ウィリアム・シェイクスピアのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
戯曲
かかった時間 60分くらいではなかろうか
断片的にのみ知っていたハムレットを読む。みんなが知ってる「ハムレット」と違うのはわかっていたが、光文社古典新訳文庫、活字も訳も読みやすいから…
とはいえ、おそらく他の版(Q2とかFとかいうらしい)に比べれば、シェイクスピアのシェイクスピアたるゆえんが感じられにくいとか、悪質な改作?だとか言われているらしいこの版について、「もの足りなさ」は、たしかにある。
せっかく今回、上演に適したショートバージョンを読んだことだし、ぜひ他の版についても読んでみたいし、訳の違いも見てみたい。
ところで、これ、主役、ホレイショじゃね?笑 -
Posted by ブクログ
とても短いし、あらすじもシンプルです。
この物語がセンセーショナルで、耳目を集めた時代があったんだろうなあ、というのが適切な感想なのかわかりませんが、そう思ってしまいました。
これほど有名なのは、それほど後世の作品に影響を与えたからで、それら後輩の産物に慣れ親しんだわたしにとっては、刺激が少なかった。そういうことなんだと理解することにします。
あるいは戯曲ですから、単に物語としてではなく、(当たり前ですが)上演されることを念頭において書かれていて、役者の見せ所がふんだんにあって、舞台装置から照明・音響効果など、演出のしがいが大いにあるので、その点が大変優れている、といえるのかもしれません。
そうであれば、この作品は読書体験に基づいて感想を述べるより、いくつかの舞台を観て感じるほうがいいのでしょう。 -
Posted by ブクログ
シェイクスピアの4大悲劇の一つ。ワケあって2年前に角川文庫と岩波文庫で読み、光文社文庫もその後買ったけど読んでいなかったので、今読んでみた。
「きれいはきたない」の有名な台詞は「晴々しいなら禍々しい」と訳されていた。でも角川文庫のところで書いたけど、おれが見た演劇集団円というところのマクベスは「きれいはきたない」と言っていた気がする。というのも、調べてみると訳者の安西先生はこの演劇集団円の創設や演出に関わった、というから、何かあるんだろうか。
そしてその演劇集団円の代表、橋爪功が(橋爪功はテレビでしか見たことなかった)この本の翻訳作業中に亡くなった著者に関する思い出、ということで文章を書いているが、全然著者のことを知らないおれでもその人の雰囲気がよく分かる感じで、面白かった。あとは「安西サンが翻訳したせりふは声に出して読めばすぐに分るが、時として、もうこれしかないというリズム、音の高低、強弱が仕組まれている。」(p.229)ということで、河合先生も強調していたと思うが、シェイクスピアの翻訳というのは多かれ少なかれこういうことは考えるものなのか、と改めて思った。
2年前のおれの感想であと読んでない『リア王』を読みたい、と書いてあるが、まだ達成できていない。というかこの本を読み終わったのは今から12日前のことで、今やっとこれが書けたという状態。在宅ワークになって外出しないと、かえって延々と家で仕事をしてしまって、そして疲れ果てるという感じで、本当に本が読めていない。もともと休みだった3月&4月当初のバリバリ本を読んでた頃とのギャップが激しい…。(20/05/17) -
Posted by ブクログ
ネタバレ恋の大混乱、お祭り騒ぎ。
嵐で双子の兄セバスチャンと離れ離れになったヴァイオラは、男装してセザーリオと名乗り、オーシーノに仕えることに。オーシーノはオリヴィアに熱を上げていて、オーシーノを想うヴァイオラは複雑。オーシーノの頼みでオリヴィアのところに行った男装ヴァイオラにオリヴィアが恋してしまったから、話は複雑に……。絡み合った恋の糸はどうなるのか。
登場人物の名前がカタカナだと頭に入らない人は、多分、先に映像や舞台で見た方が飲み込みやすい。メインの登場人物を選ぶなら、ヴァイオラ(セザーリオ)、オーシーノ、オリヴィアでいいだろう。そこにセバスチャンを足す。引っ掻き回す役として、オリヴィアの叔父サー・トービー、オリヴィアに求婚するサー・アンドルー、オリヴィアの小間使いで悪戯を働くマライア、オリヴィアの執事でマライア発案の悪戯にひっかかるマルヴォリオ、道化フェステ。セバスチャンを助けるアントニオ、ヴァイオラの秘密を守る役としての船長は、余裕があれば覚えておけばいい。
ちょっとオチがあまりにも簡単に回収されてしまうので、もう少し葛藤してくれ(特にオーシーノ)と思うこともあるけど大体はハッピーエンドの祝祭劇。あまり難しく考えずに読むべきだろう。ただ、解説にもあったようにマルヴォリオの扱いはひどい。将来の禍根を産むこと間違いなし。 -
Posted by ブクログ
◎感想
「リア王」、シェイクスピアの4大悲劇の一つとして有名なこの話を一度読んでみたいと思っていた。一つにはシェイクスピアの作品、古典として有名だからという理由もあるが、もう一つには、この光文社新訳古典文庫というシリーズを創刊した編集者の本 を読んだからという理由もある。今ではこの光文社新訳古典文庫は200冊以上のシリーズとなっており、「リア王」はその創刊時の8冊のうちの一つだ。その本を読んだ時に、編集者の思い入れの強いものという印象があり、いつか読んでみたいなと思っていた。
自分は古典を読むうえで一つ意識していることがあり、それはなぜ現代においてもそれを読むのか?という事だ。今に通じる何かがあればいいなと思いながら読んでいて思ったのは、相続と介護、特に年老いた親を誰が面倒みるのかという介護の問題から話が動いていくという事だ。
・相続と介護
長女も次女も相続の際には、言葉を尽くし、父への愛を語るが、実際には厄介者としてその費用の負担を抑えるように謀る。コーディリアは言葉ではなく、その行動で示すものだと考えているがそれは伝わらない。リアは分かりやすく愛を示してくれるものを期待していたのか、癇癪をおこす。相続を原動力にするのは臣下グロスターの私生児エドマンドも同じだ。彼は自分が己の力のみで今の自分を形成しているという感覚がとても強い。生まれが賤しいとされるものでも自身の力で、計略によって成り上がろうとする。
・欲望と正義
長女、次女、エドマンドは己の欲望の為に何らかの謀をたくらむ一方で、ケント、エドガーは忠義の為に、コーディリアは父への愛の為にという形で自分の欲望ではない理由で動いていく。前者は欲望の為に後者は正義の為にともいえるのかもしれないが、もし一国民として見たとしたら、後者のほうが国のトップにいてほしいと思うが、ドラマとして見る分には前者に魅力を感じたりもする。
・劇としての機能
この欲望と正義のコントラストの激しさが、セリフにも登場人物たちの急激な変化にも現れていると思う。一方で、登場人物とそのセリフがほとんどのため、読んでいる途中でどういう場面か、その人物たちの関係性が分からなくなることもあった。それは舞台であれば、服装や小道具、舞台上の演出で補われるものが無いからというのもあったと思う。
逆にそうした視覚的な情報を補う「地の文」に支えられて、普段の小説を読むときには、その世界に没頭できるという効果もあるのだなと改めて思った。だからこそ一番の魅力はセリフに尽きると思う。特に訳者の安西徹雄は自身で劇団を主宰し、何度も舞台上で発声してきたものだからだ。
読んだ感想をまとめてみて思ったのは、全体としてこの物語が悲劇であるということにあまり自分自身としてはピンと来ない感じになったところだ。結果的に、この王国としては良かったのではないだろうかというところで、唯一コーディリアは何の悪意もなかったのに殺されてしまったという理不尽さは悲劇かもしれないが、ろくでもない奴は皆死ぬという形になっていて、良かったのではないかなと思う。 -
Posted by ブクログ
物書きの端くれでありながらシェイクスピアを一冊も読んだことがない……いや、ロミオとジュリエットくらいはどこかで読んだ気がしないでもないけど、とにかく「タイトルは聞いたことある」で止まってる作品があまりにも多いと感じたので手に取ってみたのがこの作品。
結果として、自分はあまり楽しめなかったので過去を振り返ることなく今を生きるか……という結論に落ち着いた。
とはいえ、「シェイクスピアの時代で物語は完成してる」なんて言葉を聞いたことがある理由は頷ける気がする。セリフ回しが昔の時代に合わせたものなので、一言一言の機微みたいなものを感じ取ることはできなかったんだけど、劇だからなのかどれもこれもリズムがよくて軽妙に読み進められる。そして何より、展開の意外性とかテンポが完成されていて、なるほどなと思った。夏の夜の夢は楽しく読めたけど、あらしは登場人物が多くて、場面が変わる度にその都度人物紹介に戻らなきゃいけなかったのが……ツラい。