あらすじ
戯作者の精神を激しく新たに生き直し、俗世の贋の価値観に痛烈な風穴をあける坂口安吾の世界。「堕落論」と通底する「白痴」「青鬼の褌を洗う女」等を収録。奔放不羈な精神と鋭い透視に析出された"肉体"の共存――可能性を探る時代の補助線――感性の贅肉をとる力業。
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Posted by ブクログ
久しぶりに読み返した。やっぱり坂口安吾はすごい。
高校生の頃は白痴が良かった覚えがあるけれど、今読んだら断然青鬼…の方が好きになっていた。傑作。
Posted by ブクログ
安吾ほど女という生き物をいとおしんでいる作家もいないと思う。
この本に出てくる女達は、皆淫乱で不実だが愛らしくいじましい。
女は女であってほしい。
そして男は、男であってほしいと思う。
Posted by ブクログ
びっくりした
安吾やばい
私もそれがすごく欲しいけど
どこにあるのかも、存在するのかもわかんないよね
すべては爽やかでみたされていて退屈
なのになんでこんなに懐かしいのでしょう
Posted by ブクログ
青鬼の褌を洗う女について。
孤独に対する安吾の視線がたまらない。
孤高である意識のある人は是非読んでほしい。
私も青鬼の褌を洗う女になりたい。
安吾の奥さんがモデルらしいが、なんとも女として生々しくて、逞しくて、魅力的だ。
Posted by ブクログ
坂口安吾先生は、女のひとの気持ちを書くと世界一です。どうしてこんなに見透かしてしまうんだろう。女のひとが書いたみたいだ。こういう女のひとになりたい。読んでよかった本の第一位かもしれません。
Posted by ブクログ
坂口安吾の、戦前から戦後すぐに発表された作品の短編集。
『ラムネ氏のこと』と『故郷に寄する讃歌』以外の作品は、男女の恋愛(肉体の、または観念の)を描いている。
そこに描かれているのは、男を翻弄する女。
そして、女に翻弄されながらもしがみつくわけではない、けれどもふわふわと離れがたくそこにいる男との対比。
男の視点で、時に女の視点で語られるそれらは、安吾の人生のテーマなのかもしれない。
女性の経済的自立が難しかった時代、芸術だったり歌舞音曲を好み、コツコツ働くことの不得手だった女性は、「オメカケ」になるしかなかったのかもしれない。
親の遺産はもらえないなか、まずは食べること、そして終日を気ままに暮らす手段。
高等遊民の女性の話は聞いたことがない。
戦前の作品では、女性は「死」をほのめかす。
時に自ら死を選ぶ。
しかし、負け戦濃厚のなか空襲から逃げ惑い、家に水をかけ、穴を掘り、空を見上げながら夜を明かすような戦争の日々を体験した後の戦後の作品には、特に人生の目標があるわけではなくても、とにかく生き延びるというしたたかさが現れる。
でも、私が好きなのは『ラムネ氏のこと』だな。
これは時代性を問わず、最近の話としても通用するような、ちょっとした小話。
今後大きな辞書を見かけたら、ラムネ氏のことを調べてしまいそうだ。
Posted by ブクログ
白痴がとても面白かった。ずっと題名だけは知っていて、こわい話なのではないかと構えていたから、いい意味で裏切られた。白痴が女に見える瞬間と、そうでないときのちがいが鮮やかに心を通りすがる。
恋をしに行くを目当てで買い、何ヶ月か前に本作だけを読んで好きだと思った。けれども今回もう一度はじめから通して読んだときは、知らず知らずのうちに読み終えてしまった。
波子、続戦争と一人の女が良い作品だと思った。
Posted by ブクログ
坂口安吾は天才だという。そうかもしれない。この文章は誰のものでもなく、独特のものがある、と昔感じたが今はまた違った意味ですごいなと感じる。文庫には解説がついているが、多分そのとおりなのだろうが、今この小説が書かれてから60年もたっていても何か現代に訴えるものがある。と思う。白痴には怒りがある。戦争のくだらなさに、それによって自由な表現を奪われたことにも、「気違い」「白痴」といっている町の人々もまた「気違い」であり、本能と欲望のまま生きる「白痴」は死をすぐ傍らのものとして生きているとき最も純粋に感じる。書いた作者が何を表現しようとしたかは多分解説のとおりなのだろうが、それを読んで何を感じるかは読む読者のものだと思う。何かを感じさせるということ、それが出来ることがまたすごいと思う。「井沢は女がほしかった。女がほしいという声は井沢の最大の希望ですらあったのに、その女との生活が二百円に限定され、鍋だの釜だの味噌だの米だのみんな二百円の呪文を負い、二百円の呪文に憑かれた子供が生まれ、女がまるで手先のように呪文に憑かれた鬼と化して日々ぶつぶつ呟いている。胸の火も芸術も希望の光もみんな消えて、生活自体が道ばたの馬糞のようにグチャッグチャに踏みしだかれて、乾きあがって風に吹かれ、飛び散り跡形もなくなって行く。つめのあとすら、なくなって行く。女の背にはそういう呪文が絡み付いているのであった。」安吾の結婚観は正直痛い。痛すぎる。「青鬼の褌を洗う女」は女の一人称で書かれているが、これも傑作だと思う。性には執着しないが生きることには執着のある女、オメカケさんになりそれなりに誠実にオメカケさんをやっている。母親の死を束縛からの解放と感じ、戦争や破壊は嫌いだが破壊のあとに新しい何かが生まれると感じている。そして自分の中に母親の姿を見つけうんざりしている。彼女のあっけらかんとした、それでいて何かのんびりとした人生観は今の若い子に共通しているように感じる。「ニート」の意味がいまいち把握できていない。「パラサイト」とどう違うのか。彼女は「ニート」なのではないかと思うのだが・・・。でもオメカケさんという職業婦人だというのだから違うのだろうか。2005・12・1