あらすじ
ソ連国営国際旅行公社の職員と別れ、ホテルに戻った。窓からボリショイ劇場とクレムリンの赤い星がうっすら見える。寝付けずに数学の問題集を解いていたら、朝8時になっていた――。モスクワを歩き、同じソ連でも別世界の中央アジアへ。帰路のバイカル号では不思議な「授業」が待っていた……。少年を「佐藤優」たらしめた全40日間の旅の記録。
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Posted by ブクログ
冷戦というのが所与の枠組みだった時代の青春。現代なら東欧とロシアでこんなに苦労するはないのだろう。旅行のハードル的にはインドか南米くらいか?
佐藤優の十五の夏休みをに触れていろいろな思いが湧いてくるのだが、旅行自体は自分ごとではなく、5歳の息子を重ねてしまうのが、自分の歳を感じて辛い。あと10年で彼がこういう経験を望むようになるだろうか。もちろんその時代には、1975年当時ほどの異世界感はないかもしれないし、そもそもリアルに国境を越える必要すら怪しいものだが。
なるべくしてなったのだなと思う一方で、本当に好きなことで食べていけない人はいない、という言葉はとても、重い。
Posted by ブクログ
何気なく手に取ってみたが、そのボリュームに圧倒されつつも、一気に読み切った。
高一でこんなこと考えてたの?とか、詳細に記録してたのかさもなくば創作?とか、食べ物の描写がリアル?とかいうこと以外に感じた事。
漫然と観光するのではなく、一つの経験から得られた知識を抽象化して解釈し血肉とする力を感じた。また、他人の意見に惑わされることもあるが、自身の考えを持ち主張したり行動している場面が印象に残った。多少後付けもあるかもしれないが、それでも15歳の時にこれだけのことを感じたら、後の人生が変わってくるだろう。
Posted by ブクログ
40年以上も前のことをこれほど鮮明に覚えているものだろうか。メモを基に再構成したのだとしても、出会った人々との生き生きとした会話や、特に食事に関する克明な記述には感嘆する。
Posted by ブクログ
上巻が、ポーランドやハンガリー等の当時の共産圏の現地の人々との交流に関して多く紙幅を割いていた一方で、下巻では日ソ友の会やバイカル号での様子など、旅に関係する日本人との交流を多く描いていた(外国人との交流を強く制限している地域だということも影響していると思う)。
特定のトピックへの関心が強いと、中等教育での勉学が疎かになるということを周りに指摘され、自分でも意識しながら生活をしていったというのはかなり貴重な経験だと思う。
一部に脚色を加えているとしても、青学の職員と険悪な雰囲気になった際に、なるべく偏見を抱かないように努力をしなければならないと感じたことは事実であると思うし、異文化に触れる際に最も重要な心構えだと思うな、と個人的にも再確認できた。
Posted by ブクログ
長くかけて読んだ。出来事を叙述しただけの自伝的小説のように見えて、読後にはずっしりとした重い感じがある。ソ連の長旅、その後の同志社大学神学部への進学………。人の人生を追体験する意味を感じる。
Posted by ブクログ
15歳という若さでまだ旅行の環境が整ってはいなかったであろう、共産圏の国々を訪れていく行動力に脱帽する。まだ私はロシアに行ったことはないが、本書の上下巻を読み終えてみて次に海外出張に行けるようになったらロシアを選びたい。
Posted by ブクログ
作家で元外交官の佐藤優氏は15歳の夏、高校合格のご褒美にソ連・東欧を一人旅した記録。
知的好奇心が旺盛で、15歳とは思えない行動力、意志の強さに驚かされる。旅先での出会いやペンフレンドとの交流は心温まり、国や文化・言語は違えど、人間は同じなんだと感じる。若い世代の人に是非とも読んでほしい。
可愛い子には旅をさせろと言うけれど、自分は、佐藤氏のご両親のような決断が出来るほどの器が備わっていないと痛感した。
Posted by ブクログ
凄い作品だった。かなりの衝撃。今この時期に、この作品を知り、読めたことは本当によかったと思う。佐藤優という人にすごく興味を持った。どうしたらこんな考え方・行動力の塊のような人間が生まれるのだろうか。自分の子どもがちょうど同じ年代だが、かすりもしない。私より10歳ぐらい上だが、いろいろな意味で尊敬もするし羨ましくも思う。私の旅はここまで立派ではないが、自分の旅や学生時代を思い出したりした。私も自分の旅を文章にしてみようとさえ思ったりした。早速、佐藤優のルーツを知るべき「先生と私」を読み始めた。
Posted by ブクログ
【上下の感想】古書店で購入したのは1年ほど前で、ぼちぼち読んでいたら、ロシアとウクライナの戦争が始まった。
まだ読み終わってないけど武田百合子の『犬が星見た』もロシアの話で、でも、多分20年くらい差があるので、だいぶ環境が異なっている。ただ同じなのはロシア人が中国をとても嫌っていること。今はどうなんだろうか。
モスクワで、エスカレーターの上を人が歩いているのを見て驚く場面があり「日本人はそんなことはしない」と書かれている。1970年代は日本ではエスカレーターの上を歩く人はいなかったのか。『モモ』みたいに時間泥棒に席巻されてしまったということか。
作者は関わる大人から多くの助言をもらっている。それは単に恵まれていたからか。おそらくそうではなく、高校時代の作者の真摯さに皆がうたれて、それで力になったのだと思う。そして皆が彼の将来をそれぞれ予言しているのが面白い。
東欧の共産国とロシアは、この本が書かれた段階でもだいぶ違う。もちろん東欧の国の間でも異なる。外国人に優しく、比較的自由にやりとりできる国とそうではない国。この時代、ロシア(ソ連)では外国人とロシア人は個人的な交際は一切出来ない。文通も無理。
情報は日本語のモスクワ放送から発信される。僕の子供の頃は、ソ連、中国、北朝鮮の日本語放送が電波が強くて困ったものだ。
真面目で頭の良い、将来について真剣に考える若者の共産圏旅行記、とても面白かった。
Posted by ブクログ
旅行記の後編
ソビエトを中心に記載があり、いかに社会主義国を旅することが難しいか、その中での人々の生活観はどのように旅行客に対して影響していくのかなどが描かれていて、旅の途中で会う日本人とのやりとりなども面白い。