半藤一利のレビュー一覧
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開戦...
天皇の心に反して、どうしても開戦に向かってしまう日本。
近衛は当時からこんな風に思われていたのだな。
なかなか似た顔が多いように見える本作だが、山本長官の凛々しさは
際だっている。 -
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この時期は戦争の歴史を知っておきたくなる。昭和14年5月〜9月にかけて満州北西部の当時ソ連の支配下にあったモンゴルとの国境紛争。教科書では「ノモンハン事件」として習ったと記憶。ドイツヒトラー、ソ連スターリン両者の思惑。東京参謀本部作戦課と新京関東軍作戦課、陸軍と海軍の関係性。排英的な国内世論の形成の背景。
日露戦争の勝利が慢心に繋がっていた。陸軍は将兵の忠勇・精神力の格別の発揮と、これを最大限に活用する作戦指導を金科玉条とした。攻勢意思の信念化。精神主義。
この事件の後に第二次世界大戦に巻き込まれていく。
戦争に突き進む過程が良くわかり、組織の在り方について考えさせられた。 -
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両人の非常に多い著作はどれも「読みやすい」「必ず新たな気づきがある」/半藤は長年の調査によって日米戦争に至った内情を/佐藤は『日本の一番長い日』英訳を各国大使館に配って好評だった/米軍は東京など都市部大空襲を重慶爆撃の報復として正当化。太平洋戦争で日本が風船爆弾に毒ガスを使ったら?「必ず数百倍の報復があっただろう」/日露戦争の成功体験が海軍を束縛/「通商破壊」有効性を軽視、船団護衛のため陸軍は独自に空母まで作った参謀本部の企画立案は実質下級官吏が行い、評価は内部で行うので「決断の責任」「失敗の反省」がない。悪弊は外務省に継承されている、と佐藤は語る。
日本独自の「優位」としては、三八銃は半殺 -
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陸軍佐官級エリートにより、1976〜1978年の足掛3年全15回にわたって「偕行社」の月刊機関誌に連載された座談会に、半藤さんが解説を加えたもの。
所謂「海軍善玉論、陸軍悪玉論」が粉砕されるような内容。陸軍幹部(多くはその後陸上自衛隊幕僚へ)が、戦後30年を経て話す内容なので、当然、組織擁護、自分擁護、海軍への責任転嫁、の内容も多い。
事後の後出しジャンケン的批判ではなく、「そのときその場所で、他にどういう決断が取り得たか」という観点で読むと、解説中に出てくるような「運命と思うほかはない」(木戸幸一内大臣)とまでは行かずとも、「このままジリ貧となるよりは、一丁暴れてみたい」、という時代の空 -
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著者の最晩年、2019年に口述の形で語り下ろした自伝。「昭和史」をライフワークとするまでの経緯として、東京大空襲の体験、疎開体験から文藝春秋入社後の坂口安吾、伊藤正徳との出会い、『日本のいちばん長い日』刊行をめぐるエピソードなどが語られる。詳しくは言及されないものの、文春内部での組合運動や『諸君』創刊反対運動など、著者の知られざる一面にも触れられる。『昭和天皇独白録』をめぐるスクープの部分は、改めてウラを取っておきたい。
附録として収録されたエッセイ「四文字七音の昭和史」は、観点としてとても面白い。明治維新以後の国策宣伝・プロパガンダには確かに四文字熟語のスローガンが多い。著者は日本語の -
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戦争の生き証人達に取材してきた半藤一利によるリーダー論の決定版『日本型リーダーはなぜ失敗するのか』を読みました。
半藤一利の作品は先週読み終えた『歴史探偵 忘れ残りの記』以来ですね。
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決断力に欠け、情報を軽視し、従来のやり方に固執して、責任をとろうともしない。
これは、太平洋戦争の指揮官たちにみられる共通の悪弊である。
なぜ、こういうリーダーしか日本陸海軍は戴けなかったのか。
エリート参謀たちの暴走を許したものは何だったのか。
日露戦争時には東郷平八郎、大山巖という名将、そして秋山真之という名参謀がいたのに、どこでどう間違えてしまったのか。