司馬遼太郎のレビュー一覧
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「ここで、遊びとしての作業をしてみたい。まず、『江戸時代をそのままつづけていてもよかったのではないか』ということである。答えは、その場合、十中八九、どこかの植民地になっていただろう。(p.21)
酒も、伊丹・池田・灘五郷の醸造業者によって大量につくられ、廻船船で江戸に送られた。江戸付近でも酒はつくられたが、水がわるいのと技術の遅れのためにまずかった。このため、江戸では下り(上方から江戸へ)の酒がよろこばれ、下らない酒はまずい、とされた。このことからつまらぬコトやモノを「くだらない(江戸弁)」というようになったという説もある。(p.199) -
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雑談的に、日本の様々な歴史についてあっちへ行ったりこっちへ行ったり色々なテーマについて書き連ねている。本人にとってはほんとうに雑談のような気軽さで書いているのだろうけれども、それでも、この著者の、歴史についての豊富な知識を充分うかがわせる内容になっている。
毎回題材として挙げられる内容も、その展開も、まったくのアトランダムで、その縦横無尽さがいい。明治維新の話しをしていたかと思うと突然戦国時代や平安時代の話しになる。ふらふらしているようで、最後には一本の筋が通って話がまとまる。読んでいてなるほどと感心することばかりで、一つの筋道だった物語を読む時とはまた違った面白さがある。
一つ一つのテーマは -
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長次郎は才子ではあるが、組織でもって協同して事をする感覚が欠けているようである。貧家の秀才で無我夢中で世間の表通りに出てきた者のもつ悲哀といっていい。われがわれがとおもう一方で、仲間の感情を思いやるゆとりがないのである。
(しかし、城下の水道町のまんじゅう屋のせがれも、薩長両藩を相手に大仕事ができるまでになったか)
とおもうと、竜馬はあのまんじゅう屋の冷たくとぎすましたような秀才づらが、いとしくてたまらなくなるのである。(p.160)
「私は根が町人のうまれで、戦争はあまり好みませんが」
「ばかだな、お前は。そういうことをいうちょるから、あたらそれほどの才分をもちながら人にばかにされるのだ。男 -
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勝には、妖精のにおいがする。そのいたずらっぽさ、底知れぬ智恵、幕臣という立場を超越しているその発想力、しかも時流のわきにいながら、神だけが知っているはずの時流の転轍機がどこにあるかを知っている。さらに竜馬と西郷という転轍手を発見し、さりげなく会わせようとするあたり、この男の存在は、神が日本の幕末の混乱をあわれんで派遣したいっぴきの妖精としかおもえない。(p.219)
西郷というひとは人間分類のどの分類表の項目にも入りにくい。たとえば西郷は、革命家であり、政治家であり、武将であり、詩人であり、教育家であったが、しかしそのいずれをあてはめても西郷像は映り出てこないし、たとえむりにその一項に押しこん -
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清河は非常な尊王家でもあったが、同時に自分をも世間に押し出したかった。独り策謀をめぐらし、その策謀で世間を踊らせ、しかも策士らしく背後で帷幕を垂れこめているのではなく、功をひとり占めにし、常にその策謀の中心にすわりたがった。
徳がない、ということになろう。
この稀代の才子の生涯を決定した不幸は、そういう欠陥にあった。(p.88)
幕末の史劇は、清河八郎が幕をあけ、坂本竜馬が閉じた、といわれるが、竜馬はこの清河が好きではなかった。
たったひとつ、人間への愛情が足りない。
万能があるくせに。
そうみている。ついに大事をなせぬ男だ、と竜馬はみていた。(p.96)
「半平太、まあ、ながい眼で見ろや」
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美濃を征服した斎藤道三だが義理の息子義竜の反乱にあい死亡する。斎藤道三の天下統一の夢は義理息子である織田信長と弟子のように可愛がっていた明智光秀へと受け継がれていく。信長は斎藤道三の窮地を救うため兵を出すも屈強な美濃兵に惨敗し、その後も美濃への侵攻は失敗を繰り返す。そんな中駿河の今川義元が京へ上る最中に奇襲をし見事打ち破ることに成功。一方明智光秀は斎藤道三から逃げてお万阿へ自身の美濃での生活を伝えるように指示して京へと逃げることとなる。自身の立身を考えながら世間を放流するうちに足利将軍家の側近細川藤孝と関係を持つようになり足利将軍を再度復興させることに尽力する。一時は朝倉家に身を寄せるもの将軍
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土岐頼芸を引き立てて美濃を統一する庄九郎の後半が描かれている。小守護で藤左衛門こと長井利安を謀反人とて討つが美濃地侍の反感をかい道三として一度出家するも彼の人望や同門の日護上人の運動で再度美濃に舞い戻る。頼芸を欲に没頭されるために城を奥地へと移動させ自身は金華山に城を築き磐石の体制を整えていく。頼芸の弟たちや息子頼秀らが反乱を起こそうとした際にもすぐに鎮圧し、頼芸自身も追い出し名実ともに美濃の主となる。隣国尾張の織田信秀は幾たびも美濃に出兵するが斎藤道三の策略により連戦連敗するところでおわり。
庄九郎のすごいところはやっぱり身軽さ、京と美濃を健脚で移動することが彼の活躍を支えていると思う。あと -
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ネタバレ「剣は理から入るほうがいい」
というのが、周作の一貫した教授態度である。この若い流祖は、他の剣客のように哲学的用語をつかったり、剣と宗教と混同したような虚喝(こけおどし)な神秘的態度をいっさいとらない。
「剣は理である」
という態度を一貫してとった。剣禅一如とか神仏の現示などというようなことは口にもしなかった。
その点「小天狗鞍馬流」という流名の宗家を名乗っている鹿子木一閑の兵法に対する態度とはひどくちがうといっていい。
この点について一閑のさしまわした人物らしいのが、
「いかがでありましょう、剣はついに神仏の境地のものであると申しますが」
と、周作の存念をきいた。このころにはすでに -
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ネタバレ周作は、天性の合理主義者らしい。
古来、兵法というものは、その本質が徹底的な合理主義でできあがっているにもかかわらず、どの流儀も、流祖が神の啓示によって一流をひらいたとか、あるいは伝書の表現は組太刀の名称にも神秘的な名をつけたりして、外装を事々しい宗教性で包んでいる。
(それが不快だ)
と、周作はかねて思い、
(自分は、そんなまやかしや誇張のない兵法を確立しよう)
と念願していただけに、柏手のような呪術めいたしぐさをすることや、仏神に、接近することを、自分に禁じていた。
(絶対者(おおきいもの)に随喜し、それに魂をあずけ、究極にはそれに同化してゆくことによって人間の自在の境地が出来、心境