司馬遼太郎のレビュー一覧
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「飛ぶが如く」10巻。完結。
ただただ滅びるために戦うことになってしまった城山での籠城。こういう戦いは一種の介錯であって、儀式として行うことを敵方(ここでは政府軍)に願わなければならないのだろうか。その覚悟を知りながら、それでも遺漏なく擦り潰そうと日向から丹念に作戦を立案した山縣の執念深さに戦慄。
巻は違いますが、乃木希典の体たらくもいかがなものか。司馬遼太郎は乃木希典を愚将である、と『坂の下の雲』で断じていたはずですが、「飛ぶが如く」でも同じような論調であったと思います。これは小説としての設定なのでしょうが、フィクションが作り出すイメージというのはとにかく強いので、それを踏まえて史実を学ぼうとするとなかなか難しいものがある。
隆慶一郎作品での徳川秀忠の役割と同じか。
歴史は好きですが、それはいわゆる歴史小説が好きということなので、小説と史実の乖離というものをどれだけ理解して行けるか、が読み手としての心得だと思っています。体現できているかは、甚だ怪しいですが。 -
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「飛ぶが如く」9巻。田原坂周辺の戦い、熊本撤兵、日向撤退。
物量・補給の偉大さを理解する9巻。
『素人は戦術、玄人は戦略、プロは兵站を語る』という言説をどこかで目にしましたが、兵站の差がそのまま実力の差になってしまうのだな、ということを再確認。
先の言説は、兵站も戦略の一部分なんだから、キャッチーな言い方として作ったんだろうな、と思ってます。
ここまで、軍のお飾りにしかなっていない西郷隆盛。彼が狩猟中の怪我でかつてのような頭脳を発揮することがができなくなっていたのでは、という描写がありましたが、そういう理由でもなければ無為無策の彼を説明できないのでしょう。
「飛ぶが如く」を読んでいて思うのは、こういった情報が資料でなく伝聞として入手できる時代の作品であるのだな、ということ。情報提供者も資料を集めて、その中から有益である部分を伝えてくれているのですが、その収集方法の一つに伝聞があるということです。
有吉佐和子の『和宮様御留』でも同じようなこと感じましたが、西南戦争という明治初期の出来事が、歴史でなく記憶として語られるギリギリの時代の作品なんだな、と
いうのは羨ましいという気持ちがあります。
正確性や客観性が保障されるかは別として、その時代の空気を触れる近づける、というのは素敵だと思います。小説の読み手として。 -
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「飛ぶが如く」8巻。反乱勃発、熊本城攻囲、高瀬周辺の戦闘。
理念だけが先走って、しかもその理念が象徴を抱いているというだけの根拠に基づいた蜂起。戦略もなく、個人武力を戦術の基本に置いたのでは、先行きのない戦争でしかない。
どこまでも、西郷隆盛一人におんぶにだっこの戦争だったのか、という気持ちです。臆病であることを最大の恥とする文化のもとで育ち、勇敢であることを示すために戦い死ぬという思想が何よりも大事とされる人たちが指揮官である軍隊の脆さ、なのでしょう。
なんというか、薩摩藩に抱いていた強者の幻想が砕かれてゆくな。『ドリフターズ』しかり『薩摩転生』しかり。戦略の立案者は他にいて、あくまで一個の戦場にだけ注力できれば、フィクションで勇躍する薩摩のイメージに近くなりそうです。
とはいうものの、近代軍隊を目指し生まれたばかりの陸軍も脆い。
西南戦争始まったばかりですが、結果的にはこの戦争を経たことで軍隊の調練になったのではないかな、と思ってしまいます。 -
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情報量が多すぎて、全部を咀嚼はできないが、志を持って江戸幕府をたおした志士たちが、いざ明治政府の役人になった時に、世界を知らないが故に途方にくれながらも一つ一つのことにあたっていく、ある意味のがむしゃらさを感じた。
「鎖国・封建の世に包まれているころは、社会的環境としては大通りから外れた袋小路の奥にいて、小路の木戸を閉ざしているのに似ている。その小路の奥で熱狂的に攘夷を叫ぶことは、政治心理としては病的ながらも快感に属するであろう。攘夷を集団で叫べば、より一層に快感は昂進するに違いない。が、その攘夷家たちが、半開国主義の幕府を倒して革命政権をつくるというはめになってしまったのである。」(p181)明治政府のゴタゴタは結局、こういうこところから始まったからなのか…、と腑に落ちた気がした。
後半、宮崎八郎のくだりは大久保、西郷ほどは有名ではないが、聞いたことのある人々が何人も登場し、様々な繋がりがわかって興味深かった。 -
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司馬遼太郎が『坂の上の雲』『菜の花の沖』執筆のために調べ、考えたロシアと日本の交渉史についての考察集。シベリアやモンゴルの遊牧民の歴史や文化、そして境界を接してきた中国、ロシアとの関係のあり方がロシアと日本の関係を見るときにも理解を助ける、ということで長い歴史考察が進んでいって、司馬作品の歴史的な出来事を文化的民族的文脈に落とし込む背景にこういう調査と考察があるのだなと興味深かった。シベリア経営のために江戸期日本との通称を模索したロシアという関係は知っていたが、鎖国日本の外洋船禁止の中で歪に発達していた北前船や東廻り船は難破、遭難のリスクが高いもので「江戸期日本というのは、政治的に漂流民を大量生産しているようなものだった」という点は考えたことがなかったのでなるほど、と。『菜の花の沖』もそろそろ読まねば。
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「飛ぶが如く」6巻。
表紙のテイストが違うのは、2002年発売の新装版だからです。5巻のテイストは1980年だったかな初刷。
まるまる1巻使って神風連の乱と、乱前後の周辺不平士族について。
勝ち馬に乗れなかった人々の鬱屈の高まり昂り。その中でも、行動に移すか口舌だけかで容赦なく切り捨てていると思います。ただ、彼らが抱えていた思想はどうあれテロリストであった、という見方はぶれていないのか。
川路利良像というものを、どんな風にとらえたらよいものか。
「飛ぶが如く」の「走狗」の「だんドーン」の。それぞれが当然ながら、違う描かれ方をしているので、小説の読者として最大公約数みたいなものを、どうやってすり寄せていけばいいのかしら。「るろ剣」はまあいいか。脇役だしな。
余談ですが、福地桜痴・末広鉄腸はこの時代の政論家だったということを知りました。「文スト」で登場した時はどの時代か分からずに視聴。ここで初めて知ることができました。こういうところで知識が繋がるのは楽しい。調べればすぐにわかることですが、思いがけない驚きと喜びは、読書の楽しみの一つです。