司馬遼太郎のレビュー一覧
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昭和30年。まだ記者だった司馬遼太郎さんが書いたサラリーマン向けエッセイが新書になったとのことで、読んでみました。
時代感タップリ。まだ戦後で貧しかった日本。社会保障も十分ではなく、家制度も残っていた。そんな時代のサラリーマンは、日々、黙々と働くだけの存在ではありながら、毎月の給料にありつけ、苦労と引き換えに安定した生活が得られるという立場。司馬さんは、あわてず、くさらず、淡々とそんな立場を享受せよと説く。現代のビジネス環境とは大きく異なるため、そのまま参考にはならない内容もあるが、ナルホドね、というサラリーマン道の示唆は多く、気軽に楽しめる1冊。 -
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ネタバレ歴史小説家としての司馬遼太郎が、歴史に登場する人物がどのような考え方を持って行動したのかを手掘り感覚で発掘し、対面しているかのように語っている。そこには「日本人とはいったい何者か」とうテーマが通底しているようだ。印象に残った話は、次のとおり。
(1)大坂は町人の町。お上を恐れない。
元禄時代の大坂は、70万の人口のうち武士の数は東西の町奉行所の与力・同心をあわせて200人ぐらい(「ブラタモリ」では人口の2%と紹介されていた。江戸は100万の人口のうち、半数が武士)。僅かな数だから、大坂の町人は武士が持つ封建的な節度や美意識に影響されずにきたのだ。上方が持つ反権力の精神は、このような封建体制の経験が強くなかったという歴史的特質に起因している。
(2)信長の凄さは自分の成功体験を見習わなかった点にある。
信長は、桶狭間で今川義元に勝ったのは奇蹟だったということを分かっていた。これが信長の偉さだ。普通の人間だったら、オレはやったぞ、と生涯の語り草にして、「俺を見習え!」ということになる。しかし信長は、最後まで自分自身の成功を見習わなかった。凡人は成功体験におぼれて失敗してしまうことも少なくない。「自分自身の成功を見習わないこと」が重要だとは、自身ではなかなか気が付きにくいものだ。
(3)天皇の権力と内乱。
日本の歴史の中で、神聖者であるべき天皇が地上の権力を握ろうとしたときは、必ず乱がおこっている。後醍醐天皇、後鳥羽上皇しかりである。にもかかわらず、大日本帝国憲法が、日本的神聖者である天皇に統帥権を与えたのである。柳原二位局(大正天皇の生母)は、明治天皇が白馬に乗り大元帥の服を着て諸兵に閲している雄姿を見て、「ああ皇室もこれでおしまいになるかもしれない」と言ったという。優れた歴史感覚である。やがで、軍閥の跋扈に結びつき、太平洋戦争の敗戦によって天皇家はもとの象徴にもどることになったことは言うまでもない。
(4)日本人は「無思想」という思想を持つ。
明治の初年に廃仏殿釈があった。奈良の興福寺は権威をもった存在なのに、一片のお布令で、何の抵抗らしい抵抗もなしに、春日神社の神主になったりする。
日本人には「無思想」という思想が底の底にあるのだ。それはおそらく思想というより「美意識」だ。それは「神道」から来ている。神道は教義も教典も教祖なく、厳密な意味で宗教という概念にはあてはまらない。つまり、宗教というより、たたずまいの「美意識」とでもいうべきものだ。要するに伊勢神宮のように、玉砂利をきれいに敷きつめ、あたりの景色を清々しくしておく。清らかなことだけが、神道の教理だ。
神道は美しい形だけがあり、中身はないから、外来思想をなんでも受け入れ、変化をためらわないのだ。
(5)日本人の新しい社会(組織)を作る能力の高さ。
日本人は大化の改新以来、幾度となく社会を壊したり作り直したりしてきたが、そのなかで絶対的な、大岩盤のような貴族階級を作らずにきている。階級がつねに微妙に流動している。たとえばこの歴史のなかで、徳川三百年が最も長い政権だが、それ以前には、この諸大名も土民だった人たちだ。
このような能力は、民族のどういう性格から生まれるのかというと、「無思想」と関係があるようだ。ひとつの体制ができると、マスのエネルギーがそこに殺到する。新しい時代に参加することが正義だと考える。これは、嫌悪の対象でもあるが、日本人の貴重な能力とでもいうべきものかも知れない。 -
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小藩の家老職から乱世を生き抜き、ついには大名となった黒田官兵衛の生涯の物語。
播州を舞台に官兵衛が生まれるまでの経緯。
時代の波に流されるように、徐々に騒がしくなっていく世情。
織田家と関わるきっかけ。
荒木村重や高山右近との出会いを描いている。
物語では聡明な少年らしいエピソードが語られる。
同時に、繊細で傷つきやすい面を抱えているエピソードもある。
若者らしい傲慢さもあり、藩主を軽んじているような所業も見られる。
周囲の人間が自分より劣っている馬鹿にしか見えなかったのだろう。
だが、それを隠し通すほどの思慮はまだこの頃の官兵衛にはない。
今のように遠く離れた場所でも情報が手に入る時代ではない。
武将の名を耳にしても、田舎にいては実際はどんな人物なのか正確には掴めない。
官兵衛は小藩の家老職であり、国許にいればそれなりの扱いを期待できるのかもしれない。
けれど一歩藩を離れてしまえば、官兵衛など取るに足らない存在だ。
一方、官兵衛自身は自分の力を信じている。
試してみたいと思っている。
自分の思うように生きてみたいと思っている。
もっと世の中を知りたいと思っている。
武将としての官兵衛の人生はまだこれからだ。
第二巻ではどんな活躍が待っているのだろう。
本領を発揮する官兵衛を早く見てみたい。