司馬遼太郎のレビュー一覧
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ネタバレ歴史小説家としての司馬遼太郎が、歴史に登場する人物がどのような考え方を持って行動したのかを手掘り感覚で発掘し、対面しているかのように語っている。そこには「日本人とはいったい何者か」とうテーマが通底しているようだ。印象に残った話は、次のとおり。
(1)大坂は町人の町。お上を恐れない。
元禄時代の大坂は、70万の人口のうち武士の数は東西の町奉行所の与力・同心をあわせて200人ぐらい(「ブラタモリ」では人口の2%と紹介されていた。江戸は100万の人口のうち、半数が武士)。僅かな数だから、大坂の町人は武士が持つ封建的な節度や美意識に影響されずにきたのだ。上方が持つ反権力の精神は、このような封建体制 -
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小藩の家老職から乱世を生き抜き、ついには大名となった黒田官兵衛の生涯の物語。
播州を舞台に官兵衛が生まれるまでの経緯。
時代の波に流されるように、徐々に騒がしくなっていく世情。
織田家と関わるきっかけ。
荒木村重や高山右近との出会いを描いている。
物語では聡明な少年らしいエピソードが語られる。
同時に、繊細で傷つきやすい面を抱えているエピソードもある。
若者らしい傲慢さもあり、藩主を軽んじているような所業も見られる。
周囲の人間が自分より劣っている馬鹿にしか見えなかったのだろう。
だが、それを隠し通すほどの思慮はまだこの頃の官兵衛にはない。
今のように遠く離れた場所でも情報が手に入る時代では -
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ネタバレ鍍金(めっき)を金に通用させようとする切ない工面より、真鍮を真鍮で通して真鍮相当の侮蔑を我慢するほうが楽である。〈夏目漱石〉
ずいぶんと人を食ったコトバである。こうクソミソにコナしつけては実もフタもないが、真鍮は真鍮なりの光がある。その光の尊さをみつけた人が、平安期の名僧最澄でだった。「一隅ヲ照ラス者、コレ国宝ナリ」
「私は科学的なものでなければ信頼する気になれませんわ。一ダース位の重宝な格言を準備して置いて、それを世渡りのいろんなポイントに使い分けして、したり顔に暮らしている世間のエライ人達を観ていると、気が遠くなりますわ。あんな瘡蓋のような思想が社会の表面を被うている限り、我々の人生は -
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ネタバレ――真似るのだ。
という。独創や創意、頓知などは世間のものは知恵というがそういう知恵は刃物のように危険で、やがてはわが身の慢心になり、わが身をほろぼす害悪になってしまう。いや、わが身の勝手知恵というものは――とくに戦の軍略のばあいは――いかに古今に絶っしたいくさ上手であろうと、やり方が二通りか三通りしかなく、それが癖になって決まりものになってくる。いつのいくさのときもおなじやり口になってしまい、それを敵がのみこんでしまえば、敵のほうが逆手にとって出てくる。結局は三勝して最後に一敗大きくやぶれて身をほろぼすもとになる。
「そこへゆけば」
と老師雪斎はいった。
「物まねびの心得ある者は、古今東