ウィリアム・シェイクスピアのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
巻末の解題と解説において、ユダヤ人であるシャイロックは単なる都合の良い悪役にすぎず、物語の枠を越えて評価すべきでない云々とされているが、少々その評価には疑問を感じざるを得ない。それは、あくまで文学研究者としてのポジショントークのように感じる。この『ヴェニスの商人』は、現代の娯楽小説や少年漫画のような単純に大衆受けを狙ったものではなく(当時のイギリスではそうだったのかもしれないが…)、もはやこの作品は「古典」である。この『ヴェニスの商人』をジャンプの王道漫画のように、娯楽として楽しむことができる人ならともかく、多くの人は古典として読む以上、時間的な距離と共に評価自体も距離を明けておく必要があるだろう。
その上で古典に何を求めるかはそれぞれ自由であるが、私としてはこの古典から今、そしてこの先の未来に何が活かせるかということである。私は法学徒であるため、この作品を法学的な観点から考えることにした。『ヴェニスの商人』を法学的な立場から考察したものにはイェーリングの『権力のための闘争(Der Kampf ums Recht)』があり、そこでも挙げられているが、裁判におけるシャイロックの主張に注目したい。シャイロックやポーシャや公爵は、契約の内容を守らせることは法治国家としての秩序を維持するために重要であるという認識を共有している。法治国家を守るためには、法を間違った方法で解釈してはいけないということも分かっている。アントーニオの肉を切り落とすことは確かに良くないかもしれないが、法を曲がった方法で解釈すれば、国家全体を揺るがしかねないと。
余談ではあるが、日本の現行民法である90条を持ち出して公序良俗違反により契約自体がそもそも無効であるということも主張可能であるようにも思える。だが、民法90条はそもそも日本の法律であり、この条文は一般条項として最終手段として用いられる非常に曖昧なものである。さらには、16世紀のイギリスと21世紀の日本の公序良俗という時間的にも空間的にも大きく離れたものを比べるのは、あまり実益がないように思えるため今回は省略とする。
ここで少し話が変わるが、最近「テロリストが人質をどこかに監禁している。テロリストは人質に爆弾を仕掛けていつでも爆発できる。警察は人質の場所が分からない。そこで、警察はテロリストを拷問して場所を聞き出すことは許されるか」という議論になった。この議論の一つの主張に「一度拷問をしても良いという前例ができれば、それを拡大解釈して時の為政者が自分の都合の良いように拷問を行いかねないため、前例を作らないためにも拷問も絶対に許してならない」というものがあった。
この話と『ヴェニスの商人』の裁判には繋がりがあるように思える。アントーニオを救うために法を曲がった解釈すれば法治国家が崩壊する。
そして、この論理はこの裁判に限ったことではない。ポーシャはバサーニオに婚約の際、指輪を渡し「これを決して手放してはならない」と言った。しかし、バサーニオは友人を救った裁判官(ポーシャ)に恩返しをするために、やってはならないと厳命された約束を破った。一見良いことのように思えるが、それは結果的にバサーニオとポーシャの婚姻自体を崩壊させるほどのものでもあるように思える。
また、ポーシャはあくまで冗談ではあるが、指輪を受け取った裁判官からその指輪を取り返すために体を許してしまったとバサーニオに告げるシーンもある。指輪を取り戻すためには浮気せざるを得なかったという言い訳もできるが、これもまた婚姻を崩壊させる理由には十分だろう。
この『ヴェニスの商人』を法学的観点から考えると得られる教訓は「良いことのために多少の悪いことをするのを許せば、それは結果的に巨悪を生み出してしまいかねない」ということであると私は考えた。
この考えは、シェイクスピアがこの『ヴェニスの商人』を書いたときに意識したものをかなり越えた解釈であるだろう。しかし、現代に生きる私たちは時間的隔たりのある古典をそのままに解釈するのではなく、現代という視点から新たな解釈を付け加えることが求められるのではないだろうか。 -
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四大悲劇のうち、これだけが未読でした。
これはご存知将軍オセローが部下のイアーゴによって妻を疑い殺害する悲劇です。しかし、こんな簡単に騙されるものだろうか…と素朴な疑問。
そもそも事の起こりオセローが副官にイアーゴではなくてイケメン青年を抜擢したこと。それで嫉妬したイアーゴが画策して事件に至る。イアーゴはシェークスピア作品中最も腹黒い人物なのに他の登場人物はこぞって彼を「正直だ」と言う。一見正直で人当たりのいい人ほど腹の中はわからない…という事なんだけど…いい人って実は軽く見られてしまう。
オセローもイアーゴを都合よく使っておきながら、彼の中の野望や出世欲に気付けなかった。いい人だから野望なんか持ち合わせていないと勝手に思い込んでいたのだろう。そういう点ではオセローの上司としての甘さと奢りが招いた悲劇とも言える。 -
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キングリアを読む。
シェイクスピアが活躍した時代から現代まで数多の物語が生まれていて、それを時代性を考慮せずに知っている僕らは、この悲劇の偉大さを正確に感じられないかもしれない。
愚かな王、家族の裏切り、兄弟の不信,人間の虚飾僕には正直言って目新しさを覚えることができない。
でも、このキングリアという作品があることによってそれ以降の作品はめちゃくちゃ影響を受けてるやろうし、僕らがよくあると感じるまでにこの題材は古びず使われ続けているということは、やはり偉大な作品なんだろう。
道化は確かにこの物語のキーパーソンだろうと思うけど、僕にはどうしてもリアの人格の一部として遊離したものに思えてならない。
つまり道化はリア自身であり、客観的ニヒルキャラとして登場人物化したものだと思う。
誰にも指図されない王という立場の人が自己防衛的に自制を促すために狂気を阻止するために、出てきたのではないかと思う。 -
Posted by ブクログ
よく考えたらきちんと読んだことのないロミオとジュリエット
そういう展開でそんな悲劇が起きちゃったのね!ふむふむ
そして二人の恋愛と二家の敵対問題だけではなく、乳母、友人、親戚、神父など
結構多くの個性的な登場人物が物語を盛り上げていた
(毎度思うが登場人物結構多いのよねシェイクスピアって…おまけになかなかの名脇役も結構いるのよ)
幼さを残した二人が恋に落ち、両家の敵対関係から悲劇が生まれるのだが、展開も早すぎるししっくりこないところも多い
そして未だに馴染めないのが、冗談半分かと思っていたら、あれよあれよと展開して本気の喧嘩で死んじゃう…みたいなやつ(結構ビックリするのだ)
味方だと思っていた両親にジュリエットが従わないとジュリエットにボロクソ言い、勘当宣言までしてしまう(ひどい)
この時代はやはり子供というのは親に所属している「モノ」に過ぎないのかしら…
相変わらずのテンポと歯切れの良さで気持ちよく展開するため非常に読みやすい
セリフや表現の美しさと、反面、文句や悪口がかなり下品(笑)、喧嘩になると一気に急変化…
この乱高下にシェイクスピアらしさを感じる
巻末の解説を読んで改めてシェイクスピアは劇作家であることを認識し、劇としての読み物だと思わないことには違和感を覚えることが多い上、言葉の多さに溺れそうになる理由もよくわかった
解説に「シェイクスピアの劇を正しく理解するためには、絶対にエリザベス朝劇場に関する一応の予備知識が必要になる」
とあったので「エリザベス朝劇場」についてまとめておくことにする
①小劇場であった
無背景の舞台であったので、俳優の口を通して聞くセリフが圧倒的に重要な要素
言葉のオンパレード
芝居は、見るものではなく、聞くもの
②太陽光線の劇場
舞台上のみ屋根がある
客席は青空の下
(昼と夜は言葉による説明が必至)
③無背景
能と同様
観客に強度な想像力を要求した
セリフの陰影に一心に聞き入ったのだ
④舞台前面の幕がない
芝居と観客との距離を近づける効果
⑤女の役はすべて少年俳優が扮した
女優が生まれるのは、1660年以後
この予備知識をもって読むと印象が結構変わる気がする
芝居は「見るもの」ではなく、「聞くもの」!(おお、なるほど)
だからここまでセリフがてんこ盛り
そしてあえての無背景、道具も少な目(能と同じ感じ)により観客の想像力をあおる
そして女優がいない!
(ジュリエットは少年が演じたのね… ん?乳母も⁈難しくないかい?)
そして前々から気になっていた「ロミオとジュリエットはなぜシェイクスピアの四大悲劇に入らないのか」
これをチャットGPTに聞いてみた(笑)
作品のテーマと構造の違い: 「ロミオとジュリエット」は愛と若さ、家族の対立などをテーマにしていますが、他の四大悲劇とは異なる要素も含まれています。四大悲劇はより壮大なスケールや政治的な要素を持ち、主人公の個人的な運命がより広範な影響を及ぼす場合があります。一方、「ロミオとジュリエット」はより個人的なドラマに焦点を当てており、他の四大悲劇とはテーマや構造が異なると言えます。
文学的なジャンルの違い: 「ロミオとジュリエット」は一般的には悲劇とされますが、その中でもロマンティックな要素が強く、恋愛物語としても非常に有名です。一方、四大悲劇はより古典的な悲劇の形式に従っており、政治的な陰謀や野望、道徳的な問題などが重要な要素となっています。
時代的な位置づけの違い: 「ロミオとジュリエット」はシェイクスピアの初期の作品であり、四大悲劇は彼の後期の作品に含まれています。シェイクスピアの劇作スタイルやテーマの発展は時間とともに変化しており、四大悲劇はその成熟期の作品とされています。そのため、「ロミオとジュリエット」が四大悲劇に含まれていないのは、その作品の位置づけによるものかもしれません。
(なかなか真面目で正統派の回答がきました)
最後にとっておきの粋なセリフ
恋とは…「息の根もとまる苦汁かと思えば、生命を養う甘露でもある」
バラの名前…「わたしたちがバラと呼んでいるあの花の名前が何と変わろうとも薫りに違いはないはず」
あとはリア王とマクベスを制覇するぞ!
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Posted by ブクログ
ネタバレ悲劇ではある。
なにが悲劇か、それは登場人物それぞれに救いがないこともそうだが、この物語の観客の心が救われないところが悲劇だ。
当時ハムレットは正義として捉えられただろうか。クローディアスにも正義があるという悲劇、こういうことはどの国、どの時代にもあるということそれ自体は正面から見据えなければいけない。
それにしてもハムレットはクローディアスをさっさと殺せばいいのに、グズグズしてローゼンクランツ、ギルデンスターン、ボローニアスらは殺されるほど悪いことはしていないにも関わらず、無慈悲に殺されてまう。
クローディアスをハムレットに殺させないことにこの物語の味わいがあると思う。 -
Posted by ブクログ
ハムレットに続いて四大悲劇第2弾
舞台はヴェニス
主人公オセローは「ムーア人」
ムーア人ってよく聞くけどいまいちわからない
(サロメにも登場したなぁ…)
「ムーア人とはむしろ、スペインをその時々に支配したイスラム教徒やアフリカ系の人々などを表す概念…」
(「NATIONAL GEOGRAPHIC」のネット記事にあったのだが、「概念」というところがミソだ 民族に疎い我々にはなかなかわかりづらい)
本書においてはムーア人が黒人ぽく書かれているが、人種的にはコーカソイド(地中海集団)になるらしい
ここでは差別的象徴のように「ムーア人」を使っている感じがする
オセローはヴェニスの軍人でムーア人と少々差別を受けながらも優秀っぽい
最初の印象は誠実で優秀で冷静沈着、高潔な感じの優等生タイプ
彼の人生は波乱万丈で、(千夜一夜物語っぽい)苦労を乗り越え、今の地位を掴んだのがうかがえる
そんなオセローに惚れ、彼も気に入ったデズデモーナは由緒ある純潔な娘
父の反対をも克服し晴れて結婚した二人
幸せの絶頂ともいえるのは束の間…
ここに刺客現わる!
オセローの信頼おける部下イアーゴーだ
ムーア人の将軍に仕えることがお気に召さないのか、オセロー自身が気に入らないのか
とにかくイアーゴーはオセローを憎み、破滅させてやりたい!とメラメラしている
イアーゴーは言葉巧みに人の心を操り、意のままに人を動かしてしまう天才的な悪いやつ
あれよあれよとオセローはイアーゴーの悪だくみにハメられていくのだが…
あれほど揺らぎなく愛し合っていたはずの二人が
まさかのイアーゴーの罠に落ちてしまうのだ!
オセローの性格からしても驚きの展開なのである
イアーゴーのゲスな企みがこれほど皆の運命を狂わせようとは…
生真面目なオセローの狂気がなんだか切ない
ムーア人としての引け目を覆すほどの積み重ねてきた彼の信頼性と実績と美しく純潔な妻…
ああ、全てが一人の罠で泡となる
結構突っ込みどころは満載で、不自然なところも否めないのだが、内容を知らずに読むのはやはり想像力を刺激されるので楽しめる
それ以外に面白いのがシェイクスピアの豊かな表現力
もちろん翻訳者の力量もあるとは思うが…
気に入ったやつをピックアップしてみた
■「体面」ってやつは…
およそ取るに足りぬ、うわつらだけの被せものにすぎない
手に入るときは手に入るし、失うときは失うようにできている
(説得力あります!)
■「酔っ払い」ってやつは…
酔っ払いの悪魔の気まぐれ、勝手に暴れておいて、あとは癇癪の悪魔に肩がわり
(どうにもならないのよ~と伝わってくる)
■「嫉妬」ってやつは
何かあるから嫉くのではない、嫉かずにはいられないから嫉くだけのこと、嫉妬というのはみずから孕んで、みずから生まれ落ちる化物
(確かに 自分の中からしか生まれない そして生かすも殺すもあなた次第)
最後に…
この時代って本当に女性蔑視がひどいのかしら?
女性に浴びせる言葉暴力的過ぎて、さすがにちょいちょい不愉快
当時は普通だったのかな…
それでも健気に頑張る女性像も見どころ
にっくきイアーゴーの妻が脇役ながらに光っていた