あらすじ
≪TVアニメ「文豪ストレイドッグス」放送記念! アニメ描き下ろしコラボカバー版を配信!≫
「堕ちること以外の中に、人間を救う便利な近道はない」。第二次大戦直後の混迷した社会に、かつての倫理を否定し、新たな考え方を示した『堕落論』。安吾を時代の寵児に押し上げ、時を超えて語り継がれる名作。
<シリーズ累計250万部突破!「文豪ストレイドッグス」シリーズとは!?>
中島 敦、太宰 治、芥川龍之介、与謝野晶子、泉鏡花、F・スコット・フィッツジェラルドなど国内外の文豪のイメージをモデルに擬人化されたキャラクターが、「人間失格」「羅生門」などといった各文豪に関連する異能力を用いて戦うバトルアクションコミックス。
舞台は横浜。孤児院を追われた主人公・中島 敦は、とある自殺志願の男・太宰 治を助けたことから、異能力集団「武装探偵社」に所属することに。やがて、ポートマフィアの芥川龍之介らや、北米の異能力集団・組合(ギルド)との対決が激化していく――!
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
面白かった。この時代の文豪の語り口、好き。
俗悪なようでひねくれているようで、素直。率直でいようとがんばってる感じも。
日本人が、天皇を言い訳にして終戦を迎えたくだりはなるほどと。言い訳がなければただお上に従う国民性は健在かもなー。
「舞台は僕が想像し、僕がつくれば、それでいい。」
Posted by ブクログ
くらっちゃうよね。思想の力強さも、文章の無駄のなさも虜になってしまう。
永遠はありえない、歴史に必然性はなく、人は人格を有する。そういったことを突き詰めて、実行したのが彼の生き方だったのだろう。
名作と呼ばれる本ばかり読んでいても、浅い人間になりそうだけど、この作品に出会えて素直に感動している。
Posted by ブクログ
京都の寺や奈良の仏像が全滅しても困らないが、電車が動かなくては困るのだ。
親子二人恭しく拝礼していたが、得体の知れぬ悲願を血につなごうとしているようで、痛々しかった。
人間の、又人性の正しい姿とは何ぞや。
欲するところを素直に欲し、厭な物を厭だと言う、要はただそれだけのことだ。
好きなものを好きだという、好きな女を好きだという、大義名分だの、不義は御法度だの、義理人情というニセの着物をぬぎさり、赤裸々な心になろう、この赤裸々な姿を突きとめ見つめることが先ず人間の復活の第一条件だ。
元より人間は思い通りに生活できるものではない。愛する人には愛されず、欲する物は我が手に入らず、手の中の玉は逃げだし、希望の多くは仇夢で、人間の現実は概ねかくの如き卑小きわまるものである。
私はあなたの肉体を考えるのが怖しい、あなたに肉体がなければよいと思われて仕方がない、私の肉体も忘れて欲しい。
そして、もう、私はあなたに二度と会いたくない。誰とでも結婚して下さい。私はあなたに疲れた。私は私の中で別のあなたを育てるから。
淳風良俗によって罰せられるよりも、自我みずからによって罰せられることを怖れるべきだ。
恋愛は、人生の花であります。いかに退屈であろうとも、この外に花はない。
一般に人々は、古い習慣や道徳に自我の欲望を屈服させ同化させることを「大人らしい」やり方と考え、そういう諦めの中の静かさが本当の人間の最後の慰めであり真善美を兼ね備えたものだという風に考えるのだ。
私も不幸にして、そういう考え方のできない生まれつきです。
我々の陰鬱なる家庭は決してしかくあくまで守らねばならぬ値打を持つものではないだろう。
我々の家庭は外形内容ともに尚多くの変貌変質すべき欠陥があり、家庭の平穏に反することが直ちに不道徳を意味することは有り得ない。
歴史というお手本などは生きるためにはオソマツなお手本にすぎないもので、自分の心にきいてみるのが何よりのお手本なのである。
自分という人間は、全くたった一人しかいない。
そして死んでしまえばなくなってしまう。はっきり、それだけの人間なんだ。
一時的に自分を忘れられるということは、これは魅力あることですよ。たしかに、これは、現代的に偉大なる魔術です。
第一、ほんとに惚れて、死ぬなんて、ナンセンスさ。
惚れたら、生きることです。
然し、生きていると、疲れるね。
Posted by ブクログ
面白かった!坂口安吾の思想をそのまま飲み込むには成熟が必要で難しく感じたが、話の引き合いの出し方や力強い語り口のお陰で輪郭を掴めた感じ。
勝ちは得られないけど負けはしないといった言葉が印象的。
Posted by ブクログ
小気味良い痛快な内容だった。
人間は堕ちるとこまで堕ちきり、そこで新たな自分を見つけ、救われる。
堕ちないように、堕ちないようにとなんらか手立てをしたところで、人間は堕ちるのだし、堕ちきってからの方が本当の人間として生きられる。
下手な倫理観で人の失敗を嘲笑ったり、不倫浮気をネタに視聴率を稼ぐ世の中だけど、本当に本気で生きて堕ちたのなら、そこからが本当の人間としての生き方になるんだと思う。
現在進行形で堕ちている自分。死にたいと思って生きているが、どうやら、どんな状況においてもただ生きることが、シンプルで素敵なことなんだろうなぁ。
Posted by ブクログ
実を言えば何度も読む愛読書なので、今更という感じがあるけども、記録としてあげることにした。初めて読んだのは40年くらい前の高校生の頃だった、衝撃だった。敗戦のあとの日本人としてこんな考えがあるとは思わなかった。もはや戦争が風化していた。それが突然現実味をおびた。これからも戦争を儀式としてうわつっらだけ、伝えることはあるだろう。しかしこの本(正確にはこの本をよんだのではなく、別のほんなのだが)が残る以上、戦争の醜さとそれの上で生きている現代は批判され続ける。そしてそのことが希望になっている。何回も読んで、自分を戒めている。
Posted by ブクログ
焦土、と言っていいだろう。家は焼け落ち、田畑は荒れて、路傍には浮浪者がうずくまる。人々は闇市に行列を作り、娼婦と孤児が夜の街を徘徊する…。どこか遠い国の話でも、マンガやラノベの話でもない。たかだか70年と少し前、他ならぬ私たちの国で、普通にみられた日常風景である。
太平洋戦争後の混乱の中で、坂口安吾の『堕落論』は書かれた。わずか十数ページの小論文だが、そこに込められた熱量は凄まじい。「建設のために、まず破壊を」と説く過激さは狂ったテロリストのようでもあり、人間を見つめる静謐な眼差しは有徳の僧のようでもある。野蛮さと格調高さが奇跡的に融合した名文だ。
かつては国の為に命を投げだした若者が闇市の商人になり下がり、貞淑だった戦争未亡人は別の男を追い求める。それはしばしば言われるように、敗戦によるモラルハザードなのだろうか? 安吾の答えは否である。敗戦は関係ない、それが人間の本性なのだ。戦争に負けたから堕ちるのではない、人間だから堕ちるのだ。
安吾曰く、戦中の日本は美しかった。だが忠義と貞節など、美しい国を支えていた美徳は結局、空虚な幻影に過ぎなかった。その証拠に我々は、昨日までの敵国に、今日は嬉々として隷属しているではないか。我々は放っておけば、いとも簡単に二君に仕え、二夫にまみえてしまう民族なのだ。だからこそ為政者はことさら理想論を振りかざして、美徳という名の鎖で民衆を縛りつけずにはいられなかったのだ…と。
戦後レジームが日本人を堕落させたのではない。日本人はただ本来の姿に戻っただけだ。生きてゆく以上は堕落するのは避けられず、その現実を受け入れるところから真の復興が始まるのだ。人間は弱いから、幻影にすがらずに生きることはできない。だからと言って、戦前の亡霊のような徳目を今更持ちだしたとてなんになろう。一人ひとりが生身の体で人間の「生」を体験し、実感として掴んだ血の通った理念のほか、すがるべき幻影などありはしない。…と、安吾は言っているように思える。
〈生きよ堕ちよ、その正当な手順の外に、真に人間を救い得る便利な近道が有りうるだろうか〉
『カラマーゾフの兄弟』の未完に終わった第2部で、皇帝暗殺を企てるのは、敬虔なクリスチャンの三男であったという。してみると、テロリストのように民衆を煽動し、僧侶のように人間を慈しむ、安吾の思想にも矛盾はないのかもしれない。一流の聖職者ほど、闘争を厭わない激しさを心に秘めているものだろうから。硬直したシステムに風穴を開けることなしに、システムに押し潰されて窒息しかけている人を、救う手立てはないだろうから…。
発表から70年たった現代でも少しも色褪せず、読む者の胸を打つ名文である。
Posted by ブクログ
最初の一ページ目で時代背景的なところで挫折し積んでから読み終わるまでかなり時間かかってしまった。
青春論のはずなのになぜか宮本武蔵の剣法の話が出てきたり(ここがとても面白くてまたバガボンド読みたくなった)、主題と関係なさそうな話から自分の言いたいことへ収束していく感じが面白かった。今パッと出てこないのだけど、この言葉は自分に留めておきたいとか、もっと早く出会っていれば楽だったと思えるような考え方がいろいろ詰まっていた。
とても稚拙なレビューでお恥ずかしい限りです。
Posted by ブクログ
「人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。」
すごい。面白い。
この作者のすごいところは身の回りや歴史上の人物・事件をバサバサと自分の想いで論じときには切り捨てながらも、どうしようもなく愚かで狡猾で「アンポンタンな」人間への愛情に溢れているところだ。不完全で小狡い人間を、それゆえに真っ当になりたいと思う人間を愛し、称賛しているからだ。
だからこの方の文章は温かい。いうなれば世俗にまみれた温かさだ。坂口安吾という人物に会ってみたかった。そう思わずにはいられない。
「暑い」とか、「歯が痛い」とかで本気で癇癪を起こし、それを原稿に書いてしまうのに思わず笑ってしまった。チャーミングな方だ。
Posted by ブクログ
当時、こんなことを書いても大丈夫だったんだろうか…と思ってしまったような、ことも書かれており、驚きだった。
とても興味深くて面白かった。
『不良少年とキリスト』では、太宰さんのことが書かれていて、当時の様子を垣間見れたのは嬉しかった。
Posted by ブクログ
堕落論や続堕落論で書かれていることは非常に本質的だと思った。日本人の所謂ムラ的なるものの、建前性がよくわかる。天皇に関する考察も共感できて、現代の政治でも未だに見られる権力の二重構造状態である。
日本人の未発達な自我が、こういったエゴイズムや建前を生むのではないか。
Posted by ブクログ
読んでよかったと心底思えた。彼の言葉には全て噛み砕かれた理由があった。左翼思想でありながらも、決して伝統自体は否定していない。彼が言っていたのは、何も考えず古くからあるものが正しいと思い込み生きることへの批判だった。このように個人的には腑に落ちるようなことが多々あり今まで言語化出来なかった自分の心のモヤモヤが晴れた気がした。
戦後の日本は特攻隊故なのかやはりどこか"死"に対する美徳精神のようなものがあったのだろう。ただ、坂口安吾は自殺はしょうもないという。この彼の芯の強さとそこにある悲しみにものすごく胸を打たれた。
限度を知ること。これは現代日本においても学習で得るべき重要なことだと思う。
Posted by ブクログ
これを読むと敗戦直後の日本にタイムスリップします。
読んだその日から私のバイブルになりました。とりあえず生きろ!とこの作品で坂口安吾はずっと言っています。口悪いのにめちゃくちゃ頭良くて、器デカいのに鬱で、なんかとても魅力的な人物でした。
まんが版もあるので難しくて読む気失せそうという方はまんが版から入るとエッセンスが分かりやすいです。私も最初はまんが版で読みました。墜落論、続墜落論と2つで一つの作品と思います。
「不良少年とキリスト」では友人だった太宰治の死を受けて悔しい気持ちが感情のままに綴られているようで涙が出ました。ここでも、「自殺なんてするなよ、俺はお前の分まで生き抜いてやるからな!」と。
坂口安吾のエッセイは難しい表現も多いのですが時々すごく感情的でそこがとても刺さるのです。
Posted by ブクログ
自らの思う所を、いかにも作家らしい書き口で展開されるのが評論という印象であり、坂口安吾も歯に衣着せぬ口調で表している。
その中でも特に印象に残る書き口が、「堕ちきる」という表現である。これは単に受動的に堕落していくのではなく、自ら堕ちていこうとする意志が必要になることを表現しているように思える。ただ漫然としていては、堕落することもできない人間の半端な部分をうまく捉えているようにも思えるこの一言が、非常に印象的だった。
Posted by ブクログ
てぬぐいの表紙が好き。
太宰とか芥川とか小林とか、次々と言いたいことを言いながら、それでいて的を射ているような、
私にはちょっと難しかったな、
「ほんとうのことというものは、ほんとうすぎるから、私はきらいだ」
この言葉が印象に残った。
Posted by ブクログ
思っていたよりアツい人でした。
安吾作品で最初に触れたのは桜の森の満開の下で、ちょっと怖くて儚い小説に思ったので、もっとセンサイな人かと。文学に対する姿勢が本気で真摯で、生き生きとしている。
当時の人にしては働き方に対する意識がだいぶ令和寄りなところがスゴい。使えるものは使って、労働時間削減しろとか。
「罰当たりが血を吐きながら作る作品」に、生きている人間の文学の凄みを熱弁している。もがきながら生み出すモノが愛しいのかなと思う。(教祖の文学)
歯が痛いという生活の中から、太宰の急逝に触れていて、悲しみがじわじわと伝わってきた。死ぬのはいつでも出来る、いつでも出来るんだからそんな事はするな、生きていくのは辛いけど、それでも生きていかなくては、と繰り返している。メディアがした「実は太宰は生きていて安吾が匿っている」というカンチガイに、そうであれば良いのに、と書くのが悲しい。(不良少年とキリスト)
Posted by ブクログ
エッセイが読みたくなったので。終戦後、立ち直ろうとしている日本の気運に乗った作品だからか、「既成概念に反抗していくぞ!」感を強く感じた。確かに何にでも歯向かいたい当時の若者にはウケるだろうなぁという感じ。
各エッセイで表現が重複するところが多いように感じたが、筆者の意見が一貫しているところに好感を持てた。
有名なだけあって「青春論」と「堕落論」、「恋愛論」が面白かった
『私たちの小説が、ギリシャの昔から性懲りもなく恋愛を堂々めぐりしているのも、個性が個性自身の解決をする以外に手がないからで、何か、万人に適した規則が有って恋愛を割り切ることができるなら、小説などは書く要もなく、また、小説の存する意味もないのである。』(「恋愛論」より)
たしかに。
Posted by ブクログ
エッセイという読み物として見た時、今まで読んできた、まぁあまり多く無いけど、その作品達とは一線を画す。言いたいことの重心がブレていない文章を文豪が書くとここまで力強く印象づけられる。帰納していく段落は美しく見えて、そこに坂口安吾がいるかのような印象を持たされる。
堕落。
彼の発する堕落は多くの現代人には理解できないだろう。僕もその1人だ。なぜならみんな堕落して無いから。けれど、そのうち彼の言う堕落が現れて目の前を塞ぐ事態になるだろう。その時はじめてこの「堕落論」の爆発的な力を見るのだろうと思う。
Posted by ブクログ
坂口安吾(1906~1955年)は、新潟県に生まれ、東洋大学印度哲学倫理学科を卒業し、終戦直後に発表した『堕落論』、『白痴』により注目を集めて、太宰治、織田作之助、石川淳らとともに無頼派・新戯作派と呼ばれた、近現代日本文学を代表する作家の一人。
『堕落論』は、1946年(昭和21年)4月に雑誌『新潮』に掲載された作品で、同年12月に続編『続堕落論』が雑誌『文學季刊』に掲載された。書籍では、1947年に単行本が出版され、文庫版は角川文庫のほか、新潮文庫、岩波文庫、集英社文庫などから出ている。
角川文庫版には、『堕落論』、『続堕落論』に加え、1942~48年に書かれた随筆・評論、『日本文化私観』、『青春論』、『デカダン文学論』、『戯作者文学論』、『悪妻論』、『恋愛論』、『エゴイズム小論』、『欲望について』、『大阪の反逆』(織田作之助論)、『教祖の文学』(小林秀雄論)、『不良少年とキリスト』(太宰治論)の合計13篇が収められているが、各文庫の収録作品は多少異なっている。
同時代の文人の評論(小林秀雄などはその典型)というと、難しい言葉を使った硬い文章が少なくなく、ソフトな文章に慣れた現代人としては、読むにあたり相応の緊張感を要するが、安吾の文章は思いのほか読み易い。
『日本文化私観』より、「(ブルーノ)タウトは日本を発見しなければならなかったが、我々は日本を発見するまでもなく、現に日本人なのだ。我々は古代文化を見失っているかもしれぬが、日本を見失うはずはない。日本精神とは何ぞや、そういうことを我々自身が論じる必要はないのである。説明づけられた精神から日本が生まれるはずもなく、また、日本精神というものが説明づけられるはずもない。日本人の生活が健康でありさえすれば、日本そのものが健康だ。」「それが真に必要ならば、必ずそこにも真の美が生まれる。そこに真実の生活があるからだ。そうして、真に生活するかぎり、猿真似を羞ることはないのである。それが真実の生活であるかぎり、猿真似にも、独創と同一の優越があるのである。」
『堕落論』より、(あまりも有名な文章だが)「戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。・・・他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。・・・堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。」
『続堕落論』より、「天皇制だの、武士道だの、耐乏の精神だの、五十銭を三十銭にねぎる美徳だの、かかるもろもろのニセの着物をはぎとり、裸となり、ともかく人間となって出発し直す必要がある。」「人は無限に堕ちきれるほど堅牢な精神にめぐまれていない。何物かカラクリにたよって落下をくいとめずにいられなくなるであろう。そのカラクリをつくり、そのカラクリをくずし、そして人間はすすむ。堕落は制度の母胎であり、そのせつない人間の実相を我々はまず最もきびしく見つめることが必要なだけだ。」
こうしてみると、本書の作品群に通底しているのは、日本(人)がそれまで覆い隠してきた「ニセもの(ウソ)」を暴くことだとわかる。そして、そこからしか、あるべき日本(人)は生まれない、と安吾は言っているのだ。。。
(日本人に限らない)人間にとっての文化とは何か、といった点については首肯しかねるところもあるが、論旨は理解できるし、日本人とは何か、日本文化とは何かを考える上では、とりわけ貴重な論考なのだと思う。
(2020年12月了)
Posted by ブクログ
この本を読んで正直ほっとした。人間は堕落する、そのこと以外に人間を救うことはできない、とのこと。だから我々は落ち込んだ時には徹底的に落ち込んでも良いのだ。そのあとにそこから見えてくる世界があるはずだからだ。人間は結局のところ孤独な存在なのだ。だから無理に人にこびへつらうことも、無理に友達をつくる必要もないのだ。少し安心した。堕落によって人間が誕生した、生きよ堕ちよ、堕落すべき時には真っ逆さまに落ちねばならぬ、地獄において人生を生きよ、生きることにはあらゆる矛盾があり、不可欠・不可解である等人生に自然体で接している。考え方で今までとは違うので徹底的に堕ち込んでみるのも良いかもしれないと感じた。
Posted by ブクログ
ホントそうだなあって思えるとこもあれば、いやいやそれは…ってとこも。
まぁそれは当然なことだけど。
『青春論』に、『独身者は何かまだ一人前ではないというような考え方で、…』と書いてあってその辺のことは今もその当時も変わらないのだなぁと。そういうふうに感じるところが何箇所かありました。
もちろん当時より少しずつでも変わってはきているのだろうけど、やはり時間をかけないとそう人間変われないものなんだろうなあ…。
この中では『不良少年とキリスト』がすごく好き。
他のより感情がすごくのってるというか文体が全然違くて、怒りや悲しみや悔しさなんかが文章から滲み出ててやはり太宰の自殺に思うところがかなりあったんだろうな…と。
何度でも読み返したい。
Posted by ブクログ
青空文庫で読んだ「不良少年とキリスト」に感動して、紙の本でも欲しいと思い購入。カバーがアニメのものになっていたことが不満。知識不足もあり理解できない話が多々ありましたが、面白い考えを持った人だなと思いました。やっぱり紙媒体で読んだ方が心に直接響いてくるような感動があって好きです。
Posted by ブクログ
スっと入ってくる話と、噛み砕かないと少し分かりにくい話があった。ただ、どの話も共通して言えるのが「なんとなくだが坂口安吾の言いたいことは分かる。共感する」の2つだ。
ハッ、と価値観が覆るような話ではないが、己の心の奥底にある価値観について再確認させられる本だと思う。
青春論や悪妻論など現代を生きる私たちにとっても身近な話もあるので、語り口の展開でも読みやすい。
Posted by ブクログ
堕落論、難解だった。難解だったけど、この人の言いたいことは分かる。ただ私が自分の解釈をここにどのように書いたらいいのか纏まらない。
終盤の「大阪の反逆」から「教祖の文学」「不良少年とキリスト」は坂口安吾の迫力ある文章と思いに圧倒された。まだ何となくだけど、この方、私は好きかもしれない。
Posted by ブクログ
生活に目を向けた評論
形而上学的なことよりも、実質を重視する、機能主義的な考え方が通底している
無頼派と言われる所以が詰まっていた
悪妻論なども面白かった
不良少年とキリストには、胸が熱くなった
Posted by ブクログ
『日本文化私観』
秀吉の駄々っ子精神の部分がいまいち理解できなかった。三十三間堂の太閤塀を実際に見ていないからということもあるだろうが、自分にはそれも金閣銀閣と同じように金持ちの道楽的なものと区別がつかない。両者ともにそれそのものに意味などなく、他者に対して威厳を示したいだけの俗物だったのではないかと思った。
文化を形成するのはあくまで人間だという考え方はとても的を得ていると思う。自分に置き換えると、確かに人から見られるのは過去に生み出した作品や過去の行動であるかもしれないが、「自分」というものはその作品ではなくてこの私自身であるということに改めて気付かされた。
日本文化私観は日本の西洋化を「猿真似だ」と揶揄する人に対しての直接的な批判だと感じた。西洋化することは決して日本の誇りを失ったわけでもなければ西洋に盲目に心酔してるわけでもなく、ただ生活にとって必要なためであり、そこには必ず美が生まれると考えているように感じる。現代においてあらゆる面でコモディティ化が進み、模倣品に溢れているように感じられるがそこに美が感じられないのは「必要」から生まれた模倣ではないからだろう。技術が発展し、その物自体では差がつけられず、デザインなどで差を生むようになった現代においてもう一度「機能美」というようなものに焦点を当ててみると面白いかもしれない。
『青春論』
彼にとって青春は人生そのものであり、現実の奇蹟を起こすために小説を書いていると言っているように私は思った。常に奇蹟を追い求めることは気づくたびに落胆することの表と裏だと述べられているが、この言葉はとても印象深かった。いままで私は奇蹟というものを自分の外に見ていたが、現実の奇蹟として自分で山を掘って金を出すということをしてこなかったと感じた。人生の救いを自分以外に求め、自らの闘争心を失くしてしまったらそれこそ生きてる意味を感じられなくなると思う。私も宮本武蔵のように人生半ばで闘争心を失うという「区切り」をもって青春時代を語るのではなく、できることなら死ぬときまで前進し続けるような人間でありたい。
『堕落論』『続堕落論』
自分もどこかで他人に救いを求めてたのかもしれない。もっと真っ当に落ちて欲望の赴くまま、自分の力で生きようと感じた。
衝撃的だったのは戦中の日本人の姿がイメージしていたものと異なっていたことだ。空襲の最中、妙な落ち付きと決別し難い愛情を持っていて、そんな状況を楽しんでいた人もいたということが、全く異なる世界に生きていながらスリルが楽しくなるようないまの感覚と似たようなものを感じて、戦中の日本人もまたただの人間だということを実感した。
そして、耐え凌ぐことが美徳とされている文化への批判はとても共感した。必要は発明の母なりという言葉通り、我慢というものは停滞であり、思考の放棄であると私も考えた。例えば怒られている時にその場を耐え凌ぐために無心で謝罪の言葉を言うのは簡単だが、自己を内省しその意味を理解することこそ人間として成長すると思う。私も自分に甘えて我慢することなく自分の欲求と向き合い、そのたびに考え、成長したいと思う。
尾崎咢堂の世界連邦論というものが作中で触れられていたが、日本人という枠組みを捨てて世界人として区別なく生きるべきだという考えがもしかすると現代においてもっと共感できるのではないかと思い、読んでみたいと思った。
Posted by ブクログ
やはり時代が違うので、中々についていけない部分もあるけれど堕ちきった先に新しい何かが見えてくるというものはある意味普遍的な考え方でもあるし、今の時代にも何かが見えてくるのではないかという気もする。
太宰の下りは、この人は本当に彼のことを好いていたのだなとわかる胸にじんわりとくる文章だった。
Posted by ブクログ
同じ新潟県民として1つくらい坂口安吾作品読んでおこうと思い読んでみました。
思っていた以上に面白いですね。他の作家とかに言及しているところが特に。