瀬戸内寂聴のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
映画「あちらにいる鬼」がとても面白かったので、面白かったのに、本書を紐解いた。映画は、中年を過ぎて男と確かに別れるために尼になるまでの、男と瀬戸内寂聴とその妻の不思議な三角関係を、淡々と描いたものだった。
本書も、著者と不倫男とその家庭との不思議な三角関係が出てくるが、映画の不倫男と本書の不倫男は現実でも別人である。むしろ、映画の前日譚だった。知っていて紐解いた。
1960年代。未だ不倫が不貞と言われていた時代だ。刊行年は昭和38年(1963年)。瀬戸内晴美(寂聴)が、新進の小説家として台頭していた頃。もしかして未だ井上光晴(「あちらにいる鬼」での不倫男)にも会っていないのかもしれない。晴美(もちろん、小説内では別名になっている。職業も違う)は、経済的に男に依存していない事を誇りにしている。現代ならば当たり前だが、当時としては娼婦以外では画期的だったのか。その他、女性から別れを切り出すとか、新しい不倫の形を描いたとして、当時は意義のある小説だったのかもしれない。
連作短編で前四篇は登場人物は同じで、むしろ長編の雰囲気。知子(晴美)は、売れない小説家の小杉と8年間付かず離れずの関係を持っていたが、昔の男と寝てしまった事をキッカケとして別れを切り出す。現代になって読んで驚くのは、あまり知られていなかった井上光晴との不倫の構造とあまりにも似ていたことである。
・知子は小杉と不倫の終わりかけに、やはり若い男とも関係を持ってしまう。
・小杉の妻は、長い間小杉の不倫を知りながら、知子を非難したり小杉を非難したりする事なく、淡々と過ごしていた。
・知子は小杉との関係を精算するためには、小杉が通ってくる自宅を畳んで他所に引越しをしなければならないと思い込む。男はそれを淡々と受け入れる。
コレは井上光晴の娘・井上荒野が書いた「あちらにいる鬼」と同じ経過だ。引越しの代わりに、もっと徹底的な「尼になる」ことを晴美が選んだに過ぎない。瀬戸内晴美は、全く同じ事を井上光晴との関係で繰り返したのだろうか。詳しい人はいるかもしれないが、今回そこまで調べることができなかった。
短編集の最後の1篇「雉子」だけは、登場人物の名前を変え、彼女の最初の不倫から子供を捨て、次の不倫の顛末までざっと振り返っている。そこで、以下のように「まとめ」のような記述がある(牧子とは瀬戸内晴美のこと)。
男に溺れこむ牧子の情緒は、いつの場合も、とめどもない無償の愛にみたされていた。それは娼婦の、無知で犠牲的な愛のかたちに似ていた。(略)牧子の愛は充たされるより充したかった。たいていの男は、おびただしい牧子の愛をうけとめかね、あふれさせ、その波に足をさらわれてしまう。結果的にみて、牧子に愛された男はみんな不幸になった。
←決定的な不幸を招く直前に、晴美は寂聴になったのだろうか? -
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ネタバレ瀬戸内晴美時代の六篇からなる短編集。
「いろ」
長唄などの師匠・るいと31歳下の弟子・銀二郎との話。
読み進めるうちに、るいは玉三郎に重なる。顔の右半面は火傷でただれているが、色白で顔立ちだけでなく所作も美しく、どんなに歳を取り弱っていっても凛とした振る舞いをし、ただただ銀二郎のことを愛していた。そして、亡き後も銀二郎に愛されていた。
「聖衣」
電車に乗り、死の際に立つ不倫相手とのこれまでのことを思い返し、もうすでに亡くなってるかもしれないと思いながら、病院へ向かうけい子。
目の前に立った外人の尼僧の黒白の聖衣に秘される緋色の帯は何を言わんとしているのか。
「花芯」
園子は申し分の無い雨宮という夫がいながら、夫の上司である越智に一目で心を鷲掴みにされる。そんな越智に対して貞淑であろうとするかのように夫との関係を拒むようになる。越智には関係を持つ未亡人がいて、一緒になる事はできないと分かっているのに、夫の元からも去る。園子はなんて自分に正直で強い女性なんだろう。 -
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全体として古いのだけど、根幹について共感する。私が感じていることを、彼女も感じている。
私よりもずっと先にいる先輩から、やはりそうでしたかと、人生を学ぶ。
語っても誰も答えない、美しいこと面白いこと楽しいこと悲しいことを誰とも共有できない、それが人生。その事実を受け入れていくことが大人になることだと分かってきている。
○あらゆる錯覚をはぎ取った上で、夫を、恋人を、友人を愛しはじめる時から、人は本当の生きる苦しみを味わうだろう。幸福とは、その苦しみに裏打ちされた傷だらけの愛を、自分の孤独の中にしっかり握りしめることではないだろうか。
○独占欲のない男女の愛がどんな美名にかざられてていようと、虚しく、はかない幻影にすぎないことを悟らなければならないのが愛人という女に課される運命の試練と本当の罰である。
○人に愛された想い出より、人と別れた思い出を持つ女の方が、しっとりと魅力的なのは、その女が心底から人を呪い人を憎んだ苦しい経験を経て、人を許すことを知っているせいではないかしらと思う。
○危険と苦しみと、嫉妬と、秘密と、姦通につきもののそうした条件ほど女を美しくする秘薬はない。 -
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ネタバレ全ての方におすすめできるわけではありませんが、個人的に響いた言葉がいくつかありました。
人間は生まれて死ぬまで孤独な動物
愛があっても孤独、群れていても孤独、若くても、老いても孤独
ひとりひとりが自分の孤独に対決し、それを凝視してその性質を掴み、それを飼い馴らす方法を発見していくしかありません。
"孤独に甘えるなかれ"
人は自分を孤独だと思うとすぐ感傷的になります。
自分の不幸に溺れ込んで、まわりの人々に訴え、慰めてもらうのが当然のようにふるまう人があります。それはたいへんな見当違いで、孤独というものは自分ひとりで背負わなければならないお荷物なのです。人に片棒をかついでもらえるものではありません。
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Posted by ブクログ
瀬戸内寂聴自選集「あふれるもの」のレビューを書きたかったのだけど、どこを探しても出てこず登録できなかったので仕方なくこの本に。
「花芯」「あふれるもの」「夏の終り」「けものの匂い」「みみらく」「蘭を焼く」「吊り橋のある駅」収録。
少し前に「あちらにいる鬼」という小説を読んだのだけど、それが著者の井上荒野さんによる父(井上光晴氏)と瀬戸内寂聴の不倫を描いたもので、何気に瀬戸内寂聴の小説って読んだことなかったと思い、手始めに私でも知っている短篇を含んだこの短篇集を読んでみた。
あとがきによると、1篇を除き、ほぼ出家前の、瀬戸内晴美時代のものだそう。映画化もされているから代表作とも言える「夏の終り」や、これも映画化されているはずの「花芯」など個人的にとても読みやすいものもあれば、「蘭を焼く」や「吊り橋のある駅」など暗喩めいていて多少難解なものもある。
著者による自選集で、後者のほうは著者的に「この時期は挑戦的だったけれど不評だった」というようなこともあとがきに書かれてある。
読み解くには頭を使いそうなので今回はやめて素直に物語を読んだのだけど、じっくりと読み解いていくのもまた一興なのだと感じるような物語だった。
「花芯」は読み始めから肉欲の世界だなと雰囲気で感じて、個人的には瀬戸内寂聴のイメージ通りだったのだけど、これを発表した当時は世の中に受け入れられず5年ほど文壇を干されたのだそう。女性という性の立ち位置が現在とは違ったせいもあるのだろうけど、このレベルの肉欲の物語って今ならそんなに珍しくもないから、昔は今とは全然違ったのだなと思わされる。
「あふれるもの」と「夏の終り」は連作で、本来は「夏の香り」が先に書かれたもので、後に書かれた「あふれるもの」が物語の時系列としては先になるかたちで描かれている。
38歳独身の主人公・知子が、妻帯者である恋人の慎吾と、かつて愛した元恋人である涼太の間で揺れ動く。女のしたたかさとその陰にひそむ弱さ、業の深さなどを感じる。
全体の雰囲気を一言で言うと、エロい話じゃなくてもどことなくエロい。文章自体に色香が漂っている。
世代的にもそうだし、とくにファンでもない私は、瀬戸内寂聴の生き方をつぶさに知っているわけではないけれど、初めて作品を読んでみて、この方が出家した理由がなんとなく分かった気がした。
そしてまた「あちらにいる鬼」を再読すれば感じるものも違ってくるのかも知れない、などと思った。 -
Posted by ブクログ
お亡くなりになられたときに私の好きな多くの作家さんが本気で悼み、悲しみから抜け出せずにいるお姿を拝見し、著者の初期の代表作を読んでみたくなりました。
実は、著者の半生はTVで見ただけ、作品は源氏物語とエッセイしか読んだことがなく、小説を読むのは初めてです。
本書は私小説で、主人公が、妻子ある男と8年間不倫関係にあり(それを先方の妻も承知している)、そこに、かつて主人公が離婚する原因となった年下の男が登場し、再び関係を結んでしまうという四角関係が連作短編集の形で収録されていました。
この設定だけ聞くと、ドロドロな愛憎劇をイメージするかもしれませんがそうではありません。
著者の鮮やかな筆至が、初めに感じていた生々しさを読み進める度にどんどん軽減させ、読後はむしろ清々しい印象まで与えています。
主人公は自由だし恋愛体質だし奔放なんでしょうけど、でも、それに勝る覚悟や正直さや冷静さの方が印象的です。
相反する印象が同居し違和感がないのはさすが多くの作家さんが尊敬する方の作品だと思いました。