司馬遼太郎のレビュー一覧
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以下抜粋~
・ともかくも、関東・東北ともに、馬文化の国である。
それでこそ、十二世紀末、源氏の奮闘によって、鎌倉幕府ができたといえる。
・・・・
その点、平家は冴えなかった。
かれらは牛地帯を本拠としていたから、しかるべき武士でも、馬を一頭かにどうしかもっておらず、長途にわたる騎馬集団の移動作戦はできなかった。そういうあたり、源頼朝を擁した関東武士団は、あたかも騎馬民族であるかのように、ふんだんに乗り替馬をもっていたのである。
・ついでながら江戸時代となると、地方の時代だった。
日本の学問水準は地方課、地方出身者たちがささえ、首都のひとである江戸人はむしろ学問を野暮とする風さえあった。
そ -
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坂の上の雲、5巻。
いよいよ二〇三高地の決戦。
旅順攻略がこんなにも困難を極めた原因は、司馬遼太郎の筆から見るに、どうしても第三軍司令部の、とくに参謀長の無能さによるところが大きいと思えてしまう。それに見合う資料をもとに書いているのでしょうが、ここまでけちょんけちょんだとちょっと気の毒になるくらいだ。
それに対して、児玉源太郎に対する書き方のカッコ良いこと。
黒溝台の章で少しだけ秋山好古がでてきたが、5巻のヒーローは児玉源太郎だった印象が強い。
それからバルチック艦隊の航行。
想像以上に大変だったんだな。
そして想像以上に日英同盟が効いてたんだな。
全編わりと細かすぎるぐらいの描写や、 -
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25年をかけて日本ばかりでなく世界中の道を辿った司馬遼太郎の始まりの旅が近江の国からです。琵琶湖のある滋賀県。京都、奈良といった古都に近接しており歴史上の要衝。司馬さんの足跡を読むと周辺は古来から街道を様々な人々が行き交ったことがわかります。
琵琶湖西岸で日本人のルーツに思いを馳せ、織田信長が越前攻略の際に退却したみち、朽木谷や朽木氏の檀那寺の興聖寺を廻る。この寺は第12代将軍の足利義晴が身を潜めていた場所でその庭を観る…
甲州街道、小仏峠をを越え、大和盆地の葛城山では古代民族の鴨族の一言主の神の祭主を訪ねたりします。これを読むと旅はその土地の古来からの由来がわかってこそ、意義を深めるのだとつ -
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坂の上の雲、4巻。
地理がわかってないとなかなか情景が想像出来にくい、日露戦争のど真ん中。
ウラジオストックに逃げる旅順艦隊、追う東郷。1隻たりとも逃してはいけない艦隊の殲滅を目的とする息を詰めるような黄海の戦い。
さらには、陸では遼陽会戦が始まり、これは本当に史実なのか?こんなギリギリの綱渡りで本当に日本がロシアに勝ったという歴史になるんだろうか?と、読みながら何度も思った。
この戦争、日本が優れていたわけでも、ロシアが弱かったわけでもない。
ただどちらともがある所ではわちゃわちゃのぐちゃぐちゃで、ある所では奇跡としか思えないような得体の知れない勢いが突出したり…。
たぶん古今東西の -
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完結巻。嗚呼、長かった物語もこれで終わりか。戦争の終結に至る過程はなんとも言えぬ思いで読んだ——ロジェストヴェンスキーが主将だったから露は負けたのだ。他の軍人だったならここまでの大敗はしなかっただろう。本当にどうしようもないヤツだ…。何があそこまでの強者を演出していたのか、不思議なくらいだ。
・・で、反対に日本のトップこと東郷であるが、故・野村克也みたいなひとだなぁ、と。
秋山兄弟を通して、日露戦争…いや"戦争"の何たるかをよーく学べた気がします。
(※後に、この快勝が太平洋戦争へと駆り立て、敗北へと導く原因のひとつなのですね…。)
愛媛旅行がきっかけで、ほぼ一年くらい掛けましたが、読んで良か -
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大坂方の中枢にいる大野修理は、この土壇場にありながら、戦略より政略でいこうとしていた。豊臣家の威光がなお、有効だと信じて。「不幸な計算ちがい」(p266)である。
この大坂方のおバカさんを利用することで、狸おやじである家康の本領が発揮される。冬の陣の和睦の席で、なんと家康は本多正純(上野)に対して「上野も修理にあやかれ」(p522)と修理をたてにたてた。戦国を生き抜いた一代権力者におだてられ、修理は「一大感動を発してしまった」(p523)。もちろん大ウソである。しかしこれが、家康の大いなる布石。バカを中枢に留めておき、真田幸村らの意見が通らぬようにする策略だった。
家康の意図通りになる大坂 -
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家康の布石は見事に効いた。
おバカの大野修理をおだてることで、幸村ら能力者の意見はしりぞけられていく。
『和漢いずれにせよ、衰亡してゆく権力が過去にたどってきた法則的な道を、豊臣家はあらためて法則どおりに辿ろうとしていた』(p38)
普通にやれば勝てるはずの戦で、家康は、「さらにもう一手」を打つのを怠らない。その周到さ!
家康によって最後の手段である秀頼出陣を阻まれた幸村は『古今の悪人とは駿府翁のことかな』(p467)と嘆じた。この物語で最も残酷で悲しいシーンの一つではなかろうか。
しかししかし、それでも、ぎりぎりまで運をみすてない幸村の執念には、驚嘆するほかない。その姿から、生きる力