恩田陸のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ダークファンタジーからSF、ホラー、コメディのようなものまで様々なジャンルのものが収録された短編集
観光旅行
スペインの苔
蝶遣いと春、そして夏
橋
蛇と虹
夕飯は七時
隙間
当籤者
かたつむり注意報
あなたの善良なる教え子より
エンドマークまでご一緒に
走り続けよ、ひとすじの煙となるまで
SUGOROKU
いのちのパレード
夜想曲
観光旅行、夕飯は七時、隙間、当籤者、あなたの善良なる教え子より、SUGOROKUが特に好きでした!
「観光旅行」は指や手の形をした巨岩が生える奇妙な村を観光する夫婦の話。オチが最後まで全く予想できず驚き!不穏な空気で進むストーリーもよかったです
「夕飯は七時」は知らない言葉を聞くと頭の中のイメージが実体化してしまう兄弟の話。おじいちゃんに実体化がバレないよう奮闘している兄弟の姿がとっても可愛らしかったです
「隙間」は隙間を恐れている男の話。何を恐れているのか、よく分からず不気味に話が進み、最後まで怖かったです
「当籤者」はロト7に当籤したと通知がきた男の話。物語では2週間は当籤者を殺しても罪にはならない。設定が面白く、オチもよかったです
「あなたの善良なる教え子より」はイヤミスのような読後感。教え子からの手紙による告白で話が進みます。真の善とは何かを考えさせられるお話でした
「SUGOROKU」は少女たちが上がりを夢見て日々を過ごすお話。毎日あるお告げで進むのか、戻るのか、振り出しになるのか決まることや上がりの先には何があるのか…など空気感は不穏ですが、設定が楽しかったです。解説にある少女が感じる成長への不安という主題は全然読み取れていませんでした笑
読後の余韻がすごくよかったです。「短編でごく一部を切り取り、読者がそこから覗きこむことで向こう側にある無限の広がりを感じることができる」という解説の言葉が印象的でした。余韻を感じる所以はここにあるのかなと思いました。
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Posted by ブクログ
ネタバレ散多は、兄の営む古道具屋を手伝っている。
時々、古いものの持つ記憶が一瞬見えてしまうこともあるが、兄との古道具屋暮らしに問題はない。
最近一部都市伝説マニアを騒がせている、廃ビルや解体工事現場に現れるという少女に散多も遭遇し、仮にスキマワラシと名付け、その動向を気にしたりもする。
スキマワラシは、座敷童とは違い、時間や空間の隙間に現れるのではないかと思われ、その出現パターンを分析したりもするのだが…。
散多が最近強く反応するのが、古いホテルを解体した時の廃材だったタイルを使った二次作品。
いろいろなイメージを強制的に受け取らされ、そして自分の両親の若いころの姿をそこに見つける。
タイルと両親の関係は?
大きく2つの謎があるのだが、この兄弟、決して焦ったり根を詰めたりしない。
堅実に日常を送りながら、余った時間で考えたり行動したりするので、話のテンポとしては決して良いとは言えないのだけれど、なぜだか「ふんふん」と打ち明け話を聞くように読まされてしまう。
青果店勤務の傍らアーティスト活動をしている醍醐覇南子(だいごはなこ)と知り合ったことから、古道具を使ったアート作品制作の話が持ち上がる。
醍醐覇南子と犬のジロー(またはナット)、スキマワラシ、タイルの謎が呼び合うかのようにひとつの場所に彼らを招く。
面白かった、と、最初に言っておこう。
私はこの作品好き、と。
でも、嫌いな人も多いだろうということはわかる。
まず、謎の解明が中途半端というか、それは解明じゃないよ!
スキマワラシはなぜあの人を探して、なぜそれを渡したの?
散多の能力はなぜもたらされたの?
そしてその名前は結局どこから出てきたのが最初なの?(無限ループじゃん)
で、タイルは何を訴えたかったの?
作品の出来不出来で言うと、不出来と言わざるを得ない。
でも、それでも面白く読めたのだから、私との相性はよかったのだろう。
作者からポーンと放り出された先にあったのは、青空の下の風通しのいい原っぱだったという読後感。
伝わりにくいたとえですが。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「珈琲怪談」が面白かったので、塚崎多聞シリーズの第一作を読んでみた。期待通りの作品。
読み終わったときも長い夢を見ていたような気持ちになった。白日夢やノスタルジイ、ミステリーなど混沌としたものが溶け合ったストーリーだ。
舞台の街も読者が「来たことがある」「知っている」と思い起こさせる。夕立も蒸し暑い夜も夕闇も、そして久々の美しい月。冬に読んでも梅雨時の感覚がよみがえる。
結局「アレ」の正体は謎のままで、この小説は謎のまま終わらせるのが正解だと思う。世の中は謎だらけなのだから。ただ多聞は実際のところどうなのだろう。盗まれたのか盗まれてないのか・・・本人は盗まれたと言っているがそれも怪しい。しかしそれも追及しなくていいことなのだろうな。
郷愁に焦点をしぼると私は非日常なイメージがある。「郷愁」は若いころに訪れた温泉地など風情のある風景だ。そこで生活している人を感情を持っている「人」と認識するよりも風景の一部として捉えてなかったか。仕事で出会う人は人間臭いのに、なぜか自然に近い人は草木や動物と同じように見ていないか。それは神と一体になっていると言えなくないか。そう思うと自分も自然の一部に溶け込みたくなる。となると私はまだ盗まれていなかったのだ。