司馬遼太郎のレビュー一覧
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ほとんど空海については予備知識もなく読んだ。
俗名が「佐伯真魚」であった(らしい)ことさえ、知らなかった。
その時代や、空海の人となりについて、司馬遼太郎的解釈かもしれないけれど、イメージができてきた。
上巻は、空海の唐での留学生活までが描かれる。
同じ遣唐使船で渡った最澄とは、境遇から人柄まで、対照的。
「弘法筆を選ばず」という言葉ひとつで、勝手にストイックな人物というイメージを持っていたが、むしろ溢れる才能を見せ付けることに躊躇しない、あくの強い人物であったようだ。
読んで楽しいのは、やはり唐へ渡るあたりから。
文章もいきいきとしてくる。
一緒に唐に渡った橘逸勢との関わりも加わって、「小説的」になってくる。
「小説的」ということで言うなら、不思議な小説だと思う。
「いまさらあらためていうようだが、この稿は小説である。」(一、p31)
「この章では、少年の空海が、奈良を出て長岡へゆくことになっている。」(二、p59)
上のように、この本が小説であることを、あちこちで自己言及している。
読者を歴史の現場にまるで立ち会わせるかのような書き方をするものとは一線を画している。
資料を読み、識者の話を聴き、そしてゆかりの土地へ行き、そうしたなかから立ち上がってくるものを掴み取ろうとしているこの叙述の意図はよく理解できる。
司馬遼太郎の作品は、この間やっと『坂の上の雲』全巻を読んだだけだ。
だから、本書のような作風が、空海という伝説に彩られた、古代の人物だからわざわざ選び取られたものなのか、それとも司馬が歴史ものを書くときに特有なものなのかはわからないけれど・・・。 -
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沖縄・先島が特殊だというなら、薩摩や津軽など、明治時代の廃藩置県前の日本列島の他のエリアと比較すれば、特別に特殊というわけではないと主張しているのは、さすが司馬遼太郎という感じ。
確かに、例えば言葉を事例にすれば、沖縄語も津軽弁も薩摩弁も同じ系統の言葉であるとしながらも、標準語とは全く別の言葉であって、お互い会話は成り立たないだろう。
私の想像では日本列島の住人は、明治政府による大日本帝国という近代国家ができる前は、自分は日本人だと思っている人は少なかっただろう。薩摩人であり、長州人だと思っていただろう。それも我々が無意識に今感じている近代国家のそれとは大分違っていたのではないかと思う。そもそも大多数を占める農民の人たちにとっては、支配者が誰だというような状況だったかもしれない。
沖縄が特殊だとすれば、沖縄は日本列島の中でも距離的に他のエリアとは大きく離れたエリアであり、それが要因で、鉄の導入の遅れなどが原因で文明化が他の日本列島の地域(例えば今の近畿地方)よりも数百年遅れ、国家が形成されてからは、主に明代の中国と朝貢国の立場をとっていた点かもしれない。 -
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ネタバレ兵庫でひとかどの海の男として認められた嘉兵衛さんは、創意工夫と度胸のある行動力で、ついに若くして自分の船を作るまでになりました。
江戸幕府もここにきて制度のひずみが顕著になり、農村での自給自足主義の建前の裏で各種商業が発達し、貨幣経済が確実に浸透してきて、商品や原料を運ぶ運送業の重要性もアップ。
ここでいちかばちかの大勝負をかける男気のあった人が、のちに大きな財を築き上げたんだね。
でも、嘉兵衛さんの努力と根性を読んでたら、これだけやらなきゃダメなんだなぁ…って思った。
生半可な気持ちじゃかえって地獄へ一直線。
それと、運もなければ話にならない。
人生って大変だけど、頑張ってみたいと思わせれくれるお話です。 -
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昔々の某N局の大河ドラマ、若かりし頃の緒形拳が猿を、高橋某(うる覚え)という役者が織田信長を演じたのを観たのが、最初の太閤記との出会い。草鞋取りの猿が、信長の草鞋を胸に抱いて温めておいたのを信長に認められ、信長に可愛がられるようになり、出世して天下統一する筋書きで、その草鞋のエピソードがとても印象的だったのに、この小説にはそのシーンは無い、ということを初めて知った。名シーンだった、と昔の記憶で思うけれど、人蕩しの天才と、人間であれ道具であれ、性能重視、その性能を気の済むまで試したい信長のエピソードとしては、小説のほうが流石だ。でも、テレビでは放送出来ないよなぁ、あんなシーン…。
『毛利家の秘宝』展に行った時に、秀吉の直筆の手紙があった。学問でも美術でも才を極めている毛利家の人々の筆と違い、秀吉の文字は平仮名ばかり、文章も拙く、基礎学力の有無というのはちょっとしたことで表に出てしまうので怖い、と思う反面、それを補ってなお人の心を掴む文章の典型でもあると思った。
司馬遼太郎は、そういった資料や実際に足を使って調べ、感じた事柄から歴史上の人物に肉付けをしていき、生き生きとした人間像を作り上げ、まるでそれが史実のように再現していくのだから、改めて凄いと思った。
下巻に続く。 -
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ネタバレ本書は天皇、統帥権、仏教、神道、儒学など我が国にまつわるテーマとした短編コラム(1986年~1996年)をまとめたもので、日本人や日本をかたち作っている何かを探す意味で興味深い。
<印象深かった内容>
【第4巻】
(日本人の二十世紀)
・我が国の為政者は手の内(特に弱点)を明かさない-不正直は国を滅ぼすほどの力がある
・日露戦争の時は武士の気分がまだ残っており、軍人も外交官も武士的なリアリズムや職人的な合理主義があった(故に海軍、陸軍、外交においてロシアに一矢報いることができた)
・知識人に軍事的教養がないことが、第二次世界大戦に繋がる軍部の戦略を批判することもなく、軍部の気分に乗ることが愛国と思われるようになった原因であった
・近代国家は石油という巨大なエネルギーを消費しながら航海している。目標を失うと必ず江戸時代などへの回帰論が出てくるが現実逃避はできないので、次なる目標を考えないといけない。
⇒商人国家のリアリズムに基づき、状況状況で自らを慰め、相手に訴える、素晴らしいレトリックをウィットとユーモアに富んだ華やいだものとして展開する必要。
【第5巻】
(人間の魅力)
・昭和初年から太平洋戦争終了までの日本は、過去の長い日本史とは不連続な異端な時代であった(統帥権の無限性と帷幄上奏権により日本国をほろぼし、他国にも深刻な罪禍を残した)
・物事を成す魅力-坂本龍馬(薩長同盟や大政奉還(船中八策)は海援隊の片手間)
・底抜けに明るく、褒め上手だった大秀才-吉田松陰
・風雲に臨む気質-高杉晋作
【第6巻】
(歴史のなかの海軍)
・改革者としての山本権兵衛。海軍建設にほとんど独裁的な辣腕を振るえたのは、海軍大臣西郷従道(西郷隆盛の実弟)の理解と支えがあったからだが、一大人員整理案(無能老巧の将官8人(多くは同郷の薩摩人)に左官尉官含めて97人のクビを切る)だけは、従道も驚いた(が支持)。
・その改革の全てはロシアに勝つため。日露戦争に向け、軍艦の質を高水準に、燃料を良質の英国炭に統一、無線電信機を搭載、そして、同胞の朋友の現役長官から退役リストに入っていた東郷平八郎を連合艦隊長官に抜擢。
・以上の結果、日露海戦に勝利したが、自らの功を誇ることなく、戦後、東郷の功のみを褒め称えた。
(役人道)
・アジアでは歴史的に官僚組織を作れば平然と汚職する(科挙試験を一青年が突破すると一村が潤うため、村を挙げてのお祭りとなる)。いわばアジア的な大家族主義で、自分が太ればいいというところがある。
・日本の厳格な官吏道は江戸中期に確立したが、その原型は鎌倉幕府の事務官であった大江広元、青砥藤綱に遡る。彼らは日本的な法治主義者として、私服を肥やすことからおよそ程遠かった。
・明治政府は江戸期からの役人道を相続したが、それが明治日本という国家社会をアジアの一角で展開できたほとんど唯一の基礎的条件だったといえる(八幡製鉄所を作るのに大きな金を寝かせたが管理する役人に一人としてそれを食った者がいなかった)。
・この点、今の日本社会(1996年時点)は、律令体制と縁を切って(鎌倉幕府の成立)以来700年ほどかけて作った非常に不思議な社会から、政界を核にしてアジアに還ってきつつある(自民党は古いどろどろとした非常にアジア的な体質にまみれている)。
・最近は公共土木工事の談合が問題化しているが、江戸期の土木工事は、当初予定していた費用を結果として上回った(藩に損害を与えた)として現場で切腹して死ぬケース(薩摩藩士51人の自刃)や治水工事のために家産を傾けて実施した庄屋階級のケースなど、みんな手伝いや持出しなど誰も儲かることはしなかった。
・日本的な「公」というもの=日本の歴史そのものが我慢してきたこと
日本では、社会や組織を私物化するのではなく、社長であってもいわば預かり物として狭い権限内で自分に出来ることを可愛らしくやる。世間はそこからはみ出した可愛らしくないやつを叩く。自分の中にある、自分が我慢してきた、日本歴史そのものが我慢してきたのに、あいつは何だという「公」の思想が無意識のうちに批判の基準にある。 -
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主人公の天堂晋助は架空の人物と。おそらくモデルもない。一子伝承の二天一流の継承者という。土の岡田以蔵、薩の田中新兵衛、肥後の川上彦斎(げんさい)、長の天堂晋助で人斬り四人男だなと龍馬に述回させている。
周りは司馬さん馴染みの実在千両役者の総覧騒乱。主人公が架空で自由であるから、物語はそれは自由自在だ。高杉、桂、龍馬、西郷、伊藤俊輔、井上聞多、勝海舟、近藤勇、土方歳三、小栗上野介、さらには剣祖としての宮本武蔵。
面白くないはずがない。虚構の中で実在役者に与える台詞に、司馬さんのそれぞれを主人公とした物語には書けなかった、推量の部分での本音がずけりと現れている様な。 -
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ネタバレこの作品は司馬遼太郎さんが月刊誌などで談話されたものがいくつも紹介されている。
「中央と地方」では現代社会、現代人の中央文化に危機を感じ、薄っぺらい主体性の無さを嘆いている。
かつて坂東武者達が縁者を頼りに京に行き、あってもなくても変わらぬような官位を欲しがり、そしてそれを故郷で権威として振りかざした。
だが次第に戦国大名のような力を持ったものが各地に台頭すると地方ごとに文化が生まれ、江戸期にはさらにそれが顕著に現れてくる。
だが明治維新でそれは崩壊し、約300年間培われた地方文化は薄れ、東京こそ正しいというような風潮を特に若者が抱いているのが現代かもしれない。
我々は坂東武者に戻ってしまったのかもしれない。