あらすじ
白痴の女と火炎の中をのがれ、「生きるための、明日の希望がないから」女を捨てていくはりあいもなく、ただ今朝も太陽の光がそそぐだろうかと考える。戦後の混乱と頽廃の世相にさまよう人々の心に強く訴えかけた表題作など、自嘲的なアウトローの生活をくりひろげながら、「堕落論」の主張を作品化し、観念的私小説を創造してデカダン派と称される著者の代表作7編を収める。
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Posted by ブクログ
登場人物は、男女の肉体関係を、浮気を、戦争を愛する。それが正しいかどうかよりも、そういった小説のフィクション性が、現実の輪郭を際立たせること。というかなんなら「現実はフィクションを含む」ことを思い知らされる。
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「堕落論」などのエッセイを読んでから小説を読んだ。坂口安吾がどんな考え方をする人なのか大体分かった状態で読んだので面白く感じた。どの話も彼自身の哲学が反映されていて、ここまで一貫に徹して己を曝け出している人も珍しいんじゃないかと思う。何か一つのゴールを見据えている感じがすごく伝わる。
また、文体も肌に合っていた。純文学の抒情的表現や、…みたいな感じ、分かるでしょ…??といったような文体に馴染めない(私自身が鈍感だからだと思うが…)人間なので、坂口安吾の文体が心地よかった。特に心地よかったのは「青鬼の褌を洗う女」で、サチ子目線から語る心の機微の言語化や考え方がすごく面白かった。
どの話でも語り手たちは(作者は坂口安吾なので…)理路整然とした雰囲気で語っていく。それでもふとした拍子に目の前の女をかわいいと言ったり、男をわけが分からず愛しいと言ったりする。そこがすごく好きだし、かわいい。
好きな作家に出会えて嬉しくなった。
〜メモ〜
「私は海を抱きしめていたい」
私は物その物がその物であるような、動物的な真実の世界を信じることができないのである。 私は最も好色であるから、単純に肉慾的では有り得ないのだ。
「青鬼の褌を洗う女」
私は現実はただ受け入れるだけだ。呪ったり憎んだりせず、呪うべきもの憎むべきものには近寄らなければよいという立前で、けれども、たった一つ、近寄らなければよい主義であしらうわけには行かないものが母であり、家というものであった。
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ストーリーの展開としては自分の部屋に逃げ込んできた白痴の女と共に戦火から逃げるだけで主要人物は誰も死なない。
しかし、戦禍における伊沢の思想の変化についての表現力が素晴らしい。
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戦争。
生と死が日常に戯れる環境下で、人間は克己心の拠り所をどう置くか?
表題作『白痴』の、伊沢と言う男の歪んだ優越感を始め、数々の乱暴で頽廃的な思想には目を覆いたくなるが、決して背けてはならない。
ただそこに生きた炎を。
人それぞれが燃やす権利を。
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戦中・戦後の退廃した世の中をすこぶる美しく描いている。モノクロの映画のように、淡々と。ゆったりと。堕落した生活から、何をみるのか。何を感ずるのか。
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表題作「白痴」について!
伊沢は、繊細で周囲の空気に馴染めず、戦時中の同調圧力にも乗れない人だったと思う。
生きづらさを感じながらも、自分の感性や価値観を大事に抱えながら生きてきた人で、他の人が命や家族や財産、立場を守るために普通ではいられなくなるように、伊沢も自分の価値観を命がけで守ろうとした結果が、終盤の異常性に繋がったんじゃないかなと思った。
周りの人や映画仲間、女たちへの辛辣な物言いは、ただの見下しだけじゃなくて、自分とのあまりにも違う価値観や空気感に対する拒否反応で、疎外感や孤独感から来てるのかなって思う。
そんな中で白痴の女が現れ、それを所有物のように扱うようになった。
人間としては見ていないが、大事な物としては扱っている。
周りの人間達に比べ、その女は戦時中の価値観や空気感から切り離された、唯一の無垢な存在に見えて、それを自分自身の無垢さと重ねてたんだと思う。
ただの所有物として見下す一方で、自分の価値観や感性を守るため、この無垢さを所有していることが、伊沢の価値観の肯定になっていたのかもしれない。
小さい子がぬいぐるみを抱きしめて手放さないみたいな感覚で、伊沢にとって唯一の安全地帯のような存在だったのかなって思う。
伊沢の呼びかけに女が頷いたシーン。
はじめて女に意思を感じた瞬間、伊沢は妙に嬉しそうで、ワクワクした感じで女に夢中になっていた。
それまでは、ずっと抱えてはいるものの無価値で浅ましい人形のように思っていた存在が、自分が思ってたより価値があるものに感じて、自分が肯定されたような気持ちになったのかなって解釈した。
伊沢は特別な異常者というよりも、他の人が命や家族を守るのと同じくらい、自分の感性を守ることが大事だった人なんだと感じた。
女に対しての執着部分については共感はできないけれど、その自分の感性に対する切実な気持ちは、なんとなく分かる気がする!
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やはり戦争を生きていない私には理解できない価値観や、気づいていない真意などもあるのだろうが、それを抜きにしても面白い作品だと感じた。戦争の荒波の中で嵐のように絶えず変化していく価値観。その中でひとり、芋虫のように横たわる女。その果てしなく無限の孤独に主人公は救われるが、それは周囲から孤立している主人公自身の自己愛に過ぎないのではないか。
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戦争時代でのお話で、主人公の感情変化や周りの人々の人間的生々しさがひしひしと伝わる物語でした。戦争時の環境やそこでの人々の感情といい、戦争についてとても考えさせられ、爆弾が降り注ぐ街、生死を彷徨う中、主人公の感情に移入し手に汗握る思い出読み切りました。
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特に青鬼の褌を洗う女ですが
一応奥様がモデルとされていますが
可愛くってしょうがない感じが
にじみ出ております
ひねくれた溺愛が心をくすぐりました
戦争のさなか
馬鹿々々しさや絶望があっても
しっかり生きている感じ
白痴や女性に対する
憎悪や嫌悪があっても
それは自分の怒りの投影であり
そのなかで 支え合う姿には
愛を感じます
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自覚はあるが積極的に考えたくない心の動きを観念的かつ現実的に述べていて、小説の中のお話というよりもあまりに人間に近すぎて他人事に感じられない作品だった。
作者の、人間に対する理知的な分析力と、分析という言葉とは真反対の理屈に合わない人間らしい雑多な気持ちが同居していた。
「私は海をだきしめていたい」と「青鬼の褌を洗う女」がよかった。
女を口説くときにエッちゃんが言った「こんな僕だから思いはいっぱいだけど、」という言い回しが好きだった。
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男の魅力と女の魅力、見せる側と見せられる側、至って違うのは当たり前。誰もが裸になれば同じ男と女になる、そんな人間の精神と肉体を鋭く見た小説だ。男と女はどうあるべきか、恋人同士の時、夫婦となった時、互いが老いを感じる時、など 人の魅力はいつも違う、見つけるのは自分だ。文中の空爆後生き残った女の言葉「私は過去よりも未来、いや、現実があるだけなのだ」と生きている今こそ本当の自分を試す事ができるのだと悟った、に深い印象を持った。
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安吾はミステリーしか読んだことが無かったので、本人の思想への理解を深めようと思い読んだ。戦時中の今ではあり得ない倫理観が淡々と描かれ人間の本質を炙り出す数々の物語だった。
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流れるように自然で、さらさらと読んでしまう。私自身取り留めのないことを、ついつらつらと考えてしまうのだが、坂口安吾の文章はちょうどそんな感じだ。表題作よりも、青鬼の袴を洗う女が気に入った。冷めた女の目線が小気味良い。
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男女の云々は苦手だけれども、何故かさらりと読めた。文章も古いですが読み難さはない。色気たっぷり、な雰囲気かな。ただちょっと出てくる女性が似た様な人物像なので、収録の仕方が悪いのかな。筆者の本はこれが初めてですが、他にも色々読んでみたいと思います。
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坂口安吾の私小説か。人間の業といか性に対する観念の描写が多い。少なくとも安吾の思いが反映されているのだろう時代背景として戦時下ということも大きく影響している。
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今生き残ることより白痴の女と一緒に暮らしてることがバレない方が先決なのか。まあ、よそ様の嫁だしってこと……?最悪の世界だけどとりあえず誰かと一緒にいたかったってことなんだろうか。物言わぬ肉塊。何を思えばいいのかよくわからなかった。空襲描写がとてもリアルで怖かった。絶対絶対こんな怖い目に遭いたくないな〜。
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戦時下の混沌とした、言いようのない不安感と破滅思想、芸術家として死にたいジレンマがそこはかとなく漂う作品。
私の感覚としてこの時代の死生観は、殺伐としていて、生きることも死ぬこともさほど大きな価値はなく、ただ眼前の事実を嚥下するというイメージがあるが、まさにそう。まさに冷たい灰色。
初めての坂口安吾でした。
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①白痴
主人公は、死ぬかもしれないと思うことで生きていることを感じ、白痴の女を肉の塊と呼んですすんで愛することを恐れている。臆病だなー。結局死への恐怖を抱いている。でもそんなこと気にしない(気にできない?)白痴の女をやれやれ、って見下しつつもどこか癒しだったり愛情を見出してるんじゃないか。
白痴って現代ことばに置き換えると何になるだろう。軽く言えばメンヘラかな。チキンとメンヘラの風変わりな生活。
②女体
傷つく、いけない、と思っていても素子を本能的に求める谷村と、彼の全てを愛し身を尽くすことすらも愛する素子。純愛だなぁ、二人の夜の遊びは情欲のぶつけ合いでなく愛の確かめ合いのような感覚なのではなかろうか。ただ性欲の強い女は引かれがち。素子は谷村を愛することが夢であるのに、それを谷村自身は知らない。肉体のない愛に就いて考える。
③恋をしに行く
肉体のない恋がしたいと言いながらも結局信子の純潔さに惹かれちゃう谷村!浮気っちゃ浮気だと思うけどそこを抜きにしたらとても情熱的な告白。いるよねー、みたされないことによってしか、みたされることができない人。自分を突き放してでもその人を愛したいと思う人。
素子も信子も愛してたけど出力量と種類が違う。素子へは感謝、さほど強くはない愛。信子へは燃えるような肉体への賛美。前者が愛で後者が恋。愛は小さくとも長く燃え、恋は激しいが短い。
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6冊目『白痴』(坂口安吾 著、1948年12月、1996年6月 改版、新潮社)
坂口安吾の代表作「白痴」を含む、全7編が収録された短編集。
全ての作品に共通して描かれるのは堕落と肉欲。
人間の生の本質を、男女のまぐわいを通して描き出そうとする安吾。明確な答えを読者に提示するタイプの小説は一つとしてない。執筆をしながら作者本人が自問自答を繰り返し、その答えを探求しているかのような印象を受ける作品が揃っている。
「火も爆弾も忘れて、おい俺達二人の一生の道はな、いつもこの道なのだよ」
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大東亜戦争末期、敗戦直後の作品ならではの退廃感に満ちた作品群。 『堕落論』の実践、と言われる小説のようだが、堕落論を読んでいてもよく分からないところが多く、少々ぶっ飛んだ感ある。
表題作の「白痴」では、ブラックジャックの「白痴」の回を思い出した。小学生の時に「白痴」ということばをそのとき初めて聞いたので。
人間は堕落する生き物である、というよりは、楽をしたいプログラムが埋め込まれているから省エネで餓死せずに生き残ってきたのだろうとおもう。
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長らく積みっぱなしだったものより。積読崩しの一環として。坂口安吾ってやっぱ人としてどうかしてる(ここでは誉め言葉として使う)んだろうけど、だからこそこういう文章を書くんだろうなと。
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戦時中の描写が多く後半のほうで書かれていた。このようなところから、当時の戦争の様子が垣間見え、知ることができた。
この小説は正直よくわからなかったけど、小説の中の中心的な人物たちは淡々としている印象だった、どこか冷めたような感じがした。ただただ現実を見ている。
窮すれば通ず、ピンチな時でも、焦らず、ただそのときの現実を受け入れ、淡々とした精神でいるもでも良いと思った。
一番最後の青鬼の褌を洗う女の話が気に入った。どこか冷め感じ、淡々としている。
戦争のよる腐敗した様子をイメージした。終戦したと同時に期待もあったと、、
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甘美であるが、腐っている。腐っているから、隠している。隠しているけど、持っている。
そんな心持ちになる一冊でした。
「いずこへ」で、スタンドの女性と関係でも持とうかというシーンで、なぜか痴人の愛のダンスホール帰りの電車を思い出しました。
誰かに対して悪罵を浴びさせたいような、この世の不出来を蔑みたいような、そんな気持ちだったのかと考えてしまいました。
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白痴の女と火炎の中をのがれ、「生きるための、明日の希望がないから」女を捨てていくはりあいもなく、ただ今朝も太陽の光がそそぐだろうかと考える。戦後の混乱と頽廃の世相にさまよう人々の心に強く訴えかけた表題作など、自嘲的なアウトローの生活をくりひろげながら、「堕落論」の主張を作品化し、観念的私小説を創造してデカダン派と称される著者の代表作7編を収める。
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秩序と無秩序を戦時中に書き表した小説。白痴を避け、忌み嫌っている一方で白痴を求め社会から逃げられない自分を卑俗なものとする主人公。心のどこかで世間の当たり前に辟易している自分と重なる部分があった。