司馬遼太郎のレビュー一覧
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豊臣秀吉の没後~関ヶ原の決着までの時代の移り変わりを、石田三成と島左近、徳川家康と本田正信という東西の主役の視点から描く。上中下巻の大作で、主人公だけでなく彼らと接する諸将に順にスポットライトを当てて人物を丁寧に照らし出している。
最後の関ケ原の合戦では、光成の無二の親友でありほぼ唯一の理解者の大谷刑部も特攻をかけて散ってしまう。ままならない世の中に翻弄されながら最後まで光成に義理立てして西軍の意地を貫く姿には心打たれる。
本書は全編通して「義を利が圧倒する」というテーマがあるように思える。義に生きた武将たちの無念の生き様が赤裸々に描かれた大作である。 -
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再読。
前回の読書メモにはこう書いてあった。
『大好きな沖縄。もっと旅レポみたいな感じを期待していたけど、話が飛躍して沖縄史のことがほとんどだった。もっと沖縄の描写とか感想とかが読みたかったなー。
2021/08/07』
約4年ぶりに読んだんだけど、あれこれほんとに読んだっけ?ってくらいほとんど覚えていなかった…。
でも前回にくらべて興味深く感じるところは多かったと思う(たぶん)。
ここ数ヶ月で知った柳田国男の引用がでてきたりしたのも面白かった。
やっぱり民俗学的なことになぜか興味をひかれるなぁ。
そういうこともあって私は沖縄が好きなんだろうな。
結構小難しい事書いてあって、教科書読んでる -
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初めて司馬遼太郎の小説を読んだのは40年以上前、中3の時に「竜馬がゆく」に出会った時だ。それ以来、歴史小説の面白さに目覚め、色々な司馬遼太郎の作品を読んだ。今でも一番好きな作品は何度も繰り返し読んだ「竜馬がゆく」だ。
司馬遼太郎に限らず歴史小説や大河ドラマは戦国時代や幕末を舞台にしたものが圧倒的に多く、維新後の明治の創成期を取り上げたものは少ない。国全体が生まれたばかりで混沌としたカオスの状態で、どうやって中央集権的な明治政府が作られていくのか。難解だが興味深いモチーフだ。
そういう意味では本作はまさに維新直前から西南戦争前までの国家が形成される様子がよく分かって面白い。
しかしながら、如何せ -
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秀吉を、陽とするならば、家康は、陰に分類されるのでしょう。共通項を強いてあげるのであれば緻密な計算力、その計算によって導かれた解を実行する力といったところなのかな。
小牧・長久手の戦いは、家康のその後の生涯にとって最大の資産。三河衆の団結力、一体感は圧巻。徳川幕府は、進歩と独創を最大の罪悪として、三百年間、それを抑圧。異を立ててはならないというのが徳川幕府史をつらぬくところの一大政治思想、そのもとを家康がつくった。
脇を固める、石川数正、酒井忠次、本多平八郎、榊原康政、井伊直政。
家康と秀吉の外交が描かれたのち、すぐに最期のシーンに移ってしまう。間にある出来事については関ヶ原、城塞の順に -
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信長、秀吉とは異なる人物像として丁寧に描かれていました。質朴、困苦に耐え、利害よりも情義を重んずる。商人尾張衆と農民三河衆の対比。浄土宗の信者。織田家の同盟者でありながら、信長にはまなばず、敵の信玄に心酔。三方ヶ原の戦いは特異点。現実主義者の家康がなぜ不利とわかって武田信玄と対峙したのかは不明でした。妻である築山殿の計画は恐ろしかったです。岡崎城内のどろどろとした人間関係の描写がとても気味の悪いものでした。日本の歴史に対し先覚的な事業をすこしも遺さなかっためずらしい存在、と記していることから司馬さんの家康評はあまりよくないのでは、と解釈しました。
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「飛ぶが如く」10巻。完結。
ただただ滅びるために戦うことになってしまった城山での籠城。こういう戦いは一種の介錯であって、儀式として行うことを敵方(ここでは政府軍)に願わなければならないのだろうか。その覚悟を知りながら、それでも遺漏なく擦り潰そうと日向から丹念に作戦を立案した山縣の執念深さに戦慄。
巻は違いますが、乃木希典の体たらくもいかがなものか。司馬遼太郎は乃木希典を愚将である、と『坂の下の雲』で断じていたはずですが、「飛ぶが如く」でも同じような論調であったと思います。これは小説としての設定なのでしょうが、フィクションが作り出すイメージというのはとにかく強いので、それを踏まえて史実を学ぼ -
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「飛ぶが如く」9巻。田原坂周辺の戦い、熊本撤兵、日向撤退。
物量・補給の偉大さを理解する9巻。
『素人は戦術、玄人は戦略、プロは兵站を語る』という言説をどこかで目にしましたが、兵站の差がそのまま実力の差になってしまうのだな、ということを再確認。
先の言説は、兵站も戦略の一部分なんだから、キャッチーな言い方として作ったんだろうな、と思ってます。
ここまで、軍のお飾りにしかなっていない西郷隆盛。彼が狩猟中の怪我でかつてのような頭脳を発揮することがができなくなっていたのでは、という描写がありましたが、そういう理由でもなければ無為無策の彼を説明できないのでしょう。
「飛ぶが如く」を読んでいて思う -
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「飛ぶが如く」8巻。反乱勃発、熊本城攻囲、高瀬周辺の戦闘。
理念だけが先走って、しかもその理念が象徴を抱いているというだけの根拠に基づいた蜂起。戦略もなく、個人武力を戦術の基本に置いたのでは、先行きのない戦争でしかない。
どこまでも、西郷隆盛一人におんぶにだっこの戦争だったのか、という気持ちです。臆病であることを最大の恥とする文化のもとで育ち、勇敢であることを示すために戦い死ぬという思想が何よりも大事とされる人たちが指揮官である軍隊の脆さ、なのでしょう。
なんというか、薩摩藩に抱いていた強者の幻想が砕かれてゆくな。『ドリフターズ』しかり『薩摩転生』しかり。戦略の立案者は他にいて、あくまで一