坂口安吾のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレ全体的に仄暗くて男女の体の関係云々の話が多かった。
日常が戦争だとこんな精神状態にもなるわな…と想像。江戸川乱歩もだけど空襲を「きれい」と表現するなんて、戦争を経験していない身からすると考えられない。
一文一文がすごく長いのにとっても美しいのが大変良かった。
表題作の「白痴」も衝撃的。この時代は本当に障がい者の人権が無かったんだな……まるで人外みたいな扱いに表現。奇妙な愛情のような庇護欲のような不思議な関係。サラっと隣人に「きちがい」がいたり、いつ家が焼けるか分からない、異常な状況の中で、って感じが良い。
「戦争と一人の女」が1番好きかも。「戦争は怖い、ダメだ。」と言ってないどころか空襲をきれいだと言ったり街が焼けたら喜んで見に行ったり、真逆な言動が描かれているけど、逆にその方が戦争の怖さが伝わってきた。つまり異常ってこと。
「青鬼の褌を洗う女」も、正直あんまり理解出来なかったけど、暗くて美しかった。
主人公のあべこべだったり捻くれた感性が面白い。「オメカケ」はフラフラ浮気してすぐ身体を許す女、みたいなイメージで合ってるだろうか。
男女関係云々·恋愛系の話は、自分が全然共感できないので基本あんま好きじゃないのだけど、
この本のそれは恋愛というより、生きるために肌を寄せ合うしかない、な感じで、恋愛嫌悪気味な私でも嫌な気がしなかった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ小学生の頃父親の本棚にあった本の中で坂口安吾の本が別格の威圧感を漂わせながら佇んでいた事を鮮明に覚えている。
先月一時帰国する機会があり、今の仕事の話や読書談義をしていた時にふと坂口安吾の事を思い出して父親に好きだった作家の話を聞くと坂口安吾の名前が出てきた。
彼の文体には人を惹きつける力と魅力があり好きだったと話をしており今回手に取ってみた。
なんだか父親の本棚の本を大人になり、読めるっていうのは気恥ずかしくも、少しだけ追いついた気もして嬉しい気分になった。
坂口安吾の文章を見て、一つの事象や人間について深い洞察と、語り口は確かに魅了されるものがあった。
内容について自分がどうこうと語るにはあまりにも浅くチンケな感想になるので気に止まった分だけ引用させてもらい今回のメモにしたいと思う。
いつか自分もこれだけの深い洞察と人間理解、教養から繰り出される言葉を紡ぎ出せる様になりたい。
久しぶりにそう思わせてくれる人物だった。
【引用】
小菅刑務所とドライアイスの工場と軍艦
僕の仕事である文学が、全く、それと同じことだ。美しく見せるための一行があってもならぬ。
美は、特に美を意識してなされたところからは生まれてこない。
どうしても書かねばならぬこと、書く必要のあること、ただ、そのやむべからざる必要にのみ応じて、書きつくされなければならぬ。
ただ「必要」であり、一も二も百も、終始一貫ただ「必要」のみ。
そうして、この「やむべからざる実質」がもとめたところの独自の形態が、美を生むのだ。
実質からの要求をはずれ、美的とか詩的という立場に立って一本の柱を立てても、それは、もう、たあいもない細工物になってしまう。
これが、散文の精神であり、小説の真骨頂である。そうして、同時に、あらゆる芸術の大道なのだ。
堕落論 p34
人間の、また人性の正しい姿とは何ぞや、欲するところを素直に欲し、厭な物を厭だと言う、要はただそれだけのことだ。
好きなものを好きだという、好きな女を好きだという、大義名分だの、不義は御法度だの、義理人情というニセの着物をぬぎさり、ボ裸々な心になろう、この赤裸々な姿を突きとめ見つめることがまず人間の復活の第一の条件だ。
そこから自分と、そして人性の、真実の誕生と、その発足が始められる。
日本国民諸君、私は諸君に、日本人および日本自体の堕落を叫ぶ。日本および日本人は堕落しなければならぬと叫ぶ。 堕落論 p107
人間は生きることが全部である。
死ねば、なくなる。
名声だの、芸術は長し、バカバカしい。
私は、ユーレイはキライだよ。死んでも生きるなんて、そんなユーレイはキライだよ。
生きることだけが、だいじである、ということ。
たったこれだけのことが、わかっていない。
ほんとうは、わかるとか、わからんという問題じゃない。
生きるか、死ぬか、二つしか、ありやせぬ。おまけに、死ぬ方は、ただなくなるだけで、何もないだけのことじゃないか。
生きてみせ、戦いぬいてみなければならぬ。
いつでも、死ねる。そんな、つまらぬことをやるな。
いつでもできることなんか、やるもんじゃないよ。
死ぬ時は、ただ無に帰するのみであるという、このツツマシイ人間のまことの義務に忠実でなければならぬ。
私は、これを、人間の義務とみるのである。生きているだけが、人間で、あとは、ただ白骨、否、無である。
そして、ただ、生きることのみを知ることによって、正義、真実が、生まれる。生と死を論ずる宗教だの哲学などに、正義も、真理もありはせぬ。あれは、オモチャだ。 堕落論 p 239
しかし、生きていると、疲れるね。
かく言う私も、時に、無に帰そうと思う時が、あるですよ。
戦いぬく、言うはやすく、疲れるね。
しかし、度胸は、きめている。
是が非でも、生きる時間を、生きぬくよ。
そして、戦うよ。
決して、負けぬ。
負けぬとは、戦う、ということです。
それ以外に、勝負など、ありやせね。
戦っていれば、負けないのです。
決して、勝てないのです。人間は、決して、勝ちません、ただ、負けないのだ。
勝とうなんて、思っちゃ、いけない。
勝てるはずが、ないじゃないか。誰に、何者に、勝つつもりなんだ。 堕落論 p 239
時間というものを、無限と見ては、いけないのである。そんな大ゲサな、子供の夢みたいなことを、本気に考えてはいけない。
時間というものは、自分が生まれてから、死ぬまでの間です。 堕落論 p 239 -
Posted by ブクログ
戦後すぐに書かれたとは思えない、現代人と似た考えの戦争の本質を突いた鋭い評論。
堕落と書いてあるが、想像していた堕落と違った。単なる退廃ではない。完璧でなくて良い。人間は堕ちるもの。自分はネガティブに、斜めから物事を見てしまう癖があるが深く考えず、もう少し素直に生きてみようと思えた。
「不良少年とキリスト」が本当に良かった。太宰ファンとしては安吾から見た太宰を知ることができ、感激だ。安吾は「フツカヨイ」と称しているがそんな太宰が私は好きだ。歯が痛いなんて誤魔化しているが、織田にも太宰にも先立たれて悲しかったんだろうな。他のエッセイより文体が優しくて、泣きそうになってしまった。
-
Posted by ブクログ
ネタバレ太宰さんはフツナヨイ的に亡くなったんだ。常識人だったんだなあ、ああ、文豪って辛いな。坂口安吾さんという理解者がいながら、亡くなったんだ。太宰さんの苦しみ、理解してる人いるの、知ってたら心中しなかったのかな、それとも、亡くなってから思い出して書いてるんだろうか。
「つまり、彼らは、舞台の上のM・Cになりきる強靭さが欠けていて、その弱さを現世的におぎなうようになったのだろうと思う。結局は、それが、彼らを、死に追いやった。」
「虚無というものは、思想ではないのである。人間そのものに附属した生理的な精神内容で、思想というものは、もっとバカな、オッチョコチョイなものだ。キリストは、思想ではなく、人間そのものである。」
「もとより、太宰は、人間に失格しては、いない。フツカヨイに赤面逆上するだけでも、赤面逆上しないヤツバラよりも、どれくらい、マットウに、人間的であったか、知れぬ。」
「太宰のような人間通、いろいろ知りぬいた人間でも、こんな俗なことを思いあやまる。ムリはないよ。酒は、魔術なのだから。俗でも、浅薄でも、敵が魔術だから、知っていても、人智は及ばぬ。ローレライです。」
「情死だなんて、大ウソだよ。」
「太宰という男は、親兄弟、家庭というものに、いためつけられた妙チキリンな不良少年であった。」
「六十になっても、人間なんて、不良少年、それだけのことじゃないか。」
「人間は生きることが、全部である。死ねば、なくなる。名声だの、芸術は長し、バカバカしい。私はユーレイはキライだよ。(私はユーレイは好き。)死んでも、生きてるなんて、そんなユーレイはキライだよ。」
「生きることだけが、大事である、ということ。たったこれだけのことが、わかっていない。本当は、分るとか、分らんという問題じゃない。生きるか、死ぬか、二つしか、ありやせぬ。おまけに、死ぬ方は、ただなくなるだけで、何もないだけのことじゃないか。(私はあると思う記憶)生きてみせ、やりぬいてみせ、戦いぬいてみなければならぬ。いつでも、死ねる。そんな、つまらんことをやるな。いつでも出来ることなんか、やるもんじゃないよ。」
「然し、生きていると、疲れるね。かく言う私も、時に、無に帰そうと思う時が、あるですよ。戦いぬく、言うは易く、疲れるね。然し、度胸は、きめている。是が非でも、生きる時間を、生きぬくよ。そして、戦うよ。決して、負けぬ。負けぬとは、戦う、ということです。それ以外に、勝負など、ありやせぬ。戦っていれば、負けないのです。決して、勝てないのです。人間は、決して、勝ちません。ただ、負けないのだ。」 -
Posted by ブクログ
私は野たれ死をするだろうと考える。まぬかれがたい宿命のように考える。私は戦災のあとの国民学校の避難所風景を考え、あんな風な汚ならしい赤鬼青鬼のゴチャゴチャしたなかで野たれ死ぬなら、あれが死に場所というのなら、私はあそこでいつか野たれ死をしてもいい。私がムシロにくるまって死にかけているとき青鬼赤鬼が夜這いにきて鬼にだかれて死ぬかも知れない。私はしかし、人の誰もいないところ、曠野、くらやみの焼跡みたいなところ、人ッ子一人いない深夜に細々と死ぬのだったら、いったいどうしたらいいだろうか、私はとてもその寂寥には堪えられないのだ。私は青鬼赤鬼とでも一緒にいたい、どんな時にでも鬼でも化け物でも男でさえあれば誰でも私は勢いっぱい媚びて、そして私は媚びながら死にたい。
──『青鬼の褌を洗う女』 -
Posted by ブクログ
2025/11/30
p.24
A君とB子が恋をした。二人は各々ねむられぬ。別れたあとでは死ぬほど苦しい。手紙を書く、泣きぬれる。そこまでは、二人の親もそのまた先祖も、孫も子孫も変わりがないから、文句はいらぬ。しかし、これほど恋しあう御両人も、二三年後には御多分にもれず、つかみあいの喧嘩もやるし、別の面影を胸に宿したりするのである。何かよい方法はないものかと考える。
しかし、大概そこまでは考えない。そしてA君とB子は結婚する。はたして、例外なく倦怠し、仇心も起きてくる。そこで、どうすべきかと考える。
その解答を私にだせといっても、無理だ。私は知らない。私自身が、私自身だけの解答を探しつづいているにすぎないのだから。
私は妻ある男が、良人ある女が、恋をしてはいけないとは考えていない。
人は捨てられた一方に同情して、捨てた一方を憎むけれども、捨てなければ捨てないために、捨てられた方と同価の苦痛を忍ばねばならないので、なべて失恋と得恋は苦痛において同価のものだと私は考えている。
私はいったいに同情はすきではない。同情して恋をあきらめるなどというのは、第一、暗くて、私はいやだ。
私は弱者よりも、強者を選ぶ。積極的な生き方を選ぶ。この道が実際は苦難の道なのである。なぜなら、弱者の道はわかりきっている。暗いけれども、無難で、精神の大きな格闘が不要なのだ。
しかしながら、いかなる真理も決して万人のものではないのである。人はおのおの個性が異なり、その環境、その周囲との関係が常に独自なものなのだから。 -
Posted by ブクログ
2025/11/27
p.214
「今に、治るだろうと思います」
この若い医者は、完璧な言葉を用いる。今に、治るだろうと思います、か。医学は主観的認識の問題であるか、薬物の客観的効果の問題であるか。ともかく、こっちは、歯が痛いのだよ。
原子バクダンで百万人一瞬にたたきつぶしたって、たった一人の歯の痛みがとまらなきゃ、なにが文明だい。バカヤロー。
女房がズルフォン剤のガラスビンを縦に立てようとして、ガチャリと倒す。音響が、とびあがるほど、ひびくのである。
「コラ、バカ者!」
「このガラスビンは立てることができるのよ」
先方は、曲芸をたのしんでいるのである。
「オマエサンは、バカだから、キライだよ」
女房の血相が変る。怒り、骨髄に徹したのである。こっちは痛み骨髄に徹している。
グサリと短刀を頬へつきさす。エイとえぐる。頭のシンも、電気のようにヒリヒリする。
クビをくくれ。悪魔を亡ぼせ。退治せよ。すすめ。まけるな。戦え。
かの三文文士は、歯痛によって、ついに、クビをくくって死せり。決死の血相、ものすごし。闘志十分なりき。偉大。
ほめて、くれねえだろうな。誰も。