半藤一利のレビュー一覧
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日本人なのでどうしても日本史と言う見方をしてしまいますが、世界の中での日本の歴史と言う視点を持つ事の重要性を学びました。
大きな流れや全体を俯瞰する視点はビジネスでも役立つと思います。
日本人の教養のなさや勉強のしなさは、現役世代としては耳が痛い話ですが、昭和の人たちだって満員の通勤電車の中で新聞とか本とかを読んでいたと思いますので、労働時間の問題だけではないような気がします。
今の時代、スマホからはいくらでも知識や情報が得られると思いますが、それを知性として生活や仕事に生かす事は、本も読まずにスマホに齧り付く人々には、そもそもそんな視点すらないのではと心配になります。
本書でも新書を3、4冊読んだくらいで、と言われていますが、実際にどれだけの人が”それだけの数の”新書を毎月読んでいるのかな?と思えば、本を読むだけマシと言えるのではないでしょうか?
本書でお勧めされている本も読んでみようと思います。 -
Posted by ブクログ
◾️小説ではなく、筆者によるノモンハン事件の検証。関係者の日記や証言、ソ連側の記録をベースに、時系列でノモンハン事件を追った。
◾️2001年第1刷、2021年2月第24刷。1年に1刷か2刷出来のロングセラー。
◾️筆者もあとがきで認めているが、「筆者の怒りがペン先にこもっているなあ」と感じることが多々あった。
◾️P.453に野戦重砲兵第一連隊長三嶋大佐の陳述が掲載されているが、これがノモンハン事件の全てを語っており、ビジネスの世界においても同様のことが起きうると感じた。
◾️祖父がノモンハン事件に従軍したと聞いており、祖父の苦労や事件で亡くなった方々のご冥福を祈りたい。 -
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日清戦争で戦争は儲かると国民に思わせてしまった。
日露戦争の日本はこれ以上戦争を続けられない状態でルーズベルトに仲介を頼んで、日本の国力を考えれば120点の講和条件を得た。
ただ日本政府はメディアや国民に正しい情報を知らせず、勝った勝ったと発表していたので、賠償金が取れないとわかった世論が激昂し政府が攻撃され、さらにその恨みが仲裁をしたアメリカに向き、反米感情が芽生えた。
国民に戦況を正しく伝えなかったのがことの発端だが、そこから海軍軍縮条約からの脱退、国際連盟脱退、ノモンハン事件と進み、太平洋戦争と続く。
このパターンは国家でも企業でも個人でも同じ。傷が浅いうちに引き返せば何とかなるのに、何度か誤った選択を行うと引き返せないところに行ってしまう。
日本は過去と同じ失敗をしないと言い切れるのか、考えさせられる。
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半藤一利さんと言えば第二次世界大戦などのノンフィクション。真珠湾の日に何があったのかという掘り下げかと手にしたが、読みはじめたらそれ以前からの様々なやり取りから始まる実録であることがわかった。
アメリカ側との交渉、所謂ハルノートというれるものの様である。
歴史の一つとして、真珠湾攻撃というものがあるが、そこに至るまでの過程、その最中の国や軍の会話がありありと記録されていたことに驚く。
何より、この歳になるまで「日本が先制攻撃を仕掛けてアメリカを怒らせた」勝手にそう思っていたが、それまでには様々なやり取りがあり日本も待ったり交渉したり譲歩したりとしていたとある。
それなのに起こった戦争は実に残念であり、多くの人を巻き込んだ悲しい戦争だったと言わざるを得ないが、この例のように少しのズレや勘違いタイミング違いなどが要因となると言えるだろう。
命に関わること特に沢山の人を巻き込むことは決して焦らず納得いくまで話し合い悲しい決断をしないでほしいと願うばかり。 -
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ネタバレもともと歴史は好きでしたが、薩長が正義の幕末史観を転換させてくれたのが、半藤氏数々の著書でした。
特に、勝海舟を深く知れば知るほど、「半藤先生ありがとう」と心の中で深く深くお礼を申しました。
そんな半藤氏の遺作となるこの本を読むのは、多少気の重いところもあったのですが、読み始めると目からうろこがドサドサ落ちる面白さ。
何よりも、疑問に思ったことはすぐに調べる歴史探偵の姿には、まだまだ追い続けねばならない大きな背中がありました。
いくつか付箋をつけた部分をば。
滝廉太郎が作曲した、有名な『花』の歌詞。
春のうららの墨田川
のぼりくだりの船人が
櫂のしずくも花と散る
ながめを何にたとうべき
これのもともとに『源氏物語』があるのだそうだ。
「胡蝶」の巻、六条院の宴のところ。
女房のひとりがうたう。
春の日のうららにさして行く舟は
棹のしずくも花ぞ散りける
『花』がつくられたころ、『源氏物語』のその部分が元になっているのは常識だったのだろうか。
時代を経るごとに、当たり前の知識が、知る人しか知らないウンチクになっていったのだろうか。
もうひとつ。
正座とは茶道がさかんになってからできた言葉で、それまではあぐらや立て膝が普通だったそうだ。
ぬぬぬ、茶道め!
狭い茶室に大勢の人が座るため、自然と合理的な座り方として考えられたのが正座なのだとしたら、もう、正座はいいではないですか。
今度大河ドラマ見るとき、貴族の皆さまの座り方に注目してみよう。
平安のころは正座はなかったそうだから。
そもそも何でも中国の文化をありがたがって受け入れていた日本で、ただ二つ、宦官と椅子は導入しなかった理由はなんでなのだろう。
宦官はいいけど、椅子はもっと早く導入してもよかったのでは?
今のように部屋に畳を敷き詰めるようになったのは鎌倉時代から(今調べた)だそうなので、それまでの長きにわたり、上流貴族以外は板の間に直座りしていたんだよね。
痛そうだし寒そうだ。 -
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毎年、終戦記念日前後に読む太平洋戦争関連の本で、今年はこれまでに読んだことがなかった終戦から占領期に関する本をピック。その期間で欠かすことの出来ないのが占領軍GHQの最高責任者、マッカーサーという存在。賛否あれども、現代に続く日本の戦後の行く末を決定づけたと言える。著者は、当時の日米政府の記録や関係者の著作と関連本、昭和天皇の通訳の日記、そしてインタービューを通して、マッカーサーがどういう意図を以ち、どのような背景で主要な意思決定を行ったのかに迫っている。
傲岸不遜でナルシストであり、野心家でもあったマッカーサーだが、経験なクリスチャンでもあり、自由を信奉する民主主義者でもある。日本の降伏調印がなされた戦艦ミズーリの艦上で行ったスピーチでは自由と寛容、正義を訴えている。マッカーサーに対する評価は賛否が分かれるが、少なくとも日本がドイツのように戦勝国に分割統治される事なく戦後も国体を維持して現在に至るのは彼のおかげである事は間違いない。実際、ソ連は執拗に北海道へのソ連軍駐留をアメリカに求め、トルーマン大統領はマッカーサーが必要とすれば、という条件でソ連に一旦譲歩している。それを不要と一刀両断したのがマッカーサーである。もしマッカーサーが政治的な妥協をして駐留を認めていたら、今でも北海道の一部、いや全土がロシア領となっており住民はロシア語を話すことを強要されていたかもしれない。
昭和天皇とは11度にも及ぶ会談が行われたという。当時店頭は齢44、マッカーサーは65歳と親子のような年齢差である。天皇はマッカーサーとの男同士の約束という事で、生涯その内容について語ることは無かったという。著者は、会談に陪席した通訳の日記やインタービューを本書でまとめている。
本書を読んで初めて知ったのが、天皇は最初の会談で自ら戦争責任を認め、自分の身がどうなっても構わないとマッカーサーに身を委ねたという事だ。マッカーサーは、保身や命乞いをせずに自ら覚悟を以て戦争の責任を負い込んだ天皇に対して好感を抱いたという。終戦直後は、天皇をどのように処遇するのかについてアメリカ国内、そして戦勝国の間でも大きな議論となっていた中、世界の世論は処罰すべきとの声が多数派だったという。最後は米議会からマッカーサーにその判断が委ねられた。書中、マッカーサーは、天皇の戦争責任よりもルーズベルトの方がはるかにその責任が重いと考えてたと帰されている。占領統治への影響などを考慮し、最終的には天皇を戦犯として裁かれることは回避されたのである。
昭和天皇の戦争責任は未だに議論されるトピックではあるが、既に本人はそれを受けて入れていた事はあまり知られていないのではないか。それを知っただけでも本書を読んだ意味はある。
一方で、マッカーサーと天皇の間では政治的な意見交換もなされており、その中には現代でも尾を引く重大な事項である沖縄の米軍駐留も含まれている。当初、米軍の駐留について日本政府は国内どこでも構わないという姿勢であったが、天皇は沖縄であるべきだと進言したという。以降、昭和天皇の沖縄訪問は叶わなかったが、後に倒れた際にベッドの上で「沖縄に行かなければならない」と言っていたという。当時から今に至るまでの国際情勢と地政学の大局的視点での進言だったのであろう。しかし、この件も現代のメディアの報道からは全く伝わってこない。
ここまでは、著者もマッカーサーの自由と寛容を軸とした政治的判断と占領行政が結果的には日本にとって最悪のシナリオとはならなかった事に対して、概ね評価をする論調であった。
一方で、マッカーサーの経歴において唯一かつ最大の汚点となり屈辱となったフィリピンでの敗北が、A級戦犯裁判において彼の私的復讐に向かわせた様子が克明に描かれている。フィリピン攻略の総責任者であった本間雅晴中将に対しては徹底的にそのターゲットとされた。本間はバターン死の行進をはじめとする身に覚えのない50もの罪状で訴追され、何を言っても聞き入れらない弾劾裁判にかけられ有罪となっている。本間は運命として理不尽を受け銃殺刑に臨んだ。本書は黒い頭巾を被され12人の兵が銃口を向ける前に立たされた彼の最後の気迫のこもった一言で終わる。「さあ、こい」
後生忘れられない一言となった。 -
購入済み
開戦...
天皇の心に反して、どうしても開戦に向かってしまう日本。
近衛は当時からこんな風に思われていたのだな。
なかなか似た顔が多いように見える本作だが、山本長官の凛々しさは
際だっている。 -
Posted by ブクログ
この時期は戦争の歴史を知っておきたくなる。昭和14年5月〜9月にかけて満州北西部の当時ソ連の支配下にあったモンゴルとの国境紛争。教科書では「ノモンハン事件」として習ったと記憶。ドイツヒトラー、ソ連スターリン両者の思惑。東京参謀本部作戦課と新京関東軍作戦課、陸軍と海軍の関係性。排英的な国内世論の形成の背景。
日露戦争の勝利が慢心に繋がっていた。陸軍は将兵の忠勇・精神力の格別の発揮と、これを最大限に活用する作戦指導を金科玉条とした。攻勢意思の信念化。精神主義。
この事件の後に第二次世界大戦に巻き込まれていく。
戦争に突き進む過程が良くわかり、組織の在り方について考えさせられた。