司馬遼太郎のレビュー一覧
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司馬遼太郎著「故郷忘じがたく候」を読みました。
司馬遼太郎作品は久しぶりで、じっくり読み味わいました。
3編からなる短編小説で、タイトルの「故郷忘じがたく候」は、16世紀朝鮮の役で日本の薩摩へ陶器の技術を手に入れるために拉致された朝鮮の民の子孫の運命を描いた作品でした。
彼の作品の中では、現代に生きている人を扱った唯一の作品だそうです。
ちなみに、この子孫の方は健在で、先日テレビにも出ていて、この本を読むきっかけにもなりました。
この人の語った次のような言葉が載っています。
「あなた方が36年をいうなら
私は370年をいわねばならない」
この言葉はソウル大学の学生に語った言葉だそうです。
日本統治下の圧制をいうなら、秀吉の朝鮮出兵のときに日本に連れてこられた自分たちはどうなのかという重い言葉だそうです。
彼の言葉だからこそ、韓国の若者たちにも届いたのでしょう。
やはり歴史というものは、学ぶことに意義があるのだと改めて感じました。 -
Posted by ブクログ
高田屋嘉兵衛さんを主人公にしたお話の最終巻です。
嘉兵衛さんがゴローニン事件のとばっちりでロシア船に拿捕されちゃって、その後ロシア側のおじさんと心を通じ合い(向こうのスパイになったとかではないよ!)日本側に幽閉されていたゴローニンさんを解放し、日本とロシアの間にわだかまりをつくらずに事件を解決しました。
何があっても、人を信頼しようとする嘉兵衛さんの姿は素晴らしかった♪
でも高田屋は結局、蝦夷地(北海道)が幕府の直轄地から松前藩に返還された後、松前藩に仕返しをされて、潰されちゃうんだよね。
このお話では、かなり松前藩はダメダメな自分さえよければ藩になっています。
実際は、どうだったんだろうね。
嘉兵衛さんは、ゴローニン事件の解決後かなり心身ともに衰弱しちゃって、故郷の淡路島に戻って一生を終えます。
高田屋の滅亡を知らなくて良かったかも。
大変だったろうけど、素晴らしい人生だと思いました。
らじも見習います! -
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ほとんど空海については予備知識もなく読んだ。
俗名が「佐伯真魚」であった(らしい)ことさえ、知らなかった。
その時代や、空海の人となりについて、司馬遼太郎的解釈かもしれないけれど、イメージができてきた。
上巻は、空海の唐での留学生活までが描かれる。
同じ遣唐使船で渡った最澄とは、境遇から人柄まで、対照的。
「弘法筆を選ばず」という言葉ひとつで、勝手にストイックな人物というイメージを持っていたが、むしろ溢れる才能を見せ付けることに躊躇しない、あくの強い人物であったようだ。
読んで楽しいのは、やはり唐へ渡るあたりから。
文章もいきいきとしてくる。
一緒に唐に渡った橘逸勢との関わりも加わって、「小説的」になってくる。
「小説的」ということで言うなら、不思議な小説だと思う。
「いまさらあらためていうようだが、この稿は小説である。」(一、p31)
「この章では、少年の空海が、奈良を出て長岡へゆくことになっている。」(二、p59)
上のように、この本が小説であることを、あちこちで自己言及している。
読者を歴史の現場にまるで立ち会わせるかのような書き方をするものとは一線を画している。
資料を読み、識者の話を聴き、そしてゆかりの土地へ行き、そうしたなかから立ち上がってくるものを掴み取ろうとしているこの叙述の意図はよく理解できる。
司馬遼太郎の作品は、この間やっと『坂の上の雲』全巻を読んだだけだ。
だから、本書のような作風が、空海という伝説に彩られた、古代の人物だからわざわざ選び取られたものなのか、それとも司馬が歴史ものを書くときに特有なものなのかはわからないけれど・・・。 -
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沖縄・先島が特殊だというなら、薩摩や津軽など、明治時代の廃藩置県前の日本列島の他のエリアと比較すれば、特別に特殊というわけではないと主張しているのは、さすが司馬遼太郎という感じ。
確かに、例えば言葉を事例にすれば、沖縄語も津軽弁も薩摩弁も同じ系統の言葉であるとしながらも、標準語とは全く別の言葉であって、お互い会話は成り立たないだろう。
私の想像では日本列島の住人は、明治政府による大日本帝国という近代国家ができる前は、自分は日本人だと思っている人は少なかっただろう。薩摩人であり、長州人だと思っていただろう。それも我々が無意識に今感じている近代国家のそれとは大分違っていたのではないかと思う。そもそも大多数を占める農民の人たちにとっては、支配者が誰だというような状況だったかもしれない。
沖縄が特殊だとすれば、沖縄は日本列島の中でも距離的に他のエリアとは大きく離れたエリアであり、それが要因で、鉄の導入の遅れなどが原因で文明化が他の日本列島の地域(例えば今の近畿地方)よりも数百年遅れ、国家が形成されてからは、主に明代の中国と朝貢国の立場をとっていた点かもしれない。 -
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ネタバレ兵庫でひとかどの海の男として認められた嘉兵衛さんは、創意工夫と度胸のある行動力で、ついに若くして自分の船を作るまでになりました。
江戸幕府もここにきて制度のひずみが顕著になり、農村での自給自足主義の建前の裏で各種商業が発達し、貨幣経済が確実に浸透してきて、商品や原料を運ぶ運送業の重要性もアップ。
ここでいちかばちかの大勝負をかける男気のあった人が、のちに大きな財を築き上げたんだね。
でも、嘉兵衛さんの努力と根性を読んでたら、これだけやらなきゃダメなんだなぁ…って思った。
生半可な気持ちじゃかえって地獄へ一直線。
それと、運もなければ話にならない。
人生って大変だけど、頑張ってみたいと思わせれくれるお話です。 -
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昔々の某N局の大河ドラマ、若かりし頃の緒形拳が猿を、高橋某(うる覚え)という役者が織田信長を演じたのを観たのが、最初の太閤記との出会い。草鞋取りの猿が、信長の草鞋を胸に抱いて温めておいたのを信長に認められ、信長に可愛がられるようになり、出世して天下統一する筋書きで、その草鞋のエピソードがとても印象的だったのに、この小説にはそのシーンは無い、ということを初めて知った。名シーンだった、と昔の記憶で思うけれど、人蕩しの天才と、人間であれ道具であれ、性能重視、その性能を気の済むまで試したい信長のエピソードとしては、小説のほうが流石だ。でも、テレビでは放送出来ないよなぁ、あんなシーン…。
『毛利家の秘宝』展に行った時に、秀吉の直筆の手紙があった。学問でも美術でも才を極めている毛利家の人々の筆と違い、秀吉の文字は平仮名ばかり、文章も拙く、基礎学力の有無というのはちょっとしたことで表に出てしまうので怖い、と思う反面、それを補ってなお人の心を掴む文章の典型でもあると思った。
司馬遼太郎は、そういった資料や実際に足を使って調べ、感じた事柄から歴史上の人物に肉付けをしていき、生き生きとした人間像を作り上げ、まるでそれが史実のように再現していくのだから、改めて凄いと思った。
下巻に続く。