司馬遼太郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
cotenラジオで取り上げられていた+司馬遼太郎ということでチャレンジ。
作品中一貫して項羽と劉邦の2人の違いが明確に書かれていた。自身の武や価値観を絶対のものとして天下を狙う項羽(力は山を抜き、気は世を覆うという言葉にそれが如実に現れている。てかこの言葉カッコ良すぎでしょ)と武などなく自分の欲求を優先しつつも周りの人間の意見を素直に聞き助けられながら結果的に天下を取ってしまった劉邦。そして誰もが項羽の天下を取ると思っていた(読者だけでなくおそらく項羽自身が1番思ってたと思う。)それがいつのまにか形成が逆転し劉邦のものになっていたという結末にも驚かされた。
劉邦は意識していないが作品中何度も語られていた劉邦の力というのが「周りの声に耳を傾ける姿勢」と「自身の価値観に縛られずに周りの意見を採用すること」だった。それを象徴するように劉邦の周りの人間の背景や性格の描写などは項羽のものよりも多く濃いものだった。人の集団ができる以上、色々な人間がいて、それぞれの人間には歴史やドラマがあって、それがあるから考え方や能力もそれぞれで。その様々な人材を必要な所で複合的に活用して行くことで英雄と呼ばれる絶対的な個人でも生み出せない力を発揮することができるのではと感じた。現代でも会社組織やスポーツでも同じことを言われるがこの物語は、それを出来る人と出来ない人の究極の典型だった気がする。(漫画でもこういう二項対立はよくあるが、この物語が元祖でしょ)
二項対立や登場人物の魅力もあってあまり飽きずに3巻読むことが出来た。ただ司馬遼太郎の竜馬が行くほどの感動は何故かなかったのでこの評価。(同じ作者だと作品同士を比較してしまいがち) -
Posted by ブクログ
読書仲間が鹿児島に帰省した時に読んで、強く感じるものがあったと聞いた。その話に触発されて久し振りに司馬遼太郎の世界に触れることになった。
若い頃、彼の小説にのめり込んで身につまされながらよく読んだがこの作品は題名が気になりながらもついつい読まずにきたものだ。
歴史的な紀行文とでもいうのだろうか、翻弄される
民族精神やナショナリズムについて考えさせる。
45歳頃の作家として乗りに乗った時期の作品で、
冴え渡る文章と独特の表現が心のひだを刺激する。
沈寿官は370年前秀吉の朝鮮出兵で、薩摩軍団に南原城の戦いに敗れて捕虜となり、日本に連れてこられた高麗人陶工の末裔である。彼は集団の代表家系の14代目を務める。
司馬ははじめて存命の人物を主題に物語を描いた。
彼らは島津藩から丁重に扱われ、誘われても裏切り者の住む鹿児島城下には住まず、70軒ばかりで苗代川の麓に居付き、陶磁器を作ることで一村をなした。
当初漂着した漁村の浜で故郷に帰りたさのあまり乗ってきた船に縋りつき海中に浮かべるが、小舟ゆえ風浪に押し返された時の望郷の悲しみ、それを彼らは伝承し家霊として家々に棲みつけた。
村には沈氏の他に朴氏・金氏・鄭氏や李氏漂着組17姓があり「朝鮮筋目の者」として礼遇された。
一部例外を除いて帰化して以来姓名を変えていない。地元の学校では朝鮮人差別の暴力洗礼を受けるが耐えることで凌いできた。当然戊辰戦争や西南戦争、太平洋戦争を薩摩人として戦ってきた。
薩摩の日本人という国籍に人一倍誇りを持つ。
明治までは一村ことごとく韓語を語ったが維新後はオノリソといわれる祭祀の歌謡や窯仕事の技術語だけに韓語が残った。
村の鎮守を玉山宮といい、日本の天照(アマテラス)のような朝鮮開国の神祖檀君を祀り、そこから海の彼方の故郷を望み折々に参ることを今も絶やさない。
島津義弘は朴平意に島津家御用のみの白薩摩を作らせ評判を上げ、黒薩摩は御前黒を除いて民間需要に供した。薩摩焼は薩摩、江戸、明治と日本を代表する重要産業となる。
沈寿官氏が招待されてソウル大学で講演をした。
「これは申し上げていいかどうかと前置きして、私には韓国の学生諸君への希望がある、韓国にきてさまざまの若い人にあったが、若い人のたれもが口をそろえて36年間の日本の圧政について語った。最もであり、そのとおりではあるが、それをいいすぎることは若い韓国にとってどうであろう。いうことはよくてもいいすぎるとなると、そのときの心情はすでに後むきである。あたらしい国家は前へ前へと進まなければならないというのに、この心情はどうであろう。‥‥
あなた方が36年をいうなら、私は370年をいわなければならない。」 聴衆は拍手をせず静まりかえった。
しかし沈氏に送る友情の気持ちに愛誦青年歌の熱唱で会場を湧き上がらせた。彼は薩摩人らしく振るまおうと涙を抑えて冗談を言おうとしたが、身を震わせて立ち尽すのみであった。
郷土意識の強い薩摩で日本人になりきった高麗人陶工たちの、長い年月で熟成した民族意識は人間が隔てをなくしてともに生きることの価値を教える。
歴史の荒波に晒された望郷の思いも司馬遼太郎が語ると爽やかな生きる希望に感じるから不思議である。
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サラリーマンの悲哀を描いている。と言えば四捨五入し過ぎだが、この稼業が、いかに理想として人生を燃えたぎらせるものがないか、ましてや出世だけがロイヤルロードでもなくなった今(当時)、仕事はこなして、アフターファイブを充実させるのが吉、という達観が本書には通底している。
そのうえで、曰く、愚痴ほど生産性のないものはない、議論モードはロクなことがない、時には人生意気に感じるといった感性を持つべきだ、との持論展開。さすがに昭和三十年当時の著者の持論であり、真新しくはもちろんないし、今となっては通じない考え方も多いが、とにかくも人生の大先輩の言として愉しくは読めた。
後半の女性蔑視全開のパート(女性は職場では男漁りと愚痴をいう以外に楽しみを知らない、旦那の出世に欲を持った女房はロクなものではない など)は男側からの強烈な独りよがりに見えて、さすがに時代錯誤感が凄まじかった。
一方で、第2部語られる、著者の実体験に基づく人生観(新聞記者として「大成」したが故に閑職に就きつつそれに満足している老人。自らの才覚の限界を悟り小虫として自分のペースで生きていくことで人生を完成させた老人)や、著者自身の新聞記者としての経緯(戦後闇市で求人募集を発見し、新興新聞社に入り、同時入社のO君の諍いに共連れで退社。次の社は用紙横流しで退社。産経新聞に入社。このあたり、時代の息吹が感じられるような描写。)は面白かった。
司馬遼太郎ファンとしては貴重な読書経験となったが、ビジネスマンとして目から鱗の発見を期待しての選択だっただけに、その期待値との比較では、星3つが限界か。 -
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豊臣秀吉を倒し江戸幕府が開かれた。その徳川家の政策をこけ下した表現が面白い。とある禅師が全国の浪人となった元武士に江戸幕府の謀反を呼びかけ、とある町で流浪の民となっていた仙八がひょんなことから選ばれし者としてあらよあらよという間に中国大陸に大将として招かれ、明朝のために働き、また明朝を助けるべく日本からの援軍を集いに日本に舞い戻る。師として仰いだ禅師に、はたまたは旅中に出会った由比正雪という軍師にたぶらかされてはあっちに心を奪われ、こっちに説得され、と意志軟弱ぶりが滑稽に描かれているのが可笑しくなってくる。明朝の使いの蘇一官という人物もよくわからない存在で最後はこの人物に主人公と禅師が中国船に乗り込み明朝に向かって物語は閉じられるのだがあとは読者のご想像にってお前は少年ジャンプかよ!ってww
歴史の史実とフィクションが混ざり合った時代小説とも言えわかりやすいが理解しにくい何とも奥深い作品でページ数も多く完読するに疲弊した。 -
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豊臣家の行政をなす奉行や賤ヶ岳七本槍とよばれた武将らから徹底的に嫌われた石田三成というイメージどおりの三成像。
豊臣家の頭脳として、秀吉の没後、秀頼が成人になるまで豊臣家を守らなければと必死に家康に抵抗するが家康&本多正信コンビの奸計が悉く計画通りに進むのだ。上巻の後半は三成を佐和山城へ蟄居させたあとは家康がとうとう大阪城に入り、当主のように振る舞いはじめる。その傍若無人ぶりが悪どい。そして、前田利長に豊家に謀反の罪で討伐に向かう。言いがかりであることは誰の目にもわかっているのに豊臣恩顧の諸将たちはだれも異論を唱えない。
清正、正則よ!なさけない。と思ってしまう。