罪名、一万年愛す
著者:吉田修一
発行:2024年10月18日
角川書店
初出:「産経新聞」2024年4月~9月連載
タイトルから、恋愛小説か青春小説だと思っていた。横道世之介シリーズみたいな。読んでみると全然違っていた。ミステリーというか、ファンタジーだった。『さよなら渓谷』という著者のミステリー系小説を読んだが、性犯罪の被害者と加害者が同棲をしているというシチュエーションに驚いたけれど、そこまでの話で、中身は期待したほど面白くなかった。だから、どうなんだろうと思いつつ読み進んだ。文章は素晴らしいし。
結果だけど、この小説は面白い。さすがは吉田修一作品!楽しく、細切れに謎が出てきて、これは新連載で読んでいたら毎日が楽しみだっただろうなあ、と想像する。連載のコツを知っているなあって敬服する。それだけじゃなく、なによりちゃんとしたテーマがある。イマドキの小説(吉田氏が評価して芥川賞を受賞したような作品)とはモノが違う。
読み切って気が付いたが、この小説には主人公が設定されていない。梅田荘吾という老齢の実業家を巡る謎を解いていくミステリーだが、私立探偵と元警部の2人が中心になって謎解きをするのかと思いきや、孫や息子なども同じぐらい秘密を明かしたり推測したりと、誰がキーパーソンというわけでもない。しかも、最後は著者、吉田修一自身が登場してくるという奇想天外な結末。なんじゃ、こりゃ?でも、面白かったし、楽しかった。
梅田荘吾は戦争孤児で、上野駅で他人の物を盗ったりしてなんとか生きてきた。知り合った(というより上野駅暮らしの先輩浮浪児)少年ケロと、少し年上の少女みっちゃんと一緒に眠り、彼らに闇市でのモノの盗り方や、食べ物が捨ててあるところなどを習い、協力しあって生きていった。2人に何度も助けられ、辛いとみっちゃんに頭をなぜられて慰められた。
こうした戦争孤児を、GHQからなんとかせえと言われた日本の政府。その結果、彼は警察に捕まった。ケロは死んでいて、警察が来た時にみっちゃんだけ逃がして、彼は自分だけが捕まるように行動した。捕まり、殴られた揚げ句、施設送りかと思いきや過酷な強制労働をさせられることになった。それがあまりに辛く、逃げ出した。そして、運良く呉服問屋の下働きとして住まわせてもらえることになり、そこから自分の店を持ち、ついには福岡で梅田丸百貨店を開業、一時は大変な勢いでのビジネスとなったが、その後は規模を縮小しつつも手堅く続けることに。引退した今は、九州に買った島(野良島)で悠々自適な生活を楽しんでいる。
ところが、そんな荘吾に、夜になると宝石はどこだと探す奇行が始まったという。「一万年愛す」という宝石。認知症かとも心配されるが、本人はそう言われて怒っている。しかし、詳しい事情を言わない。孫で跡を継ぐことを辞退して教員をしている豊大(とよひろ)が、私立探偵の遠刈田に調査を依頼した。手始めに、こんど島で開催される荘吾の米寿の誕生日パーティへの参加を頼んだ。
パーティには、荘吾の子である一雄(養子)、その妻の葉子、孫で跡を継ぐことになっている乃々華、豊大、遠刈田に加え、坂巻丈一郎という荘吾と親しい老齢の元警部も招かれた。そこに、家政婦の清子、看護師の宗方(男性)、島の管理を任されている三上などが絡む。
パーティの翌朝、荘吾は忽然と姿を消した。島の中を探してもいない。折からの台風接近で船なんか出せない。警察に通報したが来ることができない。自分たちで手がかりを探していると遺書が2通みつかる。かつ、地下のシアタールームではDVDがつけっぱなしになっていて、懐かしい映画のDVDが3本出しっぱなしになっていた。普段の荘吾がしないことだった。
『人間の証明』『砂の器』『飢餓海峡』
ここから、謎解きが始まっていく。
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(以下、ネタ割れ)
「一万年愛す」という宝石については、遠刈田が調べていた。25.59カラットのルビーであり、1940年にロシア人がオークションで落札していて、値は150万円ほどだったが、現在なら35-36億円ほどになっているという。荘吾はそれを手に入れていたということか?
元警部の坂巻がパーティに招かれたのは、荘吾と親しかったからだった。どういう関係かといえば、1974年に起きた「多摩ニュータウン主婦失踪事件」で、荘吾は事情聴取を受けていた。相手は、現役警察官時代の坂巻だった。その頃、荘吾は事業に成功したそこそこの有名人だったが、2度ほど失踪した主婦と会っているのを目撃されていた。それはもちろん東京での話だが、どちらの日も九州でのアリバイがあり、彼は失踪事件には関係していないとされた。もちろん、失踪した主婦のことも知らないと彼は答えていた。荘吾は彼が事件に関わっていると報じた新聞や週刊誌などを相手に、名誉毀損での訴訟も起こした。なお、その主婦は吉原で体を売っていた経験があることが分かっていた。
ともあれ、それ以来、歳の近い2人は交流が始まったのだった。
2通の遺書、意図的にヒントとして残していったと思われる3本の映画から、一同はいろいろと解釈をした。やはり荘吾は失踪事件に関わっていて、主婦を殺したのではないか、その罪に苛まれ、みんなを集めた上で自ら死を選んだのではないか、荘吾の何らかの過去を知った主婦に脅されたために殺したのではないか、など、各人が想像を張り巡らす。
彼らの結論は、荘吾は生きていてこの野良島を出て、隣の島にいるのではないかとのことだった。祠を建てている信仰するための島に。調べると、モーターボートがなかった。危険を覚悟の上、一人で乗って行ったのだろうと。自分たちも行こうということになり、危険を承知でクルーザーを出した。途中で海に投げ出される者もいたが、なんとかたどり着く。すると、祠へと上る階段の一部がスライドでき、そこに秘密の地下室があることが分かった。きっとここに荘吾はいるはずだとみんなは思う。
戸籍の写しが見つかる。一つは、梅田家のもの、もう一つは松田家のものだった。
果たして、荘吾は現れた。そして、これが「一万年愛す」だとみんなに見せたのは、なんと液体に入った女性だった。長髪を靡かせ、目を見開いた女性、その人こそ半世紀前に失踪した主婦・藤谷詩子だった。そして、上野駅で生きる気力をつなぎとめてくれた少女、みっちゃんだった。2人は失踪事件前に再会していた。詩子は病気で余命宣告を受けていた。誰よりも愛おしい彼女を死なせたくはないと思い、荘吾は彼女を冷凍保存することにした。仮死状態で保存し、いつかは甦らせたいという気持ちからだった。
ただ、1974年当時にその技術はなく、荘吾はまだ公には認められていない技術でそうすることにした。ソ連からフランスに亡命した科学者が開発した、-196度で保存する技術。体から血液を抜いて、換わりに不凍液を入れる。
みんなの前でその巨大な容器を壊すと、彼女が外に出て来たが、その場で崩れ、熔けるように消えていった。
荘吾は本当の自分の正体も明かした。自分は梅田荘吾ではなく、松田孝次という少年だった。強制労働の時に梅田家のことを聞き、逃げ出した後に役所で自分は梅田荘吾だと名乗って戸籍に入り込んだ。梅田家も家族全員が戦争で死んでいた。
さらに、藤谷詩子と会っていたと目撃者から証言されたもののアリバイがあったことについても、2度目のアリバイは工作した結果だったことも告白。孫の豊大とキャンプに行っていたのだが、実は夜中に抜け出して上京していたのだった。豊大も口止めされていた。
それから少しして、荘吾も世を去った。
荘吾は死ぬ直前、遠刈田に二つ頼みごとをしていったが、その一つが自分の人生を小説にして欲しいということだった。遠刈田が探し出した小説家が、芥川賞作家である吉田修一だった。
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遠刈田(とおがつた)蘭平:横浜の野毛地区の私立探偵
梅田豊大(とよひろ):依頼人、小学校教師、30歳
梅田荘吾:梅田一族の祖、依頼人の祖父、梅田丸百貨店創業者
梅田乃々華:豊大の双子の妹、荘吾の跡を継ぐ三代目
梅田一雄:豊大たちの父
梅田葉子:その妻
清子:家政婦
宗方遼:看護師
坂巻丈一郎:老齢の男、元警部、荘吾と親しい
操縦士:元部下
貴子:操縦士の妻
三上譲治:野良島の管理を任されている
藤谷詩子(うたこ):1978年の多摩ニュータウン主婦失踪事件で失踪、40代だった、吉原のソープ「花籠」、日本料理屋店員→結婚
藤谷浩太郎:夫、布団問屋勤め、酒癖が悪くてDV
M:隣の主婦、夫からDV被害
砂田伊助:
砂田ウメ:妻
砂田勝一:長男、1歳で病死
砂田孝次:次男、東京大空襲で死亡、本当は梅田荘吾?
ケロ:上野駅、膝枕の少年
みっちゃん:上野駅、少し年上の少女、後の藤谷詩子