佐藤優のレビュー一覧
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私にとって多くを学べる本でした。
対談形式ということもあってか、色んな話を知ることが出来て、勉強になりました。
「(外交などは)交渉の途中で物理的に遮断できてしまうリモートでは成立しない」(P81)と書いてあり、今の世界情勢を見ても考えることが多くありました。
また、リモートと対面の違いについて斉藤先生は「オーラ」を挙げてらっしゃいましたが、私は「空気(読む方ではなく、存在する方)」の有無もあるのではないかと思いました。例えば怒りながら「この書類は全然ダメじゃないか」と言われ、書類を机にバーンと打ち付けるように置かれたとき、そこから流れ出る、発生する空気の流れはその場にいないと感じない、というようなものです。肌で感じる空気の存在も暴力的だなと思いました。
あとは、引きこもりの年間使用額やオキシトシン、脳には男性脳も女性脳もないなどの話は興味深かったです。 -
Posted by ブクログ
ー 「もしこのクーデターが成功していたら、ソ連はKGBと軍の影響力が肥大しただろう。ソ連は再びとても息苦しい社会になった。しかし、経済的には市場経済、資本主義の方向へ向かっていったと私は見ている。一種の開発独裁国家にロシアはなったと思う」
「社会主義を維持することは不可能だったと考えているのですか」
「不可能だった。これは西側の陰謀が成功したからではない。ゴルバチョフ時代のグラースノスチ(公開制)でロシア人の欲望の体系が変容してしまったんだ。たとえば「31アイスクリーム」だ。ロシアのアイスクリームは『エスキモー』、『スタカンチク』で誰もが満足していた。しかし、ひとたび西側から三十一種類のアイスクリームが入ってくると、子供のみならず大人もみんなそれを欲しがる。車にしてもラジカセにしても欲望が無限に拡大していく。この欲望を抑えることができるのは思想、倫理だけだ。社会主義思想は欲望に打ち勝つ力をずっと昔に無くしていた」
「いつから社会主義思想は欲望に打ち勝つ力を無くしてしまったんですか」
「ずっと以前にだよ。フルシチョフ時代に一時期西側に開かれていた窓をブレジネフが閉ざしたのは、このまま窓を開けておくと、西側の大量消費という欲望の文化が入ってくることに気付いたからなんだよ。ブレジネフは頭がよかった。ソ連人を支配するのは唯物論(マテリアリズム)ではなく物欲(ベシズム)だということを理解していた。非常事態国家委員会の連中もゴルバチョフのことを嫌っていたが、物欲に取り憑かれていた。だからヤナーエフやシェイニンが権力を握ったら、KGBと軍が腐敗して、利権漁りを徹底的に行なったよ。もっとも今のロシアは中南米の腐敗国家みたいになりつつある。ロシアは衰退期に入っているのだと思う。どんなに足掻いても、よい方向には進んでいかない。こういうときは余計なことをせずに世の中の流れをじっと観察していることだ」 ー
ソ連崩壊を一外交官からの視点で描いた作品。また、外交官としての彼のビルドゥングスロマン。
〈だからできるだけ早くソ連を破壊するのだ〉
〈ソ連を壊すことでロシアを回復するのだ〉
というサーシャの発言が印象的。
帝国主義の病に冒されたロシアの回復を祈る。
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Posted by ブクログ
「題名」が良い。キャッチ―に引き付ける。コロナ禍は、それが起こる前からあった問題を可視化した。良い意味でも悪い意味でも。この二人の対談というのは異色ではあるが、それぞれの個性が、対話によって、良い意味で咀嚼され、外側に開いている。著者の一人である斎藤氏の著作は以前から多少は読んでいるが、オープンダイアログ前と後でかなり異なる。多様な人たちに満遍なく目が届き、それを外の世界と結び付ける。「ひきこもり」についてはもとより、脳科学と優生思想の親和性は興味深い論考であったし、ミーハー的に面白かったのは「鬼滅の刃」の解釈であった。最後に著者たちも述べているが、今の状況を忘れずにハイブリッドにしていくことが、コロナ禍後に生きていくのであろう。
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Posted by ブクログ
ロシアとウクライナを見ていて、両方の立場を知りたいなと思っていたところ家の本棚で発見。
ロシアにとって干渉国がないということはやはりすごく恐怖なんだなと改めて感じた。出版から3年経っているけれど、すごく参考になる本だと思う。
3年前には西側諸国とロシアの関係は悪くなっていく事件はいろいろあって今に至ってるんだろうな。
ロシアという国が今やっていることは抜きにして考えて、ロシア人面白いなと思った。日本人と全然考え方違うんだね。ロシアいつか行ける日が来るといいな。
個人的に面白いと思ったのが、逃げ恥とタラレバは中産階級の下の方から転落したくない気持ちがあるから流行ったという佐藤さんの発言。何も考えずに楽しんでいたけど、流行りにも社会情勢表われているんだと実感した。
ソ連は規制があったがゆえに文化的で生活水準が高かったというのも面白かった。自由は自己責任が伴うとはこういうことだなと思った。バレエをそいう目で観てるのはちょっとショックだったけど。
自分の無知ゆえについていけない話が多くて、いかに歴史を学ぶことや政治に興味を持つことを避けてきたかを痛感させられた。
色んな種類の本をいっぱい読んでいこうと思った。 -
Posted by ブクログ
佐藤優氏の書評を一冊にまとめた本です。
同時に3冊を並行して読むことで、読書の質
とスピードが上がると主張します。
1冊読むのに疲れたら、別のジャンルの本を
読むことで疲れを取る、そうするとまた1冊
目の続きが読みたくなって集中して読書に向
き合うことができる、という訳です。
頭の使う場所を切り替えることによって、た
くさん読めるようになるとも言います。
なるほど。勉強などでも教科を変えると集中
し直すことができた?気がします。
そんな多読で知られる佐藤氏が紹介する本は
多岐にわたっていて非常に参考になります。
読みたい本がますます増えてしまう一冊です。 -
Posted by ブクログ
ネタバレサバイバル組織術 2019
2019年7月20日発行
佐藤優氏による著作。
2022/02/06日曜日記述
組織で生き抜く為にはどう心がけるべきなのかを示した本。
佐藤優氏の類似本に「組織の掟」という本がある。
上の本は著者のロシアでの経験を元に教訓を導き出した本である。
このサバイバル組織術は、文学作品から組織というものを考察した本だ。
本作と上に上げた本以外でも佐藤優氏の組織における指摘は一貫しており、
それは一言で言えば「組織に逆らうな」である。
ただ盲目的に組織に従うだけだと万が一がある。
うまく冷静になって組織と向き合い生き抜いていく為のヒントが見つかるだろう。
印象に残った点
自分は今こういう所にいるんだということを知ること、それがインテリになるということだというわけです。
人間は組織から離れて生きていくことはできない。
なぜなら、人間は群れを作る社会的動物だからである。
合理的な実力主義と、メンバーのそれぞれを肯定し負の感情を抑制するシステムをバランス良く備えた組織が、これから生き残っていくでしょう。
上司は嫉妬している方の部下に声をかけなくてはなりません。
それも「嫉妬するのはやめろ」と言っても逆効果です。
「君のこういう部分を評価している」とか「総合的には君のほうが力がある」とか
嘘でもいいから、さんざん話して、嫉妬のエネルギーを別の方向に向かわせればよいのです。
それぞれが主観的に一番だと信じることができるような場所を作ることです。
つまり、部下を「世界に一つだけの花」だと言い聞かせ、嫉妬のマネジメントを行うことが
良い上司の重要な条件になっているわけです。
負の感情をコントロールするのは非常に難しい。
なぜなら、感情は本来制御できないものだからです。
代理経験・・悲惨な体験を描いたノンフィクションや小説、映画などに接することも有効でしょう。
さらにはことばの使い方を磨くことです。
負の感情の引き金となるのは、往々にして相手のことばです。
すると、最終的には、いかに言葉を制御するかという問題になってくる。
部下の叱り方は、はっきり言って、その部下によります。
同じように叱っても、その反応は人によってまるで違う。
患者を診て薬を処方する医師のマインドが必要です。
(今どきのエリートは)叱られた経験に乏しいのです。
叱るのも、叱られるのも経験と技術が必要です。
エリートであるほど、叱られる能力は低いのです。
上司とは戦ってはなりません。なぜなら上司は組織を体現するものだからです。
上司と戦ったとして、たとえ局地戦で勝利したとしても、次の上司が出てくるだけでしょう。そして3人目の上司が送り込まれるころには、組織に反抗した人間として必ず潰されます。上司と戦っていい目をみている人間が本当にいるかどうかをよく観察してみてください。その戦いにエネルギーを割くことになってしまえば、2つや3つは何か都合の良くない事実が出てきます。その気になれば、でっち上げや歪曲も可能です。
そもそも「上司と戦う」という発想を持つこと自体、組織の本質を理解していません。
個人としての上司を追い出すことはできるかもしれません。しかし、組織の一員としての
上司には絶対に勝てない。いかなる上司もー部下から見てどんな駄目な上司でもー人事という組織の判断の結果、そのポジションに置かれています。だから上司に逆らうことは、組織に逆らうことに他なりません。個人はいつも一人、組織はいくらでも人を入れ替えることができる。組織の数的優位は明らかで、戦力の大きいほうが最終的に勝つのは軍事の初歩中の初歩です。
上司との戦い方があるとすれば、たったひとつ、それは仕事で成果をあげることです。
このように人脈とは、漫然と多くの人と付き合うことではありません。
自分の仕事の必要度に応じて、いつでも適切に使えるようになっていなければ人脈とはいえないのです。A,B,Cどのボックスに振り分けて、どの程度の深さで付き合うか、そして、どこで見切りをつけるか。そこをきちんと整理しておくことが、人脈づくりの要諦といえるでしょう。
トラブルのほとんどは、言葉から生じるからです。
経験則上、秘密というものは99%、自分の口から漏れる。
相手に対して持っている好ましからざる感情も、自分でしゃべっていることが多い。
何を喋ったかを意識的に覚えておくことは、不用意な発言を抑制することにつながります。
記憶はリスクマネジメントの基本です。
組織は必ず位が上の者に味方しますから、上司とは絶対に喧嘩をしてはいけません。
組織にも、それを構成する人間にも限界があり、合理的な面とそうでない面が交じり合っています。自らが所属する組織の限界を十分認識した上で、最大限、自由に行動することがビジネスパーソンとして成功する秘訣だと思います。
プロテスタント神学者のカール・バルトは、人間の自由は「制約における自由」であると強調しました。真に自由な個人とは、自分の能力、適性、感情制御力がどの程度であるかという限界を見極め、その上で行動できる人間なのです。
私は時々、虎ノ門や新橋の立ち飲み屋に一人で行って、耳に入ってくる客の会話を聞いています。話のパターンはだいたい2つです。1つ目は「俺は能力が高いのに、会社から正当に評価されてない」。2つ目は「こんな会社、辞めてやる。俺たちで起業しようぜ」。
どちらもダメな人間が好む話題です。同僚と酒を飲みながら、自分がいかに不当な扱いを受けているかと管を巻いている人間が、肯定的な評価をされることは今後もありえないでしょう。
東京タラレバ娘
このドラマのメッセージはさらに直裁で、容赦のないものです。
まず、会社は絶対に辞めてはいけない。どんなにブラックな会社だと思っても、
フリーランスになって生きていけるほど、世の中は甘くない。
次に、不倫は時間の無駄。特に30代になってからの不倫は犯罪だから、絶対しない。
セカンドもダメ。本命に次ぐ二番目の彼女だと思っていても、サードだったりフォースの
場合もあるから、それも不毛。
つまり、結婚につながらない恋愛はまったく意味がないというわけです。
結婚には時期が3回ある、という話も出てきます。
1回目は22、23歳で、相手は高校か大学の同級生。
結婚式に、女友達は美容院でセットをし、新調したドレスでやって来る。
2回目は30直前くらいで、相手は会社の同僚。
男のほうが見劣りするけれども、この辺で駆け込んでおかなければ、という焦りで結婚する。
女友達は、髪の毛は自分でセットして、有り合わせのドレスでやって来る。
3回目は35歳。原作の漫画によれば、結婚相手の条件は3つしかない。
人間で、生きていて、死んでいないこと。
こうしたユーモラスな表現から立ち上がってくるのは、女性がシングルで生きていくことがいかに大変かという、ヒリヒリするような切実さです。
ここでは、家族や結婚は、恋愛至上主義に対するアンチテーゼであり、自己実現ではなく、
生活の安全保障に他なりません。まさに現代の生活保守主義を、極めて巧みに表現しています。
だから昭和の歴史は一筋縄ではいきません。失敗の中に成功の萌芽を見出せるかと思うと、
成功の原因がそのまま次の失敗の原因と重なり合うといったように、複雑な構造をなしています。極端から極端に振れる中で、日本は2つの大きな失敗をしました。一度は高度国防国家を目指して挫折した「敗戦」で、もう一度は経済大国を目指しながら挫折した「バブル崩壊」です。昭和の歴史を学ぶことは、この大きな失敗から成功のための種子を見つけることでもあります。そして同時に、成功のさなかに失敗の兆候を見出し、それを未然に防ぐことでもあります。それが、歴史を武器に変えるということなのです。
そうした兵站軽視とセクショナリズムが端的にあらわれたのが、昭和17年(1942年)以降、陸軍が一生懸命に航空母艦を造ったことです。ミッドウェー海戦のあと、海軍が輸送船の護衛をしてくれないから、陸軍は「あきつ丸」を初めとする四隻の揚陸艦を航空母艦に改装。海軍が分けてくれないから艦載機まで自力開発しています。
世界の陸軍で空母まで造ったのは日本だけではないでしょうか。
その時海軍は何をしていたのか。回章を回して「陸軍が造った船であって敵艦ではないので、沈めないように」と知らせただけです。実際に調べてみると海軍は、陸軍艦と敵を勘違いして、けっこう沈めている。まさに絵に描いたような縦割り組織の自滅です。
また組織にはコアなエリートばかりでなく、異質な人材も必要です。というのは、どんな不測の事態が起こるかわからないからです。状況が激変したとき、似たタイプのエリートばかりでは全滅する危険性がある。普段はさほど役に立たないように見えたり、癖が強いような人材でも、いざという時のためにプールしておくことが、組織としては重要なのです。
会社でも役所でも、組織が危なくなると曖昧な指示が増えます。
「うまくやれ」とか「工夫しろ」と言われたら危ない。
9割方、下が責任を被せられると考えたほうがいいでしょう。
イエス・キリストはなぜあれだけのカリスマ性があって、未だにキリスト教が続いているのかと考えると、「自己犠牲の精神」に行きつきます。十字架の上で抵抗せずに死ぬことで、人類の罪を贖った。その自らを犠牲にする行為によって、人は感化を受けたのです。
人を動かすとき、最も力を発揮するのは、命令や強制でもなく、利益誘導でもありません。
実はこの感化の力です。人の振る舞いをみて、影響を受け、自分も何かやらなくてはと思う。それは自発的な行為だけに強いのです。
人は、自己犠牲的な行動を取る人から感化され、動かされる。人を率いるためには、自己犠牲を厭わないこと。少なくとも自己犠牲を演ずること。これこそ人心掌握の要です。
実は、集団を動かすとき、ぎりぎりの局面では、大義名分は非常に重要な要素になります。本当に大事な決断をするとき、人は意外に利害では動きません。たとえば、役員会で社長に造反すると決めるときに「成功したらポストを用意する」と言ったのではなかなか人は動かない。その会社の名前を出して「○○の社員としてそれでいいのか?」という言い方のほうが、相手は乗ってきやすいという面がある。
理屈の力、大義名分の力を決して軽視してはいけません。
こうした絶体絶命の危機に追い込まれた時、本当に頼りになるのは誰でしょうか?
どんなに親しくしていても、会社の上司や同僚をあてにしてはいけません。
彼等は会社という組織の論理に拘束されているからです。
私の経験から言えば、最も頼りになるのは大学などの同級生、学生時代の友人です。
大学が同じといっても、社内の学閥には何の意味もありません。
そもそも会社における学閥は、弱者連合に過ぎません。
本当の勝ち組は実力主義によって選抜され、結束しているからです。
学生時代の友人がなぜ頼りになるかと言えば、まだ人間関係が利害と無縁だったころのつながりだからです。損得のない状態で、さまざまな経験を共有し、互いの人物の見極めもついている。不条理な嫌疑がかけられたとき、こいつがそんなことをするはずがない、という確信を持って支えてくれるのは、組織の外で培われた関係性なのです。
組織には人を潰す力もありますが、人を生かす力もあるのです。
組織によって役割を与えられ、その結果が評価され、さらなる目標が示されることで、
個人の能力は確実に引き出されます。
組織の及ぼす力は、ある種のスペクトラム(連続体)になっています。
虹をイメージして下さい。赤からオレンジ、黄色、緑、青、藍色、紫と変化していきますが、実は色と色との間に境界はなく、連続してつながっています。
それでいて、両端をみると全く違う色になっている。組織も同様です。
人を生かす力と潰す力は連続していて、組織によって生かされていたはずが、
ある所でポンと逆転して、個人を潰す力となって襲いかかってくる。
この逆転のポイントのみきわめが難しい。だから、部下としては、冷淡な上司もやりにくいのですが、過度に目をかけてくれる上司も危険なのです。
霞が関において政治家が「わかった」と言う場合は、「あなたが何を言っているかは理解した」という意味に過ぎず、「了承した」「賛同する」という意味では必ずしもないからです。
人事に携わる人間には「自分は権力を握っているのではなく、組織のひとつの駒に過ぎない」という認識が求められます。そして、機構的には合議制を取ることです。その際に留意しなくてはならないのは、合議の内容を決して外に漏らさないこと、そしてコメントしないことです。人事で冷や飯を食った上に、否定的な評価まで下されたのでは、社員のやる気はガタガタになりますから。人事を、個人の判断のレベルではなく、抽象的な組織の判断であるかのように擬装することが必要なのです。
人事が成功するのは、徹底した能力主義に立ったときだけです。しかし、それが容易ではありません。人事の際に問われる能力とは、売上を伸ばしたなどの数値化が可能な能力だけではないからです。そこには常に不透明さが伴います。
「この交渉で、これだけの成果を上げたから」という目に見える評価ならいいのですが、よく使う料亭の女将が耳打ちする「あの人、気が利いているわね」という一言や「この前、酔って局長の悪口を言っていたわよ」という告げ口なども、意外と評価に影響を与えかねない。極端な抜擢人事など、イレギュラーな人事をひとつ行うと、だいたい3、4人から恨まれる結果になります。10回やれば、30人から40人の恨みを買います。
人事は組織の要であり、適材適所が必須であると同時に、上がる人がいればこぼれる人も出てくることが避けられません。その人達のインセンティブを、どうやって維持するか。ここが特に大切なのです。
従って企業のトップになる人間は、人事に直接触らないことが肝要です。「良きに計らえ」と担当者に任せたふりをしながら後ろで操る、という方針に徹して、絶対に姿をさらさないことです。直接人事を行うことを禁欲した場合、100%思い通りの人事が出来るわけではありません。しかし自分の思いを9割5分通すことで100人の敵を作るより、自分の思いは7割しか通らないけれども敵は1人もいないほうが、絶対にいい。人事においては、その程度の歩留まりを目指すべきです。
人事を担当する者が必ずわきまえておかなければならない鉄則があります。
それは「抜擢された人は感謝しないが、外された人は必ず恨む」ということです。
人間には認知バイアスがあり、自分の能力、自分の成果を必ず実際以上に大きく評価するものです。日の当たるポストに登用された人は、「自分の能力が正当に評価された」と感じるだけで、人事担当者に感謝などしないが、感謝しても短期間に過ぎません。
他方、コースから外された人は「能力のある自分が左遷されたのは、人事担当者の恣意によるものだ」と反発するのです。
これは人間の本姓といってもよく、いくら謙虚な人でも、このバイアスから完全に逃れることはできません。ただ「人間には自分を過大評価する傾向がある」ということを知っておいて、折に触れて、軌道修正を試みる必要はあるでしょう。
「組織にとって、いかなる個人も入れ替え可能である」
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購入済み
暴力の効能と不可避性
元々好きな二人の対談だったので楽しみに読み勧めていましたが、思った以上に面白かったです。
特に印象に残ったのはこの部分。
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佐藤 もし暴力が完全になくなってしまうと、世界は際限なくエントロピー(不確定)化して、我々自身も消えてしまう。裏を返せば、拡散を防ぐためには、ちょっと無理して耐エントロピー構造を作っていかねばならず、その機能を果たすのが暴力に他ならない―。そんな理解でよろしいでしょうか。
斎藤 おっしゃる通り、社会の根源に暴力があると思うのです。…
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エントロピーという普遍的な概念を使って、暴力の効能・必要性・不可避性がこんな形で表現出来るとは、目からウロコでした。
逆に言えば、エントロピーを低減させることは暴力に比することと言えるのかも知れません。
例えば、部屋の掃除、整理整頓。身だしなみを整える、久しぶりに顔を合わせた人に挨拶するなど。
放って置くと乱れてしまったり消えてしまったりするものを維持する時に必要となるのが、一種の「暴力」的なエネルギー。
引きこもりになってしまうような人たちは、そのような暴力的エネルギーの消費を可能な限り回避し続けようとしているということなのかも知れません。
しかし、生きている限り必ずエントロピーは増大し、エネルギーは消費されてしまうのです。
どんな「暴力」的エネルギーを振るうことを選んで生きていくのか。それをどこかで選ばなければいけない、そんな勇気が必要なんだと言うことなのかもしれないと思いました。
大分佐藤さんに慣れ親しんでいる感じの、巻頭の斎藤環さんの前書きが微笑ましかったです。
どうかもう一度でも、この二人の対談が実現しますように。