?)として生き、それ以上でも、それ以下でもなく、よき弟として生涯を全うしています。
おねは、優れた女性として評価されることも多いように思いますが、豊臣家を作ったのも彼女で、終わらせたのも彼女だと、シバリョーは示唆しているようです。
この本のほとんどの主人公が、豊臣家の存続に尽力しているように見えながら、みな何らかの温度差があるんですよね。
将雪のお気に入りは宇喜多秀家と結城秀康です。
秀吉のたくさんの養子の中で、唯一秀吉の期待に応え、関ヶ原で奮闘した宇喜多秀家、そのちょっと一本気な感じも切なく思えてきます。
生まれた順番的には徳川家を継ぐ立場にありながら実父に無視され続け、その能力を最後まで生かすことなく生涯を終えた結城秀康、彼は一度も力を発揮する場を与えられず、そこがまた悲しいです。
全てが客観的な文章でひんやりと描かれているのですが、読み終える頃には何かを感じずにはいられない、そんな作品です。

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Posted by ブクログ 2022年04月27日

豊臣秀吉と繋がりのある人物の短編集。才能が無いのに親類が天下人と言う事で能力以上の立場に押し上げられた者。ただ輝かしい天下人の後ろ姿を追いかけた者。才能がありながらも生い立ちの為その才能を発揮出来なかった者。最後の淀殿・その子は何一つ主体性が無く後世に残る業績も無いので秀頼をあえてその子と表現したの...続きを読むかと感じる。

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Posted by ブクログ 2021年08月14日

圧倒的なカリスマである秀吉と、その急成長に見合わない家族、親族の話。豊臣家はうまく承継されず、内部から腐り、潰えた。
一家を継続されるには、当主の属人的な能力に依存せず周到なシステム構築が必要。
なんだか企業の組織論と同じだなー。

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Posted by ブクログ 2021年01月28日

数年前に読んだ本。
ふと思い出したので目次見つつ投稿。

豊臣秀吉の縁者というのは少なく、多くは義理の繋がりの人間です。小早川秀秋、宇喜多秀家、結城秀康などが世間的に知られている名前でしょうか。

他には北政所などの話も入っています。
司馬殿の考え方はどこか豊臣家に対する愛があるように思います。他の...続きを読む著書の中でもどこか思い遣りを感じました。表現が慮るようなものが多く、それを妨げた人物の行動は痛烈です。
例えば小早川秀秋、彼自体は再評価する動きもありますし、決して暗愚な人物ではないと思います。
ただ、無能レベルまでの表現が使われていたので、おや?と感じました。
ただし、著者の小説ではこのような人物については手厳しく書かれており、読書の心境をわかっているかのような書き方をされています。

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Posted by ブクログ 2016年05月09日

司馬さんの秀吉への愛情?が伝わる内容
色々な角度から秀吉をみるが、大物さを感じる反面、大物ゆえの次代への執着が痛々しい。最も現代も財を成した人たちは変わらないから事件・ドラマがうまれるのか。

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Posted by ブクログ 2014年09月19日

源頼朝、足利尊氏らは源氏の宗主であり、それぞれに鎌倉、室町幕府を開く。幕府を開くためには征夷大将軍でなければならない。しかし、源氏でなければ征夷大将軍は宣下されないのだ。秀吉は源氏の姓を得ようし、足利義昭に乞うてその養子になろうとしたが承知されない。なので、秀吉は人臣最高の職である関白という資格をも...続きを読むって天下を治めようとした。関白は藤原氏でなければならないという。秀吉は近衛家の養子になり藤原秀吉を名乗ることで無事に関白の資格を得るに至る。

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Posted by ブクログ 2012年09月21日

「新史 太閤記」においては秀吉に学ぶ人生論書という色合いが濃かったが、秀吉が家康を懐柔する場面まででストーリーは終わっており、秀吉の晩年は描かれていない。本書はその続編や補足編としての位置付けであるが、秀吉が嫡子秀頼誕生により盲目的になったシーンが満載であり、良くは描かれていない。一話ごとに独立した...続きを読む主役を据えているが、それぞれごとに感想を書いていこう。

第一話 殺生関白
秀吉の姉の子:豊臣秀次を描いたもの。秀次は叔父秀吉の引きにより関白まで上り詰めるが、秀吉の嫡男:秀頼出生のため謀殺されるという悲運な運命を辿る。歴代の大河ドラマでも、どちらかと言えば幸の薄い役者が演じることが多かった。歴史ファンの中にはその悲運に同情する向きも少なくないが、彼を主人公とした本書を読めば、その同情心も消え失せる。司馬氏が描く秀次は矮小な変人であり、その悪行を読むにつけ、早く駆逐されないかと最期を心待ちにするだろう。特に、通り掛かりの盲人を斬りつけ惨殺したシーンには怒りを通り越して吐き気を催した。まぁ、叔父が異例の出世を遂げたばかりに、無能な人間に器以上の役職が回ってきたというある意味誰にとっても不幸な話である。
ちなみに、殺生関白とはもちろん、摂政関白をかけたもの。

第二話 金吾中納言
秀吉の正室である北政所の弟の子として生まれた、後の小早川秀秋を描いたもの。秀秋も司馬作品など歴史小説において良く描かれることはない。秀次同様、その人物像は芳しくない。やはり秀次と同じく、秀吉の血縁のみによって出世を遂げた無能力者である。
彼は関ヶ原の戦いにおいて西軍を裏切り、家康方に勝利をもたらした余りにも有名な武将であるが、戦いから二年後に病没という、家康に利用されるだけで終わってしまった。まぁ、歴史に名を残しただけでも大したものか…。

第三話 宇喜多秀家
前二者とは異なり、秀吉との血縁関係はない。秀吉が信長の武将として毛利攻めをする際の途中に寝返らせた宇喜多家の嫡男を猶子(準養子)としただけである。なので、厳密には豊臣家の人々ではないが、秀吉の庇護を受けたという意味では当てはまるのだろう。
彼も戦国の世を生き抜くための能力はあまりなく、結局は関ヶ原の戦いにおいて敗れ、死罪は免れたものの八丈島に流されて不遇な老後を送っている。やはり秀吉がいないと駄目な男である。

第四話 北政所
本書に、ようやく豊臣家の賢者が登場した。いや、賢女と言うべきか。北政所は秀吉の出世を後押ししてきた功労者だが、同時に家康が躍進して天下に覇を唱える働きもしている。秀吉没後、いやその前から、淀殿、石田三成、長束正家という近江勢を牽制し、加藤清正、福島正則らの尾張勢とサロンを築いて家康の天下取りを後押しした。歴史に名を残した女性といっても過言ではないだろう。

第五話 大和大納言
秀吉の実弟、秀長を描いたもの。彼は秀吉血縁男子の中では珍しく、無能ではない。と言っても、秀吉のような人たらしが出来る訳でも柔軟な思考力を持つ訳でもなく、単に決められたことを忠実に実行する能吏のような者であるが。さきの大河ドラマでは、袴田吉彦が中々良い弟ぶりを好演していた。

第六話 駿河御前
秀吉の妹、旭姫。せっかく結婚していたのに、秀吉の家康対策のために離縁させられて家康に嫁がされたという悲運の姫。秀吉の天下統一にはこうした身内の犠牲無しには成し遂げられないのだ。

第七話 結城秀康
家康の実子であり、秀吉の養子。彼は秀吉よりも家康に利用されただけの人。終始、その運命から逃れられなかった。家康は徳川家存続のため、実子を利用し尽くしている。長男信康(信長の信)、次男秀康(秀吉の秀)、三男秀忠(秀吉の秀)の名前を見れば一目瞭然。

第八話 八条宮
秀吉が皇族と血縁関係を築くために一時的に養子とした八条宮智仁親王の話。今までと異なる視点から秀吉を見ることが出来た。

第九話 淀殿・その子
さきの大河ドラマの舞台である。もっとも、「関ヶ原」「城塞」など同じ司馬作品で既知の内容であるため、真新しさはなかった。

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Posted by ブクログ 2011年02月13日

豊臣一族の短編集。おね、朝日姫、淀殿、宇喜多秀家、小早川秀秋、豊臣秀長、結城秀康など。彼らの運命を描きながら、豊臣の栄華と衰亡の軌跡をたどる作品。

興味深かったのは、秀吉の影となる生涯を全うした豊臣秀長。一見自分を殺しての苦しい生き方に見えるが、実は自分の個性/能力が活かせる唯一の生き方だったのだ...続きを読むろう。兵法の極意は我が身を韜晦すること、、奥が深い。

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Posted by ブクログ 2010年10月03日

戦国時代とその周辺の時代なんてやたらと人多すぎてわけわかめ!で、ずっと避けてきたのになんでこんなに面白い・・・すんごいな~司馬遼太郎。竜馬がゆくを読みたいけど長いな~でも面白いんだろうなぁ。

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Posted by ブクログ 2010年04月14日

 一介の百姓から成り上がった秀吉。悲しいかな、当然親族に高貴な者など居なかった。母:北政所から養子縁組した武将の子息たち、姉の子である関白秀次。司馬戦国物中の異色作品と言えよう。

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Posted by ブクログ 2009年10月27日

ピュアホかわいい秀家の短編があると聞いて
(ピュア+アホ=ピュアホ)
秀長と秀康のお話が興味深かったです。

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

盛者必衰を辿った秀吉様の周囲様々な人物について書かれた短編集的な本。華やかだけでない豊家の裏側を悉く書かれています。全体的に暗いですが、個人的には八郎坊ちゃんが物凄く可愛くて堪りませんでした・・!!秀康と宮様も好きですー

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

とても面白かったです。
ですが、養子にどんどん先立たれ豊臣家の滅亡を目の当たりにした北政所のどこが幸せなのか、
どうしてもいまいちわからないし同感もできないので、星4つです。

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

司馬版「太閤記」の外伝という位置付けかもしれません。秀吉という稀代の英雄に翻弄された人々の物語。盛者必衰という感じかな・・・。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2016年02月28日

貧農の家に生まれながら関白となり、位人臣を極めた豊臣秀吉の奇蹟の栄達は、その一族、縁者たちを異常な運命に巻き込んだ。平凡な彼らに与えられた非凡な栄誉と境遇は、ときに豊臣凋落の予兆となる悲劇をもたらす。甥・秀次、正室・北ノ政所、弟・秀長、妹・朝日、養子とした皇族や武将、そして大坂城に散った淀殿と秀頼。...続きを読む彼らの運命を描きながら、豊臣の栄華と衰亡の軌跡をたどる司馬文学の傑作。

秀吉は
1)卑賤から身を起こし
2)二十年で天下人となったが
3)政権は一代しか続かず
4)晩年まで実子にめぐまれず
5)嫡男はその生母とともに自殺し
6)血統は絶やされた
という、特異ないきさつを持っています。

「秀吉は、信長や家康とちがって、
豊臣家の藩屏となるべき血縁者をほとんど持っていない」
【新潮文庫『関ヶ原』(中)P.458】

1)殺生関白
2)金吾中納言
3)宇喜多秀家
4)北ノ政所
5)大和大納言
6)駿河御前
7)結城秀康
8)八条宮
9)淀殿・その子

1、関白豊臣秀次…秀吉の実姉おとも(後の瑞龍院日秀)の再婚相手で、尾張大高村の百姓弥助(後の三好武蔵守一路)の子。次弟は秀勝。三弟は秀俊で豊臣秀長の養子。初め三好孫七郎秀次と称し、河内2万石から、秀吉の後継者となり、尾張伊勢100万石、位人臣を極め関白。暗愚で残虐非道な振舞いの為、高野山へ追放され切腹。妻妾は幼児諸共、京都六条磧で刑戮され尽くした。

2、金吾中納言小早川秀秋…北ノ政所(秀吉正室寧々)は杉原助左衛門定利(のち木下と改姓)の子に産まれたが、早くから伯母の浅野家の養女となった。生家杉原家の当主家定は寧々の年子の弟にあたるが、その5男を豊臣家の養子に入れた。秀秋である。12歳で従四位下右衛門督(唐名を金吾将軍)、15歳で参議、16歳で権中納言という異数の累進を遂げるが、その人となりは愚人であった。慶長の役では総帥を勤めるが、秀吉の癇気に触れ越前に改易されるも、家康の取りなしと、秀吉の薨去で封地を守り、やがて関ヶ原での寝返りが東軍勝利の主因となった。秀秋は歴史に於いて、豊臣家を滅ぼす役割しか演じなかった。

3、備前中納言宇喜多秀家…秀吉が織田家の将として中国攻めの頃、播磨の秀吉と安芸の毛利家の間にあった、備前・美作の大名宇喜多直家が織田方に降った。その際秀家は人質として安土へ行くが、父直家の死去の際、秀吉が見せた厚情を生涯忘れなかった。後、豊臣家の養子となり、五大老の一人となり、勇猛な備前兵の大軍を率いて関ヶ原では獅子奮迅の働きをするが破れ、薩摩に逃れた後、八丈島に流される。内政や政治・権謀に暗く、可憐な迄に豊臣家への素直な忠義を貫いた。豊臣家の養子達の内、彼一人が秀吉の遺志に応えた。関ヶ原の敵味方全てが既に滅んだ、4代将軍家綱の明暦元年まで長生した。享年84歳。

4、高台院北ノ政所…秀吉の正室、寧々である。勃興期の織田家で未だ下級物頭の秀吉(当時木下藤吉郎)と結婚し、前田利家・まつ夫婦とは垣根一つを挟んだ仲であった。やがて異数の累進を遂げた秀吉によって、従一位という女性最高の位を得てもまるで権柄ぶらず、尾張の頃の言葉と物腰を貫いた。やがて豊臣政権が固定し、秀吉の寵が淀殿に移り、その膝下に石田三成、小西行長らの近江系官僚が政治を執ると、次第に寧々の周りには加藤清正、福島正則、浅野幸長らの尾張系の荒大名がその庇護を受けるようになり、寧々自身が徳川家康を頼りにした為に、遂には関ヶ原での尾張系大名と、黒田長政、小早川秀秋の東軍参加への道が出来ていく。秀吉と寧々が作り上げた豊臣家という存在を、淀殿に継承させる事を潔しとしなかった心情が伺える。それを見届けるかの様に、家康の寄進に依る京都東山の高台寺に於いて、秀吉の菩提を弔いつつ、3代将軍家光の寛永元年9月、76歳の生涯を閉じた。

5、大和大納言豊臣秀長…秀吉の異父弟小一郎。秀吉はお仲(大政所)と百姓で織田家の足軽弥右衛門との子であるが、小一郎は継父竹阿弥との子である。秀吉は此の継父と合わず早く家を出た為、兄弟の邂逅は、秀吉が士分に取りられた後である。以降は竹中半兵衛に薫育され、天性の調整と内治の天稟を持ち、その温厚さ故に広く慕われて、豊臣政権の基礎を固めた。大功を立てても秀吉や配下に譲り、自己は目立たず兄の影に従う篤実さを生涯持ち続けた。惜しくも小田原征伐の頃の天正19年正月23日、大和郡山城で死去。享年51歳。秀長の早世が豊臣家の衰亡を早めたと言っても過言ではない。

6、駿河御前旭姫…秀吉の継父の子で異父妹にあたる。小一郎秀長の実妹。秀吉が異数の出世を遂げ始めた頃は、尾張中村の水呑百姓に嫁いでいたが、その夫は俄かに侍に取り立てられ、佐治日向という名を与えられるが、程なく死ぬ。次に副田甚兵衛という秀吉の直参に嫁ぐが、此の男も大した才覚も無く、小身のままであった。やがて徳川家康との間に小牧長久手の戦いが起こり、家康有利での講和後、秀吉は何とか家康を籠絡せんものと外交を仕掛けるが、旭姫を甚兵衛と離縁させ、家康に嫁がせるという手を打ち、更に生母大政所を人質に浜松に下らせた。此の後に家康は本拠を駿府に移したため、駿河御前と称せられた。僅か3年半後の天正18年8月聚楽第で死去。享年48歳。直後に小田原征伐が起こっている。彼女もまた、秀吉の異常な運勢に、運命を変転された一人であった。

7、越前少将結城秀康…実父は徳川家康であるが、生母おまんが出自の卑しい侍女であって家康は喜ばず、徳川家で重んぜられなかった。小牧長久手の戦の後の講和で徳川家から人質として豊臣家に送られるが、秀吉は秀康を大変愛した為に、彼もまた実父以上に秀吉を思慕した。のち秀頼が生まれた為に、常陸の名族結城家を継承し、徳川家に戻される形で家康に従った。秀康は異母弟で徳川家の世子秀忠を遥かに凌ぐ器量を備え、剛毅果断で、周囲を静まらせる威徳を備えていたが、反って家康は此れを恐れ、刺激せざるよう扱われた。よって秀康は一度も戦場に出ていない。関ヶ原の後は越前若狭75万石を領したが、大坂の陣の起こる前の慶長12年病没。享年34歳。徳川の血を持ち、豊臣の養子であり、類稀な将器を備えながら一度もそれを顕す機会を得ず、遂に若くして空しく世を去った。政治に翻弄されきった人生であるといえよう。

8、八条宮智仁親王…父は誠仁親王(正親町天皇の養嗣子)、母は勧修寺晴子。兄は周仁親王で、正親町天皇を継ぎ、後の後陽成天皇となる。智仁親王は今出川(菊亭)晴季の斡旋で、関白に就いた秀吉の養子になっている。皇族が臣下で、しかも氏素性もしれない秀吉の養子になるなど、史上唯一の事である。親王は非常に聡明で、和学に通じ、後に幽斎細川藤孝より『古今集』解釈の秘伝、「古今伝授」を受けている。後鶴松の誕生を機に、第二皇位継承権者として皇族に復すが、絶頂期の秀吉を間近に見て育ったため、その感興は秀吉を眩しく捉え、聚楽第、伏見城、そして秀吉自らの縄張りによる自身の八条宮邸などの桃山文化の美術・建築に強く影響を受け、豊臣家が滅んだ後、桂離宮を造営し、其処に住んだ。同時代の日光東照宮と美意識の対極として今に語られる。3代将軍家光の寛永6年没。享年50歳。

9、淀君・豊臣秀頼…淀君は北近江小谷城主浅井長政と、信長の妹お市の方との長女。秀頼、幼名は拾、秀吉と淀君の次男(長男鶴松は夭逝)。世界史上にも極めて類稀な強運によって人臣の栄華を極め尽くした秀吉と豊臣家。此処まで見てきた様に、俄かに立ち上った異常過ぎる強運は、彼の周囲の人々をも巻き込み、彼らは皆数奇な生涯を送った。その最も象徴的なものが、淀君と豊臣秀頼であろう。織田家の血を引く淀君は、武家の貴種の血統を崇拝する性癖がある秀吉に溺愛され、二度も豊臣家の世継を生んだ為に、異常な権勢を持つに至った。その側近は、石田三成以下の近江系の文治派の吏僚大名で構成された為に、正室北ノ政所を戴く、加藤清正・福島正則以下の尾張系の武断派大名らと、豊臣家を真っ二つに割って抗争した。此の間隙を利用して関ヶ原の戦いを起こし、遂に天下を得て幕府を開いたのが徳川家康である。豊臣家は65万7千4百石の一大名に転落し、家康はその生存中に豊臣家を滅ぼすべくあらゆる手を打ち、その命運を追い詰めてゆく。三成亡き後の大坂城内には既に人無く、無能な家老の片桐且元、淀君の乳母大蔵卿の縁者の大野治長・治房兄弟、秀頼の乳母の子、木村長門守重成など、淀君を中心とする閨閥の支配する家となっており、情報の漏洩、家臣の離反、秀頼が家康に伺候させられた事に依る家格の失墜など、大坂の陣に到る前に、家康に調略され尽くしてしまう。中でも最大のものは秀吉が大坂城内に貯蔵していた夥しい金銀を、秀吉供養や秀頼祈願の為と称して、莫大な出費を強いた事で、汲めども汲めども一向に減らない莫大な金穀の量に、家康も舌を巻いたと伝わる。やがて方広寺大仏と大仏殿の再建に到って漸く尽き、方広寺鐘銘事件によって武力討伐へと発展していく。
 淀君その人は、美貌以外の何の能力も無い女性であり、己の地位だけに拠って、遂に大局に盲目な儘であり、家康に脅され、宥められ、すかされる度に家康が思うが儘の愚かな反応のみを繰り返した事には、当の家康でさえ苦りきった思いを持った事であろう。大坂の陣では真田幸村、後藤基次、長曾我部盛親、毛利勝永、明石全登といった名将を有しながら、彼らを信頼せず、夏の陣で豊臣家の滅亡寸前になってさえ、秀頼を陣頭に立たせて士気を鼓舞する事さえしなかった。その秀頼は22年の生涯で、名前以外の何の声も痕跡も残さず、大坂城山里廓の焔硝蔵の爆砕と共に此の世から消滅した。

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Posted by ブクログ 2011年12月10日

面白かった。秀長について知りたかったので読んだが、その他の豊臣家の人々の事も興味深く面白かった。
短編で流れが早いのでどうしても星は多くでき無い。

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Posted by ブクログ 2009年10月25日

秀吉を取り巻く人々の中から秀次、小早川秀秋、宇喜多秀家、寧々、秀長、旭、結城秀康、八条宮、淀殿と秀頼の9話で出来ています。

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

人間性の良し悪し、駆け引き、噂話など、人間臭い部分が意外と、合戦での勝敗の分け目を決めていることが分かる。

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