吉田修一のレビュー一覧
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ガチガチのミステリではなかった。
でも、しみじみ良かった。
こんな不思議な話があったって
いいじゃないか。
百貨店事業を一代で成功させた梅田翁は
私有地の孤島で隠居生活を送っている。
だが、少し認知症状が出てきたようで
夜な夜な「一万年愛すという宝石」を
探し回っているらしい。
心配した孫は、私立探偵を雇って
米寿祝いに同行してもらうことに。
一方、翁は45年前に
ある事件の容疑者とされたことがあり
当時の刑事とは今も交流が続いていた。
こうして、孤島に親族と使用人
探偵と元刑事が一堂に介した祝いの席の翌朝
翁は姿を消していた…。
翁が好きな映画や文学の話とか
最初は関係がなさそうな楽しい話題も
実はちゃんと伏線だったのね〜。 -
Posted by ブクログ
ネタバレあらすじ
極道の家に生まれながら、芸道の世界へと飛び込んだ喜久雄。そして、歌舞伎界のサラブレッドとして生まれた俊介(俊ぼん)。対照的な生い立ちを持つ二人の若者が、血と汗の滲む激しい芸の精進を経て、時に高め合い、時に嫉妬し合いながら歌舞伎の最高峰「国宝」へと登りつめていく一代記。上巻では俊介の出奔や喜久雄の台頭、俊介を陰で支える徳次たちの絆と葛藤が描かれ、下巻では病魔や事故という過酷な運命に翻弄されながらも、命を削って狂気と美の境地へと挑み続ける二人の凄絶な生き様が描かれる。
所感・深掘り
映画の映像美やシーンを頭の中で反芻しながら、原作小説の文字世界と対比させて読むという、贅沢で深い読書体験ができた。
上巻では、映画では登場シーンが控えめだった徳次が、物語の根幹を支える極めて重要な人物として描かれていたのが印象的だった。また、俊ぼんが出奔した際のシチュエーションの違いや、彼が見つかる「化け猫」のシーンの圧倒的な描写には鳥肌が立った。文字だからこそ伝わる狂気と妖艶さがあり、「このシーンをぜひスクリーンでも観てみたい」と強く感じさせられた。
一方、下巻で俊ぼんの足が切られる壮絶な展開を経ていく中で、映画オリジナルの演出(カメラマンとなった綾乃と父の再会シーンなど)の素晴らしさも再認識した。映像ならではの視覚的な感動を知っているからこそ、文字表現だけでは補いきれない切なさや情景もあり、映画と小説の表現手法の違いについて考えさせられた。
圧倒的な映像表現で観客を魅了する映画と、登場人物の生々しい執念や行間を深く掘り下げる小説。双方を重ね合わせることで、歌舞伎という芸に命を捧げた男たちの狂おしいほどの情熱と美しさが、より立体的に胸に迫ってくる傑作だった -
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ネタバレあらすじ 極道の家に生まれながら、芸道の世界へと飛び込んだ喜久雄。そして、歌舞伎界のサラブレッドとして生まれた俊介(俊ぼん)。対照的な生い立ちを持つ二人の若者が、血と汗の滲む激しい芸の精進を経て、時に高め合い、時に嫉妬し合いながら歌舞伎の最高峰「国宝」へと登りつめていく一代記。上巻では俊介の出奔や喜久雄の台頭、俊介を陰で支える徳次たちの絆と葛藤が描かれ、下巻では病魔や事故という過酷な運命に翻弄されながらも、命を削って狂気と美の境地へと挑み続ける二人の凄絶な生き様が描かれる。
所感・深掘り 映画の映像美やシーンを頭の中で反芻しながら、原作小説の文字世界と対比させて読むという、贅沢で深い読書体験ができた。
上巻では、映画では登場シーンが控えめだった徳次が、物語の根幹を支える極めて重要な人物として描かれていたのが印象的だった。また、俊ぼんが出奔した際のシチュエーションの違いや、彼が見つかる「化け猫」のシーンの圧倒的な描写には鳥肌が立った。文字だからこそ伝わる狂気と妖艶さがあり、「このシーンをぜひスクリーンでも観てみたい」と強く感じさせられた。
一方、下巻で俊ぼんの足が切られる壮絶な展開を経ていく中で、映画オリジナルの演出(カメラマンとなった綾乃と父の再会シーンなど)の素晴らしさも再認識した。映像ならではの視覚的な感動を知っているからこそ、文字表現だけでは補いきれない切なさや情景もあり、映画と小説の表現手法の違いについて考えさせられた。
圧倒的な映像表現で観客を魅了する映画と、登場人物の生々しい執念や行間を深く掘り下げる小説。双方を重ね合わせることで、歌舞伎という芸に命を捧げた男たちの狂おしいほどの情熱と美しさが、より立体的に胸に迫ってくる傑作だった -
Posted by ブクログ
著者は読者に対する共感を目的として書いているようではないし、実際自信を持って書評を書いている人たちも見当たらない。私自身、著者が何を伝えたかったかを断定することはできないが、この世界に関する違和感を塗りつけたような印象を受けた。もちろん、これは私がこの本に理解しきれないところがあることを反射した感想であるとは思うが、人の多面性や、表面の下に潜むアノマリーを撫でるように書いている点にそう思わされるという理由がある。
数は少ないが、著者の他の作品を読んだ限り、書こうと思えばもっとはっきりした輪郭で、エンターテイメント性があるものを書けただろうと思う。このような作風にした理由を正確に理解はできないが、物語に含まれる著者の感覚が全く分からないとも感じなかった。