司馬遼太郎のレビュー一覧

  • 花神(中)

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    蔵六はふと、人間はこの世にうまれてきてやがてひとりで死ぬのだが、その間によき話し相手の何人かでも得ればそれほど幸福なことはない、ところが自分という風変わりな人間にとってよき話し相手というのは、(イネひとりかもしれない。イネひとりだけで自分は世を終わるのかもしれない)と、そのことを自分の内面で発見して、愕然とそう思った。しかしながら蔵六はすでにイネという話し相手を得ている。ひとりの良き話し相手ももたずに世を終える者がほとんどであるとすれば、自分は幸福な部類に入るのではあるまいか。(p.338)

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    2020年07月15日
  • この国のかたち(三)

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    「ここで、遊びとしての作業をしてみたい。まず、『江戸時代をそのままつづけていてもよかったのではないか』ということである。答えは、その場合、十中八九、どこかの植民地になっていただろう。(p.21)
    酒も、伊丹・池田・灘五郷の醸造業者によって大量につくられ、廻船船で江戸に送られた。江戸付近でも酒はつくられたが、水がわるいのと技術の遅れのためにまずかった。このため、江戸では下り(上方から江戸へ)の酒がよろこばれ、下らない酒はまずい、とされた。このことからつまらぬコトやモノを「くだらない(江戸弁)」というようになったという説もある。(p.199)

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    2020年08月18日
  • この国のかたち(二)

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    思想というのは、結晶体のようであらねばならない。あるいは機械のように、ときには有機化合物のように論理が整合されていなければならないのだが、その意味で、日本における最初の「思想」は、九世紀初頭、空海(774〜835)が展開した真言密教であるといえる。(p.217)
    こんにち親鸞といえば、ヘーゲルとならべさせても、印象的に違和感を感じさせないというようにしたのは、清沢の力によるものであった。(p.225)

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    2020年08月18日
  • この国のかたち(一)

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    雑談的に、日本の様々な歴史についてあっちへ行ったりこっちへ行ったり色々なテーマについて書き連ねている。本人にとってはほんとうに雑談のような気軽さで書いているのだろうけれども、それでも、この著者の、歴史についての豊富な知識を充分うかがわせる内容になっている。
    毎回題材として挙げられる内容も、その展開も、まったくのアトランダムで、その縦横無尽さがいい。明治維新の話しをしていたかと思うと突然戦国時代や平安時代の話しになる。ふらふらしているようで、最後には一本の筋が通って話がまとまる。読んでいてなるほどと感心することばかりで、一つの筋道だった物語を読む時とはまた違った面白さがある。
    一つ一つのテーマは

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    2020年08月18日
  • 竜馬がゆく(三)

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    清河は非常な尊王家でもあったが、同時に自分をも世間に押し出したかった。独り策謀をめぐらし、その策謀で世間を踊らせ、しかも策士らしく背後で帷幕を垂れこめているのではなく、功をひとり占めにし、常にその策謀の中心にすわりたがった。
    徳がない、ということになろう。
    この稀代の才子の生涯を決定した不幸は、そういう欠陥にあった。(p.88)
    幕末の史劇は、清河八郎が幕をあけ、坂本竜馬が閉じた、といわれるが、竜馬はこの清河が好きではなかった。
    たったひとつ、人間への愛情が足りない。
    万能があるくせに。
    そうみている。ついに大事をなせぬ男だ、と竜馬はみていた。(p.96)
    「半平太、まあ、ながい眼で見ろや」

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    2020年07月15日
  • 竜馬がゆく(六)

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    長次郎は才子ではあるが、組織でもって協同して事をする感覚が欠けているようである。貧家の秀才で無我夢中で世間の表通りに出てきた者のもつ悲哀といっていい。われがわれがとおもう一方で、仲間の感情を思いやるゆとりがないのである。
    (しかし、城下の水道町のまんじゅう屋のせがれも、薩長両藩を相手に大仕事ができるまでになったか)
    とおもうと、竜馬はあのまんじゅう屋の冷たくとぎすましたような秀才づらが、いとしくてたまらなくなるのである。(p.160)
    「私は根が町人のうまれで、戦争はあまり好みませんが」
    「ばかだな、お前は。そういうことをいうちょるから、あたらそれほどの才分をもちながら人にばかにされるのだ。男

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    2020年07月15日
  • 竜馬がゆく(二)

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    「半平太、お前が悪謀家じゃということになれば、もはや人がまわりに集まって来るまい。人が集まらぬと大事はできぬ。されば半平太、悪人というのは、結局、小事ができる程度の男のことだぞ」(p.307)
    竜馬は脱藩の日、才谷山にのぼって祠の中に入り、心ゆくまで酒をのんだ。
    −−のう、明智左馬助さまよ。
    と、心中、祖先の霊をよび、さらにわれいさんの神霊にもよびかけて、
    −−人の命はみじかいわい。わしに、なんぞ大仕事をさせてくれんかネヤ。
    と、頼んだらしい。(p.436)

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    2020年07月15日
  • 竜馬がゆく(五)

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    勝には、妖精のにおいがする。そのいたずらっぽさ、底知れぬ智恵、幕臣という立場を超越しているその発想力、しかも時流のわきにいながら、神だけが知っているはずの時流の転轍機がどこにあるかを知っている。さらに竜馬と西郷という転轍手を発見し、さりげなく会わせようとするあたり、この男の存在は、神が日本の幕末の混乱をあわれんで派遣したいっぴきの妖精としかおもえない。(p.219)
    西郷というひとは人間分類のどの分類表の項目にも入りにくい。たとえば西郷は、革命家であり、政治家であり、武将であり、詩人であり、教育家であったが、しかしそのいずれをあてはめても西郷像は映り出てこないし、たとえむりにその一項に押しこん

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    2020年07月15日
  • 夏草の賦(下)

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    ネタバレ

    強盛を誇った織田信長も本能寺で明智光秀に打たれる。しかし、その跡を襲った豊臣秀吉による四国征伐で土佐一国に押し込められた長宗我部元親。秀吉に屈服した元親は息子・信親に期待を込める。
    秀吉による島津討伐の先陣として仙石秀久の元で戦う長宗我部親子。

    信親が真っ直ぐで微笑ましい。下巻は菜々やお里の出番が少なくてちょっと残念。

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    2025年11月13日
  • 翔ぶが如く(四)

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    西郷従道の行動力

    ・心即理(しんそくり)は、宋明理学における命題の一つ。心こそ理であるとする[1]。中国南宋の陸象山や明の王陽明が定義した。
    人間は、生まれたときから心と理(体)は一体であり、心があとから付け加わったものではない。その心が私欲により曇っていなければ、心の本来のあり方が理と合致するので、心の外の物事や心の外の理はない。よって、心は即ち理であると主張した。
    ・君子は器ならず

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    2025年11月08日
  • 関ヶ原(下)

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    いよいよ、関ヶ原の合戦の場面になる。
    信州上田城で徳川秀忠を足止めにした真田昌幸、黒田長政が家康からの褒辞を父如水に報告した時の一言「家康から右手を押しいただいた時、そちの左手は何をしていたのだ」と言った黒田如水、有名なエピソードを改めて読み、歴史の旅を楽しんだ。
    もしも関ヶ原の合戦が長期戦になり、黒田官兵衛(如水)が天下取りに乗り出したら、もしも小早川秀秋が裏切らなかったら、その後の歴史はどうなっていたのか。
    歴史って面白い。

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    2025年11月08日
  • 項羽と劉邦(上)

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    宦官 趙高
    秦王朝の二世皇帝 胡亥

    陳勝・呉広の乱 前209年
    中国史上初の農民反乱
    王侯将相いずくんぞ種あらんや
    (王や貴族も所詮同じ人間ではないではないか!)

    定陶の戦い 前208年
    秦の章邯 対 楚の項梁

    鉅鹿の戦い 前207年
    楚の項羽 対 秦の章邯

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    2025年11月05日
  • ビジネスエリートの新論語

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    サラリーマンの悲哀を描いている。と言えば四捨五入し過ぎだが、この稼業が、いかに理想として人生を燃えたぎらせるものがないか、ましてや出世だけがロイヤルロードでもなくなった今(当時)、仕事はこなして、アフターファイブを充実させるのが吉、という達観が本書には通底している。
    そのうえで、曰く、愚痴ほど生産性のないものはない、議論モードはロクなことがない、時には人生意気に感じるといった感性を持つべきだ、との持論展開。さすがに昭和三十年当時の著者の持論であり、真新しくはもちろんないし、今となっては通じない考え方も多いが、とにかくも人生の大先輩の言として愉しくは読めた。
    後半の女性蔑視全開のパート(女性は職

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    2025年10月26日
  • 竜馬がゆく(三)

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    移動手段が馬か徒歩かしかない時代にここまでたくさんの地に足を運べたが竜馬の強さだと感じた。まさに竜馬がゆくのタイトル通り。

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    2025年10月23日
  • 関ヶ原(中)

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    狐の三成と狸の家康がバチバチに情報戦をしているが家康が一枚も二枚も上手。
    家康の謀にまんまと三成が乗せられ、戦さに持ち込まれてしまうのはわかっているストーリーだけどヒリヒリする。
    この中巻ではいよいよこれから関ヶ原の戦いがはじまるぞという場面で下巻に続くのである。

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    2025年10月22日
  • 関ヶ原(上)

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    歴史小説だが、人物の考え方や性格までよく書き込まれていて、まるで史実を読んでいるよう。よく研究されている。だからこそ、より面白い。
    家康や三成だけでなく、本多や直江らの策略も細かく豊富で、この時代に官吏政治ができていれば、もっと早くいい国が作れたのではないかと思ってしまう。
    まだあと中巻、下巻があるのを思えば、関ヶ原の戦になるまでにまだかかりそうだ。

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    2025年10月18日
  • 翔ぶが如く(二)

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    ・彼(西郷)には私憤というものがなかった(無私の精神)
    ・足利尊氏には天性の人間的魅力があった。寛容とその子供っぽさと反省心の強さと、そして人にかつがれた場合の座りのよさと大きさは、すべて西郷と酷似していた。

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    2025年10月10日
  • 大盗禅師

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    豊臣秀吉を倒し江戸幕府が開かれた。その徳川家の政策をこけ下した表現が面白い。とある禅師が全国の浪人となった元武士に江戸幕府の謀反を呼びかけ、とある町で流浪の民となっていた仙八がひょんなことから選ばれし者としてあらよあらよという間に中国大陸に大将として招かれ、明朝のために働き、また明朝を助けるべく日本からの援軍を集いに日本に舞い戻る。師として仰いだ禅師に、はたまたは旅中に出会った由比正雪という軍師にたぶらかされてはあっちに心を奪われ、こっちに説得され、と意志軟弱ぶりが滑稽に描かれているのが可笑しくなってくる。明朝の使いの蘇一官という人物もよくわからない存在で最後はこの人物に主人公と禅師が中国船に

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    2025年09月30日
  • 関ヶ原(上)

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    豊臣家の行政をなす奉行や賤ヶ岳七本槍とよばれた武将らから徹底的に嫌われた石田三成というイメージどおりの三成像。
    豊臣家の頭脳として、秀吉の没後、秀頼が成人になるまで豊臣家を守らなければと必死に家康に抵抗するが家康&本多正信コンビの奸計が悉く計画通りに進むのだ。上巻の後半は三成を佐和山城へ蟄居させたあとは家康がとうとう大阪城に入り、当主のように振る舞いはじめる。その傍若無人ぶりが悪どい。そして、前田利長に豊家に謀反の罪で討伐に向かう。言いがかりであることは誰の目にもわかっているのに豊臣恩顧の諸将たちはだれも異論を唱えない。
    清正、正則よ!なさけない。と思ってしまう。

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    2025年09月27日
  • 竜馬がゆく 12

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    巻ごとの感想が特にある訳でなし、数巻ごとに登録するにとどめる作品あり。本作もその一つ。原作を読み返すほどに好きでもないから、漫画化はちょうど良し。

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    2025年09月24日