昔就職する前に文藝春秋で読んで衝撃的に面白かったんだよなぁ。社会人になって見方が変わったかなと思って文庫買ってもう一回読んだ。二谷が芦川さんのお菓子をぐちゃぐちゃにして捨てる理由、本当にわからなかったけど今は少しわかる。
芦川さんは「弱き者」で、正社員なのに残業も周りに労わられながら回避して、少し面倒だったり大変な仕事は他の人にやってもらって、可哀想とかどうしようとかは言うけど何もしない、というか出来ないから見ている。可視化や明文化されていない暗黙のルールの中で、芦川さんは芦川さんらしく弱く生きられるように守られている。でも芦川さんは弱い者に与えられた権利の上に胡座をかかない。残業続きの同僚に気を配り趣味でよく作るお菓子を配ったり、交際している二谷の食生活を気遣って毎週ご飯を作りに来てくれたり、「食」を介して配慮を振り撒いている。職場の人間はそんな芦川さんを守るべき存在として大切に扱っている。
どうしても悪意が滲んでしまうのは、押尾さんや二谷目線で映る芦川さんしか私は見ることが出来ないからなんだろうとも思うけど、結局芦川さんは「おいしい」ところしか吸ってないから腹立たしいんだと思う。弱いから仕事をやってもらえる。弱いから体調不良で早退する。早退して、頭痛薬を飲んだら良くなったから、翌日謝罪の為のお菓子を全員分作る。結局やりたくない事を弱いという理由で回避して、「弱い故に守ってもらった感謝と謝罪」というコーティングを施して自分が是としているお菓子作りや料理という行為を日々楽しんでるだけじゃん、と思う。
私がもしこの職場にいたら、給湯室で見つけた仲間と「なんか、お菓子は作れるんだ(笑)」くらいの陰口は言ってしまうかもしれない。でも多分、芦川さんがお菓子をパッタリ作ってこなくなったらそれはそれでムカつく気がする。弱者である芦川さんの生存方法は、明るく優しく配慮の出来る趣味がお菓子作りの素敵な人として振る舞うことだって頭ではわかっているから、弱さに甘んじないだけマシだと折り合いをつけられるかもしれない。私は机にお菓子のゴミなんてとてもじゃないけど置けない。
二谷という人間には、二つの軸がある。好きな事ではなく将来性を加味して人生を選んだことと、根本的に食事に興味がないこと。多分元々志望していた文学部ではなく、「将来役立つだろう」という理由で経済学部を選んだ人間が、真人間としての生活に不可欠な食事を嫌いには置かない気がする。ただ興味がない。楽しさを見出してない。二谷にとって食事は一日三度ある面倒事で、ないに越したことはない。
二谷は本当に面白いキャラクターで、多分作中で一番ちゃんとしている。仕事を好き嫌いなくこなして、良妻賢母となりそうな女性がタイプで、愚痴は適度に言いつつも必要以上に悪意を人に見せないし、コミュニケーション能力も平均的に高い。私達読者にはそう見えないのは、二谷は内面では終始ずっとシニカルに外のちゃんとしているものへの悪態を吐いているから。ちゃんとした人生を選んだ先にあるちゃんとした世界、ちゃんとした人達、ちゃんとした彼女。二谷はそれらにちゃんとしている一員として受け入れられていて、そしてずっと内心で悪口を言っている。二谷にとって苦しいのは、ちゃんとした世界において「食事」という行為は、栄養バランスや健康を考えて手間をかけて作られたものを皆で美味しいと言い合いながら食べる事が是とされている事。
二谷が芦川さんのケーキをぐちゃぐちゃにして捨てたのは、そういう鬱屈が色々滅茶苦茶に混ざり合ったんじゃないのかな。手作りが嫌い。残業の疲れ。純粋な嗜虐心。二谷がちゃんとする為に選べなかった、「好きな事をして出来ない事はしない」という生き方を芦川さんは弱いから許されている。自分にとっては面倒で仕方がない「ちゃんとした食事」を善意と信じて疑わず差し出してくる。ちゃんとした世界が内側まで侵蝕してくる、ある種の恐怖。そういうものが全部ぐちゃぐちゃになったケーキの成れの果てを、二谷はゴミ箱に夜な夜な捨てたのかな、なんて思う。
「おいしいごはんが食べられますように」というタイトルは、この職場においての弱いものである芦川さんの存在の大きさと、ある種の勝利宣言のように思える。
やっぱりこの本好きだなと思った。私は何が書きたかったんだろうみたいな感想になっちゃった笑笑笑笑