坂口安吾のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
小林よしのりの「堕落論」に触発されて読みました。筆者は「日本は敗戦後、道義が退廃したと言われるが、そうではない。変わったのは世相の上皮であり、人間は変わっていない。むしろ、人間は堕落するものだ。堕落することでしか人間を救う道はない」と主張している。「戦前の人間は立派だった」「戦後日本人はだめになった」といろいろな場面で言われてきたことを考えると、新鮮な主張に感じた。また、東京大空襲についての「猛火をくぐって逃げのびてきた人達は燃えかけている家のそばに群がって寒さの暖をとっており」という記述は、別の本で読んだ「東京大空襲の焼夷弾はうつくしかった」と通じるところがある。今読めば不謹慎に感じるところがあるが、人間は寒ければ暖をとるし、焼夷弾でもきれいなものはきれいに感じるものである。それこそが人間の本性なのだろうか。つまり、堕落せよとは、人間の本性を取り戻せ、ということなのかと解釈した。自分の色メガネで見ずに、見たものを観察、解釈することのは大切さを学んだ。話があっちこっちに飛んで、読みにくかったが、学んだことの方が多かった。
-
Posted by ブクログ
いわゆる堕落と、坂口安吾の説く「堕落」は種類が違う。
坂口安吾の説く「堕落」とは、習慣や制度から逃れ堕ちること。例えば、所謂日本人然とした、苦労を厭わず、倹約に地道に努力することから逃れ、楽をしようとすること。家庭を持ち清廉潔白に暮らすのではなく、情欲を受け入れ過ごすことである。それは決してネガティブな行いではなく、それが人間の実質であり、それで人間が発展する。「堕落」は制度の母体なのである。
なぜ坂口安吾が「堕落」という言葉を使ったのか。それは、習慣に囚われた人々が、坂口らに対して向けた、「お前達は堕落している」といったレッテルに対して、「堕落こそ結構。それこそ人間の本質であり、中身の伴う行いなのだ」と、言葉そのままに言い返せるからなのだろう。
文中でよく出てくる宮本武蔵の例えも、習慣や形式に囚われた剣術に対して、その場その場で生き抜くことを第一に掲げ、生き残ってきた宮本武蔵の在り方が、まさに坂口安吾のイメージする「堕落」だからなのだろう。
芸術や文学も同様で、表面だけさらって言葉遊びや形式遊びに興じるようではいけない。そういった習慣に対して「堕落」をすることで、本質の伴ったものが生まれる。
私は「堕落」出来ているのか?そう思った。 -
Posted by ブクログ
語れば語るほど自分の言葉になるような。然し、表面だけの偽善的な言葉のようにも思える。
もっと、思考に対する時間的密度が必要なのか。
そして、時間を経てものになった言葉たちは果たして真実のものなのか。
前を向き後ろを向き、右、左、さてここは何処か。私は何処へ向かっているのか。
考えれば考えるほど暗い。
ただ然し、暗いこと、思い悩むこと、分からなくイライラすること、そんな類のものは何か次に進むための兆候があるのだろうと考え、希望は捨てず考え耽る。
ある時、顧みると人間に近づいているのかなという自分。
そしてまた考える。
坂口安吾、自己との全面対決。
その決意が読み進めると伝染し、結果そうなっている。
もっと、もっと自分を知りたい。
僕にとってそんな思いが強くなる本でした。 -
Posted by ブクログ
ー 私は思うに、巨勢博士の推理と全く同じように一々の細部にピタリと推理された方が四人もあったということは、私がむしろ誇ってよいことではないかと思う。つまり、ピタリと当るように出来ているのだ。探偵小説の従来の公式などは問題じゃない。探偵小説は合理的でなければならぬ。
人間性を不当に不合理に歪めて、有りうべからざる行動を実在させそれを、合理的に解けと云ったって無理である。私は日本のみならず、全世界の探偵小説の99パーセント、否、99.99パーセントぐらいが不合理なものだと思っている。 ー
あの坂口安吾の探偵小説。しかも、探偵小説のための探偵小説。当然、読者への挑戦状付き。
探偵小説のための探偵小説なので、人間描写はさておき、プロットがしっかりしていて面白い。
もちろん、王道の仕上がり。
やっぱり、最後は関係者を集めて推理しないと探偵小説じゃないよな〜。大満足。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ安吾節炸裂!
登場人物が騒がしく戯れている、丁々発止を読んでるだけで満足感が味わえる上に、女性陣は妖艶で淑女のようでもありいわゆるファムファタール的要素が多分に溢れているので、この異次元世界の参加者(もしくは傍観者)で交ざりたい!って想いです。
ミステリーということで、いやはやこちらもしっかり練られていて読者挑戦物だったのも頷ける見事な仕上がり。
世界観に騙されていたのだなぁと、確かに犯人特定のヒントは作中にしっかり表現されてるんだなぁと感心の極み。
坂口安吾の意外な一面が盛りだくさん。時代背景が古いので多少取っつきにくいけどバリおすすめ。 -
Posted by ブクログ
焦土、と言っていいだろう。家は焼け落ち、田畑は荒れて、路傍には浮浪者がうずくまる。人々は闇市に行列を作り、娼婦と孤児が夜の街を徘徊する…。どこか遠い国の話でも、マンガやラノベの話でもない。たかだか70年と少し前、他ならぬ私たちの国で、普通にみられた日常風景である。
太平洋戦争後の混乱の中で、坂口安吾の『堕落論』は書かれた。わずか十数ページの小論文だが、そこに込められた熱量は凄まじい。「建設のために、まず破壊を」と説く過激さは狂ったテロリストのようでもあり、人間を見つめる静謐な眼差しは有徳の僧のようでもある。野蛮さと格調高さが奇跡的に融合した名文だ。
かつては国の為に命を投げだした若者が闇市の商人になり下がり、貞淑だった戦争未亡人は別の男を追い求める。それはしばしば言われるように、敗戦によるモラルハザードなのだろうか? 安吾の答えは否である。敗戦は関係ない、それが人間の本性なのだ。戦争に負けたから堕ちるのではない、人間だから堕ちるのだ。
安吾曰く、戦中の日本は美しかった。だが忠義と貞節など、美しい国を支えていた美徳は結局、空虚な幻影に過ぎなかった。その証拠に我々は、昨日までの敵国に、今日は嬉々として隷属しているではないか。我々は放っておけば、いとも簡単に二君に仕え、二夫にまみえてしまう民族なのだ。だからこそ為政者はことさら理想論を振りかざして、美徳という名の鎖で民衆を縛りつけずにはいられなかったのだ…と。
戦後レジームが日本人を堕落させたのではない。日本人はただ本来の姿に戻っただけだ。生きてゆく以上は堕落するのは避けられず、その現実を受け入れるところから真の復興が始まるのだ。人間は弱いから、幻影にすがらずに生きることはできない。だからと言って、戦前の亡霊のような徳目を今更持ちだしたとてなんになろう。一人ひとりが生身の体で人間の「生」を体験し、実感として掴んだ血の通った理念のほか、すがるべき幻影などありはしない。…と、安吾は言っているように思える。
〈生きよ堕ちよ、その正当な手順の外に、真に人間を救い得る便利な近道が有りうるだろうか〉
『カラマーゾフの兄弟』の未完に終わった第2部で、皇帝暗殺を企てるのは、敬虔なクリスチャンの三男であったという。してみると、テロリストのように民衆を煽動し、僧侶のように人間を慈しむ、安吾の思想にも矛盾はないのかもしれない。一流の聖職者ほど、闘争を厭わない激しさを心に秘めているものだろうから。硬直したシステムに風穴を開けることなしに、システムに押し潰されて窒息しかけている人を、救う手立てはないだろうから…。
発表から70年たった現代でも少しも色褪せず、読む者の胸を打つ名文である。 -
Posted by ブクログ
『不良少年とキリスト』で坂口安吾を初めて読んでひきこまれ、胸にくるものがあったので他のも読んでみたいと思って堕落論などの〇〇論を読んだけどどうにもとっつきにくく…。
こういった小説だったらどうだろうと思いこの本を読んでみたら、こっちはどの話も好きだったしとても読みやすかった。
戦争と男女関係の話が多いので結構辛い場面もあるけど、なんだか綺麗に感じる。
出てくる女の人たちはみんな違った魅力があって好き。
彼女たちは残酷になればなるほど澄んだ美しさがある気がする。
『桜の森の満開の下』と『夜長姫と耳男』に出てくる二人の女性は特に残酷だけど、無邪気で気高い美しさもあってすごく惹かれるものがある。
この二作はこの短篇集の中で特に好き。
夜長姫の最後の言葉はとても頭と心に残る。
『アンゴウ』は一番爽やかな切なさがあって誰にでも勧められそう。