司馬遼太郎のレビュー一覧
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「明治」というのは、特に司馬遼太郎のように敗戦、戦後の高度成長を知る人にとっては、顧みるべき時代なのだろう。
ただ、それは、今も何も変わらず、日本人としてのアイデンティティを考える際には、この時代を振り返り、何が起こり、誰がいて、その精神はどのようなものだったのか考える必要がある。
「明治人」から思い浮かべるものとは、
・無私
・理想を追い求めるエネルギー
・謙虚さ、学ぶ姿勢
・柔軟な発想、先入観、固定観念に囚われない
・自らを律する精神
・根拠のない自信
以下抜粋
・1920年代のはじめぐらいまでの日本の官界、学界といった学歴社会は、ほとんど士族出身者で占めていました。
その理由は、士族に -
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山内容堂が生理的に苦手なので読もうか読むまいか迷いましたが、食わず嫌いもダメだなと思って読みました。
山内容堂の「酔って候」、島津久光の「きつね馬」、伊達宗城の「伊達の黒船」、鍋島閑叟(かんそう)の「肥前の妖怪」、の4本を収めた短編集です。
司馬先生はあとがきで、風雲の主役は藩の家来たちが担当したが、そんな中殿様たちはなにを思い、どう行動し、時流にどのように反応したのだろうかということが長い間の関心事だったと書いており、本書を書くきっかけになったようです。
本書を読んだ感想はやはり幕末の殿様にはあまり興味をもてないなあと思いました。
風雲の主役たちに比べてインパクトが薄すぎて、なかなか厳し -
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ネタバレ~全巻通してのレビューです~
大坂冬の陣、夏の陣を描いた物語。
「関ケ原」など今まで読んできたものと比べて、大野修理、淀殿、秀頼など小者がよく登場した影響で、なかなか読み進めず集中力の持続が難しかったですね。
一か月かかりました。
そんな中、真田幸村や後藤又兵衛、毛利勝永が出てくる場面は興味をもって読むことができました。
ただ彼らの献策が大野修理や淀殿に受け入れられることが少なく、だんだんと彼らの登場場面も減っていきました。夏の陣になって最後増えはしましたが・・・
大河「真田丸」を見ていた影響で、幸村は心の中で躍動しました。(もちろん幸村=堺雅人)
冬の陣での講和で家康は大坂城の外濠 -
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ネタバレ~全巻通してのレビューです~
「関ケ原」「城塞」と共に家康三部作とされている本書。
家康が童だった頃の人質時代から天下を獲るまでを描いています。
ただし、関ケ原の合戦や大坂冬の陣、夏の陣には触れられていません。
具体的には信玄との三方ヶ原の戦い、本能寺の変後の上方脱出劇、秀吉との小牧・長久手の戦い、石川数正出奔劇などが中心に描かれています。
家康は信玄をよっぽど尊敬していたんですね。
井伊の赤備えもできましたし。
また、信長の後継者に名乗りを上げた秀吉に対して、圧倒的兵力差がありながらも引かなかったのは凄いなと思いました。
「関ケ原」「城塞」を読んだ後に読む本としてはいいのではないで -
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ネタバレ~全巻通してのレビューです~
長宗我部は必ず?下の名前に「親」が付いて、どの時代のどの長宗我部がどの「○親」なのかよく知りませんでしたが、四国を平定したのは元親だったんですね。
そしてその後、秀吉に屈服し土佐一国になるわけか。
四国平定後、どうなったかは読むまで知りませんでした。
元親はよく「僻地の土佐に生まれていなければ」と言ってましたが、まあそれはそうで不運なんですが、何度もその発言が出てきたので女々しく感じました。
随分内省的な人であったようですが。
秀吉の命令で九州征伐の先鋒になり、アホの仙石権兵衛のせいで、嫡子の信親を失って四男の盛親が世継ぎになるわけか。
続きは「戦雲の夢」で -
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ネタバレ長宗我部盛親の物語。
関ケ原では当初東軍に味方する予定も、使者が西軍の関所だったかな?を通ることができず、
結局西軍に味方することになります。
で、所領を没収されて一介の牢人になるわけですが、
父元親と似て内省的な性格でとにかく自問自答が多い。
「自分はそもそも大名に向いていなかったのではないか?」とか、
林豪という坊さんに色々言われて、また考えます。
それで夏の陣で大坂方に立ち、最後死力をつくして戦うことができ、物語は終わりました・・・
これといった出来事がすくなく盛親の自問自答がメインなので、盛り上がりには欠けますね。
読むなら「夏草の賦」に続けてがいいでしょうね。
なんだかうまく