673円
★再読
目次
作品 1 レーピン『皇女ソフィア』
作品 2 ボッティチェリ『ヴィーナスの誕生』
作品 3 カバネル『ヴィーナスの誕生』
作品 4 ベラスケス『フェリペ・プロスペロ王子』
作品 5 ヨルダーンス『豆の王様』
作品 6 レオナルド・ダ・ヴィンチ『聖アンナと聖母子』
作品 7 ミケランジェロ『聖家族』
作品 8 伝レーニ『ベアトリーチェ・チェンチ』
作品 9 ルーベンス『メドゥーサの首』
作品 10 アンソール『仮面にかこまれた自画像』
作品 11 フュースリ『夢魔』
作品 12 ドラクロワ『怒れるメディア』
作品 13 伝ブリューゲル『イカロスの墜落』
作品 14 レッドグレイヴ『かわいそうな先生』
作品 15 フーケ『ムーランの聖母子』
作品 16 ベックリン『ケンタウロスの闘い』
作品 17 アミゴーニ『ファリネッリと友人たち』
作品 18 ホガース『ジン横丁』
作品 19 ゲインズバラ『アンドリューズ夫妻』
作品 20 ゴヤ『マドリッド、一八〇八年五月三日』
作品 21 シーレ『死と乙女』
中野 京子
(なかの きょうこ、生年不詳)は、日本の作家[1]、ドイツ文学者[2]、西洋文化史家、翻訳家[3]。北海道生まれ[4]。1979年、早稲田大学大学院修士課程修了[5][6]。オペラ、美術などについて多くのエッセイを執筆する。2007年に発表された『怖い絵』を端緒とする『怖い絵』シリーズが大ヒットとなる。新聞や雑誌に連載をもつほか、テレビの美術番組にも出演する[7][8]。早稲田大学講師[9][10]。『怖い絵』シリーズの刊行10周年を記念して2017年に開催された「怖い絵」展では、特別監修を務めた[11][12][13]。2021年9月に開催された「怖いクラシックコンサート」(東京文化会館)での解説[14]、2022年3月公演の舞台「怖い絵」の監修[15][16]、同年7月上映の「星と怖い神話 怖い絵×プラネタリウム」の監修・解説を担当した[17][18]。
「とりあえずは年齢順でフョードルがツァーリの座につく。ここまでは誰にも文句は言えない。ところが病弱のため六年後に死去。次はイヴァンの番だが、この子は知的障害があった。そこで、まだ十歳とはいえ利発で頑健な肉体の(将来は身の丈二メートル!の大男になる)ピョートルが適任だとする派閥が、継承順位をきちんと守るべしと主張する派閥を圧倒し、ピョートル一世を誕生させた。 これをたちまち覆し、一気に表舞台へ躍り出たのが、イヴァンの姉──ピョートルにとっても、父が同じなので異母姉にあたる──ソフィアだった。野心満々のこの皇女二十五歳は、イヴァンが敵側に殺されたとの偽情報を巧みに流し、ピョートルとその母親のいるクレムリン宮殿へ銃兵隊を差し向けた。兵士たちは丸二日にわたって暴れまわり、ピョートル支持者たちを血祭りにあげる。ピョートルの眼の前で叔父も殺された。」
—『怖い絵 死と乙女篇 (角川文庫)』中野 京子著
「ヴィーナスの顔は、腕に半ば隠れ、影がさして見えにくい。だが妖しい笑みをたたえた唇、官能に反りかえる足指とも相俟って、鑑賞者たちの想像力をいやでも刺激し、芸術とポルノの境がいかに曖昧模糊たるものかを教えてくれる。 海面は、水というより大理石なみに硬く見え、女神ならずとも沈む心配はなさそうだ。艶やかに流れこぼれる褐色の髪の毛も、濡れることなく長く長く、膝のあたりにまで達している。これほど豊かな髪をもちながら、ヴィーナスの柔肌には腋毛もヘアもない。なめらかで、つるつるぴかぴかすべすべ(ちなみに絵画史上最初のへアヌードは、これより半世紀以上も昔に描かれたゴヤの『裸のマハ』と言われる。腋毛のほうは、ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』〈一八三〇〉。どちらも追従者はいないに等しく、ヌードにおける体毛は眉と睫と髪のみがベストと信じられたらしい)。」
—『怖い絵 死と乙女篇 (角川文庫)』中野 京子著
「本作は一八六三年のサロン(官展)で入選、芸術の王道として激賞され、速攻、お買い上げとなった。当時のフランスのトップ、ナポレオン三世、直々にだ。偉大なるナポレオン・ボナパルトの甥であるこの皇帝は──中・上流階級の人々と同じ審美眼により──甘美な新古典主義的絵画しか認めなかったので、同年、サロンから締め出されて「落選展」に出品のマネ『草上の昼食』などは、「猥褻」の一言でしりぞけた。 もちろん猥褻の定義は時代が決める。それまで西洋絵画はヌードを描く際、一貫して口実を必要としてきた。神話や歴史の装いを凝らさなければ、心おきなく(?)女体美を鑑賞することができなかった。したがって『草上の昼食』のように、女神や古代女性に扮することもしないモデル(しかも娼婦)が、リアルな肉体を堂々と人まえに出すなど、見る側のほうがいたたまれないほど恥ずかしい仕儀であったのだ。 マネの絵は大スキャンダルを巻き起こしたものの、これを嚆矢として、次第にありのままの、生きた女性のヌードが、いっさいの口実抜きで表現されるようになる。我々がもはや、『草上の昼食』に新しさを感じられないのも仕方がない。」
—『怖い絵 死と乙女篇 (角川文庫)』中野 京子著
「ラスキンの場合、真相は彼の幼女趣味ゆえとの説もあるが、それにしても、職業上、陶器のような無疵の肌ばかり見続けていることの影響が皆無だったとは言えまい。絵画におけるヌードというのは、決してリアリズムではない。それは、各時代の各地域が要求した理想の肉体、「かくあらねばならない」肉体、夢の肉体であり、だからこそ、生への讃歌、且つ性への讃歌になりえた。」
—『怖い絵 死と乙女篇 (角川文庫)』中野 京子著
「自然な動きを封じられるのだから、とうぜん赤ん坊には不快きわまりないだろう。だというのに、蓑虫状態にしておけば我慢強くなるし、ぐにゃぐにゃの体がまっすぐになり、大人から病気をうつされにくいし、魔物に変身することもない(!?)と、いくつも効能があげられ、新生児の時期を過ぎてなおスワドリングされ続ける子が多かった。 けっきょくのところこれは、世話する側に都合よい方法なのだ。泣いてもそのへんにころがしておけるし、堅いので壁の隅に立てかけて(?)おくこともできた。まだ衛生観念も発達していなかったから、排泄物もそのまま中に放置されたし、布自体の取り替えや洗濯もめったにしない。病気になりにくいどころか、汗、垢、排泄物のせいで感染症にもかかりやすかった。ルソーがこの育児法を激しく糾弾したのももっともである。」
—『怖い絵 死と乙女篇 (角川文庫)』中野 京子著
「当時の農民のリアルな食事風景を、イタリア人カラッチが描いている(『いんげん豆を食べる男』)。上目づかいで食事に専念する男の前には、白いんげん豆のスープ、パン、ワイン、そして皿には野菜のパイのようなもの。ネギは生のまま食べたらしい。またワインは現代のような嗜好品ではなく、生水の乏しい地域の水代わりであり、栄養補助飲料だったから子どもも飲んだのだ。 ドイツ人の『ヨーハン・ディーツ親方自伝』にも──十七世紀後半だというのに──、床屋の徒弟の粗食ぶりが記されており、毎朝パン一個と「後ビール」(ビールを汲み終わった後の樽に真水を混ぜたもの)しか与えられなかった由。庶民の日常の食事はこのように乏しく、穀類と豆が中心で、動物タンパクを口にできるのは年に数回程度だった。 いや、実は彼らだけではない。まだ流通網が貧弱だったし、絶えざる戦争でなおのこと物資が滞るときては、いったん大飢饉となれば貴族さえ質素を強いられた。第一、物流がうまくまわらないというのは、豊作でも安心できないことを意味する。防腐が不完全なので食物は長くもたず、ワインも香辛料を入れなければすぐ腐った。いつまた戦いが再燃するかわからず、戦争につきものの傭兵たちによる略奪、栄養不良と不衛生からくる疫病の蔓延、領主による重税……。」
—『怖い絵 死と乙女篇 (角川文庫)』中野 京子著
「本作はレオナルド・ダ・ヴィンチ晩年の名画で、彼はこれを『モナ・リザ』『洗礼者ヨハネ』とともに、死ぬまで自分の手元に置いていた(特別気に入っていたからか、それともまだどれも未完だったせいか……)。 三作に共通するのは、人物の口元にうっすら浮かぶ謎めいた微笑。とりわけモナ・リザの神秘的な笑みは、世界中の人々を五世紀にもわたって悩殺し続けてきた──ということになっているが、日本人がダ・ヴィンチを知ったのは、鎖国のせいもあり、さほど昔のことではない。ましてその作品の魅力を完全とは言わないまでも理解し、味わえるようになってからそう長年月が経つわけでもない。 夏目漱石の掌編小説集『永日小品』(一九〇九)に、「モナリサ」という一篇がある。 役所勤めの主人公は、休日に骨董屋をまわるのが趣味だった。たまたま書斎に飾るものを探していて、古い西洋複製画を見つける。店主が一円というのを八十銭に負けてもらい、自宅へ持ち帰ると、細君はその肖像画を見て、「気味の悪い顔です事ねえ」と言う。かまわず文机の前の壁に掛けるが、なおも「この女は何をするか分からない人相だ、見ていると変な心持になる」と、しきりに嫌がる。そのせいか、書きものをしていても気になって何度も目をやるうち、だんだん細君の評が当たっているように思えてきた。「口元に何か曰くがある」ように感じられてきた。」
—『怖い絵 死と乙女篇 (角川文庫)』中野 京子著
「 祖母から母へ、母から子へと、女性を通じて脈々と生命が伝えられる様を、斬新な聖家族像によって表現した、というところであろうか。 しかしそれでも謎は残る。納得しきれない、もやもやしたものが残る。なにしろ画家というものは、自分のほんとうに言いたいことは密かに画面の片隅へもぐりこませ、何くわぬ風をすることが往々にしてある。ダ・ヴィンチのように秘密の多い画家なら、そして彼のこの、詩情豊かな美しさに満ちながら何か「変」な絵ならば、なおさらだ。 ある人が発見した──マリアの「く」の字の真ん中、腰のところに、ありえないほど服の皺が寄っている。このキノコのような形は、もしかして男性の……(ちょっと判定は微妙だけれど)。 またある人が発見した──アンナの開いた両足の間にたくさん石ころがあるが、中の一つ(右足のそば)は、石にしてはやわらかすぎ赤味がかっている。これは血のついた胎盤だ! 三十もの人体解剖を行ない、当時としては極めて正確なスケッチを──臍の緒のついた胎児も、男女の性交図も──残したダ・ヴィンチである。女性が子孫を継承してゆくという科学的事実の証を、さりげなく(堂々と描くわけにはゆかない。異端と見なされて首が飛ぶ時代なのだ)描き込んだ可能性は高い。この仮説は現在ある程度受け入れられているので、ルーヴルで実物を見るときには赤い石に目を凝らしてほしい。 まだ大事な謎が隠されている──そう考えたのが、精神分析学の確立者ジークムント・フロイトだった。 彼は一九一〇年に発表した論文『レオナルド・ダ・ヴィンチの幼年期のある思い出』で、詳細にこの絵を分析している。ただし時代の制約から非常にまわりくどく、もってまわった言い回しで、読者の眉をひそめさせないよう細心の注意をはらった。オスカー・ワイルドが実刑を言い渡されてそれほど時も経ていないのだから、同性愛について触れるのも慎重にならざるを得ない。」
—『怖い絵 死と乙女篇 (角川文庫)』中野 京子著
「だがフロイトの興味はそこにはない。鳥の尾の先はどこにあるだろう? なんと幼子イエスの口元にあるではないか! 「何度も何度も口をつついた」、ダ・ヴィンチの夢の中のハゲワシと同じように。 フロイトは分析してゆく──この絵に描かれた愛らしい幼子は、美貌で知られたダ・ヴィンチその人であり、ふたりの女性は実母と養母である。だから彼女たちは(実際にそうであったように)年齢が近く見えるのだし、ふたりがまるで溶け合っているかのごとき構図の欠陥は、欠陥ではなく、ダ・ヴィンチが敢えてそうしたものだ。彼はふたりの愛する母を持ったマザコン(しかもダブルの)だったから、それが同性愛者になった原因であろう。ただし直接のきっかけは、同居していた叔父アンドレア(ダ・ヴィンチは彼に遺産を残した)から、幼いころいたずらされたためと思われる。つまり、鳥の尾に口をつつかれた(フロイトの解釈では「鳥」も「尾」も男性そのもののシンボルなのだから)のは、夢の中のできごとではなく、現実に小さいころ叔父にされたことだったのだ。 うーむ、強引で仰天の解釈のように思えるが……しかし面白いことは面白い。 何もかも全て語ってしまう小説が退屈なのと同じで、推測する楽しみのない絵画は味気ない。 ダ・ヴィンチ作品はどれも多義性を感じさせ、否応なく見る者に解釈を迫ってくる。試される気がする。そこが魅力であり、怖さだ。」
—『怖い絵 死と乙女篇 (角川文庫)』中野 京子著
「万能の天才と呼ばれたレオナルド・ダ・ヴィンチ(一四五二 ~一五一九)が、自己アピールに書いた履歴書はあまりに有名である。 彼は自分ができることをいくつも挙げている。曰く、橋、運河、建物を設計できる、大砲、戦車、石投げ機、火炎放射器を作れる、敵地までの地下道を音をたてずに掘れる、大理石や青銅で彫刻ができる、おまけに絵も描ける、と。」
—『怖い絵 死と乙女篇 (角川文庫)』中野 京子著
「 何を描かなかったかでその画家の特質がわかる、という意味では、ピーテル・パウル・ルーベンス(一五七七 ~一六四〇)はあれほどの多作でありながら、決して庶民の日常を日常そのものとして描くことはなかった。その一生を見ても、何ら彼らへ関心を寄せたふうもない。 本作だが、ルーベンス工房として請け負った作品であり、本人はメドゥーサの頭部を、蛇や虫などは助手のフランス・スネイデルが描いたことが知られている。ルーベンスは仕事の分担を隠さず、これこれの作品は助手に描かせたので五百ギルダ、これこれは下絵が弟子、仕上げは全部自分がしたので三千五百ギルダ、というように、細かく価格付けをしていた。 それはともかく日本人には、たぶんこちらの方が怖いのではないだろうか。斬首された罪人がこの世に怨みを残して死んだ瞬間を切り取った、葛飾北斎の『生首図』。 ぎりぎりと歯軋りが聞こえてきそうだ。」
—『怖い絵 死と乙女篇 (角川文庫)』中野 京子著
「自他共に認める「仮面と骸骨の画家」ジェームス・アンソール(一八六〇~一九四九)は、イギリス人の父、フランス系ベルギー人の母のもと、ベルギーのオステンドで生まれ、青年期の三年間をのぞいては、八十九年という長い生涯、根を生やしたようにそこから動かなかった。 オステンドはブリュージュから程近い北海沿岸に位置し、十九世紀前半から首都ブリュッセルとは鉄道で、またイギリスとはフェリーでつながり、良質の砂浜やカジノを有する夏の避暑地として名高かった。アンソールの生家は、海岸通で観光客用の小さな店を営み、他愛ない土産物や骨董、貝殻、鳥の剝製、絵葉書、そして数々の仮面を売っていた。」
—『怖い絵 死と乙女篇 (角川文庫)』中野 京子著
「母からの仕送りを受けつつ、アンソールはアカデミーで学び始める。同級生にはクノップフ(『怖い絵』の『見捨てられた街』参照)がいたが、特に親しくはなっていない。そもそもアンソールは生涯ほとんど友人らしい友人を持たなかったのだが、それは周囲の人間に言わせれば、「とんでもない自己中心主義者」だったからという。家庭内で男児ひとり、母親だの姉妹だのおおぜいの女性たちに甘やかされて育つと、まま、そういう例が見られる。似た環境のオペラ作曲家プッチーニも自己中心的ではあったが、囲む女性たちが優美だったためもあってか、呆れるばかりの艶福家になった。一方アンソールときたら女性にも無縁で、一生涯独身を通す。 友人もなく、授業も自分には合わない気がして三年で学校をやめた彼は故郷へ帰り、狭い屋根裏部屋で──天井が低すぎ、画布の下部分を丸めなければならないことさえあった──陰気な絵を描いては展覧会へ出品し続けた。入選は二回きり。作風が次第に世の潮流とは無縁の、オリジナリティあふれるものとなっていったのも落選の理由だろう。二十四歳頃、保守的なベルギー美術界には見切りをつけ、反アカデミーを標榜する若手前衛芸術家グループ「二十人会」へ入会する。クノップフらが中心となった活動だが、ここでも状況は変わらなかった。この会が斬新と認め、熱心に紹介していたのは印象派の作品であり、とうていアンソールの出る幕ではなかった。」
—『怖い絵 死と乙女篇 (角川文庫)』中野 京子著
「母からの仕送りを受けつつ、アンソールはアカデミーで学び始める。同級生にはクノップフ(『怖い絵』の『見捨てられた街』参照)がいたが、特に親しくはなっていない。そもそもアンソールは生涯ほとんど友人らしい友人を持たなかったのだが、それは周囲の人間に言わせれば、「とんでもない自己中心主義者」だったからという。家庭内で男児ひとり、母親だの姉妹だのおおぜいの女性たちに甘やかされて育つと、まま、そういう例が見られる。似た環境のオペラ作曲家プッチーニも自己中心的ではあったが、囲む女性たちが優美だったためもあってか、呆れるばかりの艶福家になった。一方アンソールときたら女性にも無縁で、一生涯独身を通す。 友人もなく、授業も自分には合わない気がして三年で学校をやめた彼は故郷へ帰り、狭い屋根裏部屋で──天井が低すぎ、画布の下部分を丸めなければならないことさえあった──陰気な絵を描いては展覧会へ出品し続けた。入選は二回きり。作風が次第に世の潮流とは無縁の、オリジナリティあふれるものとなっていったのも落選の理由だろう。二十四歳頃、保守的なベルギー美術界には見切りをつけ、反アカデミーを標榜する若手前衛芸術家グループ「二十人会」へ入会する。クノップフらが中心となった活動だが、ここでも状況は変わらなかった。この会が斬新と認め、熱心に紹介していたのは印象派の作品であり、とうていアンソールの出る幕ではなかった。」
—『怖い絵 死と乙女篇 (角川文庫)』中野 京子著
「ちなみに「恐怖とは何か」について、ふたりの詩人は正反対の言葉を残している。パーシー・シェリーは、「恐怖は人間の作りだしたものにすぎない」──『夢魔』でいうならば、腹に乗るインキュブスも馬も全て、眠る女性が産みだしただけと言えようか。 一方ジョージ・ゴードン・バイロンはこう言う、「恐怖は人間がこの世にあらわれる前から存在し、人間が滅びたあとも残る」。 これでなくてはロマンは語れまい。 悪魔的バイロンはこんなことも言っている、「恐怖には異様な美がある。美女はそれだけで美しいが、しかしそこに血の一筋でもあればと思う」。『夢魔』の、のけぞる美女の唇の端に、赤を置いてみると……。 おお、確かに!」
—『怖い絵 死と乙女篇 (角川文庫)』中野 京子著
「何の予備知識もなくこの絵を見れば、たいていの人はこう思うのではないだろうか、魔の手から逃れ森へ駆け込んだ女性が、迫り来る敵の気配に眦を決してふり返り、いざとなれば我が子を守るため戦おうと、今しも左手の短剣を構え直したところ……。 まんざら外れてはいない。 ただし後半が違っている。彼女は我が子を守ろうとしているのではなく、殺そうとしているのだ! 王女メディアの物語は、同情さるべき被害者が、一転、復讐の鬼と化し、途轍もない反撃に出るという、異様ななかにも恐ろしいほどの真実を含み、であればこそ、紀元前五世紀という気の遠くなる昔(エウリピデスのギリシャ悲劇『メディア』)に書かれたにもかかわらず、微塵も古さを感じさせないのであろう。 発端は、海外遠征だ。ギリシャの英雄イアソンがアルゴー船を率い、黒海東岸、小アジアのコルキスへ金羊毛皮を奪いに行った。コルキス側は侵略者と戦うが、王女メディアは一目でイアソンに恋し、魔術を使って彼の生命を救ってやったばかりか、祖国を裏切り父王を裏切り、彼とともにギリシャへ来て内縁の妻となる(当時ここは国際結婚が認められていなかった)。 やがて子どもがふたりできたころ、イアソンはメディアに飽きがくる。しかもクレオン王の娘に愛され、彼女と正式に結婚すれば思いがけない出世だとばかり、身勝手にも別れ話を切り出す。クレオン王もまた政治権力をふりかざし、早急に国外退去するようメディアを脅した。あまりの理不尽に憤怒の塊となりながら、しかしメディアはいかにも恭順すると見せかけ、別れの記念と称して花嫁へ衣装と宝冠を贈る。花嫁が喜んで衣装をまとうと、そこには猛毒が仕込んであり、また宝冠は被るやいなや火を噴き、助けようとしたクレオン王ともども苦しみぬいて死んでゆく。 驚いたイアソンが従者を連れ、急ぎメディアを捕まえにくると……。」
—『怖い絵 死と乙女篇 (角川文庫)』中野 京子著
「しかし「レディ」とは何かとなるとまた問題で、いちおう中流の上、ないし上流階級出身であること、相応の言葉づかいや礼儀作法(階級社会では各層で大きく違う)が身についていること、高い教育を受けていること、が挙げられるだろうが、もっと根本的には「働く必要のない」ことが大前提となる。女性はそもそも「職業に就いている」というそれ自体を蔑まれたのだ(「職業に貴賤はない」どころの騒ぎではない)。となればガヴァネスをいったいレディと呼ぶべきか、否か? もし「本物」のレディであれば、父親の財産によって庇護され、やがては同じ階級の男性と結婚して、今度は夫の財産によって庇護されるはずだから、働く必要はない。働いているのは、早い段階で狂いが生じたからで、父親の死(イギリスでは女性に相続権はなかった)、ないしは破産のため、持参金がなくなり、結婚相手を見つけられなかったということだ。 レディに生まれ、レディとして育ちながら、レディを完遂できなかった女性──彼女たちは、いくら「はしたない」と言われようが、生きるためには働かざるを得ない。場合によっては、母親や弟妹を養うという重荷も背負っていただろう。そして十九世紀のこの当時、中・上流階級出の女性が、どうにかレディの末端と認めてもらえそうな仕事となると、女学校の教師かガヴァネスより他になかったのである。 要するにガヴァネスとは「零落したお嬢さま」なのだ。 ガヴァネスというだけで「かわいそう」と憐れまれるのはそのためだ。レディを躾ける自分は完全なレディではない、という著しく自尊心を傷つけられる立場。一度そんな日陰へ追われれば、逆転のチャンスはほとんどなかった。かつての同じ階級の男たちは、ガヴァネスに「身を落とした」女性との結婚をためらったし、階級の低い男たちとの結婚は、彼女たちの方が怖気をふるった。どこにも行き場はない。階級社会という硬直した装置の、エアポケットにすっぽり嵌って抜けられなくなったのがガヴァネスといえよう。」
—『怖い絵 死と乙女篇 (角川文庫)』中野 京子著
「それでもガヴァネスに稀少価値があった十八世紀であれば、まだそれなりの敬意を払われた。だがこの絵の舞台、十九世紀ヴィクトリア朝時代になると、男性たちの新大陸移住などによる男女人口比のアンバランス、中産階級以上の男性の晩婚化傾向、未婚女性たちの高学歴化が重なって、ガヴァネスは供給過剰になり、労働条件はひどく悪化した。賃金は下がり、安く雇えるとなると上流階級に属さない者たちまでがステイタス・シンボルとしてガヴァネスを雇いはじめ、当然ながらガヴァネスの地位も低下する。本来はフランス語、歴史、音楽、絵画といった教養を教えるはずの彼女たちに、お針子や子守の仕事までが押しつけられた。本作にも、ヒロインの足もとに赤い毛糸玉がころがり、編み棒の入った籠が描かれており、勉強の時間が終われば、彼女も編み物や縫い物をさせられていることが示されている。 こうした、もともと召使のすべき仕事まで強制されるようになると、ガヴァネスにはまた新たな苦労が増えた。当の召使たちとの軋轢である。もとよりガヴァネスは絶えず周囲から独特の眼差しを受け、精一杯、矜持を保たねばならないため、下層階級である他の使用人と自分は違うのだと常に態度で主張してきた。それが反感を買い、いじめの元ともなっていたのだが、今度は完全に召使の領分を侵犯したことで、上からも下からも侮蔑の対象になってしまう。」
—『怖い絵 死と乙女篇 (角川文庫)』中野 京子著
「本作の巧みな構図、とりわけ処刑者と犠牲者の対比の妙──ユニフォームの中に個性を埋没させ自らを機械と化した兵士たちと、やわらかで傷つきやすい肉体を持つ個性豊かな個人の集まり──は、後世の画家たちを刺激し、引用を誘った。よく知られているのはピカソ『朝鮮の虐殺』とマネ『マクシミリアンの処刑』である。 ピカソの場合は、ちょっと真似てみた、という感じがありありで、『ゲルニカ』の作者とも思えぬ気の抜けたビールぶりだ(ピカソ作品は玉石混交の度が大きい)。 他方、マネが相当力を入れて描いたのは知られている。ジェリコーの『メデュース号の筏』(『怖い絵』参照)並みの評判を得たいと、野心満々で取り組み、出来栄えにも満足だったらしい。題材は、ハプスブルク家のマクシミリアン(フランツ・ヨーゼフ皇帝の弟)がメキシコ皇帝として赴任したものの、ナポレオン三世の裏切りにあい、処刑されるという、当時大問題となっていたニュース種である。同時代人の関心を大いに引いてもおかしくなかった。」
—『怖い絵 死と乙女篇 (角川文庫)』中野 京子著
「抜群の素描力をもつエゴン・シーレ(一八九〇~一九一八)は、十六歳でウィーン美術アカデミーに合格している。 彼が入学した翌年、シーレより一歳年上の、青白い顔をした田舎出の瘦せた青年も同じ試験を受け、不合格になった。再度受験し、また失敗した。そこで画家になるのを諦め、ミュンヘンへ移り、新しい生活を始めたのだが、もしこの青年アドルフ・ヒトラーが美大に合格していたら、歴史はどんなふうに変わっていたのだろう?」
—『怖い絵 死と乙女篇 (角川文庫)』中野 京子著
「たとえば専門家同士ならば文脈を深く掘り下げ、知識と教養で会話のキャッチボールもできるでしょうが、それを一般の人が聞いたとしても決して面白くはないのです。 その点、中野さんは元来の賢さとアグレッシブさをもって、業界内で確固たる地位を築かれ、さらに歴史の下卑たところにまで興味を伸ばしていき、きちんと自分の根を下ろされた。彼女が持っている歴史家としての天性の才能と、そして人間としての「心のゆとり」があってこそ、この「怖い絵」シリーズが書けたと思うのです。「怖い絵」を読んでいると、映画を見ているような感覚になります。皇族の悲劇とエロスをテーマにしたオムニバス・ムービー。芸術の背景みたいなものは「二割」で、残りの「八割」は人間の持っている妄執ですから。人間そのものに肉薄している書きっぷりは、片平なぎさの二時間ドラマ「 ~事件」のようでもあります。だから目が離せないんですね。」
—『怖い絵 死と乙女篇 (角川文庫)』中野 京子著