ウィリアム・シェイクスピアのレビュー一覧
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ネタバレ人に人の心が読めるなんて、そんなお話。
娘の愛情をテストしたリア王。ことばに騙され読み間違える。忠臣を追いやり、荒野をさまよう。家臣は野心に満ちた子の計略に嵌り、二心のない上の子を遠ざける。愛を手段に、この世の富と肩書を求める姉妹。結局、心優しいコーデリアも、自分の間違いに気付いた老王も、死ぬ。悲劇。
ハッピーエンドに直した版があるという。それはそれでいい気持ちになれるかもしれないが、悲劇を観る意味がある。悲しい、悔しい、ひどい、そんな激情に身を委ね、心を揺さぶらせる。その中から見えてくるものがあるはずだ。お涙ちょうだいの安易なものにとどまらず、観客を突き放して、呆然とさせて、ひっかかったまま、いつまでもどこかに残り続ける、そんな悲劇。それは、フィクションの力。
人の心を読もうとしても読めない。疑い始めたら戻れない。かといって、道化を演じても自分は欺けない。『リア王』が語る人間は、決して過去のものではなく、現代だけのものでもない。きっとこの作品は未来にも生き続ける。 -
Posted by ブクログ
夜の夢は妖精に弄ばれる人間たちの滑稽な恋愛模様が繰り広げられます。説明は詳細にしないとだめですね。そもそもなぜこのいたずらっこのような要請に頼んじゃうの王様と突っ込みをいれたくなります。最後は無事幸せになってよかったですね。
あらしは、もと王様が復讐を果たすべく自分が追いやられた島に、犯人たちを導き、思う存分嫌がらせした後、満足して国に帰る話ですが、こき使われる妖精がだんだんとかわいそうになります。最終的に自由になったものの、読んでる間、やっぱり自由にするのやめたとか言い出したらどうしようかとちょっとはらはらしました。どちらもハッピーエンドな流れで読みやすかったです。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ古典だからなのか?脚本形式だからなのか?
セリフ一つ一つが長く、すごく修飾語が多い、コッテコテの文ばっかり。
すごい新鮮でした。
「近頃の君はよそよそしい態度でどうしたのか心配だよ」
「よそよそしくしたつもりはないんだ。悩んでいて君に思いやりが足りなかったように感じていたならごめん。」
みたいな内容を1ページ近く仰々しいセリフにしてやりとりしてるっていう…。
このお話読んで、嫉妬って恐ろしい…!
って思いました。
領地を拡大して国のトップに君臨するシーザーに嫉妬した部下たちが、シーザー暗殺をもくろむ。
シーザーが昔病気になった事を引っ張り出してきて、国のトップが病気なんて情けない。あいつはその器じゃねえ。
というような事を言ってるのを読んだとき、めちゃくちゃ言ってんなあ。
そんな風に人をしてしまう嫉妬って…と思いました。
シーザーの信頼していたブルータスもが暗殺に加わるのですが、
ブルータスは他の者たちと少し違って、この先シーザーがトップでいると、危険かも…?
という国の行く末を案じる考えがあっての事でした。
「ブルータス、お前もか。」
は、読んだことなくても聞いたことあるセリフだと思うのですが、
このお話のクライマックスはそこではなかったのがちょっと意外でした。
シーザーを討ち取ったからってうまく行くかって言ったらそんなことはなかったんですね。
そして群衆のバカさが際だつ。
言われることを鵜呑みにして信じてしまう。
これは読んでいて自分も気をつけねばと思いました。
たまにはこういうのも読んでみるもんだなー -
Posted by ブクログ
よく引用もされ筋もよく知られている戯曲で、ハムレットとかよりずっとわかりやすいと思っていたのだが、逆に面白さが理解しづらかった。
読者に見えるイアーゴーは最初から裏表のある男、ずるい男、なのに、作中人物誰もが終盤まで「彼は善良だ、彼は信頼できる」と言う。これで戯曲でなかったら、作中で「うわあ、これは裏の顔を知らなかったらだまされるわ」と読者に思わせないとだめだと思うし、むしろ最初は善良な役柄として出しておいて話の途中で読者の度肝を抜くべきだと思うが、戯曲なので舞台ではそれを演技で見せられる、ということなのだと思う。
イアーゴーがどうしてそんなにもオセローを陥れたいのかはっきりは語られないが、黒人であり自分より下だと思う相手なのに、身分が高く尊敬されていて美しい貴婦人までめとったことが許せない、というのが現代ではわかりやすい解釈な気はする。
オセローにも意外と感情移入できるシーンが少ない(彼を取り巻くレイシズムに義憤は感じるけど)のだけれど、それも役者の魅力で変わってくるのかもしれない。
舞台で観てこそ、の戯曲なのだろうか。
追記
ナショナル・シアター・ライブで公演の映像を見たところで追記。いくつものプロダクションを見てこそわかることもあるのだろうが、とりあえず。
松岡先生も書いているが、ロドリーゴーやキャシオー、オセローなど名前のある役ほとんどが上流階級なのに対して、イアーゴーは召使などと同じくらいの、一段下の階級だということが大事なのかなと思った。みんなが彼を「正直者」というのもあなどっていることの裏返しなのかもしれないし、イアーゴーがあんなにオセローを憎むのも「自分は貴族じゃないから昇進は難しいかもしれないけど、オセローは黒人だから、他の貴族とは違うから、自分を取り立ててくれるんじゃないか」という期待を裏切られて、「黒人のくせに!」と憎さ百倍なのだとすれば腑に落ちる。
オセローがあんなに簡単にだまされるのは、ずっと軍隊の人間関係しか知らずに生きてきてきたことや、internalized racismのために自分が醜いと思っていること、デズデモーナとすごく年の差があって自分に不安があることが要因なんだろうなとは思うけど、でもやっぱり納得はしづらい。今の感覚で言えばDV夫だし、デズデモーナのことを「真珠」「宝」とは思っても、対等に人生を分かち合う伴侶としては見ていないから、彼女の愛情よりイアーゴー(軍隊の仲間)を信じるんじゃないのか。役者さんは軍人的魅力をよく出していたけどそれでも感情移入は微妙だったので、すごく難しい役だなと思います。 -
Posted by ブクログ
今月の千年読書会の課題本となります。
子どもの頃に読んだ覚えがありますが、学生時代はどうだったかな。。
うろ覚えながらもイメージ的には、
勧善懲悪なカタルシスのある喜劇、との感じでした。
粗筋としては確かにその通りで、、
当時は16世紀、大航海時代を謳歌する海洋国家“ヴェネツィア”、
そこで海運業を営む一人の商人とその周辺の人々の物語となります。
その義侠心あふれるヴェニスの商人“アントーニオー”が、
手元不如意な友人“バサーニオー”の結婚資金?を用意するため、
ユダヤ人の金貸し“シャイロック”から借金をすることに。
その担保は、航海中の積荷と自分の“1ポンドの肉”。
あえなく難破し、シャイロックから担保を求められることに、、
実際に執行すればアントーニオーは死ぬしかない状態と、追い詰められます。
そんなアントーニオーを、バサーニオーが求婚しているポーシャが、
裁判官として変装し、法を曲げることなく法の解釈の厳格化で救います。
のみならず、シャイロックにカウンターの痛撃をくらわせて大団円、
となるのですが、、シャイロックというか“ユダヤ人”の扱いがなんとも酷い。
今の時代にこれを発表したら、人種差別として炎上するでしょう、、
それほどに、ユダヤ人に対する排他的・憎悪的な描写が色濃く。
喜劇のシナリオとして描かれていることからも、
これは、当時の時代の空気を投影している内容でもあるのでしょうが。
一応、当時のヴェネツィアは信教の自由はあったはずなのですが、うーむ。
シェイクスピアが執筆していたのは、イタリア・ルネサンスがまっただ中、
寛容と多様性に彩られた、古代ギリシャ・ローマの文化が戻りつつあり、
排他性に塗り込められた、暗黒と言われた中世から抜け出しつつあったはずですが、
それはあくまで“キリスト教”の中での復興でしかなかったのでしょうか。
“キリスト教徒は、非キリスト教徒に何をしても許される”
そんな価値観が浮かび上がってくるなぁ、、とは穿ちすぎですかね。
当時のユダヤ人に対する、キリスト教徒の感情を読み取ることもできますが、
逆の立場であったならば、キリスト教徒はユダヤ人を“無条件”で助けるのだろうか、と。
最低でもキリスト教徒への改宗を強要するのではないかな、なんて、
シャイロックの娘の言動を見ながらも感じてしまいました。
ん、物語の筋としては王道で、一発逆転としてのカタルシスも心地よい、
そして、当時の空気をどこまで踏まえているのかはわかりませんが、、
ユダヤ人の蔑まれようを、シャイロックの引き絞るような“言葉”として、
さらりと描き出しているシェイクスピアはさすがだな、と。
個人的には、文中では“惻隠の情”なんてフレーズを訳語として使うのなら、
日本的な“三方一両損”的な結末の方が好みかなぁ、と徒然に。