司馬遼太郎のレビュー一覧
-
-
Posted by ブクログ
司馬遼太郎の短編集全六編からなる。
表題の「果心居士の幻術」は、戦国時代の有名な居士が起こす幻術に翻弄される戦国大名たちの姿を描く。
松永久秀、筒井順慶、豊臣秀吉など、果心居士を通したそれぞれの個性が描かれており、非常に面白かった。
また、戦国時代の有名な忍者を描いた「飛び加藤」も素晴らしい。
忍者の技試しをコミカルに描きつつ、戦乱の世を生きる人々が求め続けた「力」への憧憬と畏怖という表裏一体をコンパクトにまとめている力作。
個人的に非常に興味深かったのが、「壬生狂言の夜」。
新撰組の跋扈する京で起こった殺人事件を、名もなき目明かしが土方歳三と供に真相を糾明する話。
殺人事件を通して、新 -
Posted by ブクログ
司馬遼太郎 「この国のかたち」全六巻を読み終えた。いつもながらの司馬さんの足で稼いだ生の史実、鋭い洞察、先を見る眼、それらを表わすひょうひょうたる文体に感じ入る。この人の小説は基本的に読まないが(この人のだけではないが)、こうした随筆、「街道をゆく」などの紀行文、各界の人たちとの対談集など、読んでいて唸らせられる本はなかなかあるものではない。今回の「この国のかたち」シリーズも実に内容が深い。体系的に語るというのではなく、まさに随筆調、日本各地を訪ね歩いて得た情報、それらの点と点をつなぎ合わせて、線にそして面にしてみせる。日本がかたちづくられた様々な要素を、多角的に展開してみせる、この腕前はい
-
Posted by ブクログ
「国が凌辱されるにおいては、たとえ国も人も斃れるといえども、正道を踏み、義を尽すのが政府の本務である。ところが、政府の高官たちは平素、金穀や理財のことを議するときだけは英雄豪傑のようだが、いったん血の出る類のことに臨むと頭を一処に集め、ただ目前の平安だけを謀るのみである。戦の一字を恐れ、政府の本務を貶めるようでは、政府は商法支配所であって政府ではない」
「政府は正道を踏み、国も人も斃れるだけの精神がなければ、外国との交際はうまくゆかない。外国から軽侮され、好親がかえってやぶれる」
木戸は西郷の人望好きがいまいましい。
「一国の政治をおこなう場合、八方美人式に大向うの声望を得ようとするのはむし -
Posted by ブクログ
英雄児
慶長長崎事件
喧嘩草雲
馬上少年過ぐ
重庵の転々
城の怪
貂の皮
の七編
戦国時代にあたるのは、「馬上少年過ぐ」、「貂の皮」の二編でした。
「馬上少年過ぐ」は、伊達政宗の短編。
伊達政宗の登場する小説は初めて読みましたが、
詩作に堪能で大らかさも持ち、
また、博打を好むようで裏では緻密な計算を行う、
名役者のような人物像を受け取りました。
「貂の皮」は、賤ヶ岳の七本槍の一人、脇坂安治を描いたものです。
派手な活躍のない人物を取り上げているのですが、
「貂の皮」を軸にして面白く描かれています。
「貂の皮」のほか、
歴史上で大きく描かれないような人物に光を当てていて、
とても興味 -
Posted by ブクログ
ネタバレ箱根の坂とは北条早雲の話。北条といっても鎌倉時代からの北条家ではなく、元々は伊勢新九郎という名で、足利将軍家に仕える伊勢家の末流で京都の出身。末流ということで貴族意識が薄く、いち早く貴族が没落し、地侍、農民、足軽が力を付けてくる新しい兆候に気づき、かつ、礼節の家元伊勢流の伊勢家の出だけに、運命のいたずらを鋭い洞察力と古くからの礼節を持って際どい政局を乗りきっていく。この礼節と言うのはビジネスの世界というかサラリーマン社会にもしっかり根付いている。少しでも欠けようものなら足元をすくわれる、ある意味陰湿なものでもある気がする。こういうことをドライにやれる人は相当な人格者か策士のどちらか両方だな。。
-
Posted by ブクログ
秀吉の朝鮮出兵のさいに薩摩の武将島津義弘によって日本に拉致された朝鮮人達がいる。かれらは陶器を作り生活している人々。茶器がある種のステータスとなっていたこの時代の日本にとって朝鮮の陶器は価値が高く、それゆえにそのために日本に拉致されたようだ。
彼らは現在の鹿児島県串木野あたりに漂着し、故郷を思って生活の場を求め歩き、故郷の風景に似た場所を選んでそこに住み着き 陶器を焼いて生活した。
薩摩藩からは厚遇を受けながらその苗代川という地においてその後代々生活し、白薩摩 御前黒といった素晴らしいできの陶器を作っていく。
その生活の中における日本人からの差別。世代を越えた故郷への思い。日本で生まれ日