斎藤幸平のレビュー一覧
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仕事に関する本以外はほぼ小説しか読まない私が、推しが心に響いたと紹介していたので読んでみた。推しの紹介でない限り自分からは読まない本だったので世界が広がる。
自分がいかに無知…というよりも無関心だったかを知る本だった。そして、無知より無関心の方が罪深い。
特に洋服のリサイクルの話、外国人労働者の話は、自分が恥ずかしくなった。
最近、編み物にハマっている。少し奮発して買った毛糸で時間をかけて編んだ服は簡単には捨てられない。リサイクルすれば良いではなく、リサイクルしないことこそが気候変動に良いのだという話に納得。
小説のようなエンタメ性ではなく、知的好奇心をくすぐる読書も楽しい、そして世界を広げる、と実感した本だった。 -
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日本向けに書かれたという本書は「倫理資本主義」というコンセプトについてガブリエル氏が安易な言葉で解説しています。倫理資本主義とは、一言でいえば経済的価値と道徳的価値のリカップリング、ということです。まず「リ(再)」とついていることからわかるように、近代になってデカップリングされていた2つの価値を再びつなげよう、というメッセージがあります。また経済学的に言えば、公害などの外部不経済と呼ばれるものをいかに減らすか、またプラスの外部経済(例:教育や研究開発など社会全体に染み出る効果)をいかに増やすか、も倫理資本主義のエッセンスと理解しました。
また生活の質と経済学をリカップリングすることも可能だ、という話をジョン・スチュアート・ミルの言葉を引用して説明しています。なるほどそのためにはGDPを超える指標が必要になるでしょう(さもなければ相変わらず政府はGDPの最大化だけを追い求める)。そして、イマヌエル・カントの「最高善(highest good)」とは、経済価値と道徳価値が均衡している点だと言います。これは概念的には理解できなくはないですが、はたして何をもって均衡しているのか、となるとその判断自体が極めて難しい気もしました。
応用編ではいくつかの具体的な提言が含まれています。たとえば企業がチーフ倫理オフィサー(CPO)を設け、企業の意思決定に道徳的価値からの意見を述べること、また子供に投票権を与えること、AIによって人間がよりインテリジェンスになるような制度設計があります。チーフ倫理オフィサーに関しては、果たしてそのような役職を設けないと企業は変わらないのか、疑問に感じましたが、彼の提言を受け入れる企業も一定数いそうな印象は持ちました。
全体的に主張内容は理解できるものの、日本企業を主語にして考えた場合、果たして日本企業は「自主的に」倫理資本主義に移行するのか、あるいはやらなければならない(表面的であればそうやらねばならない)から移行するのか、という移行プロセスについてはよくわからず、もやもやした気持ちは残りました。 -
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生産力主義的、ヨーロッパ中心主義的な思想家として認識されがちなマルクスの印象をひっくり返そうとする研究。
著者は一個上なんだけど、マルクスの研究者としてヨーロッパで出版した本がその後日本語で出版されるという流れに畏怖の念を抱くな。
資本論が未完に終わってしまったこともあり、マルクスの環境に関する考え方が見落とされている。しかし、晩年のマルクスは自然科学についての研究に熱心に取り組んでいたことがMEGAと呼ばれるマルクス・エンゲルス全集からわかる。マルクスの分析の範囲は社会の領域に限定されず、人間と自然の物質代謝にも及んでいる。
2部はマルクス主義とエコロジーに関する文献レビュー的な。
人新世という概念が、環境危機にもっとも責任があるのはグローバルノースに住む高所得の人々だが最も負の影響を受けるのはグローバルサウスの貧しい国々という資本主義の側面を人類という抽象的存在のもとに隠ぺいしてしまうというネッケルの批判。
3部ではプロメテウス主義的なマルクス主義の欠陥を認めたうえで赤と緑の対立の解消を試み、マルクスが最終的には脱成長コミュニストになっていたとする。生産力の発展がポスト資本主義社会の物質的基盤を自動的に準備せず、むしろ人間や自然からの掠奪をますます悪化させる可能性を認識しており、1868年以降は自然科学の研究に励んだのもそのためである。さらにヨーロッパ中心主義からも離れていた。
そんなマルクスが構想していたのが、市場競争と資本蓄積への圧力がない、非消費主義的な活動に十分に時間を割くことができる、より健康的で連帯した民主的な生き方ができる脱成長コミュニズム。エッセンシャルワークをすべての社会構成員で共有し、非エッセンシャルな生産を削減、ブルシットジョブの除去で環境負荷を即座に経験することができる。
終章で、なぜマルクスという個人の思想が今も研究の対象なのかという自分の疑問に著者が回答していた。マルクスの研究プロジェクトは未完、だからこそそれをさらに拡張し現代の科学的知見を取り込みながら経済学批判のプロジェクトをさらに発展させることができると。決して現代のマルクス研究者がやろうとしているのはマルクスの神格化とかということではないのだな。
問題は、脱成長コミュニズムに大衆を向ける仕組みがないことだろう。資本主義はそれこそ資本が勝手に増殖するような仕組みになっているわけだが、脱成長コミュニズムは世界に住む全員が同意しなければならないような、それはつまり戦争や核兵器の廃絶と同じレベルの困難さということだと思う。だから最後には「歴史の審判を待つことにしよう」と言うしかないのよな。 -
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とても素敵な本。「自治」の実際が語られていて,なんか,やる気が出るような来ます。著者によっては,少し難解な部分もあるのですが…。
最後の斎藤幸平さんの「「自治」の力を耕す〈コモン〉の現場」より,今の教育現場にも通じる話を引用します。
…労働問題に取り組むNPO法人POSSEの代表である今野晴貴さんは,次のように指摘します。
ブラック企業問題が解決しない原因は,労働法が存在しないからではない。むちゃくちゃな働かせ方を取りしまう法律自体は日本にもある。あるけれども,労働組合が弱体化した日本では,企業のほうが圧倒的に強く,労働者には力がない。そのせいで,法律の運用が形骸化し,「違法労働」がまかり通ってしまうのだ,と。(本書245ぺ)
斎藤氏は,このように引用した上で,マルクスの主張を取り上げて次のように述べています。
…私が専門としているカール・マルクスは,トップダウン型の法制度改革を「法学的幻想」だと批判し,「下から」の変革を重視しました。具体的には,マルクスは,「自治」を育むボトムアップ型の組織を「アソシエーション」と呼び,このアソシエーションを広げていくことが,社会を変えていくための基礎だと考えたのです。(本書246ペ)
今ある労働組合をどうするのかも大切なことですが,今一度,現場の教員にとって大切にしたいものはなんなのかを話し合い,それを実現するために,どんな風にボトムアップしていくのか,どのように仕掛けていくのか,下からのしたたかな自治を作り出していくことが必要ですね。
言うは易く行うは難し…ですが,諦めないで,ときには,子どもの人権に関わることが明らかならば,現場で闘うしかないでしょう。
その積み重ねが,職場の過ごしやすさにつながると思います。
既存の労働組合の「とにかく数だけを守る闘い」からの脱却が必要なのでは。 -
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「当事者意識を持つこと」の重要性を実感しました。
「自治」というテーマのもと、様々な分野における「自治」のあり方について論じられていました。
特に、現代社会における「上から」の改革の限界を指摘し、真の社会変革は、一人ひとりが「当事者」となることから始まることを強調していました。
この著書における「市民科学」の例は、この「当事者意識」の重要性を感じられます。専門家だけに任せるのではなく、市民自身が社会問題の解決に向けて積極的に行動を起こす「市民科学」の動きは、従来の「上からの」改革ではカバーしきれない問題に取り組む、新しい可能性を感じられました。
p125~武器としての市民科学を (木村あや)
このような当事者意識を持つことの重要性を、様々な角度から浮き彫りにしています。 「上から」の改革に依存するのではなく、一人ひとりが「当事者」として社会に関わっていくことの重要性を、再認識することができると思います。 -
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第1章 「倫理」「資本主義」「社会」を定義する。
P.43 倫理資本主義とは、倫理と資本主義を融合されられると言う考え方の。道徳的に正しい行動から利益を得ることは可能であり、またそうあるべきである。
第2章 入れ子構造の危機
p.60 自由という価値は個人にかかわるものであり、また個人を形成する。しかし個人は、自らが属する社会的形式が選択の余地を提供しないかぎり自由にはなれない。私たちが近代の自由社会を評価するなは、常に社会的形成の一部にある個人により多くの選択肢を生み出すからだ。
第3章 経済学の危機
p.92 何らかの方法で資本主義と自由民主主義を排除し、環境社会主義その他の柔道の低いガバナンスの仕組みを導入しても、私たちが直面する複雑な危機は解決できない。
第4章 道徳的価値と経済的価値をカップリングさせる
確かになぜ富の不平等が法律としてみとめられていらのかは謎である。
p.110 法律はまさに規範的秩序をつくるための社会システムであり、それゆえに社会的なものだ。つまり私たちは私有財産の存在自体を許容することで、法を通じて集団として私有財産を所有するのだ。
…経済的および社会的病理を深刻化されるあらゆるかたちの有害な格差は違法であるべきだ。なぜなら貧困は社会的な病理の主要な原因だからだ、
第5章 ヒトという動物
p.153 最も重要な主張は、私たちは人間の主体性のなかに道徳的善を観察できると言うことだ。
第6章 道徳的進歩と持続可能性
質や解釈を与えるのが、人文学の役割でもある。
p.165 人文科学、人文主義的社会科学、経済学がどのように連携をするのかを示す例の一つが、生活の質という概念とその実態の探求だ。質は量と同じように増えも減りもするが、質には量に還元できない側面があるという点において両者は異なる。私が同じ種類のチョコレートを食べれば食べるほど消費者は増えていくが、そのチョコレートを食べるという経験の2つは落ちていく。一般的に人間の成長と発達とは、態度の変容、すなわちの幸福の認知や経験の差にある。このため私たちがどのように花開き、成長するかは、一般的な経済的繁栄を予測するあめのツールで測ることができない。
第7章 CPOの倫理部門
p.215 倫理部門は現実世界のデータから得た知見に基づいて、会社が直面してる具体的な問題に対する真に倫理的な解決策のポートフォリオを作成する役割と全面的な責任を負う。
第8章 子どもたちに選挙権を!
p.234 世の中にはみんな好きなものがある。だから誰も望まない仕事に一定時間費やした人だけが、そう言うものを買えるようにしたらどうか?つまりある月にピザを買いたければ、 、それまでに公共トイレを何ヶ所か掃除したり、社会奉仕をしたりする必要があるという制度だ。
第9章 形而上学的パンデミック
p.245 私が訴える「形而上学的パンデミック」とは、私たちに人間は自らの欲望に新たな家を作る必要がある、ということだ。私にはもっと知恵が必要だ。知恵とは自らの欲望に対処することだ。
あとがき
p.274. 新自由主義の問題は、人間の自由は本質的に「社会で自由」でえふこと、すなわち他者が存在しなければ実現しない自由であることを見落としてしている点にあるとガブリエル氏は指摘する。利己的追求によって誰かの自由を奪うと、結局自分の自由を制限することになる。 -
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装丁とタイトルから得る印象で、一旦は読むのをやめようと思ったこともあったのだけれど、今回通読してみて、特に後書きは結構硬質の社会学というような本だったように思う。
一見良いように思えるやり方が、よくない影響よくない結果をもたらしてしまう事例をいくつも現場で時には実践しながら考察しているのだが一つ一つのテーマが、目にしたこと耳にしたことはあっても見なかったもの目を背けていたもの、そして言葉は聞いたことがあっても内容を知らなかったものなので、さて、これらを知った自分が何をできるのか?著者はいろいろな言葉と知識で示してくれているように思えるが、まだまだ腑に落として自分の衝動として思えていないためなのか、読み終えた今もまだ少しピンときていない。例えば1年後この記録を読んだ時何を思うのか何をしているのか…
重荷に感じてしまうのか、どうなのか… -
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世界に名だたる超有名大学。自分には全っっったく縁のない、頭の回転が超早い秀才の中でもさらに一握りの「天才」が思い描く未来像。その答えが意外とシンプル、というところに面白みがある。ダイジェストなので何度も何度も読んでしまった。
なぜいま不幸か。これからの人の幸せとは。
私フィルターなので、プレステ5の映像をファミコンで出力したような劣化が起きるけど。総括。
物質面では充足しきった今風に言うところの「ニーズの掘り起こし」という経済活動が、逆に枯渇を生んでいる。平たく言えばCMのせいでみんな不幸。何か足りない、もっともっとと常に刷り込まれ、そう思わせてるのが富裕層という勝ち逃げ社会。
お金ではない価値のレースで、遊び感覚や自分が必要とされている充実感を得る。成長を駆り立てない最適化された社会が、これからを生きる人の幸せ。ってことか。
成田悠輔さんは直前に出てる『22世紀の民主主義』の要約。難しくない言葉の組み合わせひとつで、なんでここまで知性が出るのかと毎回驚く。
──子どもは意味のない遊びに夢中になり、歳をとると意味のない話に夢中になる。それが人間の本質(要約)
2人目はマルクスだけど一番分かりやすい。資本論の後年「んー、やっぱ経済性を追うだけじゃ不幸になるわ」と視野を広げていたことを知り驚いた。限りある資源再分配の究極形は、人も企業も国も富裕税率95%。
──化石燃料中毒がリチウム中毒に代わっても意味はない(要約)
3人目はデータアルゴリズム。保育園制度は日本死ね。だけど実は公平。収入や労働形態で再配分できてる。仕事と人も同じようにマッチングさえできればもっとWin-Win。
4人目は児童発達支援やうつの話。気持ちの言語化や、出来事の捉え直しが、成長に疲れ切った心を楽にする。
──今日は誰かのために何かをしてあげた?