瀬戸内寂聴のレビュー一覧
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やっと第二巻。有名な、というか自分がわりと覚えている女性たちがたくさん出てきて賑やかだった印象。
藤壺の出家を受け茫然自失となる源氏を見て、出家ってどんなことなのだろうと疑問に思ったが、巻末の「源氏のしおり」、寂聴さんによる解説を読んで、少し理解が深まった。それだけでなく、出家を決意するに至るまでの藤壺の葛藤とその描き方や、出家後の藤壺が意外と強い女性に変貌していくことについての指摘もとても興味深く、寂聴さんのおかげで藤壺への認識が改まった。
以下自分用メモ。
■末摘花(源氏十八歳)
・頭中将とのライバル関係が楽しい。夕顔の子を引き取る算段までしている源氏は密かに優越感を持っている。
・手引きする命婦が「浮気っぽく軽率な性分」と説明され妙に存在感がある。
・こんなに末摘花のことを見苦しい見苦しいと、この章は何のためにあるのかわからない。夕顔は良かった、空蝉は良かった、若紫かわいすぎ、かわいすぎて六条御息所のところ行く暇ないわと。なんやねん。
■紅葉賀
・藤壺、葵のそれぞれ。葵パパは源氏に甘いが、それでいいのか。
・若紫「それじゃあ私は夫を持っていたのね」って。ちゃんと説明しろよなー。
・十二月の予定だったのが二月に生まれた。やはり自分の子だと思う源氏。
・また頭中将との張り合い。六十歳近い源の典侍(ないしのすけ)をめぐって…。
■花宴
・朧月夜登場。弘徽殿の女御の娘で東宮に入内予定。ばったり源氏と出会う。
■葵(源氏二十二〜二十三歳)
・一巻では、藤壺懐妊について悩みながら若紫をかっさらったが、ここでは、葵の上の喪も明けぬうちに若紫と結婚してしまったよ、まったく。乳母などは、こんなにきちんと結婚の儀をしてくれるとは思っていなかったからありがたい恐れ多いと思っているようだが、人目につかぬよう憚りながらの儀式なんてままごと同然では。そういう甲斐甲斐しさにだまされるな〜!しかも若紫に夢中で他の女のところに行かないのを喪中のせいにしてて、最低。
■賢木(源氏二十三〜二十五歳)
・六条御息所と源氏。会いたい、会いたくないの逡巡に逡巡を重ねた末、会って、泣きながら別れるも(野の宮の別れ)、すぐ十四歳の娘のこともいいなと思ってる。なお、六条御息所はおばさんおばさんと思っていたが三十歳。
・桐壺院崩御。今の帝は弘徽殿の女御の子で右大臣系なので、そっちの権勢の時代になっちゃうなあという政治的なそわそわ。藤壺中宮も里帰り。
・朧月夜は尚侍(ないしのかみ。女御や更衣のような、帝の寵愛を受けることも多い地位の役職。)だが密通を続けている。「心からかたがた袖を濡らすかなあくと教ふる声につけても」我(朧月夜)から求めた恋ゆえに〜と訳されている。
・とかなんとかしつつも中宮への執心も続いていて、なんとか忍び込んで逢っている。藤壺は頼りたい気持ちもあるががんばって冷たくあしらう、その心が辛すぎてついに女房が駆け寄るほど御病気になったがそのとき源氏の君は服脱いだまま呆然としているってどういう状況だ。塗籠からいつ出てくるか問題などややコミカルだがその後もまた惑乱、拒絶、諦めるなど。それで紫の上の前でメソメソするという。
・何も手につかないので雲林院に逗留して仏道の勉強などする。紫の上や、賀茂の斎院になった朝顔の姫君に手紙。源氏は朝顔の君へ、昔が懐かしいなどと手紙を送るも、昔に私たちの間に何があったというのと返される。手紙のやりとりはあまりすげなくもなさらずにしてくれる。
・紫の上が気にかかるので戻ってくる。そしてお土産の紅葉を藤壺の中宮にもっていく(おい)。帝にも挨拶。帝は源氏と朧月夜の関係をなんとなく認めているという大らかさで、源氏とは故院の思い出や色恋や学問の話で盛り上がる。
・藤壺、御落飾。左大臣も辞職。いよいよ右大臣系が強くなる。頭中将は右大臣の四の君の婿ではあるがいまいち。源氏とは相変わらず風流に遊んだりして過ごす。
・朧月夜との逢瀬。この姫君は積極的というか、源氏と示しあって合う算段をつけているところが他の女性たちとは違うところだ。右大臣パパに見つかった時の堂々たる源氏の姿の描写は見事。
「中には何とも言えず色っぽい様子で、臆面もなく横になっている男がいます。今になって、男はそっと顔をおし隠して、何とか身をかくそうととりつくろっています。」
■花散里(源氏二十五歳)
・花散里さんは、麗景殿の女御のおん妹君の三の君、という人物らしい。久々に思い出して訪ねる途中で通りかかった家が、さらに別の昔の女の家だったと思い出して歌を送るがもう別の男がいるっぽいので断念。去り際に、そういえば筑紫のなんとかいうあの人も素敵だったなと思い出すなど。花散里とは再会してまたゆるやかに関係が続いていく模様。源氏の付き合い方に合う人合わない人点描といった章。 -
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巻八で、宇治十帖は、これまでとテイストの異なる、現代ドラマのような親しみやすさと書いたが、やはり『源氏物語は、源氏物語であった』と、本書を読み終えて、しみじみと感じさせられた点には、まるで、紫式部のしたり顔が脳裏に浮かぶようで、人間には良いところもダメなところも共存しているのが当たり前なんだよなと、改めて、私のイメージしていた現代ドラマって、夢物語だったのだと痛感させられた。
「早蕨(さわらび)」
父も姉も現世より去っていった、「中の君」の喪失感は、「匂宮」からの希望で、これまで住み続けた、宇治から京へと引っ越さねばならない現状も重なることで、より漠然とした重い不安を抱くようになるが(宇治で引き籠もっていたかのような姫君が、いきなり華やかな京の都の一員になる心境は、シンデレラとはまた異なるのであろう)、そこから現代のような、いっそ死んでしまいたいといった気持ちには至らず、『それでもこの世に生きる寿命は定められていますので、死にたくても死ねないのが、中の君には情けなくてならない』といった思いに、却って、はっとさせられたのは、限られた命だからこそ、自ら幕を下ろすような事はせず、その時まで生きていってこそ、人としてのあるべき姿だというような概念に、自分自身の為といったものを飛び越えた、ある真理に到達しうるかのような達観ぶりを感じられたからだと思う。
また、それとは別に、『花の色や鳥の鳴き声をその折々に楽しみながら、少しは気も晴れやかに生きていくことも出来たのに』という思いには、今も昔も変わらぬ、自然と共に生きることの幸せを共感出来たようで、嬉しいものがあった。
それから、現代ドラマの終焉は、おそらくこの帖かと思われて、匂宮の祖父を思い出させる、あの御性分には今後の伏線を思わせるものがあったし、「薫」の『この世はすべてむなしいと悟ることです。それが、この世に生きていくことなのです』には、今後の彼自身の信念と相反するものを感じさせられたりと、まるで、これまでの彼らが猫被ってたような印象を抱かせるが、それこそ人間の本性を如実に表しているのだと私には感じられ、よく職場などで、「それは、さっき言っていたことと矛盾しているじゃないか」ということに、妙に固執する人に会ったりすると、人間は何でもかんでも理屈付けたりせず、時には意味も無いような矛盾した言動だって平気でする生き物なんだということを理解していないようで、つくづく嫌な気分になる。
「宿木(やどりぎ)」
中の君の姉、「大君」が忘れられない薫は、今上帝の姫君「女二の宮」との結婚が迫っても気乗りせずにいる中、「夕霧の右大臣」は匂宮に、自分の娘「六の君」をやや強引に勧めたら、意外と匂宮が気に入ってしまい、ここでまたしても中の君が、匂宮から結婚も知らされず一人寝の寂しさを慣らされたりと、その情けない有り様が強調されるが、そこから見事に転換してみせ、人間の持つ、まさに無常な変わり身の速さを痛感させられた、紫式部の描写には、苦笑いしながらも肯かざるをえない生々しさが凄すぎて、詳細は控えるが、それにしても薫・・・でも、これは責められないよ。そして、彼と対照性を為した匂宮のネチネチした嫉妬深さには、自分もやっているくせに、他人に対しては何故そうなるのかと、はっきり言って、うんざりさせられるものがあったが、これも人間の本性なのだろうか(いやいや)。
そして、この帖、最大の読み所は、ついに登場した、大君にそっくりな、中の君の異母妹、「浮舟」の登場であるが、ここでも、これまで好感度の高かった父「八の宮」のイメージが急降下した点に、やはり人間の奥深さを感じられたりと、物語を追っていく毎に顕わとされる別の顔の見せ方が、紫式部はおそらく、とても上手いのだと思う。
「東屋(あずまや)」
浮舟の出生を見くびって、決定していた婚約を破棄された事に(まあ、大した男では無かったが)怒りを覚えた、浮舟の母「中将の君」は、彼女を連れて、中の君のところへ匿ってもらう事になるが、ここで久々に怖い出来事が起こり・・・あーあ、やっぱりこんな展開がまだあるのかと、ガッカリしかけたところで面白かったのが、浮舟の乳母の逞しさであり、姫君を守るために敢然と不埒な輩に立ち向かうが、またその相手の対応、『手を思いきりおつねりになられた』が、なんとも可愛らしくて。子どもの喧嘩か。
でも、実際、平安時代にそんな場面が起こっているのを想像すると、思わず笑ってしまい、何となくここだけコメディタッチのノリを感じたが、それでも、その場面と彼女の心理描写の対照性には、また身に沁みるものがあり、これはやはり分かっていて、こういう描き方をしているのだろうと、また紫式部の凄さが垣間見えたなと思っていたら、最後の最後に思わず、「薫ーーっ!!」と叫びたくなる、まさかの展開が。というか、これはある意味、あの人を思い出させる皮肉も感じられそうだけど、それでも私は、今回の彼の行動について、断然支持したい。「そのままどこまでもいったれー!」と応援したくなるし、これこそ、ここにきて、ようやく訪れた『全ての恋する人に贈る最高のラブストーリー』なのか? 源氏物語は、いよいよ最終巻へ。 -
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「竹河(たけかわ)」
ここでひと息つくかのようにと書くと失礼だが、「薫の君」と「匂宮」の二人が順調に成長する中での、「玉鬘の君」の、非常に現実的な苦労話がメインとなっており、彼女は生まれたときから波瀾万丈な人生を送ってきたのに、「故髭黒の太政大臣」と出会った事で、情けない心持ちにさせられたと思ったら、今度は子どもたちの将来と、彼女自身に今も拘りを持ち続ける男達との兼ね合いが、また何とも面倒くさい事になってしまい・・・こうなると、モテる女は辛いねを通り越して、この世で誰を頼りにしたらよいものかと、その無常さを嘆くのも分かるような気がするからこそ、最後の「宰相の中将」への『困ったお坊ちゃんだこと』には、身に沁みるものがあった。
「橋姫(はしひめ)」
源氏の異腹の弟宮である「八の宮」には、二人の姫君、「大君」と「中の君」がいるが、実はその過去には、とても不運な境遇があり、かつて源氏が須磨に流されていた頃、弘徽殿の大后の陰謀のせいで、源氏一門のお付き合いから見放された上に、都にあったお邸が焼失してしまい、現在は宇治で細々と暮らしているが、そこで仏道修行をしている八の宮に、薫の君が興味を持ち、三年間通うようになった事をきっかけとして、あの秘密を知ることとなり、その時の彼の心境である、『やはりこの世はそう容易く捨て切れるものではないと、自分の心の弱さを思い知らされる』に見られた、彼の生真面目さが印象的だった。
「椎本(しいがもと)」
匂宮は、薫の君と宇治へ行った事により、姫君のことが気になり、その後、何度も手紙を送ることになる中、八の宮が勤行のために邸を出て行ったことに不安を覚えた、大君と中の君だったが、やがて、再会する事も無く亡くなってしまい、その悲しさたるや、周りの、人の少ない剥き出しの自然の取り巻く環境下もあり、辛いものがあるだろうと思われた日々に於ける、中の君の『ようやくこうして起きていられるようになりましたけれど、やはり悲しみにも限りがあって、時がたてばこんなふうに薄れるのかと思うのも、そんな自分がうとましくて情けなくて』には、単なるネガティブ思考ではなく、生まれた時、既にある程度確定してしまったような、当時の貴族の苦しい立場の一つのパターンを見た思いがした。
というのも、ここでの父親、八の宮は不運なだけで、彼自身には何の汚点も無かったのに、結果、その人生に於いて、あまりにも選択肢の少ない状況を作り出してしまった、ただそれだけで、彼の娘たちも選択肢の少ない状況と化してしまったのであり、これが貴族ではなく、一般市民としてならば、いくらでも再生出来る可能性はあるのかもしれないが、彼女たちに付けられたラベリングは、『源氏一門の八の宮の姫君』、ただそれだけであり、それによって、彼女たちはこうした人生を歩むことが望ましいのですよと、まるで見えない圧力をかけられているかのような立場でいなければならないことには、とてもじゃ無いが耐えきれないものを感じ、最初は、この小説、やたらと出家する人が多いなと思ったが、その裏には、それなりのやるせない事情があったのかもしれないということを、今更のように、まざまざと痛感させられたのが、この帖で最も胸に突き刺さったことであった。
「総角(あげまき)」
薫の君、匂宮、大君、中の君、それぞれの恋愛模様がいよいよ本格化してくる帖でありながら、以前の源氏を中心としたそれとは、全く趣が異なり、そこには、瀬戸内寂聴さんが近代小説に近いというのも肯けるような、人を好きになったときの、期待に胸ふくらませ、あらぬ事を色々と気懸かりにしながら、悲劇的とも思われる勘違いによる誤った決め付けをしてしまう中で、家族や友達も大事にしたいといった、ある意味、現代ドラマのような親しみやすさが、より増してきた印象を抱き、特に大君のそのひた隠しにしてきた心境には、妹の幸せを願う気持ちと、自身の思いを否定的に理屈づけた事による、姉の立場に固執し過ぎた感に加えて、『出家した方が、お互いに変わらぬ愛情を行く末長く見届けることが出来るのに違いない』に感じられた、人という存在に潜む無常さに悲しさしか見出せないのは、あまりにやるせないではないか。
しかし、それも、貴族ならではの状況下に立ってみないと、決して自分事のようには分からないのであろうと思わせたのも確かであって、その時代性が織り成すやるせなさには、決して華やかさだけではない、貴族ならではの悲劇性も垣間見えたのである。
この巻の「橋姫」から、所謂『宇治十帖』と呼ばれているそうで、寂聴さんは紫式部が書いたと思っているが、他の作家が書いた説もあるそうで、中でも折口信夫の男性説には少し気になる点もあり、おそらく、源氏のキャラとは真逆に近い、薫の君の存在もあるだろうし、彼の、現代の男にも通じそうな、必要以上に葛藤し気を遣った末の、激しい雪景色と宮中の豊明節会との対照性に見られた、彼の心細さに現れた、そのセンチメンタリズムは、男が書いたような印象も抱かせ、匂宮にしても、源氏に比べれば可愛いものだし、大君も中の君も気を遣い過ぎで、この雰囲気は、確かにこれまでの皮肉的な感じとは異なるものがあるが、おそらくそれは、私が上記したような、また別の視点から見た皮肉なのだとも思わせられて、それは、これだけテイストの異なる作品を描くことの出来る、紫式部の凄さなのかもしれないと感じさせられるのであった。 -
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いよいよ、一つの山場を迎えた感のある、巻七。あまりに重要なネタばれが多いため、最初から順番に読みたい方は、くれぐれも『作品紹介』は読まないようにして下さい。
この巻は、子を思う親の心の闇(本当に闇なの?)が多かったのが印象深く、それが、心のままにならない人の世の儚さと繋がっているように思われるが、「本当にそうなのか?」と、私だったら刃向かいたくなる。
「柏木(かしわぎ)」
『元々、寛容な人柄で、やや情に溺れやすい面があって、あまりにもお心が弱々しくやさし過ぎた』彼は、「玉鬘の君」から、『この方だけを親しい姉弟だと思っていた』と言わしめる程の人間描写を再実感することで、前巻とはまた異なる印象を抱かせられた点に、人間の奥の深さと、紫式部の人間観察の妙味を思い知り、巻六で、あんなことを書いてしまい、今はとても後悔している。申し訳ない。
だが、その無念はきっと彼が晴らしてくれる。
「横笛(よこぶえ)」
「夕霧の大将」と「源氏」による、親子のスリリングなやり取り、再びといったところだが、これが後になって、痛烈な皮肉として、彼自身の元に返ってくることになる。
「鈴虫(すずむし)」
『世の中というものは、すべてはかなく、憂き世を厭い捨て去りたいという思い』
を抱き続ける源氏だが、それに相反するような行動をしている事に気付いていない点と、それが叶って気持ちが楽になった彼女との対照性が、また痛烈な皮肉に思われて、この巻の、紫式部の源氏の描写の切り捨てた感には、凄まじいものがある。
「夕霧(ゆうぎり)」
まさか、彼までもこんな道に迷い込んでしまうとは思いもしなかった、紫式部の醒めた感すら窺える、容赦の無さ・・・しかも、あの人物との最大の違いは、彼ほど楽観的になれないことであることが、また滑稽な程、憐れに感じられた、現代社会にも通じる生々しい転落の描写。
「御法(みのり)」
『なにげなく、ちょっとしたことをなさっても、何によらず世間からほめられ、奥ゆかしくその折々につけて気が利いて行き届き、世にまたとなくすぐれたお人柄』
おそらく、彼女が欲しかったのは、こんな言葉では無かったんだ。それが結局、こんな結果に・・・虚構の話だと分かっていても、とても悔しい。
「幻(まぼろし)」
過去の栄光があるだけに、その末路の哀れさと、淡々と流れ続ける歳月の対照性が印象的だけれど、それだけずっと思い続けられることに、もっと幸せを感じなさいよ。
「雲隠(くもがくれ)」
「匂宮(におうのみや)」
女三の尼宮の若君「薫る中将」と、帝と明石の中宮の子「匂宮(源氏の孫)」のライバル関係(!?)が注目の帖。
「紅梅(こうばい)」
柏木の衛門の督の弟、「按察使の大納言」は、「中の姫君」と匂宮とを結ばせたかったが、彼の御性質は祖父とよく似ていた為・・・あの帖が終わって以降、何となく気落ちしてしまい、読む気が失せそうになったが、ここから、また面白くなりそうな予感がしている。 -
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漫画の『あさきゆめみし』は過去に二回ほど読んだ。その他関連本も多少読んだからなんとなく知った気になっていたが、現代語訳そのものは読んだことがなかった。たださんの本書レビューに触発されて、私も源氏読んでみることにした。
角田光代版が最も新しく、これは絶対読みやすくて面白いだろうなという予感があった(角田さんの『曽根崎心中』がとても好きだから)が、瀬戸内寂聴版を自分でもパラパラと見てみた感じ、「これは紫式部が書いたままの文章なんじゃないか」「古文をそのまま読んでいるのに脳内で理解できてしまってるんじゃないか」と、そんな錯覚さえ起こしてしまうような文体が魅力的で、全十巻と長いのだけど、これに決めた。(ちなみに角田版は実物を見てはいないが、敬語の省略など思い切ってやられており、すっきり淡麗?らしい。それはそれで興味はあるが、今の気分ではなかった。)
ざっくりした感想は、先ほど述べた通り、原文のままかと思い紛う感覚が楽しい。はるか昔に学校の授業で触れた、長々しく、主語がなく、敬語がたくさんのあの文章。先生が、目まぐるしく変わる主語を補い、意味不明の述語を品詞分解して敬語その他のニュアンスを解きほぐして示してくれたあの訳文が、現代小説プロの手で美麗になって蘇ったかのようだった。原文と比べながら読んだわけではないのでこの感じ方は私の勝手な思い込みといえばそれまでなのだが、私が楽しむ分には問題あるまい。
最後にある寂聴さんによる解説「源氏のしおり」では、本編とは打って変わって簡潔明瞭な語り口。嫋々とたおやかな演技を見せた女優さんが、舞台挨拶ではパンツルックの似合うカッコいいお姉さんだった、みたいなギャップがまた良い。
以下は、自分の備忘のためのメモと感想。
■桐壺
・桐壺〜藤壺。藤壺は源氏の五つ年上。
・左大臣の娘(漫画では葵の上だったのでここではそう呼ぶ。)と、源氏十二歳で結婚。葵の上十六歳。
・左大臣は臣下最高位だし、帝の妹の夫。源氏にとっては最高の後ろ盾。
■箒木
・源氏十七歳。
・左馬の頭、頭中将たちによる女性論「雨夜の品定め」。伏線がたくさん。
・頭中将は左大臣の娘の兄。
・紀伊の守の父の妻(?)=空蝉。この人の心理描写が、後の二章にわたってとてもリアルで細やか。思い入れあるのかなあ。源氏から言い寄られ、とにかく拒み続ける。「ただしイケメンに限」らない、イケメンでもダメ!ただ身分が高すぎるしついに抗いきれなかったのだが、心は決して受け入れてない。
・源氏は空蝉の弟である小君を隣に寝かす。
■空蝉
・二度目は逃げ切った空蝉。藤壺なんかに比べると徹底していてとても良い。
・空蝉と間違えられた女の子は空蝉の継子。
・小君は相変わらず健気である。
■夕顔
・惟光、源氏のことを「軽々しいお心のせい」などと評して諌める気持ちもあるのか、と思いきや、「これだけ美しければ仕方ないか」と軽々しく恋のアシストをする。
・六条御息所は七歳年上。ひたひたと伏線。
・空蝉また登場。彼女の、夫に対して貞淑を守りたい気持ちと、もしまだ自分が若い娘だったらこんな素晴らしい人にこんなに求められて嬉しかったかもしれないが私なんて大した女でもないし夫もいるしという諦めと、かといってこのままつれなくされたら悲しいかもという愛されたさと、この心模様の複雑さがすごい。紫式部こういうことあったのかな、って思っちゃう。
・夕顔は、素直で幼くて従順だが男女の仲を知らないわけでもなくて最高などと言われている。「源氏のしおり」によると男性読者からダントツで人気なのがこの夕顔なのだとか。源氏も、「私自身がはきはきせず頼りない性質だからか、女は頼りなくやさしく素直なのが好き」と言っている。
・源氏にだって失敗談もあるのですよ、という最後の作者の言葉。
■若紫
・空蝉のファイトを見た後だと、藤壺は本当に拒否する気があったのか?と疑ってしまう。
・「源氏のしおり」では、藤壺の懐妊が誰の子か問題があって藤壺も源氏も思い悩んでいるとはいえ、源氏はその最中に紫の上かっさらい事件までやり仰せているのだから、藤壺とは悩みの深度が違うと指摘。
・つれない妻としてちらちら登場する葵の上。正妻としてでなく出会ってたらこの二人も心が通い合ったかもしれない。こんな大変な人の正妻であることの大変さがあるんだろうなあ。
・紫の上かっさらい事件。源氏は、好色ぶりだと言われて醜態をさらしたくないなどと気にしてはいるようだが、「でもそんなことで逡巡してあの子を失ったら一生後悔する」と攫ってしまったあの行動力はすごい。 -
Posted by ブクログ
全10巻の為、今後自分が混乱することを防ぐためにも、あらすじを主としたレビューです。
その為、いつもにも増してめっちゃ長いです。
スミマセン。
①桐壺
冒頭の「いつの御代のことでしたか、……」
それだけでもう、これこれ!と、心は平安京へ。
帝のあまりの寵愛ぶりに妃たちが妬み、
桐壺は酷い苛めを受けていた。
「打橋や渡り廊下の通り道のあちこちに、汚いものなどを撒き散らし……」
えー引くわ。。。
妃たちよ、気品や気高さはどこ行ったー!
元々桐壺は、腺病質で弱々しく、気苦労の耐える間がなかったとある。
更に桐壺の部屋は帝の清涼殿から一番遠い淑景舎。
可哀想に。
いつの時代も苛めは身勝手で残酷で醜い。
帝の妃や女官たちは後宮に暮らしていた。
後宮には淑景舎の他に様々な建物があったけれど、清涼殿に近い建物ほど格上となる。
そう、桐壺はそれほど高貴な家柄の出ではないのだ。
桐壺は次第に病んで衰弱してゆくが、帝との間に「世にもないほど美しい玉のような男の御子さえお生まれに」なった。
衰弱した身体でよく耐えたなーとは思ったけれど、
「よほど前世からのおふたりの御縁が深かったのでしょうか、…」と式部さんが雅におかわしになったので良しとする。
そんな美しい若宮が生まれたものだから、帝は余計に愛おしく思い、
跡継ぎである一の宮は既に生まれていたのだから、当然妃たちは面白くないし、周りもソワソワする。
いやいや帝よ、帝なんだからもう少し上手に立ち回ろうよ…。
そのうちに桐壺は重態に。
ようやくお里下がりのお許しを貰えるが、時既に遅し。
亡くなってしまう。
中々お里下がりを許さない帝の稚拙さ。
いや、それほどまでに桐壺が愛おしく、一瞬たりとも手離したくない気持ち。
もう宿命としか言いようがないな。
この時代は死=穢れとされていたから、帝のおられる内裏で死ぬなどあり得ない。
死を迎えるために里へ帰ったようなものだ。
亡き子を思って泣く北の方が不憫でならない。
「鈴虫の声のかぎりをつくしても ながき夜あかずふる涙かな」
胸が痛む。
やがて若宮が宮中へ上がり、北の方もこの世を去る。
まだ七つだというのに、若宮の聡明で人たらしな様といったらこの上ない。
そんな時、よく当たると評判の人相占い師がやってくる。
高麗人である占い師は、ここで、暗示めいた発言をする。
『将来、帝王の最高位にのぼるべき人相をそなえているが、
帝王になるお方として占うと、国が乱れ、民の憂いとなることが起きる。
それならば国家の柱石となって、補佐役として見立てればどうかと思えど、その相とも違う。』
そんなわけで若宮は臣籍として源氏の名を与えられる。
いよいよ、亡き桐壺に生き写しの藤壺が登場。
「帝は亡き人のことをお忘れになったわけではありませんが、いつとはなしに、お心が藤壺の宮へ移ってゆき、この上もなくお心が癒されるようなのも、これが日との心の常なのでしょうか」
式部の描く「人の心の常」が、仕方のないこととは言え虚しく悲しい。
けれど源氏の君も、母親への憧れから、藤壺に思いを寄せていく。
(他の女御や更衣たちより、藤壺は若いのです)
そして何かにつけてちょいちょい描かれるのが、弘徽殿の女御の気の強さと気性の激しさ。
桐壺へ向けられていた意地悪い心は、藤壺と源氏へと向けられてゆく。
でも、弘徽殿の女御もたまらないのだろうなぁ。
家系丸ごとプライドを踏みにじられるような思いに違いない。
と、ここへ政治的な力関係まで絡んでくる。
左大臣の娘(葵の上)が源氏の君と添うよう、帝と左大臣の二人で進めてしまった。
右大臣の立場は弱くなってゆく。
②帚木
「源氏物語」って飲み始めるまでは、光源氏が自身の美しさから多くの女性たちを虜にし、浮き名を流してきたという話だと思っていた。
この世のものとは思えないほど美しい源氏の君の、女性たちとの華やかな日々。
でも
「…源氏の君はずいぶん世間に気がねなさり、表向きは真面目らしく装っていられたので…」
とあり、普段は、彼は彼なりに人の噂などを気にして行動していた事が分かる。
宮中なんて狭い世界だろうし、人の噂は恐ろしい。
"帚木"では源氏の親友である頭中将の他、左馬頭と藤式部丞も現れて、女性談義に花が咲く。
どうやら彼らは恋愛経験豊富。
そこで源氏は問うのだよ、
「その中流、下流とかの階級というのは、どういうことなのだろう。何を基準にして上中下の三つの階級に分けるのですか。」
外見だけの美しさだけではない、人としての源氏の君の魅力を、ここに感じてしまった。
この物語で紫式部は、源氏の君だけでなく、他の登場人物にも、この世の真理や人の世の無情を然り気無く語らせる。
脇役だからと侮るなかれといったところ。
それが平安の世だけでなく現代にも通じる部分があるのだから流石だ。
"中流にこそ風情がある女性がいる"などという話も飛び出す。
それぞれの体験談がとても面白い。(このシーン、源氏は聞き役だ)
左馬頭は武勇伝でも語るかのように饒舌だが、私にはどうも最低の黒歴史に思えてしまう。
ところで。
以前足しげく通っていた女性が、他の男性と笛と和琴、和歌を謡いあってイチャイチャするのに居合わせるシーンは、
「………と、いちゃつきあいまして…」など訳が面白い。
寂聴さん訳ならではの面白味なのかな。
それにしても藤式部丞のやり過ごし方が巧みで、話も面白くてニヤリ。
こうなると、他の方の訳本も少し気になるところだ。
左馬の頭の長台詞は3ページ半、2行のト書きを挟んで更に3ページ半もにおよぶ。
おいおい…。
「器量も綺麗で、年頃もうら若い女が、自分では少しの塵もつかぬようにと、立ち居振舞いに気を配り、手紙を書いても、おっとりと言葉を選び、墨色も薄くぼんやりと書き、男にじれったく気を揉ませ………」
平安の世の駆引き。
今で言う"あざとい女"って事だよね。
薄墨に関しても、平安時代でも訃報を知らせる時などに用いられたと聞いていたけれど、
こんな技もあったのだと興味深く読んだ。
「手折ればこぼれそうな萩の露のように」
「玉笹の上の霰にも似た、いかにもはかなそうな」
など、比喩表現も美しい。
さて、左馬の頭と藤式部丞の語りはきちんと前振りとなっている。
このあと登場する空蝉は、まさしく中流女性だ。
で、ここでの源氏の振る舞いにビックリな私。
それでも別れ際の源氏と空蝉との和歌のやり取りが上級で、おぉ!と思う。
つれなき、泣き、(鶏が)鳴き…と韻を踏み、
鶏の鳴き声や響きと、空蝉の鳴き様、源氏のせかされる心など、意味合いも情景も重ねてくる。
そんなシーンに式部さんは有明の月を添えたりするものだから、
身勝手な源氏の行動が生んだ結末さえ、哀れで儚く美しいものに思えてきてしまう。
どうも私は紫式部に飲まれっぱなしだ。
空蝉の女心、姉心が痛ましかった。
★帚木
遠くから見れば箒を立てたように見えるが、近寄ると見えなくなるという伝説の木らしい。
近づいても逢ってくれない人、逢えそうで逢えない人の喩えに用いられたとか。
また、「ははきぎ」の「はは」が「母」に通じることから、まだ見ぬ母の喩えにも使われた。
★「あの物語の、好色で有名な交野の少将」
=「交野少将物語」。
作者は不詳らしいが、「源氏物語」が執筆されるまでは"美男子"といえばこの方だったようだ。
★撫子
秋の七草の1つだが、夏から秋にかけて花を咲かせるのでトコナツとも呼ばれた。
③空蝉
え!?「ままよ、それもよかろう」って。
良くないだろーよ、人違いで空蝉の義娘(軒端荻)と契るだなんて。
でもこういうこと、本当にありそうで怖い。
お互いに傷付きそうだ。
恋多き男、危険だなー。
ちなみにこれまでの出会い、手の指が見惚れるほど綺麗な男性は皆ろくなもんじゃなかった 笑笑(←完全に個人的見解です)
さて、空蝉が逃げる際に脱いでいった薄衣を、持ち帰った源氏の君。
この時代は着物に香を焚きしめていたりするから、暗闇に源氏が現れても彼の香りが先に漂ってくるし、空蝉もきっとそのようにしているはず。
伏篭といって、香を焚いた上に竹の籠をふせて、その上から装束を被せて香りを移す。
空蝉とはセミの脱け殻だ。
でも少し検索してみれば、空蝉とは古語の「現し身(うつしみ)」に通じていて、この世とか現世の人という意味だと知った。
「現し身」が転じて「空蝉」なら、なんとも現世の儚く無情な。
源氏はずっと、亡き母の面影と温かさを追い求めているわけで、
物心ついた時には実母は彼岸の人。
似ていると慕う藤壺は帝の妻。
こうして追いかける空蝉にはするりと逃げられ。
華やかな見た目や女性関係とは裏腹な源氏の真の姿が哀しい。
でも空蝉は、本当は人知れず源氏を想っている。
「空蝉の羽におく露の木がくれて しのびしのびに濡るる袖かな」
いやいや…美しいなぁ。
式部さんの描き方もクスリと笑えるところもあれば、悲しく美しい情景にうっとりさせたり、読者を飽きさせずに先へ先へと誘ってくれる。
各章のタイトルも楚々として美しい。
それが女たちの名であるわけだし。
④夕顔
ニ章の「帚木」でこずかれて藤式部丞も話をしているのだが、
その時に語られた"常夏の女"が、この夕顔だった。
この章の夕顔の咲く様が可愛らしい。
「鮮やかな青々とした蔓草が気持ちよさそうにまつわり延びていて、白い花が自分だけさも楽しそうに、笑みこぼれて咲いています」
それが粗末な小さな住まいの、粗末な板塀に咲いているのだ。
これから登場する夕顔の人柄も暗示させる。
まず始めに源氏の心を惹き付けた、夕顔の歌は
「心あてにそれかとぞ見る白露の
ひかりそへたる夕顔の花」
扇に、"当て推量で、あの方ではないかしら?と思っています"
という歌が、風流な筆跡で書き流してあるという場面。
「それとなくほのかに変えてある筆跡も、上品らしくわけありそうに見えます。源氏の君は思いのほかにお気持ちをそそられ……」
やっぱり字が綺麗な人には心惹かれるよね。
綺麗なうえ、そこに仄かに癖が表れていたりすると、どんな人だろう?って気持ちをそそられるのも分かるなー。
ここで源氏の君が、努めて自分の字ではないように筆跡を変えて返す歌が、これまたニクい。
「寄りてこそそれかとも見めたそかれに
ほのぼの見つる花の夕顔」
相手が歌に使った言葉を繰り返して韻を踏む。
しかも、近寄って夕顔の花の正体を見定めては如何ですか?と挑発する。
風情のあるな~。
しっかりと対面で話せない、男女の出会いにおいては危うい慣わしだけれど、
焚きしめたお香が先に香ってからその人物が現れたり、
立ち去った後や着物からの残り香や、
筆で書かれた和歌の内容から、まだ見ぬ相手を思うのはロマンチックとも言える。
さらには、和歌を詠んだその墨の濃淡や、相手が吹いた笛の音に琴で応えるなんてことも、男女の駆け引きになり得る。
時には庭に咲く花や、屋敷の佇まいまでもが、人を惹き付けることもある。
相手の知らぬ間に御簾や垣根から覗いた時に、上品に振る舞っている様子に品を感じる事もあれば、逆に気持ちが緩んで奔放に振る舞っている様に惹かれる事もある。
式部さんはその辺りの事柄を描くのが上手い。
優雅であればこそ、人の世の無情も炙り出される。
これは夕顔の歌。
「山の端の心も知らで行く月は
うはの空にてかげや絶えなむ」
これから沈んでいこうとする山の端の本心も知らないで
そこへ近付いていく月は空の途中でもしかしたら消えはててしまうのかもしれません
この後、女の物の怪が現れ、夕顔は死んでしまう。
歌としてだけでも美しい喩えなのだが、この先の展開も暗示していて見事。
それにしても懲りない源氏の君。
自身もあんなに傷付いて、死ぬかもしれないなどと言いながら長らく伏せっていたのに。
皆それぞれの魅力や可愛らしさがあるのだろうけど。
「今日はたまたま立冬なので、それらしく空は時雨れて、もの淋しい風情をたたえています」
朝晩の日の傾きや、その季節ならではの様子を物語の展開になぞらえて、情景が感情に訴えかける。
★揚名の介
「夕顔」の巻に「揚名介なる人の家」という形で1ヶ所だけ現れるが、『源氏物語』が古典・聖典となった鎌倉・室町期には揚名介の意味が分からなくなっていたらしく、『源氏物語』の古注釈書などで「源氏第一の難義」あるいは「源氏物語三ケの大事の一なり」等と呼んでとして秘伝扱いされていた。
★六道
天上、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄
⑤若紫
瘧病を患った源氏の君は中々回復せず、北山の寺に優れた僧(聖)がいると訪れる。
北山の聖のもとを去る際に、源氏の君が山桜の美しさを詠んだ歌
「宮人に行きて語らむ山桜
風よりさきに来ても見るべく」
山桜が○○のように美しいなどと詠まずに、「都に帰ったら、花散らしの風よりも先に来て早くこの花を見るように、大宮人たちに聞かせます」と詠んでいるのに痺れてしまった。
この方が伝わるし、風情があるし、人の心も体も動かす。
一方、聖は、
源氏の君の"まだ見ぬ花"のようなお顔を拝めるなんて嬉しいと
泣きながら歌を読む。
それほどまでに源氏は美しいってことだよね、凄いな。
そして独鈷を献上する。
更に、聖徳太子が百済から手に入れた(!)数珠に玉飾りのついたものを、送られてきた時のままの唐風の箱に入れて、透かし織りの袋で包んで、五葉の松の枝に結び付けて贈っている。
それから瑠璃の壺に薬も持たせてあげている。
薬壺は藤や桜の枝に結び付けて、山里らしさを演出して。
これだけじゃなく、「さらにあれこれとそえて献上いたしました」というから凄い。
源氏の君もお布施だけでなく色々と用意していたものを渡している。
「そのあたりの樵夫(きこり)にまで」相応の物を渡したというのだから、こちらも凄い。
なんかもう、別れも1つの儀式だ。
それから更にみんな泣く。
下級の僧や召し使いの童たちまでが、別れが辛くて名残惜しいと泣く。
で、泣きながら、この世のものとは思えない美しさだと言い合う。
もう何度この言葉を目にしただろう、"この世のものとは思えぬ美しさ"だと式部さんはゴリゴリに刷り込む。
僧都にこんなことまで言わせる。
「…どうした前世の因縁で、このようなすばらしいお姿で、こんなうっとうしい日本の末世にお生まれになられたのかと、お姿を仰げば悲しくてなりません」
そんな美しさ、ちょっと笑ってしまうほど私には想像もつかない。
私まで何度も言ってしまうが、源氏の君という人は、加えて筆跡も美しく、学芸にも秀でており、心遣いも素晴らしいのだ。
先に記した六道でいうと人間界は天上の下。
源氏の君の美しさは神の領域なのに、何がどうして人間界なんかに…ということだよね。
もしかして天上よりもっと上、極楽浄土が相応しいという意味まで崇めてるのかな…。
天上は六道の中では一番上なのだけど、極楽浄土とは違う。
楽しみの多い世界だけれど、天上でも惑ったり悲しんだり、寿命もあるのだとされている。
けれどそんな源氏の君も、妻である葵の上とはずっとギクシャクしている。
気高く美しい女性なのだけれど、「歳月がたつほど他人行儀になり、お互いの心が疎遠になってゆくのです」
そうなると余計に他の女性たちのことを考える。
目下、源氏の君が気を惹かれているのは、
北山の尼に育てられている少女(若紫)だ。
ここで明かされるのは若紫が藤壺に似ているということ。
実際、若紫は藤壺の姪だった。
ただ、若紫はまだ幼い。
18歳の源氏の君に対して、若紫は10歳くらいだ。
周りの者には好色が過ぎると思われてしまうけれど、(それもあるのかもだけど、)ずっと母親(桐壺)の面影を追いかけているんだよね。
藤壺は生き写しかのように桐壺に似ているわけだし。
そんな中、藤壺との再開を果たす源氏の君。
そして藤壺は源氏の君の子を宿す。
勘違いして喜ぶ帝。
こうなると恐ろしく思うのは藤壺だ。
悲しき運命だよね、どうしてこうも彼のお方は、周囲の女性たちを苦しめるのか。。。
ここでまたも夢占いが先を暗示する。
「…その御幸運の中につまずきごとがあって、御謹慎遊ばさねばならぬこともございましょう」
もしや藤壺が宿したのは自分の子ではないかと、源氏の君も思うのだ。
チラッとしか書かれていないが、帝、藤壺、源氏の君が同席する場面もあり、二人の気持ちが察せられる。
さて、若紫の章はあれこれと事態が変ずる。
若紫を育てていた尼がこの世を去るのだ。
このままでは若紫は、父親の元へと移ってしまう。
源氏の君はかなり強引な手段で若紫を二条の院へ連れ帰ってしまう。
いやいやいや…これはちょっと気持ち悪いぞ 苦笑
これまでどんなにあちらこちらの女性と結ばれても、まぁまぁ理解出来たけれど。
源氏の君の物腰が柔らかい分だけ、犯罪者の香りがする 笑
それに勝手に連れ帰って、若紫の父君はどーするんよ。。。
なにわともあれ、次第に若紫は可愛らしくも源氏の君に慣れ親しんでゆく。
無邪気で可愛らしい様が、文章のそこここに散りばめられて、なんとも微笑ましい。
彼女こそ、のちの紫の上だ。
★瘧病(わらわやみ)
熱病の1つで、発熱・悪寒が間隔をおいて起こるもので、マラリアに近いもの。
それにしても紫式部の文才よ!
次々と転じてゆくストーリーも面白い、
真実味がある、歌も素晴らしい。
これは少々清少納言の悪口くらい言っても仕方ないかなー 汗(良くはないけど。)
でも紫式部こそ、気位が高くて、嫌われたら怖そうな人に思えてきた。
女房同士の自分の地位確立って中々厳しそうだもの。
ともあれ、季節の移り変わりが美しい!
雅!
これは先が楽しみ~♪
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Posted by ブクログ
巻三は、26才~31才までの源氏を描いており、ここにきて、ようやく自己を見つめ直す機会も頂いたかに思えた彼が、ここから心機一転やり直していこうとするのかと思いきや・・・。
「須磨(すま)」
須磨とは今で言う、神戸市須磨区と思われ、前回、見事なしくじりをしでかした源氏は、早速、「弘徽殿の大后」の策略により、彼が謀反を企んでいるとして、まずは官位を剥奪された後、次は流罪だと予想し自ら須磨へ都落ちする。と、こう書くと、ついに覚悟を決めた、堂々たるさっぱりとした姿を予想されるかもしれないが、実際は、「ああ、なんか最近嫌なことばっかりだなあ。もうこんな所いたくないよー。でも、だからといって、女の子たちと会えなくなるのも嫌だしなあ~」と、こんな感じで未練たらたらな姿を見せる中、思ったのは、この人よく泣くなあということであり、瀬戸内寂聴さんの訳だと、一人一人の女性に対して多少の優先順位はあるものの、基本的には、ほぼ全員に毎回一途な愛を抱いているかのような泣きっぷりであり、彼の中でのその瞬間瞬間は本気なのだろうけど、結果として、それが本人にも彼女たちの為にもなっていないことに気付いていないことの悲劇を滑稽に描いている中でも、彼のこの本質的な部分の変わらなさは、ある意味凄いとも思い、こんな状況でも、「花散里」のお邸の修理を命じていく、その女性の為を思った心配りだけは流石である。
また物語としては、これまでの華やかな都の景色から、素朴な海と山が綺麗な須磨の景色へと舞台転換した流れも、読み手には新鮮に感じられ面白く、そのひっそりと佇む自然の美しさも印象的な中、突然降り出した肘掛雨から、たちまち未曾有の暴風雨へと変わる様に、私はまるで未来の暗雲を予見しているようにも思われたのが印象的だった。馬鹿なこと歌ってんじゃないよって。
「明石(あかし)」
一向に止まぬ嵐の中、お供のものたちは源氏の為に必死に神に祈り続け、「さまざまの快楽をほしいままにされ、得意になられたとは言え~」と、正直に言ったのが幸いしたのか、やがて嵐は収まるが、今度は源氏の夢枕に、父である「桐壷院」の霊が現れ、「どうして、このようにむさくるしいところにいるのか」と仰せになる、これには驚き、この世からいなくなった後もこうして息子の人生に介入してくる、その思いの強さは最早呪いとも感じられ、そこには子への愛情よりも、血統の高貴さを大事にするような当時の時代性を感じさせられた一方で、「明石の君」とその父の「入道」の親子の情も、また印象的で、特に入道の娘の為に自らの人生を投げ打ったような献身さには、当時のこの道しか娘の幸せは無いんだといった哀しみもあったが、そこには入道自身、かつて都にいたけれども、そこが合わずに、遠くに逃げ出してしまったという後悔の念があったからこそ、娘にだけはそんな侘しい思いをして欲しくない気持ちの強さは、いつの時代も変わらぬ親が子を思う愛の気高さであり、そんな献身さは、明石の君の歌からも感じさせられて、私の目にはとても感動的に映った。
『寄る波に立ちかさねたる旅衣
しほどけしとや人のいとはむ』
「澪標(みおつくし)」
まるで、昔から決められていたかのような謀により、都に帰られるようになった源氏だが、もうこうなってくると何でもありだよね。これでいいのかとは思ったが、これが後々の伏線になりそうな気もして、取りあえずそっとしておく一方で、これらのショックもあったのか、源氏の兄「朱雀帝」は「東宮」に帝を譲る。
そして、更に驚いたのが、「藤壺の尼宮」であり、ここでの彼女の発言には、いくら源氏の考えが元とはいえ、明らかに彼の背中を後押しする意図が感じられて、ここまで生きてきた苦しみが彼女を変えてしまったのか、それとも、それを超えた先に見出した達観なのか、この辺は表向きからは感じられない倫理的な問題が絡んでいるだけに、その強かさの裏にある生々しい感情は、いけないこととは思いながらも考えさせられるものもある。
それから、源氏に見られたちょっとした変化として、「紫の上」に他の女のことを色々と正直に報告するようになった事が、却って、彼女に嫉妬心を抱かせ、関係がこじれるきっかけとなっていく一方で、忙しくて自重していたお忍び歩きも再開する中、久しぶりに京に帰ってきた「六条の御息所」のあの台詞は強烈で、巻二でも見られた彼女同様に、他の女とはまた違う彼女自身の在り方を見せられた気がして、そこに幸せな思いは無かったとしても、その意志を貫き通す姿には、何か尊いものを感じさせられた。
「蓬生(よもぎう)」
「末摘花」のお話で、お付きの者も次第に出て行ってしまい、荒れ果てる一方の彼女の家に於いても、決して変わらぬ源氏への一途で燃えるような思いには心を打たれ、花散里を訪ねる途中で、そこを偶然見つけた源氏が訪れた時には、ひたすら恥ずかしそうにしている気品のある様子も印象的でありながら、『何につけても人並みでさえない』ナレーションに、ここまでコメディタッチにしなくてもいいだろと思ったものの、ここでの痛烈な皮肉が、手のひらを返したように豹変する人間の心の浅ましさであったことを実感し、末摘花に対するそれも、単に作者が、物事の一つの在り方として冷静に捉えていただけなのかもしれないと思うと、この作品に対する作者の決して妥協することのない思いも痛感させられたようで、改めてエンタテインメントという言葉の意味を頭に思い描くのであった。
「関屋(せきや)」
久しぶりの「空蟬」のエピソードに、彼女の弟の「小君」こと、「右衛門の佐」も登場し、源氏の新たな一面も感じさせられる中、最も印象的だったのは、登場する女性一人一人の個性が、より明確に見えてきたことで、作者が大事にしている彼女への思い入れも感じさせられるようだった。
「絵合(えあわせ)」
ここでの二組に分かれて、どちらの絵が素晴らしいのかを論じ合う様子には、まるで、どちらの小説が素晴らしい作品であるかをディスカッションしているようで興味深く、そこには、物語の元祖とも呼ばれている『竹取の翁の物語』をお互いに異なる視点で論じ合ったり、『宇津保物語』の現代風な面白さに加えて、『伊勢物語』は古風ではあるけれども、『在原業平』の名声を台無しにしてよいものかといった語りに、何とも言えない可笑しみがあり、こうしたメインストーリーの間にそっと入れた、ちょっとひと息入れましょう的なサブストーリーは、いい気分転換にもなって、紫式部は何でも出来るんだなと改めて感心しきりでした。
「松風(まつかぜ)」
自分の気になる女性を近くに置いておこうと、二条の院を次々と造営していく源氏に、いよいよ、やりたい放題の感が芽生える中、彼の思惑も徐々に顔を覗かせてくるようになり、ここに来て、彼の純情バカとは異なる新たな裏の一面を認識させられそうである。
寂聴さんの『源氏のしおり』にも書かれていたように、源氏が自ら都落ちしたのは、実は東宮の為であったことや、藤壺の尼宮との密談の野心の強さに加えて、これまで、どんなに機嫌を損ねられても変わらぬ愛を貫いてきた、彼女に対する接し方も変わってきたように思われ、これはいよいよ、風雲急を告げるというか、嵐の前の静けさというか、ちょっと怖くなってきたぞー。
というわけで、次回から、サスペンススリラーにジャンルが変わっているかもしれませんので、紫式部の物語の舵取りから、さらに目が離せない展開になりそうでドキドキしてきました(違った意味で)。
ちなみに、巻一の裏表紙に書かれていた、
『すべての恋する人に贈る最高のラブストーリー』が、いつ訪れるのか、それも楽しみです。 -
Posted by ブクログ
源氏物語初心者の私にとって、瀬戸内寂聴さんの『源氏のしおり』は、とても興味深い上に面白くて好きで、今回は、「恋愛の手順」。
なんでも平安時代の姫君にアタックするには、まず、その周りを固めている女房たちをなんとかしなければいけないのだが、それ以前に、顔や姿をみだりに見せてはならないので、男たちは、女房たちの口コミだけを頼りに、どうしようかなと考えなければならないのは、なんとも悩ましく、姫君の立場からしたら、私はこの人が良いですといった自己主張が出来ないそうで、「なんで?」とは思ったが(少年愛は当たり前だったのに)、これは、政略結婚の意味合いが最も強かったからだと言われれば、どうしようもない。
しかし、それでも強かな女性のこと、もしかしたら、そんな仕組みに於いても、それぞれに見合った幸せを掴んだのかもしれないし、反対に、とんでもない悲劇に見舞われたのだろうと思うと、社会制度がもたらした、人生の限界のようなものを窺わせて、私からしたら、なんとももどかしい思いに駆られてしまう。
ちなみに、当時の「結婚」のシステムも興味深く、男と女が結ばれた翌朝、男はまだ暗い内に姿を見られないように帰り(後朝の別れ)、家に着いたら、すぐさま手紙を書いて届けるのが礼儀であり(後朝の文)、その後三日間は必ず欠かさず通わないと、女は、男に気に入られなかったのだと、屈辱を受け、悶死するほどプライドを傷つけられるとのこと。
しかし、当時の一夫多妻制度に、これは男女それぞれにとって辛いのではと思い、もしも、複数の妻を持ちたいのであれば、少なくとも三日間は逢瀬を重ねた妻以外の妻たちがやり切れない思いをするということになるのだろうし、男は男で、どんな間隔で展開するのかは分からないが、妻が増えれば増えるほど、それぞれに等しい愛を注がなければならない訳であって、だから、一人でいいんだってばと、私は思うのですがね。でも、その時代に生きていればそうした考え方に囚われるのだろうか?
そして、それを光源氏に照らし合わせてみると、「○の上」とのそれが本文からは分かりづらいけど、一応、一夫多妻には、まだなっていないのかな。
そもそも、あっちこっちと、まめな割には、三日間通い続けていない気がするし(そんなことない?)、要するに遊びまくっているということか。
巻一では、17才までの源氏の人生を描いていたが、巻二では、18才から25才までになる。
しかも、当時の年齢は、今よりも大人びた概念であったから、さすがにちょっとは落ち着きを見せるでしょうね。もう本当にお願いしますよ。
「末摘花(すえつむばな)」
一度関わりを持ったら、どんな女もすっかり忘れてしまうことが、お出来にならない御性分の、源氏が、次にご興味を示したのは、「常陸の宮の姫君」で、どうしましょう。増える一方でございますね。
ところが、この姫君のあまりに恥ずかしがる性格が災いしたのか、全く手応えが無かったことに、源氏が、殊の外がっかりした様子に、これまでとは異なる意外性があったものの、最終的に、ああいう終わり方になったのは、自分から興味を持っておいて、酷い奴だなとは思ったが、紫式部がこうしたストーリーも書けるといった意味合いに納得するものもあったし、今後、再登場するようなので、その時の彼女を是非楽しみにしたい。
「紅葉賀(もみじのが)」
陰での遊びとは裏腹に、「青海波」の舞のあまりの素晴らしさに、人々は源氏の前世を知りたかったそうだが、私には、おそらくピュアな心を持った好色魔という、至極厄介な存在だったのではないかと勘ぐってしまう中、ついに、「藤壺の宮」が・・・。
そして、それに喜ぶ帝の様子に、彼はいったい何を思っていたのだろうか? しかも、彼なんか物ともしないくらいの、想像出来ない狂おしさを抱えているのは藤壺の宮自身であり、これ以降の彼女の誰にも言えない、その思いの葛藤は、とても胸に迫るものがあったが、それは、このような物語の展開をしてみせる、紫式部の凄さでもあるというところに、平安時代の小説の完成度の高さを気付かされて、あくまでフィクションとして楽しむには良いのだろうけど、そんな最中に、源氏はたいそう年をとった典侍(ないしのすけ)の女と一夜を共にするのが、また私には理解できず、しかも、彼の知らないところで、彼の友人「頭の中将」も彼女と会っていた中、ついに頭の中将が源氏のその逢瀬の中に侵入し、悔い改めさせるのかと思ったら、何故か、お互いの服を脱がせようとして、服がビリビリになってしまうという・・・怪しい関係だと思う以前に、平安時代にこういう嗜好を取り入れているのが、私にはなんだか新鮮だった。
「花宴(はなのえん)」
藤壺の中宮の入内によって、更に会うことが叶わなくなった源氏は、それでも諦めきれずに訪ねるが、閉まっていたので、弘徽殿の細殿に行ったら、そこで遭遇した、謎の女性といきなり・・・もう、末期症状ですか、あなたは。どうしちゃったの、一体?
そして彼は、その女性の素姓をどうしても知りたくなり、その後、酔った振りをして(こういうところは頭が働くんだよね)、再度訪れた時にそれは判明したものの、これが後にとんでもない展開になるとは、この時の彼は予想もしなかったでしょうね。
「葵(あおい)」
以前から、源氏と、ちょくちょく逢瀬を重ねていた「六条の御息所」であったが、彼女の姫君が、伊勢の斎宮に決まったことをきっかけに、このまま中途半端な関係が続くのならば、いっその事、共に伊勢に下ってしまおうかと考える中、「弘徽殿の大后」の娘、「女三の宮」の賀茂の祭見物に、源氏が御奉仕なさることを知ると、それを見に行きたくなってしまう、この女の性に心惹かれる中、源氏の正妻である、「葵の上」も身籠もった体ではあるが、それを見に行った偶然が災いしたことで、六条の御息所はプライドをズタズタにされ傷ついてしまうのだが、私からしたら、こんな子供じみた事が平安の世でも起こるのだなといった驚きがあり、それは祭の熱狂した雰囲気がそうさせただけなのかもしれないが、結局は、これが伏線となり、この後に衝撃的な展開が訪れる訳だが・・・これで二度目ですかね、こうしたスピリチュアルな要素は。しかし、こうやって当たり前のように提示されると、強ち、当時の人達の中では信じられていたのだろうと思うし、また、その描写が生々しくてリアルですよね。しかも、その中に女の情念や無念さや切なさが込められていると思うと、決して怖いとは思わず、却って、泣けるものがあるし、結果、葵の上がああなってしまったのを見ると、「なんでこういうことするんだろうね?」って、これは源氏に対しての疑問です。
それから、「西の対の姫君」にしたこともね。
「賢木(さかき)」
桐壷院の崩御で、弘徽殿の大后が幅を利かせるようになり、源氏への圧が強まる中、いよいよ藤壺の中宮の精神状態が限界を迎えるが、そこでの必死な思いと葛藤の中で導き出した、彼女の決断は、当時の情勢からしたら衝撃的なことだと思い、ここでの彼女の気持ちとしては、当然、東宮のことが最優先されるだろうとは思われるのだが、私にはそれだけでは無い点に、とても痛々しく胸を裂かれるような苦しみがあるのだろうと感じる中での、この歌は、とても感動的に私の目には映るのであった。
『ありし世のなごりだになき浦島に
立ち寄る波のめづらしきかな』
(昔の頃の名残さえ
とどめていない
わびしいわたしの住居に
立ち寄ってくれる
人があるのが珍しい)
「花散里(はなちるさと)」
ここで初登場する、麗景殿の女御の娘、「花散里(三の君)」は、実は以前から逢瀬を持たれていたとのことで、それには思わず、ナレーターの女房も、
『どんな女に対してもお心の休まる暇がなくてご苦労なことです』
と素敵な皮肉を仰られる程の、諦めっぷりを発揮しており・・・って、結局この八年間、あんた何やってたの? はぁーっ(-_-;)
「賢木」の中では触れなかったが、そこでの、あるしくじりによって、いよいよ弘徽殿の大后からの攻撃が本格的になると予想される、光源氏。
さて、巻三では、どんな展開が待っているのでしょうね。というか、いっその事、思いきり攻撃されまくった方がいいんじゃないのと思ってしまう私。 -
Posted by ブクログ
彼岸を感じさせながら、現身の人間の臨場感をもよびこむ世界。
苦しんで、苦しんで、解脱の境地に達したかのようにみえて、ふたたび苦しみ、それでも能役者および作者としての矜持を保ち続けようとする。
矜持を持ち続けるために必要な生のエネルギー。死に向かう心ではなく、あくまで生ききろうとするエネルギー。 -解説 川上弘美
わざわざ語らなくとも、内にあるもので十分に魅力は滲み出てくるということ。
むしろ語ることによってその魅力が些末なものになってしまうこと。
「秘」であるからこそ奥ゆかしく、思わず手が伸びてしまうようなものなのだと思う。
めまぐるしい人生のなかでも一際輝く世阿弥の生き様はまさにそれで、こういった生き様を知れて一歩大人になった気がする。
瀬戸内寂聴と世阿弥が一心同体になったこの作品だからこそものすごいパワーを感じたのだと思う。