矢野隆のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
戦百景八作目は、大阪夏の陣。前作からの続編です。それはそう。
なんといっても、真田信繁の家康本陣強襲が白眉。後藤又兵衛の最期も死場所を得られた故の滅びの美しさはありますが、信繁の無謀が乾坤一擲の一撃になる様は、迫力と覚悟が魅せる昂りが凄まじいです。
戦略を戦術でひっくり返すことは難しく、それ故に古今稀なることとして歴史に残るのでありますが、その困難を知るからこそ、成し遂げる寸前まで達した真田の一撃が心を撃ちます。
秀吉が朝鮮出兵をせずに、国内の安寧に勤めていればこの結果はなかったのだろうか。五大老をはじめとした大大名の力を削っていって、豊臣家の中央集権化を進めていれば、という妄想はアリなのかしら。
惣無事令が、軍事で言うとその一端になるのかなと思うのですが、どうなのだろう。結果的には、徳川二百五十万石がいるので、似たような戦いは起こっていたのかもしれない。大坂でなく江戸とかで。そういう架空戦記も面白そうです。 -
Posted by ブクログ
戦百景七作目は、大坂冬の陣。戦国の終わりを告げる徳川と豊臣の戦いです。
戦国の終わりという言い方でいいのだろうか。室町→安土・桃山→江戸、足利→織豊→徳川のどちらとしても、しっくりこないような気がする。
夏と冬の陣を終えたことで、徳川政権が強固に盤石になり、およそ二百五十年続いた平穏な時代の始まりになったことを考えると、戦乱が続いた戦国時代の終わり、という言い方は通りがいいのだろうな、とは思います。
家康の執念から始まった豊臣を滅ぼすためだけの戦。方広寺の鐘銘問答は、大坂冬の陣扱ったどの作品を読んでも、言いがかりなんだよなぁ、というやれやれの気持ちになります。ただ、その言いがかりを強行する徳川の強さと、はねつけられない豊臣の弱さ。そして、弱さに気づけていないハリボテ感に悲しくなります。
三英傑の中では、秀吉が一番好きな自分としては、あの英傑が興したものが、こうも簡単に衰えてゆくのかという悲しみがありますね。成り上がりに成り上がった末に老醜をさらし、遺したものも全て消えてゆく、というのも踏まえて秀吉の魅力としているので、悲しみも外せないのですがね。
豊臣と徳川の戦いである大坂冬の陣ですが、豊臣側の主役となるのはやはり真田信繁。幸村ではなく信繁と表記されるのも、だいぶ慣れてきました。第一印象って強いです。冬の陣では真田丸、夏の陣では家康強襲と、大いに活躍を見せる信繁。彼が一方の主人公のような位置にいるのは当然か。
作中を通じて「阿呆」という言葉が使われているのが目に止まりました。
何らかの思考や主義に囚われてしまって、己の現在や未来へと視座を進めることのできていないことを揶揄した時に使われていると思います。
一つの時代の終わり。過去の価値観にしがみつくのか、新たな価値感を迎え入れるのか。
新旧の価値観のぶつかり合いでもある戦いではあるのでしょうが、片方の豊臣側が虚勢に縋っている状態なのが虚しく思えます。虚勢に実を持たせないまま、戦いを仕掛けた家康の執念の賜物かな。 -
Posted by ブクログ
戦百景六作目は山﨑の戦い。前作本能寺の変からの続編。秀吉と光秀の天王山の一戦です。
光秀が燃え尽き症候群になってしまっているのが、至極残念。衝動で信長へ謀反を仕掛けてしまった、というのは数ある光秀像でもなかなかの残念さでは。
そもそも、戦百景の信長自身に天下統一を前に覇気を失ってしまった見窄らしさが伺えるようになってしまい、それを嫌った光秀が己の理想像を押し付けたゆえの謀反だったのですよ。かつての覇気溢れる信長でなくなってゆくことを嫌った光秀自身が、急激に衰えてゆく精神を隠せないというのは、非常に残念。己の理想を追い求めるということが、戦百景の光秀の人生の目標で、その中に天下統一というものは入ってなかったのだな、と思います。
なんというか、『銀英伝』のアンドリュー・フォークを少し思い出しましたね。理想と違うものを受け入れたくない、という部分だけ抜き出した時に。
覇気をなくし老醜を晒す前に討ち取られた信長。覇気をなくしてしまって抜け殻になってしまった光秀。制御できない覇気を抱え、狂気と老醜を晒して次代へ繋げられなかった秀吉。天下人になれなかった、成り損ねた、全うできなかった三人が興味深い戦百景シリーズの五作目、六作目でした。
光秀の娘婿の左馬介秀満って、「鬼武者」の彼だったのか。
今更の気づきです。「本能寺の変」の話になってしまいますが、弥助とのタイマンは、ゲーム的な動きだなと思って読んでました。躍動感。作者が意識しているかどうかは置いておいて、ゲームの躍動感が感じられるのは、イメージがわかりやすくていいですね。『朝嵐』の為朝とか。 -
Posted by ブクログ
戦百景五作目は本能寺の変。明智光秀が起こした日本史上最大の謀反劇。もちろん、主人公は織田信長と明智光秀。この二人が交互に章を重ねてゆきます。
最も注目されるのは、やはり光秀が謀反に至った理由か。
主君として担いだ信長が、己の理想とする存在から離れていったために背いた、というのが大きな理由となっています。
そこまでの流れで、光秀が武将としての理想を掲げていたかなぁ、というのが違和感として残りました。足利義昭に対しては、武将としての理想ではないと見限った場面はありましたが、それを信長に求め心酔している、というような描写は強くなかったように読後として残るので、やはり謀反の理由としてはしっくりこないです。
そう思ったのはおそらく自分だけではなく、それゆえに本能寺後の展開も失敗したんだろうな、と思っていたらまさかの山﨑の戦いへと続く、の文字。
戦百景シリーズ初の続き物となりました。おそらくシリーズで最も短期間の物語になるのでしょうね。 -
Posted by ブクログ
戦百景四作目は川中島の戦い。武田信玄と上杉謙信の龍虎の戦いです。一番有名な一騎打ちの場面は四度目です。通算の戦いは第五次までありますが、四度目以外は小競り合い程度なんですね。小学生の頃かな、川中島の戦いを初めて知ったのは。その時は、この有名な場面がある一大決戦を五回もやったの⁉︎という驚きにあふれていました。
まあ、信玄頑駄無と謙信頑駄無の元ネタというとこから入ったのですが。
そもそも信玄じゃなくて晴信、謙信じゃなくて政虎で表記されています。上杉謙信の名前変わり過ぎ問題なんとかしてくれないものか。作劇の都合上で、謙信で統一とかいうものもあるかと思いますが、読みやすさをとるか史実準拠なのかのせめぎ合いだったりするんでしょうね。
越後の竜・上杉謙信。甲斐の虎・武田信玄。
この二人のパブリックイメージをなぞりながら物語は進みますが、実際の二人の性質は真逆であるという構成。その隠してきた本性が爆発するのが、第四次川中島の決戦の最中です。好敵手として知られているために、理知的な謙信と野生的な信玄や、義の人・謙信と無道な信玄などなど、何かと対比で表現される両雄。パブリックイメージとは違うものを隠していて、それが互いの本質であるという点も合わせ鏡のようで、対比の位置にあるのでしょうな。相似というやつかしら。
理性的な場面では互いの行状を嫌っているのに、戦場で心の裡を曝け出して生命を賭けた後には、敵に塩を送る、の故事のような関係になるのが心地よいですね。
夕焼けの中、河原で殴り合う少年二人、みたいな。
川中島が大きな中洲なので、河原といってもいいか。そう捉えると、ヤンキー友情物語になってしまいます。 -
ネタバレ 購入済み
沖縄にも豊臣秀吉がいた。血脈、後楯もない底辺の民が自らの力と強運で頂点を極めた物語だ。概ね史実に基づいているようで驚くばかりだ。金丸の表裏を描きだしているが、民のために自ら王を目指すあたりはいささか理解がついていかない。今一度読み返してみたい。
いずれにせよ彼の王朝は明治維新まで続く。金丸は弟を大事にしたのに対し、秀吉は病で弟を失い後継の甥を殺し結果豊臣家は短命に終わった。境遇が同じでも金丸の方が一枚上手ということか。 -
Posted by ブクログ
平安最強の武士・源為朝。作者らしい猛々しい武人として彼の数奇な人生が描かれているが、人物造形や戦いの動機がイマイチ。『鬼神』では人間ドラマとバトルのバランスが良かっただけに少し残念。
例えば、九州で太宰府に乗り込むときさただ力を放出したい駄々っ子でありながら強さだけで統率していたという違和感。その為朝が京に戻った途端、父に従い、上皇や左大臣に従う汐らしさを見せる。その過程が描かれず、ここにも違和感。強い相手(義朝)と戦いたいという彼を貫く軸は変わっていないのだろうが、史実とキャラのギャップが大きく、説明が足りないように感じられた。九州〜京に戻る過程に何かあっても良かったと思う。
最後の伊豆大島編は良かった。九州とは逆に力だけで集めた兵はいつか去ってしまうという皮肉な結末。家季の友情の果ての裏切り。あまり感情移入できなかったものこ、欠点だらけの武人という点に同時と悲哀を感じられたのは良かったと思う。
余談だが、タイトルは「ちょうらん」ではなく、「あさあらし」。知らなかった… -
Posted by ブクログ
戦百景三作目は関ヶ原の戦い。
石田三成率いる西軍と、徳川家康率いる東軍。いや、西軍総大将は毛利輝元でしょ、と言われそうですが名目上の総大将は置いといて、です。作中も石田三成が主人公の形ですしね。
政治官僚であって、軍人でなかった石田三成。そういうイメージで描かれがちですが今作の三成は一味違う。
政略・戦略ともに家康を追い詰め、薄氷の上を歩かせ続けます。最後の最後まで、小早川秀秋が裏切る寸前まで、どちらに転ぶかわからない状況を作り上げることができた、むしろ西軍優勢の状況を作り上げた三成の手腕が際立ちます。
それでも、大義よりも個人の心情を優先する感覚が理解できないというこれまでの三成のイメージはそのままか。三成自身は、秀吉の遺言を全うするという私心で動いているのだけど、対外的には豊臣政権のためという大義を掲げ、それに追随することが当然という理屈を振り上げたからなのか。
登場する人物像は、他の関ヶ原作品と大きく変わらない中で、作者個人のスパイス効かせた部分が楽しく読めました。それは主役の石田三成によるところが大きいです。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ(2023日)
映画ノベライズ
信長と濃は夫婦となった。
しかし、弱味を見せられぬ二人は、お互いの気持ちを誤解したまますれ違っていく。
同じ目線で物事を捉え、対等に話せる二人は共に歩めたはずなのに…
素直になれない夫婦が、すれ違いと共に歩む覇道物語。
(同じ脚本家の)大河ドラマの信長との差別化なのか、こちらの信長はイメージが違って戸惑いました。(むしろ大河ドラマの信長でも良かったような…?)
信長は、ハイスペックで無敵の魔王であってほしい。
逆に、女子であることを悔しく思う程に気の強い濃姫に惹かれました。
気が強くないと、きっと魔王の妻なんてできない。
でも、私が今まで見た小説やドラマやゲームの信長は最初から最後まで“魔王”だったので、“魔王で在ろうとする信長”を見たのは初めてかもしれません。
そして、意地っ張りな二人がようやく素直になれてきたところに起きた歴史的大事件。
南蛮エンドかと思いきや、まさかの夢オチ!?
南蛮の夢がとても幸せだっただけに、実際の終わりは切なく苦いものでした…