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十三世紀、モンゴル軍に占領されたペルシャ高原の街メナム。そこにはモンゴル軍の司令官、大鷹汗ボルトルからの求愛に悩む美姫、ナンの姿があった。ある日、ナンは市場で青い衣をまとった不思議な人物、アッサムに出会った。アッサムは幻術によって、ナンにこれまでにない快楽を味あわせ、さらにボルトルをもその術中に陥れていく。初めて司馬遼太郎の筆名で書かれた幻のデビュー作である表題作など初期の作品全八篇を集めた短篇集。
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Posted by ブクログ
短編集 8作品中3作品は新潮文庫の「果心居士の幻術」と被る。ペルシャの幻術師、コビの匈奴、兜率天の巡礼、下請忍者、外法仏は初。 磯貝勝太郎氏の解説で、またまた改めて知る司馬遼太郎さんがありました。外語大のモンゴル語、何で? 以前から疑問でした。司馬氏が生まれたのは、奈良県北葛城郡當麻町竹内。磯貝氏...続きを読むはそこをシルクロードの終点と解説。その地点から反対の始点であるシルクロードまで、場所がら司馬氏は少年時代からシルクロードへの夢想、詩的想像力を飛翔させるベースがあって、蒙古語を専攻せしめたのだと。子供の頃の病気治癒のお礼参りで、根本霊場の大峰山に行き、山頂の蔵王堂の不滅の灯明と闇にショックを受けたという少年時代のい逸話もあるようです。それ以来、その大峰山を開いた修験者、役行者(えんのぎょじゃ)への憧れもあったと。つまり山伏や忍者への関心は少年時代より。つまり、実はその後の大作群から見れば特異な一連の怪奇譚への必然を少年時代から司馬遼太郎氏の体内に萌芽させていたのだと。やなるほど。 景教。英国人 A.G.Gordon 秦氏のルーツへの考察。散楽雑技、傀儡、秦の弓月(うづき)の君 ペルシャ語 ハタ=はるばるきた ウヅ=第一の キ=人と ゾロアスター拝火教の僧=magi これが magic の語源とする説明もおもしろかったです。 ペルシャの幻術師こそが司馬遼太郎のペンネームによる第1作なのだという。第8回講談社倶楽部賞に応募されている。他の選考委員が評価しないなか、海音寺潮五郎氏が終始好意的に評価したことで当選作となったのだと。後日の梟の城の直木賞受賞の際の選考でも、「歴史の勉強が足りない!」と主張した吉川英治氏をなだめて、受賞作に決定したのも海音寺潮五郎氏であったいう。ご本人は梟の城以前の作品は、作家としての作品として認めたくないと述懐されているという。
これがデビュー作とは考えられない完成度。 時代背景は詳しく分からないが、今読んでも全く色褪せていない。 短編集なのに一つ一つの物語の深さと広がりと豊かさに脱帽。 美しさとリアリティが共存していた。
久しぶりの司馬遼太郎作品。 タイトルにもなってるペルシャの幻術師が1番好き。女心わかってるな司馬遼太郎。 果心居士の幻術、飛び加藤のお話も面白かった。歴史小説なだけあってなんども元ネタあっての作品なのか検索するくらい精緻な物語。 全部共通して幻術、性が表現されていた。
司馬先生は、モンゴルと坊様の煩悩がお好きらしい。 とび加藤と果心居士という幻術的忍者の話は面白い。
年取って説教ばかりになった司馬遼太郎だが、さすがにデビュー作ともなるといい意味で生硬というか、あまり”らしさ”が感じられない。かといって、最盛期の人物表現の上手さ(秀吉など他の作家の物を読むと、性格が違うだろうと考えてしまうほど、遼太郎の描く人物像が定着してしまう)も無い。 特に飛びぬけたものも無...続きを読むいが、さすがに大作家になる素地のようなものは感じられる。
『兜率天の巡礼』ではキリスト教の異端として、5世紀東ローマ帝国の首都コンスタンチノーブルを東に逃れる一派についての記載がある。彼らは、ペルシャを経てインドへ入り、インド東岸から陸路で中国沿岸をつたいつつ東海の比奈ノ浦へ流れ着いた。兵庫県赤穂郡比奈ノ浦には大避(ダビデ)神社現存する。仏教よりはやく古代...続きを読むキリスト教が日本に伝わっていた可能性がある。同時期に読んでいた『風の武士』の安羅井国の住人とは日本に住み着いたイスラエル人であった。同時期に読んだ本がリンクしているのが面白い。
やはりチンギスハンを描くと井上靖的になってしまう。 そちらの印象が強烈すぎる。 兜卒天の巡礼はぶっ飛んでる。
「ペルシャの幻術師」千夜一夜物語を読んでるようだ。忍者もの短編は、他の文庫にも入っている。11.2.24
司馬遼太郎のデビュー作となる表題作を含む短編集。 チンギス・ハーンの元帝国、ネストリウス派キリスト教(景教)の 一族の末裔、戦国時代伊賀の下忍の村など、その膨大な資料に基づく 歴史的背景の描写に圧倒される。 洋の東西を問わず、幻術というモチーフを軸にさまざまな物語を紡ぎ出している。
「ペルシャの幻術師」 外大で蒙古語を学んだというモンゴルびいきのモンゴル小説が読めるのかと思いきや、ナンの目から見たモンゴル人の描写が容赦なくてこう、いたたまれなくなってくる。ちびで粗野で、かっこいいはずの騎馬での戦闘もナンから見れば野蛮なだけで、殺すことしか楽しみを持たない幼稚な馬鹿。その上、色恋...続きを読む下手。そばにいることを強制して逃げるのを許さないくせに「でも許しがない限り決して手は出さない」とか果てしなく嫌悪が募るだけですよ… でも容赦がないだけで悪意は含まれてない気がするんだよなあ。別段美化も醜化もせず、正直に書いただけという感じ。ナンや幻術師アッサムはとてもきれいな「物語の登場人物」なのに、モンゴルの描写は生々しい。と、思う。 終わり方はあっけなかった。 「戈壁の匈奴」 戈壁(ゴビ)て。読めるか。でも匈奴は変換候補にいるんだね。 実体の伴わない単語でしか知らなかった「匈奴」のイメージがどんどん具体化されていく。 そうか、草原の男達ってこういう感じか!と。 正しいかなんてわからないけど、納得させる肖像を作り上げてしまう、これが作家のすごさだよな。 テムジンの印象はかなり変わった。 考古学者の空想から広がった物語が、またひとつの壷に収束して終わる美しい形。 この自家発電妄想力の備わった人が考古学者になるのだろう。 「兜率天の巡礼」 あ、もう西方アジアのお話終わりですか…儚かったなー日本史じゃない司馬遼先生、と思ったら嬉しい誤算。 ローマから大和への壮大な物語だった。 宗教が日本に根付かない理由について。 異端として追われ、コンスタンティノープルから長い長い流亡の果てに日本へたどり着いた普洞王の一行は、祖国とは異なる、その穏やかな気候に驚く。ここでは、自然は人間に牙を向かない。 「このようなくにに住む者達は、一体、悪というものを知っているであろうか。悪を知らなければ、おそらく善をも知るまい。善悪を知らずして生涯をすごせる天地こそ、天国というべきであろう。」 この地の人びとにとって、神とは生きていく指針を与える厳格な主人ではなく、生活の隣で一緒に暮らす友人だった。 ああつまり「トトロ」ってそういうことか。 「下請忍者」 「外法仏」 「牛黄加持」 「飛び加藤」 「果心居士の幻術」 忍者話は梟の城だけでもないのね。怪かしの術にもいろいろあっておもしろい。
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ペルシャの幻術師
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