あらすじ
私の志は、剣を磨くだけではなく、一流を興すこと。北辰一刀流を興すには他流と優劣を競い打ち負かした上で、他流よりも優れているという世評を確立しなければならない――。江戸末期、最強の剣豪といわれた千葉周作が、若き日の野望を現実のものとするまでの修行、戦い、心理を克明に描く傑作時代長編。
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Posted by ブクログ
剣道に縁のなかった私には名前だけが余りに有名だった「北辰一刀流」。
こんなルーツだったんだ、千葉周作とはこういう人だったんだと知るだけでも面白い。
『夫れ、剣は瞬息』
いい言葉だな。
合理性を重視
現代の剣豪小説にも言えることではあるが、やたらと剣法を神秘化.呪術化.精神化したがる傾向があるが、江戸時代においても「合理性を重視」したという千葉周作は確かに興味を惹かれる存在である。太刀行きの速さを意味する「瞬息」という表現はなるほどと思わせるところがある。門下生には坂本龍馬を代表とする有名人物がたくさんいるが、開祖たる千葉周作本人は合理主義者だけあって今ひとつ地味かな。
Posted by ブクログ
周作は、天性の合理主義者らしい。
古来、兵法というものは、その本質が徹底的な合理主義でできあがっているにもかかわらず、どの流儀も、流祖が神の啓示によって一流をひらいたとか、あるいは伝書の表現は組太刀の名称にも神秘的な名をつけたりして、外装を事々しい宗教性で包んでいる。
(それが不快だ)
と、周作はかねて思い、
(自分は、そんなまやかしや誇張のない兵法を確立しよう)
と念願していただけに、柏手のような呪術めいたしぐさをすることや、仏神に、接近することを、自分に禁じていた。
(絶対者(おおきいもの)に随喜し、それに魂をあずけ、究極にはそれに同化してゆくことによって人間の自在の境地が出来、心境が天地のひろさにひろがり、剣に無碍の境地が確立する、ということはわかるが、それも齢をとってからのことだ。いま、左様な境地をもてばかえってわが剣を誤る)
ときびしく思っている。いま周作がすべきことは、剣の運動律を創りあげること以外に何物もない。それをあいまいにする神仏などへの信仰は、毛ほどもあってはならない、とこの若者は思っている。
秋が暮れ、冬がきた。やがて松戸で正月を越した。
周作は中西道場で修業中、自ら学びつつもその内側で独創的な教授法を工夫しつつあったので、それが大いに近在に喧伝され、門人が飛躍的にふえた。
松戸の近在の農夫や町人だけではない。下総にある佐倉藩、小見川藩、多胡藩、関宿藩、生実藩といった小藩の藩士のなかで、藩のゆるしをもらい、わざわざ松戸に宿をとって入門してくる者さえ出てきた。
浅利又七郎ひとりが看板だったころにはなかった現象である。
松戸で、年を越した。
春が過ぎ、夏がきた。周作が松戸に帰ってきて一年もたたぬというのに、下総松戸の名物といえば剣術、という評判がしきりと喧伝されるようになっている。
「浅利道場の小先生に学べば、他道場で五年のところが三年で上達する」
という評判が江戸にひびきわたるようになった。
周作は、自分でも他人を教えるようになってから気づいたことだが、かれには、剣の先人たちがかつて持ったことのない特殊な才能があるようであった。
分析の能力である。既成の兵法から原理をさぐりだし、その技術をこまかく分析し、いったんばらばらに解体してしまってからあたらしく組み立てるという能力であった。
(悪魔の能力だな)
と、われながらおそろしくなるときがある。兵法とは伝統技芸である。
流祖は神のようなものだ。伝書は神の書であり、それを汲む師匠は司祭者の神聖をもっている。
弟子は、ひたすらにそれを信奉するだけでいい。疑問をおこしてはいけないし、それをおこすことほど不道徳はない。
厳として、この世界はそうなっている。背く者は謀反人である。が、周作は、つい意識することなく流儀の技法を分析解体してしまい、あたらしく再組織してひとに教える。
だから門人にとってはひどくわかりやすいのである。
余談だが、古来、兵法の流祖というのは無学な者が多い。それが一流を興し、伝書をつくりあげるとき、学問のある禅僧などに頼んで剣の「教義」を書いてもらった。
自然、文章が晦渋で、なにが書かれているのかわからぬものが多い。わからぬことがむしろ尊げにみえる、という点も兵法教義の晦渋さのねらいにもなっている。