司馬遼太郎のレビュー一覧

  • 菜の花の沖(一)

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    高田屋嘉兵衛の物語。全6巻の1巻では幼少期から始まり、兵庫に出て初めて樽廻船に乗り結婚するまでで終わっている。

    人物の評伝として読めば内容は薄い。が、司馬文学特有の?横道が多いというか、この1巻はそちらが重要である。時代背景、社会風土、廻船問屋、北前船などこの時代の説明が細かくなされる。

    今の感覚で言えばものすごく小さな地域間でよそ者や旅という感覚がなされていたというこの時代のことをつかんでおくことがこの先を読む上で必要になっていくのであろう

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    2014年02月11日
  • 街道をゆく 2

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    反韓が叫ばれている今日、興味深く読むことができた。
    1972年の初版発行であるから、今から20年以上前の韓国の様子ではあるが、現在も言われているような韓国人の性質、考え方が書かれてあり、昔から変わらないものだと改めて感じた。

    ところどころに現れる司馬史観と言われる歴史観に今となっては疑問も感じるが紀行文自体は面白く、日本と韓国のつながりを感じることができた。

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    2014年02月09日
  • 翔ぶが如く(十)

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    西郷の死。遂に死に場所を見つけた西郷。虚像かつ虚像であり過ぎた彼。カリスマという言葉がこれ程フィットする日本人がいるだろうか。

    しかし、カリスマが日本を作ったのではない。人気があるどころか、あらゆる方面から忌み嫌われた大久保。彼が構築した官僚制度は、一部の変更はあるものの、現代日本に引き継がれている。

    戦略に乏しい薩摩の戦い方は、太平洋戦争時の日本を彷彿させる。ここで対比されるのは、これまた不人気の山県。結果をみれば後者の圧倒である。

    人気と成果は別物である。

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    2014年02月02日
  • 街道をゆく 7

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    甲賀と伊賀が峠ひとつ境にしているだけであることを初めて知った。歩き比べてみるのも面白いかもしれない。
    砂鉄のみちで森林資源が豊富だからこそ、鉄を作れたのだというのになるほど。鉄を作るのには大量の木が必要なのだ。タタラ場を中心とした文化に興味が出た。

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    2014年02月01日
  • 街道をゆく 5

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    モンゴルについてよりも、かつて対峙したソ連にたいする司馬の想いのほうが興味深かった。
    モンゴルの空の広さを体験して見たくなった。

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    2014年02月01日
  • 故郷忘じがたく候

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    収録の三作品はどんな基準で選ばれたのか?一冊として世に出す意味合いが今一つ掴み切れない。
    表題作の哀切は何とも言えない(秀吉の罪は相当に重い)が、小説を書くのを止めたのかと思わせる作品。
    一方、残り二作は如何にも司馬遼の小説。
    『斬殺』の主人公のあまりの空気の読め無さ加減に苦笑するばかり、当人達にとっては堪らんでしょうが。

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    2014年01月26日
  • 翔ぶが如く(九)

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    薩摩軍撤退。西郷が立ち上がる。ラストサムライの最後の戦いシーンが思い浮かぶ。武士であり続けるのはかっこいいが、時代の変化に着いていけなかったとも言える。

    西郷はどうありたかったのか。真相は不明だが、隠居して後は大久保に任せたかったのでは。しかし、周囲に担がれてしまった。勝ったとしても、今後の日本をどうしたいとの構想もなく、時代に求められた負けだった。

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    2014年01月26日
  • 新選組血風録 〈改版〉

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    仕事の休憩時間に楽しく読ませて頂きました。有名な新選組の歴史の中の小話というか…そういうのっていいなぁ(*´艸`*)また読み返したい作品です!沖田さんの出てくる『菊一文字』や『沖田総司の恋』や『前髪の惣三郎』が好きです(*´ェ`*)

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    2014年01月19日
  • 胡蝶の夢(一)

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    ネタバレ

    幕末、松本良順と佐倉伊之助が医学を通じ、西洋文明に接してゆく姿を描く。伊之助は類まれな暗記能力のおかげで、佐渡の四方を海に囲まれた世界から江戸と言う町に勉学のため良順の下に住み着いた。ただ、この伊之助は周囲の人と打ち解けることができず、それだけではなく、逆に忌み嫌われ、江戸の良順のもとを出ざるを得なくなり、良順の実父 佐藤泰然の順天堂に移る。当然そこでもうまくゆかず、結局は一度佐渡に戻る。

    良順は奥御医師という、将軍を診る位におり、それを統括する多紀楽真院という長老に振り回されていた。というのも、当時、奥御医師は蘭方は邪道とみなされ、漢方が主流であったからで、良順はその蘭方を学びたいと切に願っていたからである。どうにか、近々出来る長崎海軍伝習所の御用医という命令を得て、良順は念願の蘭方を学びに長崎へ発った。

    良順は伊之助をけったいな人間だと思いつつも、才を愛し、かわいがり、良順が長崎でオランダ人軍医ポンペに蘭医学を学ぶにあたり、佐渡の片田舎から長崎に呼ばれた。

    良順は長崎に行き、オランダ人から医学をはじめ、医学の体系的な理解に必要な物理学、化学等を学んだ。これに、オランダ人も積極的に協力してくれた。蘭学を学ぶことで、良順がこれまで縛られていた漢方の世界から出れたこと、新しい西洋文明にたくさん触れられたことを生涯大切にし、良順は、幕末の洋学が、オランダ語から英語、フランス語へ転換するときも頑固にオランダ学に固執した。これは、長崎におけるオランダ人との接触のなかでできあがった友情の根と無縁ではなかったのだろう。ポンペはこれまでの日本の蘭方である、内科書、外科書、解剖書などの出来上がったものだけを利用する医学ではなく、その医学の根底にある様々な基礎知識の習得させるため、毎晩遅くまで講義資料を作っていたという。”山岳は頂上だけでは成立しない。大きなすそ野があって始めて山である。”と言った。

    人間は、人間との接触を好む動物だと思うが、接触の時、たとえ相手が無口でも何がしかのリズムを共有することをよろこぶ。相手がまったく違うリズムもしくはリズムを出していない場合、当方は戸惑うか、ひどく不愉快になる。人間は、美的な秩序に快感を持つ動物らしいが、相手との接触が成立した瞬間、微笑しあうだけでも、両者の間に一つのリズムもしくは秩序が出来上がって快感を分け合うことが出来るのだが、伊之助は天性その能力を欠いているような人間であった。この”リズム”というものは”文化”と置き換えても良い。一つの民族が一つの社会を営むために、人と人との間におこる無用の摩擦や感情の齟齬を避ける文化が発達する。日常の行儀、相手への気遣いを示すちょっとした仕草、あるいは言葉づかいといったもので、それらをどの民族の社会でも堅牢に共有し、相続させてゆくものなのである。伊之助の精神体質は単にその共有のものに参加する能力を欠いているだけに過ぎない。良順は早くからそれを洞察したから、伊之助に寛容とまでいえる態度をとるのであった。

    良順は幕府に最後まで従った。それは、幕府に恩を感ずるとか武士道精神とかいったものではなく、多分に幕府方個人への感情的なものであったろう。近藤勇や徳川家茂などに接し、自然、そのようになっていったと思われる。家茂は病床についてから、良順を枕頭から下がらせず、ために、良順は座ったまま居眠りを続けなければならなかった。重病の家茂にとって、医者だけが友であり、良順もポンペから教わったように、”医者はよるべなき病者の友である”ということを実践したようだ。家茂は肉体へ間断なく襲ってくる苦痛と戦いながら、長州のことを懸念していた。良順の長州嫌いも、家茂を看病しつづけたときに決定的になったという。

    全4巻

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    2014年01月12日
  • 翔ぶが如く(八)

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    いよいよ西南戦争!
    俄然面白くなってきた。
    それにしても西郷の心境がさっぱり分からん。やはり頭打ってからおかしくなったのだろうか。

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    2014年01月02日
  • 翔ぶが如く(七)

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    西郷が終に決起に踏み切る。踏み切るまでの幾つかの私学校の乱の様子が描かれる。

    彼が当初から開戦に賛同していた訳でなく、むしろ抑制の側にいたことを知った。踏み切るに至ったのは様々な理由があるが、その一つは川路の刺客が西郷の暗殺者と誤解されたことにあるよう。

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    2014年01月01日
  • 翔ぶが如く(十)

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    今年一年かけてゆっくりと読みました。西南戦争が舞台であり、西郷隆盛の魅力は少し期待外れでしたが、この時代の登場人物をまた深く知ることができました。
    「坂の上の雲」と同じで、後半の詳細な戦争シーンは、少し疲れました。

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    2013年12月30日
  • 翔ぶが如く(六)

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    西南戦争勃発に影響を与えた、士族集団の乱を取り上げている。

    一種の宗教•思想集団に近い、各種組織。

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    2013年12月29日
  • 新装版 歳月(下)

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     江藤新平が中心になって引き起こされる「佐賀の乱」は、あっけなく明治政府に鎮圧される。士族の不満を結集するはずが他藩の協力は得られない。負け戦だと判断すると江藤は戦地を離れる。政治犯の助命を東京での裁判で期待するがそれも叶わず、佐賀で斬首になる。大久保が後世に影響を及ぼすであろう江藤の政治力を恐れてのことであった。大久保を甘くみていたと言わざるを得ない。

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    2013年12月10日
  • 新装版 播磨灘物語(2)

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    司馬遼太郎は、ためになりますが、歴史書を読んでいるようで時間がかかります。 年間100冊の目標まで、あと15冊。ちょっと無理か。

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    2013年12月06日
  • 翔ぶが如く(七)

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    本巻はそこそこスピード感をもって読めた。と言うか、内容が面白くなさ過ぎて、一気に読まないといつまでも終わらない気がしたのである。
    前巻で描かれた神風連の乱後、本巻では長州萩の前原一誠の乱、福岡秋月の宮崎車之助の乱を簡単に描くとともに、警視庁の送った刺客が薩摩で捕らえられ開戦の火蓋が切って落とされる直前までが描かれている。こと、薩摩の武力蜂起に至るまでの経過が長い長い。最後まで開戦には反対だった西郷隆盛に重い腰を上げさせるまでの周りの人間のエピソードが細か過ぎるのである。太政官側(大久保利通、川路利良)も、23人の密偵(刺客?)も、鹿児島県庁(大山綱良)も鹿児島県警(野村忍介)も、私学校も全て薩摩人。薩摩人の、薩摩人による、薩摩人のための物語であると言っても過言ではない。主人公の西郷隆盛はほとんど無口で感情を表さないし、大久保利通も川路利良も命令するだけで心情描写はなし。実に無味乾燥な小説である。司馬遼太郎氏がここまでこの戦争に拘って緻密に描いた動機は何だろうと訝しい。特に西郷隆盛に肩入れしている訳でもないし。若干、桐野利秋のことは好きなのかなと想像する程度。
    次巻ではようやく開戦だろう。少しは楽しく読めるのかな…。

    最後にひとつ、興味深かったこと。
    ・かつての薩摩藩は全ての仏教が禁止されていたというようになっているが、実際は念仏の宗門だけが禁止されていた。念仏宗の中でも浄土宗などは構わない。戦国期に一向宗と言われていた本願寺の宗旨(真宗)だけがかたく禁止されていた。島津家がこれを嫌った理由は、一向宗が講という横の組織をして主従の縦の関係を崩すおそれがあったことと、信徒が主君よりも阿弥陀如来という唯一的存在を崇敬することに不愉快さを感じたためであろう。
    →なるほど、宗教を嫌うのは権力者の統治のしにくさによるものということか。私は無神論であるが、仏教の種類分けを勉強すると日本史がもっと面白くなるかもしれない。

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    2013年12月05日
  • 翔ぶが如く(四)

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    第3巻は3週間ほどかかってしまったが、本巻はトータル4時間ほどで一気に読み切ってしまった。いや、普通は小説というものはこうして一気に読むべきものなのだろう。
    本巻では、西郷隆盛の動きに特段の進展はない。ずっと薩摩にいて狩りに明け暮れている。せいぜい、私学校のボスに据えられたくらいである。その代わりに、時間潰しをするかのように征台論が急浮上。あれだけ西郷隆盛の征韓論を否定していた大久保利通と西郷従道が、旧士族の不満を発散させるため、として台湾への攻撃を思いつくのである。もちろん2人とも西郷隆盛を意識してと行動なのだが、非常に矛盾だらけの行動である。この辺りが政治史の面白さか…。

    興味深く感じた点を幾つか…。二つとも藩に関するもの。どうも私は藩のカラーなどを論じた文章に興味を示すらしい。現代でいう、県民性に共通するものなのだろう。

    ・島津家は日本で最も古い大名だったが、江戸末期から人材登用が活発になっていた。この点、大名家として古い仙台の伊達家が牢固とした門閥主義をとって幕末には鈍重な動きしかみせなかったのと対照的。
    →人材登用の大切さが分かる一文である。これは現代では企業に相当するのだろう。実力主義を採用する企業と年功序列を頑なに固執しようとする企業、どちらに軍配が上がるかは自明の理。

    ・どういう訳か、長州藩は代々凡庸揃いで一度も英気溌剌とした藩主を出さず、また自分に個人的忠誠心を強いる自我の強い藩主も出さなかった。これらの事情がこの長州藩を独自なものにした。
    →なるほど、確かに毛利の殿様って、中世の毛利元就や輝元くらいしか思い当たらない。幕末の毛利敬親は名前こそ知っているものの、印象に残らない。しかし、そのお陰で下級藩士たちの伸びしろが出来たのだろう。

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    2013年12月05日
  • 翔ぶが如く(三)

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    西郷の下野が主題。下野により彼に心酔する実力者が次々に、要職を辞職。

    その中で薩摩藩出身ながら辞職しなかった川路。彼の警察制度構築にかける信念も読みどころ。

    彼の様に、自分の人生をかけて挑める仕事があるのは、素晴らしいこと。この特性は、起業家にとっての必要条件。自分も憧れる部分があるが、誰しもがいきなり大きなことが出来たわけではない。一歩ずつ踏み出していけばいい。

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    2013年12月01日
  • 新装版 俄 浪華遊侠伝(上)

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    ネタバレ

    江戸末期の任侠モノです。明石屋万吉、晩年の小林左兵衛という実在の人物を描いています。左兵衛は晩年、自分の一生を振り返って、”わが一生は、一場の俄のようなものだ”と言った言葉から題名が付けられている。”俄”とは、路上でやる即興喜劇のことだ。当時、大阪で大いにもてはやされていたようだ。

    万吉は一生、智恵より大事なものは覚悟だと思って生きた。この覚悟が万吉を日本一の侠客にしたと言っても過言ではない。万吉のたった一つの特技は、殴られることだ。半殺しの目に合わされても、音一つあげないのである。最初は憎み、次いで驚嘆し、遂には憎悪や驚嘆が尊敬にかわっていくのだ。あいつは度胸の化け物だとも言われた。ただ、万吉は貧乏人が救われることなら、命を張って悪と戦った。入牢も拷問も”行”のように心得ているのだ。幕府に、当時一番ひどい拷問とされた蝦責めの刑にも耐え、知らず知らず、大阪庶民からあがめられる存在になっていった。

    明石屋万吉は”無官のお奉行”と呼ばれたり”北町奉行”と呼ばれたりした。むろん、大阪には東西奉行はいるが、北町奉行はいない。明石屋のためなら命を捨てるという男達が大阪には3千人いると言われた。万吉は、江戸や他国の博徒のように直属の子分を持たない。ただ、困っている連中に米をくれてやったり、飯を食わせてやったりしているだけだ。彼らはいざという時、万吉の私兵になり、発揮しようとすれば町奉行所以上の武力が十分に出せるほどの身代となっていたのだった。

    そんな万吉の力を、蛤御門の変や戊辰戦争では幕府方が利用する。万吉は幕府方の一柳家の雇われ藩士となったものの、蛤御門の変で都落ちしている長州兵を匿い、逃がした。万吉は自分の役目として、”往来安全”を第一に考え、幕府、長州わけ隔てなく、負傷者を助けた。長州藩の遠藤謹介や桂小五郎なども万吉に助けられたのである。これが維新後、万吉におとずれる様々な災厄から万吉を救うことになるとは本人も考えても見なかったし、そんなことを考えて人助けをしたわけでもなかろう。

    結局、万吉が生涯を通して貫いたのは、与え続けることであった。自分の命・金を困っている人を見たら何も考えず投げ出してしまう。一度会った縁を大切にし、そこに自分の命をかけ、そうすることで、日本一の任侠者と名声を得るようになったのだろう。今まさに生きているときにしか使いようがない自分の命を与えることによって、実はそれより大きな、後世にわたる永遠の名誉を得たのである。

    全2巻

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    2013年11月12日
  • 新史 太閤記(上)

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    現代人のための太閤記決定版である。初版は1973年発行なので、既に40年も経過している。天下人、豊臣秀吉のエキサイティングでファンタスティクな物語である。

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    2026年02月01日