江戸川乱歩のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
そりゃ、乱歩と高原英理ときたら、面白くないわけがない。
同じ中公文庫の、「川端康成異相短篇集」の流れを汲む企画だと思うが、連想したのは、たとえば「稲垣足穂の世界: タルホスコープ」(コロナ・ブックス 132)。
ある作家の要素を抽出する、というか、キーワードを立てて視座を置いてみる、という作業は、編者にとって半ば読書、半ば作家評論、と愉しい仕事なのではと想像する。
「夢遊」「恐怖」「人形」「残虐」「身体」「錯視」「浅草」という章立て=切り口の提示こそが、編者の仕事。
本書は切り口の解説と、作品ごとの解説もあって、かなり手取り足取り。
で、そのサポートを得て、個人的にさらにザックリまとめるならば、乱歩の五感の中でもとりわけ視覚と(視覚が遮られたときの)触覚の優位が、この作家の読み味だ、と。
五感のうち視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚、どれにこだわってその作家が文章を書いているか、みたいな統計をもとに、グラフを提出するのも、面白いかも。
思春期の頭でっかちな時期に乱歩を読んだら、空前絶後の観念的飛翔(想像力)こそを、と求めがちだが、本書に「身体」という章があり、そのある種「平凡な立項」こそ、中年のいま読んでよかったと思う。
特に作者解説にて、「乱歩は身体という不可思議を前に、その都度次々と異なる角度からの多様な語りをやめることがなかった。」と。
なるほど!
上に視覚と触覚とつい取り上げてしまったが、身体性への興味を、手を変え品を変え、何回も何十回も何百回も(全集にして30巻ぶん)書いたからこそ、このようにテーマを立てることができる土壌が生まれたのだ、と。
幻想とか唯美とか、観念でこねくりまわせそうなものを、乱歩は作風ゆえ、傷つけられ玩弄される「身体」を、描かなければならなかった、というか、描きたかった。
その抽象と具体が切り結ぶところに、幻想文学と探偵小説の交点を、見出してしまおう。
(脱線するが、押井守も宮崎駿も三島由紀夫も、頭脳派ゆえ、中年以降身体への回帰。)
カバーイラストも素敵。
皆川博子で知った、佳嶋さん。
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乱歩の心に映る執着と愛着、強迫的な思念、どこかへと惹かれてゆく心の有様……。
江戸川乱歩没後60年。その作品から、詩人のように一瞬の輝きを掬い取った、名場面をピックアップ。
「夢遊」「恐怖」「人形」「残虐」「身体」「錯視」「浅草」の七つの切り口で、作品を精選。乱歩の神髄・魅力を凝縮した一冊。
*編者より――
「心象」は宮沢賢治が『春と修羅』を「心象スケッチ」と呼んだその「心象」です。乱歩の心に映るもやもやした執着の数々が、ときに見事な短篇小説としてときに長篇小説の一場面としてあるいは随筆として具象化され語られたもの、という意味で考えました。
それら自体は詩ではありませんが敢えて詩を読むように非物語的高潮に焦点をあててみるという意味でもあります。
目次
■夢遊
白昼夢
大魔術(「魔術師」より)
火星の運河
■恐怖
底なし沼(「影男」より)
ある恐怖
暗黒世界(「白髪鬼」より)
断頭台(「魔術師」より)
お勢登場
■人形
人でなしの恋
人形
魔法人形(抄)
悪霊物語
■残虐
残虐への郷愁
情痴の極(「盲獣」より)
恐ろしきランニング(「地獄風景」より)
句
■身体
飛行する悪魔(前半・「緑衣の鬼」より)
芋虫
ペテン師と空気男(抄)
芋虫ゴロゴロ(「盲獣」より)
水族館の人魚(「蜘蛛男」より)
闇に蠢く(抄)
■錯視
レンズ嗜好症
映画の恐怖
恐しき前兆(「暗黒星」より)
鏡地獄
目羅博士の不思議な犯罪
パノラマ島綺譚(抄)
■浅草
死人の腕(前半・「一寸法師」より)
浅草趣味
木馬は廻る
◇解説 高原英理 -
Posted by ブクログ
ネタバレ話自体は面白かったが、主人公・蓑浦だけが最後までどうにも受け入れ難かった。これといった理由もなく何故かほぼ全員から好かれて、その好意に甘えきって無自覚天然思わせぶりヒロインみたいなムーブをかましながらいたずらに皆を傷つける残酷な人間が、最終的に幸せを総取りして一人勝ちで終わるのが納得いかない。魅力的な部分が見えればまた印象も違ったのかもしれないが、本当にどこがいいのか分からない。探偵パートでも冒険パートでもむしろ足を引っ張っていた気がする。
あれだけ情熱的に初代への愛を語っておきながら、諸戸の想いを知っていてあれだけ利用しながら、あっさりと秀ちゃんに乗り換えた瞬間、完全に心が離れた。しまいには秀ちゃんのお金で建てた病院の院長に諸戸を、だなんて、本当に神経を疑う。想いに応える気なんか更々ないくせに、秀ちゃんとの生活を見せつけながらこの先の人生もずっと縛るつもりだったの怖い。もはやサイコパスだろ。不謹慎であることは重々承知だが、諸戸にとっては死による解放しか救いがなかったのかもしれない、とまで思ってしまった。
生まれてからずっと誰かに利用され続け、搾取され続け、本当に欲しいものは何も手に入らなかった諸戸の人生は、一体何だったのだろう。最後の一文がやるせない。 -
Posted by ブクログ
芋虫
野中の一軒家にとじ籠められ、行末に何の望みも失った、殆ど無と云ってもよかった二人の男女にとっては、それが生活の凡てであった。動物園の檻の中で一生を暮らす、二匹のけだものの様に。
そんな風であったから、時子が彼女の夫を、彼女の思うがままに、自由自在に弄ぶ事の出来る、一個の大きな具と影像すに至ったのは、誠に当然であった。又、不具者の恥知らずな行為に感化された彼女が、常人に比べてさえ丈夫丈夫していた彼女が、今では不具者を困らせる程も、飽くなきものとなり果てたのも、至極当り前のことであった。
彼女は時々気狂いになるのではないかと思った。
物も云えないし、こちらの言葉も聞えない、自分では自由に動くことさえ出来ない、この奇しく哀れな一個の道具が、決して木や土で出来たものではなく、喜怒哀楽を持った生きものであるという点が、限りなき魅力となった。その上、たった一つの表情器官であるつぶらな両眼が、或時はさも悲しげに、或時はさも腹立たしげに物を云う。しかもいくら悲しくとも、涙を流す外には、それを拭うすべもなく、いくら腹立たしくとも、彼女を威嚇する腕力もなく、遂には彼女の圧倒的な誘惑に耐え兼ねて、彼も亦異常な病的昂奮に陥ってしまうのだが、この全く無力な生きものを、相手の意にさからって責めさいなむことが、彼女にとっては、もう此上もない愉悦とさえなっていたのである。
「ユルス」
時子はそれを「許す」と読み得た時、ハッと凡ての事情が分ってしまった様に思った。
不具者は、動かぬ身体を引ずって、机の上の鉛筆を口で探して、彼にしてはそれがどれ程の苦心であったか、僅かに片仮名三字の書置きを残すことが出来たのである。
「自殺をしたのかも知れませんわ」
あの柱には「許す」と書いてあった。あれは彼女が先に不具者の胸に「ユルシテ」と書いた言葉の返事に相違ない。彼は「私は死ぬ。けれど、お前の行為に立腹してではないのだよ。安心おし」と云っているのだ。
この寛大さが一層彼女の胸を痛くした。