あらすじ
≪TVアニメ「文豪ストレイドッグス」放送記念! アニメ描き下ろしコラボカバー版を配信!≫
「堕ちること以外の中に、人間を救う便利な近道はない」。第二次大戦直後の混迷した社会に、かつての倫理を否定し、新たな考え方を示した『堕落論』。安吾を時代の寵児に押し上げ、時を超えて語り継がれる名作。
<シリーズ累計250万部突破!「文豪ストレイドッグス」シリーズとは!?>
中島 敦、太宰 治、芥川龍之介、与謝野晶子、泉鏡花、F・スコット・フィッツジェラルドなど国内外の文豪のイメージをモデルに擬人化されたキャラクターが、「人間失格」「羅生門」などといった各文豪に関連する異能力を用いて戦うバトルアクションコミックス。
舞台は横浜。孤児院を追われた主人公・中島 敦は、とある自殺志願の男・太宰 治を助けたことから、異能力集団「武装探偵社」に所属することに。やがて、ポートマフィアの芥川龍之介らや、北米の異能力集団・組合(ギルド)との対決が激化していく――!
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Posted by ブクログ
くらっちゃうよね。思想の力強さも、文章の無駄のなさも虜になってしまう。
永遠はありえない、歴史に必然性はなく、人は人格を有する。そういったことを突き詰めて、実行したのが彼の生き方だったのだろう。
名作と呼ばれる本ばかり読んでいても、浅い人間になりそうだけど、この作品に出会えて素直に感動している。
Posted by ブクログ
最初の一ページ目で時代背景的なところで挫折し積んでから読み終わるまでかなり時間かかってしまった。
青春論のはずなのになぜか宮本武蔵の剣法の話が出てきたり(ここがとても面白くてまたバガボンド読みたくなった)、主題と関係なさそうな話から自分の言いたいことへ収束していく感じが面白かった。今パッと出てこないのだけど、この言葉は自分に留めておきたいとか、もっと早く出会っていれば楽だったと思えるような考え方がいろいろ詰まっていた。
とても稚拙なレビューでお恥ずかしい限りです。
Posted by ブクログ
自らの思う所を、いかにも作家らしい書き口で展開されるのが評論という印象であり、坂口安吾も歯に衣着せぬ口調で表している。
その中でも特に印象に残る書き口が、「堕ちきる」という表現である。これは単に受動的に堕落していくのではなく、自ら堕ちていこうとする意志が必要になることを表現しているように思える。ただ漫然としていては、堕落することもできない人間の半端な部分をうまく捉えているようにも思えるこの一言が、非常に印象的だった。
Posted by ブクログ
思っていたよりアツい人でした。
安吾作品で最初に触れたのは桜の森の満開の下で、ちょっと怖くて儚い小説に思ったので、もっとセンサイな人かと。文学に対する姿勢が本気で真摯で、生き生きとしている。
当時の人にしては働き方に対する意識がだいぶ令和寄りなところがスゴい。使えるものは使って、労働時間削減しろとか。
「罰当たりが血を吐きながら作る作品」に、生きている人間の文学の凄みを熱弁している。もがきながら生み出すモノが愛しいのかなと思う。(教祖の文学)
歯が痛いという生活の中から、太宰の急逝に触れていて、悲しみがじわじわと伝わってきた。死ぬのはいつでも出来る、いつでも出来るんだからそんな事はするな、生きていくのは辛いけど、それでも生きていかなくては、と繰り返している。メディアがした「実は太宰は生きていて安吾が匿っている」というカンチガイに、そうであれば良いのに、と書くのが悲しい。(不良少年とキリスト)
Posted by ブクログ
エッセイが読みたくなったので。終戦後、立ち直ろうとしている日本の気運に乗った作品だからか、「既成概念に反抗していくぞ!」感を強く感じた。確かに何にでも歯向かいたい当時の若者にはウケるだろうなぁという感じ。
各エッセイで表現が重複するところが多いように感じたが、筆者の意見が一貫しているところに好感を持てた。
有名なだけあって「青春論」と「堕落論」、「恋愛論」が面白かった
『私たちの小説が、ギリシャの昔から性懲りもなく恋愛を堂々めぐりしているのも、個性が個性自身の解決をする以外に手がないからで、何か、万人に適した規則が有って恋愛を割り切ることができるなら、小説などは書く要もなく、また、小説の存する意味もないのである。』(「恋愛論」より)
たしかに。
Posted by ブクログ
『日本文化私観』
秀吉の駄々っ子精神の部分がいまいち理解できなかった。三十三間堂の太閤塀を実際に見ていないからということもあるだろうが、自分にはそれも金閣銀閣と同じように金持ちの道楽的なものと区別がつかない。両者ともにそれそのものに意味などなく、他者に対して威厳を示したいだけの俗物だったのではないかと思った。
文化を形成するのはあくまで人間だという考え方はとても的を得ていると思う。自分に置き換えると、確かに人から見られるのは過去に生み出した作品や過去の行動であるかもしれないが、「自分」というものはその作品ではなくてこの私自身であるということに改めて気付かされた。
日本文化私観は日本の西洋化を「猿真似だ」と揶揄する人に対しての直接的な批判だと感じた。西洋化することは決して日本の誇りを失ったわけでもなければ西洋に盲目に心酔してるわけでもなく、ただ生活にとって必要なためであり、そこには必ず美が生まれると考えているように感じる。現代においてあらゆる面でコモディティ化が進み、模倣品に溢れているように感じられるがそこに美が感じられないのは「必要」から生まれた模倣ではないからだろう。技術が発展し、その物自体では差がつけられず、デザインなどで差を生むようになった現代においてもう一度「機能美」というようなものに焦点を当ててみると面白いかもしれない。
『青春論』
彼にとって青春は人生そのものであり、現実の奇蹟を起こすために小説を書いていると言っているように私は思った。常に奇蹟を追い求めることは気づくたびに落胆することの表と裏だと述べられているが、この言葉はとても印象深かった。いままで私は奇蹟というものを自分の外に見ていたが、現実の奇蹟として自分で山を掘って金を出すということをしてこなかったと感じた。人生の救いを自分以外に求め、自らの闘争心を失くしてしまったらそれこそ生きてる意味を感じられなくなると思う。私も宮本武蔵のように人生半ばで闘争心を失うという「区切り」をもって青春時代を語るのではなく、できることなら死ぬときまで前進し続けるような人間でありたい。
『堕落論』『続堕落論』
自分もどこかで他人に救いを求めてたのかもしれない。もっと真っ当に落ちて欲望の赴くまま、自分の力で生きようと感じた。
衝撃的だったのは戦中の日本人の姿がイメージしていたものと異なっていたことだ。空襲の最中、妙な落ち付きと決別し難い愛情を持っていて、そんな状況を楽しんでいた人もいたということが、全く異なる世界に生きていながらスリルが楽しくなるようないまの感覚と似たようなものを感じて、戦中の日本人もまたただの人間だということを実感した。
そして、耐え凌ぐことが美徳とされている文化への批判はとても共感した。必要は発明の母なりという言葉通り、我慢というものは停滞であり、思考の放棄であると私も考えた。例えば怒られている時にその場を耐え凌ぐために無心で謝罪の言葉を言うのは簡単だが、自己を内省しその意味を理解することこそ人間として成長すると思う。私も自分に甘えて我慢することなく自分の欲求と向き合い、そのたびに考え、成長したいと思う。
尾崎咢堂の世界連邦論というものが作中で触れられていたが、日本人という枠組みを捨てて世界人として区別なく生きるべきだという考えがもしかすると現代においてもっと共感できるのではないかと思い、読んでみたいと思った。