坂口安吾のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
「私はあなたから、人の子の罪の切なさを知りました。罪の持つ清純なものを教わりました。」――『ジロリの女』
私が安吾の文章を読んで、たまらなく悲しく、どうしようもなく切なく、そして苦しいほど何かに向かって声の限りに叫びたくなるのは、たぶん、安吾が優しくて潔癖で、強靭で狂人だからだろう。
「私はいつも神様の国へ行こうとしながら地獄の門を潜ってしまう人間だ。ともかく私は始めから地獄の門を目指して出かける時でも、神様の国へ行こうということを忘れたことのない甘ったるい人間だった。」――『私は海をだきしめていたい』
安吾は自分の弱さを認めている。自分の無知さも認めている。そして彼は、自分の恥も認めている。
それがどれほど絶望的なことかを、安吾は知っているのだと思う。それでいて、いやそれなのに、彼は人間を信じている。人間である自分を信じている。それはもう、驚くくらい一途に信じているのだ。
私は安吾が好きかというと、よくわからない。
しかし、安吾を愛している。
こんなに潔癖で狂人で、強靭で優しい人がいたらと思うと怖い。でも、そんな彼を、とても愛しく思うのだ。 -
Posted by ブクログ
坂口安吾は、104年前の1906年10月20日に新潟市で生まれた小説家。
『不連続殺人事件』『桜の森の満開の下』『白痴』『安吾捕物帖』『堕落論』『安吾巷談』などなど、小説をはじめ翻訳までほとんどの作品を読んで来て、やはり彼の真骨頂は、小説家としてより評論というか文明批評や社会批評の面で大いに発揮されているように思います。
そして、家は先祖代々の旧家で地主で大富豪、衆議院議員の父の13人兄弟の12番目の子として生まれた出自は、その後の彼の人生にどういう影響を及ぼしたのか、想像に難くないのは私だけでしょうか。
それから、敗戦後に『堕落論』で一世を風靡し≪無頼派≫で鳴らしたことからも、かなり長生きしたような印象を持っていましたが、55年前の1955年に脳出血でわずか48歳で亡くなったことを知って驚きました。
それで、この本はというと、随分前に読んだのでほとんど忘れかけています。ただ記憶にあるのは、きっぷのいい啖呵を切ったような日本文化論、これじゃあ何のことやらさっぱり私もわかりませんので、夜っぴて再読しなきゃ。
・・で、高校生以来の再読で何もかも判明しました。
ちょうど『不連続殺人事件』を読み返す必要があったので、ついでに本書も読んだのですが、反抗精神旺盛な高校生のときに、私がなぜ太宰治を嫌悪し坂口安吾に憧れたのか。
本質的には、ほとんどべったりロマンティシズムとセンティメンタリズムさらにニヒリズムに支配される時期にあったあの思春期に、それらをまともに体現する太宰治に一部の友人は酔いしれていましたが、私は逆にあの言い訳がましさや逡巡やめめしさに我慢ならず反動でまったく逆の、見せかけだけの雰囲気や風情や感じに惑わされることなく、実質的な生活の質をたしかめることを高らかに宣言した坂口安吾の方に魅かれたというわけです。
既成の体制・文化・価値観に対するその反骨精神は、ちょうど同じころ気になっていた史的唯物論ともあいまって、私に思考のスタイルの転換さえせまるものでしたが、根源的なイズムの違いではないということで落ち着きました。
それはさておき、いま改めて読み返してみて思うことは、生活者の視点は重要だとしても、徒手空拳ではただの独りよがりの武骨な自爆行為にすぎないのであって、根本的な批判にもなっていないのではないか、ということです。
京都の社寺仏閣なんて知らないよとか、日本美の発見などしなくていいとか言っていたって始まらないのです。
それでは、文学の「やむべからざる実質」をないがしろにしようと企む、日本浪漫派や保守反動たちとはまともに対抗できないのではないかと私などは思ってしまうのです。
民衆の心の救済を願って建立された仏像や社寺仏閣が、その実いかにして民衆を支配するため、畏怖の念を抱かすために作られた政治的道具だったか。日本美とか幽玄などという抽象的なものを現出させ、あたかもすばらしいことのように喧伝したのは、たとえば、これは法然や親鸞も優れた思想家ではありましたが、現世(生きている今)より浄土(あの世)の方がすばらしいみたいに吹聴して現実逃避させ抵抗のもとを断ったという意味でとんでもない御用坊主だったことを指摘する、などということは、そうか、坂口安吾の力量・あの時代の思索の不可能性のため、とうてい無理だったのでしょう。
本人の突っ込み不足も否めませんが、あの当時の制約や孤立無援の闘いもあって、時代の趨勢を成すとか後続応援部隊が続々ということもなく、記念碑的な文章という意味はあっても歴史的にはほとんど・・・。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ坂口安吾は戦中~戦後にかけてユニークな日本国家論を提起した。
「日本文化私観」では、日本文化とは伝統的建造物などではなく、そこにあった人、生活、風俗そのものが日本の文化であるとした。また、「我が人生観」でも文化というものは、過去にもとめるよりも、未来にもとめる建設の方が大切と説いている。
また「堕落論」「続堕落論」では古代から天皇は政治利用される存在であり、神聖にして侵されないけれども、藤原氏を始め、幕府、尊王攘夷派、軍部の不敬なる企みに使われた。そしてその者達が先頭を切って崇拝することにより、やつらは強大な権力を振りかざしたと斬り捨て、東京裁判に雁首揃えて生き恥をさらす将軍達を痛烈に批判している。 -
Posted by ブクログ
あんごすきだー
結婚したいたぶんうまくいかないけど
平気なふりしてるけど、奥底がこういうへなちょこなひとをみると愛しくて愛しくてたまんなくなる
かわいいひとだなぁ
「だが私は何事によって苦しむべきか知らなかった。私には肉体の欲望も少なかった。苦しむとは、いったい、何が苦しむのだろう。私は不幸を空想した。貧乏、病気、失恋、野心の挫折、老衰、不和、反目、絶望。私は充ち足りているのだ。不幸を手探りしても、その影すらも捉えることはできない。叱責を恐れる悪童の心のせつなさも、私にとってはなつかしい現実であった。不幸とは何物であろうか。」
「『憎んでいる?』
女はただモノうげに首をふったり、時には全然返事をせず、目をそらしたり、首をそらしたりする。それを見ていること自体が、まるで私はなつかしいような気持であった。遊び自体がまったく無関心であり、他人であること、それは静寂で、澄んでいて、騒音のない感じであった。」
「虚しい形骸のみの言葉であった。私は自分の虚しさに寒々とする。虚しい言葉のみ追いかけている空虚な自分に飽き飽きする。私はどこへ行くのだろう。この虚しい、ただ浅ましい一つの影は。」
で、やっぱり私は海を抱きしめていたいが大好きなのね。
「『じゃ、あなたは、私の路傍の人なのね』
『誰でも、さ。誰の魂でも、路傍でない魂なんて、あるものか。夫婦は一心同体なんて、馬鹿も休み休み言うがいいや』
『なによ。私のからだになぜさわるのよ。あっちへ行ってよ』
『いやだ。夫婦とは、こういうものなんだ。魂が別々でも、肉体の遊びだけがあるのだから』」
「私は、肉慾自体が私の喜びではないことに気付いたことを、喜ぶべきか、悲しむべきか、信ずべきか、疑うべきか、迷った。」
「肉慾すらも孤独でありうることを見出した私は、もうこれからは、幸福を探す必要はなかった。私は甘んじて、不幸を探しもとめればよかった。
私は昔から、幸福を疑い、その小ささを悲しみながら、あこがれる心をどうすることもできなかった。私はようやく幸福と手を切ることができたような気がしたのである。
私は始めから不幸や苦しみを探すのだ。もう、幸福などは希わない。幸福などというものは、人の心を真実なぐさめてくれるものではないからである。かりそめにも幸福になろうなどと思ってはいけないので、人の魂は永遠に孤独なのだから。そして私は極めて威勢よく、そういう念仏のようなことを考えはじめた。」