司馬遼太郎のレビュー一覧
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情報量が多すぎて、全部を咀嚼はできないが、志を持って江戸幕府をたおした志士たちが、いざ明治政府の役人になった時に、世界を知らないが故に途方にくれながらも一つ一つのことにあたっていく、ある意味のがむしゃらさを感じた。
「鎖国・封建の世に包まれているころは、社会的環境としては大通りから外れた袋小路の奥にいて、小路の木戸を閉ざしているのに似ている。その小路の奥で熱狂的に攘夷を叫ぶことは、政治心理としては病的ながらも快感に属するであろう。攘夷を集団で叫べば、より一層に快感は昂進するに違いない。が、その攘夷家たちが、半開国主義の幕府を倒して革命政権をつくるというはめになってしまったのである。」(p181)明治政府のゴタゴタは結局、こういうこところから始まったからなのか…、と腑に落ちた気がした。
後半、宮崎八郎のくだりは大久保、西郷ほどは有名ではないが、聞いたことのある人々が何人も登場し、様々な繋がりがわかって興味深かった。 -
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司馬遼太郎が『坂の上の雲』『菜の花の沖』執筆のために調べ、考えたロシアと日本の交渉史についての考察集。シベリアやモンゴルの遊牧民の歴史や文化、そして境界を接してきた中国、ロシアとの関係のあり方がロシアと日本の関係を見るときにも理解を助ける、ということで長い歴史考察が進んでいって、司馬作品の歴史的な出来事を文化的民族的文脈に落とし込む背景にこういう調査と考察があるのだなと興味深かった。シベリア経営のために江戸期日本との通称を模索したロシアという関係は知っていたが、鎖国日本の外洋船禁止の中で歪に発達していた北前船や東廻り船は難破、遭難のリスクが高いもので「江戸期日本というのは、政治的に漂流民を大量生産しているようなものだった」という点は考えたことがなかったのでなるほど、と。『菜の花の沖』もそろそろ読まねば。
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「飛ぶが如く」6巻。
表紙のテイストが違うのは、2002年発売の新装版だからです。5巻のテイストは1980年だったかな初刷。
まるまる1巻使って神風連の乱と、乱前後の周辺不平士族について。
勝ち馬に乗れなかった人々の鬱屈の高まり昂り。その中でも、行動に移すか口舌だけかで容赦なく切り捨てていると思います。ただ、彼らが抱えていた思想はどうあれテロリストであった、という見方はぶれていないのか。
川路利良像というものを、どんな風にとらえたらよいものか。
「飛ぶが如く」の「走狗」の「だんドーン」の。それぞれが当然ながら、違う描かれ方をしているので、小説の読者として最大公約数みたいなものを、どうやってすり寄せていけばいいのかしら。「るろ剣」はまあいいか。脇役だしな。
余談ですが、福地桜痴・末広鉄腸はこの時代の政論家だったということを知りました。「文スト」で登場した時はどの時代か分からずに視聴。ここで初めて知ることができました。こういうところで知識が繋がるのは楽しい。調べればすぐにわかることですが、思いがけない驚きと喜びは、読書の楽しみの一つです。 -
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ネタバレ明治維新後の日本政府を様々な視点から書いた歴史小説。歴史小説というか歴史資料と言っても差し支えない程、詳細に説明している。
第一巻では主に、それぞれの観点からみた「征韓論」について述べている。征韓論は国を滅ぼす危険性を持つという考えや、士族のやり場のないエネルギーの矛先となり日本を活気づけるという考えなど様々なものがあった。
この時代に列強国へ赴き、自国の遅れと向き合い未来の日本のために事を為そうとした人がいた。その一方で、幕末の革命の熱気に当てられ続け、先の時代を見据える事が出来ていない者たちにも焦点を当てていた。今日、もしかすると自分は後者なのかもしれない。未だに学生時代を引きずり前に進めていないのかもしれない。これを期に先の時代に目を向けられる大久保や川路、岩倉のようになりたいとかんじた。 -
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30代までに主要な司馬作品は読んできたが、本書は読んでなかった。理由は、予想がついたから。司馬さんは『坂の上の雲』の秋山兄弟や正岡子規、『竜馬がゆく』の坂本龍馬など、好きな人物を明るく描き、好評を得た。『坂の上の雲』で執拗とも思えるくらい無能ぶりを批判してきた乃木希典を題材とした本書の書きぶりは予想がついた。
読み始めて直ぐ合点、「自分の思考を確認するために著した」とのこと。「Ⅰ 要塞」は『坂の上の雲』のスピンオフな内容。「Ⅱ 腹を切ること」は日露戦争後から明治45年9月13日に殉死するまでを描いている。ここでも司馬さんの乃木評は変わらないのだが、劇的に生きる嫌いな乃木に驚きすら感じているように読めた。
気になったのは乃木が“教育係”を務めた昭和天皇への影響と同日殉死せざるを得なくなった妻、静子さん。時代とは言え、日露戦争で二人の息子を亡くし、夫の“指示”から15分後の殉死(52歳)は気の毒でしかない。 -
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全般的には、初出が雑誌の連載なのと、文体が脱線気味(道を見失いがち)で読みにくいところもあったが、いくつかの点で、日・中・越を比較して理解するのにも繋がる等、面白かった。
①儒教のこと。王土王民制(土地も人民も行程一人の所有、という思想←儒教由来らしい)。日本は隋唐に倣いつつも、宦官と科挙は取り入れず、そして面的なところ(血族的)も取り入れず。[p.14-16]
※儒教は地域を公とせず、血族を神聖化する。
※この点、ベトナムは日本よりもよほど中国みたいだ、とも言えるかもな。
②日本は民間や民衆さえも「公」の意識を強く持ちがち(日本には資本主義の主体も民も「公」)だが、中国で公の意識はせいぜい科挙出身の官僚の一部で、私の強烈な連帯はあっても公はない。
ゆえに日本人は常に(公意識を背負って)緊張し、中国人はむしろリラックスしている。[p.159,172,181]
③藩政期の多様性(常に教育)、一方で、戦後は平面的統一性・単純性、ゆえに閉塞感。
小藩の精度高い教育こそ内部的豊かさをうむ(薩摩は「学問」を軽んじ独創性を重視していたのに対し、佐賀では暗記ばかり)。
江戸期は日本の中で国際社会(ヨーロッパの中に多くの国があるような)、とも表現できる。[p.164,169]
④秀吉には計数と土木の才。信玄の農業土木(信長の楽市楽座にも匹敵する)。[p.129,225] -
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ようやく読破。達成感が半端ない。
東郷率いる日本艦隊とロジェストウェンスキー率いるバルチック艦隊がついに日本海にて合間見える。日本側はバルチック艦隊が対馬側か宗谷、津軽側で来るのか直前まで迷い索敵などのおかげで対馬で待ち受けることができたのがこの戦いのポイントだろう。地理や天候などを考えたら対馬側から来る確率が高いが敵側の艦隊全てを沈没させることが勝利の絶対条件だった日本側は迷いに迷った。あの冷静な真之ですら直前まで北側からくるかもしれないと思っていたほどに。海戦が始まると日本側の統率の取れた艦隊運動、射撃能力をしてロシア軍を圧倒し歴史上稀に見る完勝を果たす。射撃に関しては当時では珍しく指揮官の命令により一斉射撃をする方式を取りこれにより命中率が格段と上がった。砲門の数で言えばロシアの方が多いが実際に当たる弾の数の方が大事であることを東郷が感じており、実際にそうなっている。この時のためだけに維新後から富国強兵をしてきたと言っても過言ではない。
この戦争に勝ったことでロシアの植民地になることは避けたが逆に日本軍の神格的な強さみたいなのが生まれてしまい40年後には太平洋戦争を引き起こしてしまうと考えると勝利時にあくまで辛勝で日露戦争があれ以上長引けば逆に負けていたということを国民自体が気づいている必要があったんだな、
こんな長編を書くにあたって作者は10年くらいかけているとあってさすがだなと。