あらすじ
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人気シリーズ「乙女の本棚」第36弾は、文豪・坂口安吾×イラストレーター・しきみのコラボレーション!
エッセイとしても画集としても楽しめる、魅惑の1冊。全イラスト描き下ろし。
恋愛は、人生の花であります。いかに退屈であろうとも、この外に花はない。
「人間永遠の問題」だという恋愛。『夜長姫と耳男』などの傑作小説で知られる著者が、その奥深さを語る。
坂口安吾の名作が、有名ゲームのキャラクターデザインなどで知られ、本シリーズでは萩原朔太郎『猫町』、『詩集『青猫』より』、江戸川乱歩『押絵と旅する男』、夏目漱石『夢十夜』、坂口安吾『桜の森の満開の下』、谷崎潤一郎『魔術師』、泉鏡花『夜叉ヶ池』を担当する大人気イラストレーター・しきみによって描かれる。
名作文学と現代の美麗なイラストが融合した、珠玉のコラボレーション・シリーズ。
自分の本棚に飾っておきたい。大切なあの人にプレゼントしたい。そんな気持ちになる「乙女の本棚」シリーズの1冊。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
2025/11/30
p.24
A君とB子が恋をした。二人は各々ねむられぬ。別れたあとでは死ぬほど苦しい。手紙を書く、泣きぬれる。そこまでは、二人の親もそのまた先祖も、孫も子孫も変わりがないから、文句はいらぬ。しかし、これほど恋しあう御両人も、二三年後には御多分にもれず、つかみあいの喧嘩もやるし、別の面影を胸に宿したりするのである。何かよい方法はないものかと考える。
しかし、大概そこまでは考えない。そしてA君とB子は結婚する。はたして、例外なく倦怠し、仇心も起きてくる。そこで、どうすべきかと考える。
その解答を私にだせといっても、無理だ。私は知らない。私自身が、私自身だけの解答を探しつづいているにすぎないのだから。
私は妻ある男が、良人ある女が、恋をしてはいけないとは考えていない。
人は捨てられた一方に同情して、捨てた一方を憎むけれども、捨てなければ捨てないために、捨てられた方と同価の苦痛を忍ばねばならないので、なべて失恋と得恋は苦痛において同価のものだと私は考えている。
私はいったいに同情はすきではない。同情して恋をあきらめるなどというのは、第一、暗くて、私はいやだ。
私は弱者よりも、強者を選ぶ。積極的な生き方を選ぶ。この道が実際は苦難の道なのである。なぜなら、弱者の道はわかりきっている。暗いけれども、無難で、精神の大きな格闘が不要なのだ。
しかしながら、いかなる真理も決して万人のものではないのである。人はおのおの個性が異なり、その環境、その周囲との関係が常に独自なものなのだから。
Posted by ブクログ
「ほんとうのことというものは、ほんとうすぎるから、私はきらいだ」。渇いた心にすとんと落ちた一文だった。ひとは恋愛によってみたされることはない。「苦しみ、悲しみ、切なさによって、いささか、みたされる時はあるだろう」、この一文を読んだときに、心の柔らかい部分が布団でくるまれるような感じがした。想いが伝わるかなんて確証もない、自分の方が心変わりするかもしれない、それでも自分の一生を、今を精一杯生きたい。永遠などないと知ってなお、私は恋をする。愛する人に手紙を書く。猫がニャンと鳴くように。
Posted by ブクログ
恋愛論。と言い切るだけの内容がここにある。
そうだそうだ、難しいことはない。ただそれを明確に一つずつ定義していくその中身が真っ当すぎて、このどストレートなタイトルがより光る。
坂口安吾すげぇな。
メガネの理系男のイメージしかなかったよ
(某作品の影響ですね)
2024.9.14
142
Posted by ブクログ
なかなか難しいが今まで読んだなかでは理解しやすかった。恋愛論。
恋愛によっても満たされることはないが恋無しに人生は成り立たない。
そして恋愛は人間永遠の問題だ。ただしき恋などというもの断じうるはずもない。
確かに現代においても永遠のテーマといえる。
愚かでもある。
Posted by ブクログ
「恋愛は人間永遠の問題だ。人間ある限り、その人生の恐らく最も主要なるものが恋愛なのだろうと私は思う」 恋愛という謎は面白い。脳科学的にもどのようなメカニズムで人を好きになるのか?ドパミン、セロトニン等の神経伝達物質が放出されるのですが、恋する理由は無数あり、それらを特定するのは難しいらしい。人は恋愛をして裏切られ、また恋をするという繰り返し。人間はバカなので繰り返す。バカは死んでも治らない。でもこのエネルギーこそ生きている証拠。この本を読んだ理由、決してモテようと思った訳ではないが、バカはとても美しい。⑤
Posted by ブクログ
坂口安吾は、残酷でセンセーショナルな作品を書くイメージがあったが、この恋愛論は真面目な論説文でそのギャップに驚いた。
物語でない論説文にイラストが入ると、物語を読んでいるような気分になり不思議な感じがした。普段とっつきにくい論説文もこのようにコラボして、イメージが広がる形でどんどん読めたらいいのに、と思った。
恋と愛のニュアンスの違い、日本語の多様な同義語が雰囲気的過ぎるという話には、納得感があった。万葉集や古今集の恋歌が、動物の本能の叫びに過ぎないと切り捨てるのも、なんとも清々しい。人生とは、その本能の世界から抜けてめいめいが世界を建設するもの、常識という規則で満たされなくなった心が、良俗に反する文学を生む、という下りは、なるほど!と思わされた。
常識=醇風良俗なるものは、真理でもなく正義でもない。めいめいの人生を精一杯生きるだけ、という考えには希望が見いだせる。
恋愛によって満たされることはなくても、孤独な人生において、恋愛は花である。その言葉を聞いて、度々訪れるであろう花の時間を大切にしたいと思った。
読む時々によって、刺さる言葉が違うような気がしたので、またぜひ読みたい。
Posted by ブクログ
人間には「魂の孤独」という悪魔の国が口を広げて待っている。
これは、強者ほど、上に行くものほど悪魔を見、争う。
人は、生きていくためにも衣食住は必要だが、他になくてはならないものは
人からの「愛情」なのではないだろうか。
Posted by ブクログ
はい、42おネェ
坂口安吾が「恋愛」について考えた随筆になります
内容は「恋」と「愛」の違いから始まって…
ん?
ちょっと待って
わい、随筆って書いたけど、ものによってはこの『恋愛論』はエッセイと紹介されてたりするんよね
なんとなく違うもののような気もするし、でもそもそも「Essay」の日本語訳が「随筆」じゃなかったっけ?ってことは同じもの?
「恋」と「愛」の違いの前に「エッセイ」と「随筆」の違いが気になってきたー!
わいのイメージとしては、「エッセイ」はちょっとポップで、日常の出来事をユーモアを交えて語るみたいな感じ
一方、「随筆」はもっと重厚で、深い考察と共に、普段思ってることを語る感じ
ということで、検索してみました!
「随筆とは、本当にあった出来事を書いたもの、日々の暮らしに役立つ実用の文学、エッセイとは、心のありようを描いたもの、人の豊かな心、感動に触れられる真実の文学。(コピペ)」
むぅ
よく分からん(分からんのかい!)
で、結局『恋愛論』はどっちなんだい?
うーん、よく分からん
いっそ、あいだ取って高橋一生(たかはしいっせい)ということで!
いや、何と何のあいだやねん!( ゚д゚ )クワッ!!
Posted by ブクログ
今まで、色んな本や漫画で、困難な道とそうでない道があれば困難な道を選ぶ方が良い、と書いてあっても、意味がわからなかったが、
本著にあるように(あくまで私の理解だが)、困難な道と無難な道であれば困難な道の方が乗り越え甲斐がある、という区分なら、理解できる。無難ではないのだから、凸と凹があって、刺激と刺激に伴うレスポンスがあるよなぁ。何もなければ何もないままだから。
結局は何を求めるかだと思うけど、どうしても得たいことがあるなら、覚悟決めて無難な道は選ばないほうが善きにしろ悪きにしろレスポンスが得られると理解した。
Posted by ブクログ
少女の本棚の新刊!ぱっと目を惹くやわらかで可愛らしい桃色の背景、しかしよくみると肋骨に守られ頭蓋骨に頬ずりするかのような少女の様子が毒々しい素敵な装丁です。
読むのはこれが初めて。恋愛とはなんぞや、と坂口安吾が訥々と説いていくのだけれど、これがもう名言の宝庫なのである。
切支丹が渡来したころ、それまで「愛する」という概念がなかった日本国で、「神の愛」「キリシトの愛」を解釈するのは難儀なことであったという。困惑し苦心しつつもどうにか置き換えたのは「神のご大切」「キリシトのご大切」。
すなわち、「余は汝を愛す」というのを、「余は汝を大切に思う」と訳したのだそうだ。
私はこれまでもつねづね「愛する」という言葉には懐疑的で、自分のなかの複雑な感情や、相手への多層構造な想いが、出来合いの箱に乱雑に押し込められてしまうような気がしていた。途端にこの手を離れ、嘘っぱちでただの空虚になってしまうような。
これは奥ゆかしい日本人なら大概にあてはまる特有の感性、と言ってしまえばそれまでなのかもしれないけれど、ともかく「愛」についてはもっと自分の言葉や体験で理解したいと思っている。だから、本作のようにその概念に真っ向から対峙する蒼炎のような作品は好きだし、いっぱい読みたい。
けれど、愛についていくら考えたところで、恋するのはそれらを優に超越する不可抗力なのでたちが悪い。
どんな言葉も御託に成り下がり、感情はすべてが制御不能になるのであって、そうやって頭がおかしくなって結婚し(てしまっ)た今の私ですら、そんなこと面倒で懲り懲りに思える。
〈大人はそうではない。情熱自体が知っている。恋は幻だということを。〉
だから、恋が幻であることを知っている不幸な大人が恋することはもう難しい。難しいけれど、万が一これから恋に搦め捕られるようなことが起きてしまったら、もちろんまた幻のなかで同じ過ちを繰り返してしまうのだと思う。
坂口安吾も言っている。若いうちはたくさん恋愛をするといい。恋愛することでしか手に入れることのできない感情やあたたかさが、たくさんある。恋なしに、人生は成り立たぬ。
人生はもともとバカげたものであるのだし、恋愛だってバカげているけれども、それは最も尊いものであるのだから、バカを怖れたもうな。
〈ああ、孤独。それをいいたもうなかれ。孤独は、人のふるさとだ。恋愛は、人生の花であります。いかに退屈であろうとも、この外に花はない。〉
Posted by ブクログ
ここまで真面目に恋愛について考えたことなかったから、新鮮に読めました。
言葉の表現が易しくて、わかりやすいのも好印象!
このシリーズはかなり好き!
Posted by ブクログ
「恋愛論」というタイトルながら、人生論・生き方論といえる内容。
初出は47年とのことだから、結婚恋愛もまだまだやるべき・すべきという圧力があった時代だけれど、令和現在の生き方や人生にも通じる。
旧さや価値観の押し付けを感じない。
むしろ今のSNSであふれる価値観の対立、今の時代の圧力への警句・アドバイスにもなる一節もあって、心が軽くなる。
かわいらしいながらダークなしきみ先生の絵も魅力的。
Posted by ブクログ
イラストと内容が合っているかどうかと言われれば何ともだが、イラスト自体は不思議な感じなので、帯通り画集としても楽しめると思った。
坂口安吾は初読。リアリスト?
バカだとわかっていても恋愛をしてしまう。それが人間……うむ。
「苦しみ、悲しみ、切なさによって、いささか、みたされる時はあるだろう」の「いささか」という副詞にああ……となんか分かるような切ないような。
いささか、つまり多少は、少しは。
多少の慰めにはなるが充ち満ちることないよということだろうか。
詩的な目で見ること云々のところで、現代でいうところのヤリ◯ンメン◯ラを思い出した。
最後に、「孤独は、人のふるさとだ。」
この段落のところで何を伝えたかったのか分からなかった。人生経験積めばわかるようになるかな。
Posted by ブクログ
乙女の本棚シリーズの一冊。
安吾の恋愛論。確かに乙女向きのテーマなのかもしれないが、イラストのテイストと合っているかと言われると、微妙な気がしてしまう。だって、安吾だぜ、無頼派だぜ、というのは、乙女ではない部外者の勝手な独り言。
安吾なら、「風博士」などどうだろう、というのは、割りと本気。
Posted by ブクログ
坂口安吾文学忌、安吾忌
1947年発表の 恋と愛の坂口安吾定義
恋す:いまだ所有せざるものに思いこがれるような
ニュアンス
愛す:落ち着いてすでに所有したものを慈しむよう
な感じ
これは納得します
恋愛を「一時の幻影であり、醒めるもの」
そして 大人はそれを知っていると論ずる
今だと 推し活なるものがあり
推しを 恋すとなるのか愛すとするのか
時代で定義も変わるのかもしれない
恋愛論としながら
「恋愛とはいかなるものか私は知らない」とはじまり 一生文学に探し続けると続く
だから難解なのではなく 結論を持っていないのではないかと思われる
だって熟読したけどわからない
恋愛には常識という規制があるとしているが
「桜の木の満開の下」「白痴」等々規則破りの作品では?坂口論からすれば文学は常に良俗に反するものだとか
結局皆んな正しい恋とか永遠の愛とかはないけど
人生を豊かにするから恋愛しようねってところでしょうか
イラストはしきみさん
恋愛論が乙女の本棚的かどーかはおいておいても
イラストは大変でしたでしょう
自由な感じでした
Posted by ブクログ
恋と愛の違いについて。
「恋愛は、言葉ではなければ、雰囲気でもない。ただ、好きだということの一つなのだろう」
「失恋と得恋苦痛において同価のもの」
「恋なしに人生は成りたたぬ」
恋愛は人生の花、か。芽が出ない花もあろうな。
Posted by ブクログ
【愛と恋と恋愛の意味について】
この恋愛論はここで初めて読んだ。絵本として読むとまた違たテイストで読めるのかな、と思った。
日本語の、愛、恋する、恋愛について、著者なりの考えが書かれている。恋愛は幻影だけど無駄なものではない、そして恋愛はそれぞれで、一般化できるものではないからたくさんの小説などが今もこれまでも作られている、というところが印象的だった。