ウィリアム・シェイクスピアのレビュー一覧
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心に残ったのは、登場人物たちの「感情の揺らぎ」。リア王の言動は、その瞬間の気分によって大きく変わり、子どもたちへの態度も一貫しない。それが物語の不穏さを生み出し、読者として「自分はどうだろうか」と考えさせられた。多分、規模は違うけど、自分も似たようなもんだろーと。
立場や役職にかかわらず、人はときに自分の都合で物事を解釈してしまう──その普遍的な姿が作品全体に映し出されているように感じた。
また、メタファーや難解な言葉が多用されていて、読みながら「もっと教養を深めたい」と思わせてくれ、深い背景知識があれば、さらに豊かな読み方ができそうだ。
余談で、リア王が嵐の中に身をさらす場面です。自分では経 -
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227P
1623年に発刊された『ジュリアス・シーザー』
ウィリアム・シェイクスピア
イングランドの劇作家・詩人であり、イギリス・ルネサンス演劇を代表する人物でもある。卓越した人間観察眼からなる内面の心理描写により、もっとも優れているとされる英文学の作家。また彼の残した膨大な著作は、初期近代英語の実態を知るうえでの貴重な言語学的資料ともなっている。
ジュリアス・シーザー
by シェイクスピア、大山敏子
この劇がちょうど十六世紀から十七世紀へ移り変わる時に書かれたということにわれわれは注目しなければならない。ロンドンに出て来たばかりの若いシェイクスピアが書き上げた『タイタス・アンドロニカス -
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ここまで悲劇的な終幕が許されて良いものかと衝撃を覚えてしまった……
別に何もかもが運命の悪戯や悪魔的な采配による不幸ではない。それぞれに少しずつ罪が有ったり落ち度が有ったりする。しかし、だからといって罪を悔い改めて己を見つめ直せたかもしれない者や、心優しき者まで犠牲になる終幕は容赦が無さすぎて唖然とさせられる
歴史的には本作が上演される際にはハッピーエンドに改作されたものがお決まりだったらしいけど、それが頷けるくらいに本作からは救いや幸福感は容易には感じ取れない
では、何を本作は訴えてくるかといえば、人間は地獄と紙一重の世界で生きているのだと、それでもより良い人生を得る為に最良の未来へ手を伸ば -
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『ハムレット』には、Q1、Q2、Fという3つのバージョンがある。通常『ハムレット』と言う時には、Q2かF、あるいはその折衷版。Q1は「海賊版」としてあつかわれてきた。
しかし、このQ1、登場人物や筋書きは通常版とほぼ同じなのに、驚くほど読みやすい。長さは通常版の半分強で、上演時間も2時間ほど。観劇するには最適な時間だ。すっきりしていてコンパクト、まさに着飾るまえの「素」の『ハムレット』ではないか。
Q1の出版は1603年。Q2は1604年か05年、Fは1623年。Q1は一番古いのだ。なのに、なぜ「海賊版」と言われてきたのか? オリジナルバージョンの可能性はないのか? 「解題」の担当は小林章夫先 -
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大学の原書購読の講義で読んださいは、この作品がローティーンの恋であることに注目するようにとの教授の言葉があったのを今でも覚えている。
現代から見ると説明的な台詞が多いように見受けられる理由は解説に詳しいが、解説に書かれていない点として、シェイクスピアの時代の演劇には女優が存在せず、変声期前の少年が女性役を演じていたことに触れておきたい。そうすると、ジュリエットの劇中年齢がわずか13歳であることは、同年くらいの少年が演じることを踏まえてのことであろうことは自然なものに見えてくる。
シェイクスピアの時代は英語の激変期であり、現代英語とは大きくなることに加えて、詩や洒落、地口を多用して多重化され -
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ハムレット観劇のために。ハムレットはちゃんと読んだことがなかった。オフィーリアには憧れてきたけれど。
「いまの世のなかは関節がはずれている」
「ことば ことば ことば」
「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ」←生きるべきか死ぬべきかが有名ですが
これらのセリフもグッときますが、
ハムレットの魅力のすべてを表現したような…
「何を言う、俺は胡桃の殻に閉じ込められても、無限の宇宙を支配する王者だとおもっていられる」
とくに、母である王妃に対しての思いを独白する悩めるハムレットの何気ないひと言、
「すぐに(と言うだけなら簡単だ。)」
この短い台詞、舞台で確かめてまた胸にぐぐ -
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ネタバレ今年はシェイクスピア劇を観る機会に恵まれました。吉田鋼太郎さんや文学座の本格的なお芝居に。
そしてうん十年ぶりに読み返す楽しさ!
デズデモーナはムーア人の勇敢な将軍オセロと恋に落ち、元老院議員である父の反対を押し切って結婚する。
しかしオセロの忠実な部下イアーゴは、オセロへの嫉妬から、彼を欺き美しきデズデモーナと引き離そうと、彼女が不義(浮気)をはたらいていると思い込ませようと画策する。
このイアーゴの話術によって、愛する唯一の妻デズデモーナを信じられなくなってしまうオセロは
自ら破滅への道へ…
このオセロの破滅を 悲劇というのかしら?
は?!デズデモーナの悲劇じゃん!というのが私の感想 -
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