司馬遼太郎のレビュー一覧
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ネタバレ秦帝国が滅亡したあとの話。先に関中に辿り着いた劉邦は関中王となり、項羽と敵対することとなる。元々敵対するつもりはなかったが劉邦の側近に函谷関を閉じれば関中は手に入ると唆されたことで項羽と争うこととなる。その後項羽に謝罪をし中国の山の中である漢、巴蜀に封じられることとなった劉邦はそこで挙兵し再び関中を制圧し漢王と名乗ることとなる。前回関中に入った際に、劉邦軍は秦の人たちに対して略奪をしておらず逆に項羽軍は掠奪強姦をしたことで秦の人たちは劉邦軍を歓迎することとなる。その後劉邦は項羽軍の本拠地である彭城を一度は占拠するも留守から戻ってきた項羽によって返り討ちに遭い劉邦は敗走し、滎陽にて籠城する。この
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始皇帝が中国を統一したところから物語が始まる。始皇帝が全国に顔を見せるために巡回している間に死んでしまい、それに漬け込んだ宦官の趙官が胡亥を要して実質の皇帝になる。始皇帝から始まった建設事業によって多くの人たちが駆り出され不満が溜まっていきついに陳勝が反乱を起こすことで秦帝国の崩壊が始まる。これに続き呉中の項梁、項羽や沛の劉邦らが反乱軍を組織。鉅鹿城にて章秦軍を倒した項羽は20万もの秦軍を捕虜とするも新安で20万の兵を谷に生き埋めにしてしまう。
シンプルに戦国時代の中国を統一した始皇帝はすごいが封建制度から法治国家にするのは難しかったか。無駄な建設はしないに限る。キングダム読んだことあるから少 -
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いいとこ取り
司馬遼太郎の人気作品のコミカライズである。幕末、新選組、土方歳三 と大人気の組み合わせだけあって繰り返し、映画化、テレビドラマ化されているが、コミカライズ版はどうかと思い読んでみた。登場人物が見な原作のイメージよりも若すぎる 稚すぎる感じがするが、できるだけ原作に忠実であろうとする努力は認められると思う。
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ネタバレ以下引用~
新政府がその裁きとして、稲田の家臣団を北海道に移したことはすでにのべた。(徳島の稲田騒動。阿波蜂須賀氏との対立)
この脇町を脱出した小野五平にとって、目的は政治ではなく、将棋だった。
当時、将棋界には弊風がつもっていたが、かれは実力と努力でこれを改革しようとした。
柔術を改革して柔道をつくりあげた嘉納治五郎は阿波の対岸の大阪湾岸の人だったし、また俳句短歌を改革したのは、阿波のとなりの伊予の人正岡子規だった。かれらがいなければ、将棋、柔道、俳句といったものは、こんにち衰弱していたかもしれない。
豊臣政権というのは、名子制を廃止したという点で、革命政権だった。当時、それに反対する地 -
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ネタバレ以下抜粋~
・結局、川へはダムの底の水が流れこむために濁るだという。ダムの底の水は水温が低く、自然、古座川の水温も低くなってそれまで淡水魚の宝庫といわれたこの川に魚があまり棲まなくなったというのである。なるほど氾濫はふせげたが、差引すればどうだろうかという疑問が村々にある。
「河川土木に限りませんが、自然に手を加えるというのは、むずかしいものですな」
・インド神である牛頭天王は、祇園精舎の守護神で、とくに疫病をふせぐ神であった。
京都の八坂神社は日本の神であるスサノオノミコトよりも、その本地であるインドの牛頭天王を信仰していた。
これによって八坂郷がインドの地名の祇園とよばれるようになったわ -
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以下引用~
・鎌倉時代、絶対他力の親鸞念仏と、絶対自力の禅がうまれ、両輪相まって、日本文化にふかい影響をあたえた。
・仏教の本質は、自分の力で自分を浄める道だ、ということにある。
・日本人はよほど清潔ずきらしく、”きれい”ということばは、たとえば、よく洗った皿がきれいである、あるいは、このビンきれいですか、という意味と同時に、彼女、きれいだよ。という別義を持っている。
清潔と美が、一つのことばなのである。オランダ語もそうだそうで、オランダ人の清潔好きの説明によくつかわれる。
・福沢には、沢がつく。沢のつく地名、苗字は信州に圧倒的に多い。諏訪湖の東南の茅野市の市域のなかに、福沢という小さな -
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以下引用~
・真言密教は西洋でいう魔法である。東洋の場合、魔法が悪魔の側になくて体制の側にある。さらに西洋とちがっているのは、魔法が、真言密教という、思想を論理化したという点で完璧ともいうべき体系を背景にもっていることである。
・鳥羽院は当時一流の芸術家であったが、そうでないにしても芸術家を発見したり保護したりするパトロンとしては日本史上でも一流の存在であったことはまぎれもない。この院の北面ノ武士であった西行も、この院の異常なひきたてによって名が出たひとりである。
・日本の社会史で、この室町期の応仁・文明ノ乱ほど、ある意味では大事な時期はないかもしれない。日本にはフランス革命に相当する社会 -
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主人公は長宗我部元親の四男、長宗我部盛親。舞台は豊臣秀吉により全国統一され、一時の平安期を迎えている戦国時代末期から始まります。
物語の軸が戦いではなく、女性との関係を通し自分のなすべきことや自分自身を見出していくことに置かれ、新鮮でした。目まぐるしい時代の潮流に飲み込まれ翻弄される盛親が自問していく姿に人間味を感じる作品だと感じました。
一方で、中盤では蟄居を命じられるため読んでいてもどかしく、退屈になる部分もあったのでこの評価になっています。
戦国時代の華々しい小説ではなく、一人の人間を描いた魅力ある小説です。
戦国武将の一人を深く描いた作品なので、戦国ファンなら手に取って損はない作 -
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以下抜粋
・室町末期から織豊時代にかけて、日本は、世界史的な大航海時代の圏内に入った。対明貿易が活発になり、堺や博多が貿易港になり、また松浦諸島のうちの平戸や福江は倭寇貿易の基地になった。この当時、日本側が持っていく商品には、・・・、なんといっても需要が最も多かったのは刀剣で、それに干鮑だった。
・鉄が作られるためにもっとも重要な条件は木炭の補給力である。樹木が鉄をつくるといっていい。
さらに、その社会で鉄が持続して生産されるための要件は、樹木の復元力がさかんであるかどうかである。この点、東アジアにおいて最も遅く製鉄法が入った日本地域は、モンスーン地帯であるため樹木の復元力は、朝鮮や北中国に -
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以下抜粋~
・(下北半島について)
もしフィンランド人はハンガリー人がこの大地を最初に発見したとすれば、かれらはこの大空間に放牧することを考えて狂喜したであろう。
もしかれらが北欧の地に水稲を植えていれば、かれらはおそらく餓死し、こんにち国家をつくるだけの人口を残さなかったにちがいない。
・要するに上代以来の弥生式水田農業を神であるとし、それを取り入れることが奈良朝時代にあっては「王化」であるとし、江戸期ではこの農業をもって厳然たる政治の基盤としたために南部もそれに従わざるを得なかったということの悲劇である。
・もし南部氏が、「水田はほどほどにして牧畜を盛大にする。士民はその肉を食って生を