坂口安吾のレビュー一覧
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文学史で戦後文学に「無頼派」がある。「無頼」とは、辞書によれば「正業に就かず、無法な行いをする者、またはその行為」とある。つまり、きわめて反社会的な価値観である。
しかし、「青年期」は、ゲーテが「疾風怒濤の時代」と呼んだように、内面の葛藤の時期。その時期に、善良で社会規範に合う人間像だけを求めるのは、大人の側の身勝手だ。青年を成長させるのは、無数の宿題よりも、全き一人旅であり、燃える恋であり、慣れぬ社会での労働だ。「無頼」の精神は、自己を模索する青年期にこそふさわしい。
坂口安吾は、新潟市出身。私は以前、同地の海浜にある彼の文学碑を訪れた。そこは、彼が中学校時代に学校をさぼって空を眺めた場所。そこに立つ、日本海を臨む石碑には「ふるさとは、語ることなし」とある。
「無頼」のもう一つの意味は、文字通り「たよるべきところのないこと」。「無頼派」の作家たちの身を削る人生とその創作は、何者にも頼らず、己だけを頼みにした者たちの壮絶さそのものだ。
いや、それも違うかもしれない。「私は、私自身の考えることも一向に信用してはいないのだから」(「私は海を抱きしめていたい」)。
自分自身の言葉を「虚偽」であり、生活も「虚偽」であるとする「私」は、「無償の行為」を想い続ける。しかし、息をひそめ、耳を澄ましても、私自身が何者かは見つからない。「いずこへ?いずこへ?私はすべてがわからなかった」(「いずこへ」)。(K)
「紫雲国語塾通信〈紫のゆかり〉」2011年6月号より。 -
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悪と美は横溢するが…
現代普通桜は怖くない。
しかし、孤独な山中の
無限の森の中で
美しいものも不気味だと
思わせられる筆力。
女の美しさがむごい要求を
通させる。
山賊単独の悪が翳むほどだ。
女の飽くことのない我儘を
許し続け、そしてやがて
山賊は自分自身と女を
同一視する。
ついには女を魔物と感じるが
滅ぼした相手は自分自身
だったかもしれない。
長く連れ添った者でも
どんな者たちでも
一瞬にして刀の露になり
何のためらいも悔悟もない。
無意味で奇怪なママゴトが
行われるだけだ。
読者はそれにつき合わされ
山賊の自意識にはむしろ
悪の意識がなく普通人のようだ。
たくさんの花びらが散り敷いていて
しかも満開の頭上に隙間もない。
それだけ無限であるのに
たいそうな悪行の果てに
醜さや悪は全く残らない。
浄化されたわけではない。
醜さや悪は確かにあったのだが、
罰を受けるのでもなく
単に消滅し一切の意味が失われ、
無意味だということさえ
考える者もいなくなる。
切られれば脆いはずの植物の群落が
年年歳歳咲き続けるだろう。
見る者もない桜の森の
無言の無意味な美が残る。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ坂口安吾の女性像はどこか観念的で、愛情と不信感のアンビバレントがすごいなぁ…などと思いながら読んでいたら、『青鬼の褌を洗う女』の中で作家自らそれを告白していた。
“彼のような魂の孤独な人は人生を観念の上で見ており、自分の今いる現実すらも、観念的にしか把握できず、私を愛しながらも、私をでなく、何か最愛の女、そういう観念を立てて、それから私を現実をとらえているようなものであった”
女を畏怖するのは孤独な彼の生い立ちからきているのだろうか?
坂口安吾を『夜長姫と耳男』の耳男と重ねてみると、夜長姫のことばにぐっとくるものがある。
“好きなものは呪うか殺すか争うかしなければならないのよ。お前のミロクがダメなのもそのせいだし、お前のバケモノがすばらしいのもそのためなのよ。いつも天井に蛇を吊して、いま私を殺したように立派な仕事をして”
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ネタバレ戦後まもなくに出版された日本の推理小説の傑作。坂口安吾作。
犯人のトリックや動機は、アガサ・クリスティーの「ナイルに死す」をかなり参考にしている。ただし、事件の背後を取り囲む登場人物は、焼け野原になった日本の戦後の退廃的な雰囲気、投げやりな雰囲気を反映していて、アガサ・クリスティーの小説に出てくる人物像とはかなり異なる。
この本で最も印象的な点は、戦後まもなくという世相も反映してか、人が死んだときに他の人物が受けるショックの薄さである。
(それがあるから8人も人が死んでしまうのであろう。1人1人の死にその都度衝撃を受けていたら8人の死までは、なかなか到達しない。)
素晴らしい名作だが、もう少し個々の人物のこれまでの生き様を取り上げてくれていればなおよかった。
また、この小説は2回テレビドラマ化されているが、動機として「遺産」を強く押し出すか、「愛」を押し出すか、脚色を変えている点が興味深い。
実際、坂口も最後のエンディングをどうもっていくか迷ったのではないか。本当は、「愛」に真の動機があるように仕向けたかったがそれを照れ隠しで隠したのかもしれない。
そこにこの小説の現在まで続く日本らしさがある。