あらすじ
老王リアは退位にあたり、三人の娘に領土を分配する決意を固める。二人の姉は巧みな言葉で父を喜ばせるが、末娘コーディリアの率直な言葉にリアは激怒し、彼女を勘当、二人の姉にすべての権力・財産を譲ってしまう。ここから老王の悲劇は始まった。シェイクスピア四大悲劇の最高峰を第一人者による流麗の技で訳出。詳細を極めた脚注を付す。
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シェイクスピアを読んでみたくて、初めて取ったのがこの本です
翻訳上少し難しい部分はあるが、物語としては概ね読みやすかった
現代でも親と子は難しい部分は多いが参考にできる部分が多々ある
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言わずと知れたシェイクスピアのリア王。最近はハムレットより評価が高いという鵜山さんの解説の通り、ハムレットよりわかりやすく残酷で悲劇的ではある。リアやエドガー、グロスターの落ちぶれかた、エドモンドとゴネリル、リーガンの関係。ラストシーンのリアやコーディリアの悲劇。
本書に関していえば、本書をもとに舞台化された山崎努の役作りの著作を読んでいることもあって、個人的にも思い入れの深い作品である。ぜひ舞台でみたい。
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シェイクスピア四大悲劇の一つ。リア王と三人の娘たちの話、グロスター伯爵とその二人の息子たちの話が交差する。
冒頭、ちょっと言葉が足りないだけで、いきなり激高するリア王には面食らった。甘言の心地よさに惑わされ、最も愛ある娘の真意を読み取れぬ浅はかさ。切り捨てられても愛と忠誠を貫く娘と家臣の気高さ。親を裏切る息子、勘違いを受けて好機を待つ息子。そういった様々な人間の思惑、言動が胸にしみる重厚な物語だ。単に悲劇的なだけではなく、人間の愚かさと高潔さが、彩り濃く描かれていることが非常に印象深い。全滅エンドではなく、これだけの悲劇がありながら、わずかに希望を感じさせる終わり方をするのがすごく良かった。ケントさんは尊敬できるし、何よりもエドガーさんがカッコ良すぎる。まだ全作品を読んではいないが、個人的に本作はシェイクスピアで一番のお気に入り作品になるかも。
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初めてシェイクスピアを読みました。
もともと、海外文学とあまり触れ合ったことがなかったので、少し難しいのかなと思っていました。
初めてで、登場人物の多さや舞台の入れ替わりなど、難しいところもありましたが、登場人物の性格が美しく描かれていて、情景が目に浮かぶようでした。
また、最後の物語が終わりに向かう疾走感がとてもたまらなかったです。
話が緻密で複雑なので、1回読んだだけでは全貌はつかめなかったため、また読んでみようと思える作品でした。
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リアの敵対者側の繋ぎ役であるエドマンドの存在が面白かった。
上の姉妹たちの関係を上手く収束させていた。
あれだけ王に付き添っていた道化が
後半に出てこなくなるのが寂しいし不気味。
道化とコーディリアが一人二役の演出はぜひ見てみたい。
コーディリアが言葉足らずなおじさんみたいって考察を
どこかで読んだことがあって、
確かに読んでいて「もっと身の潔白を話しなさいよ!」
とも思ってしまう(笑)
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福田恆存、小田島雄志の訳では読んでいたが、今回初めて松岡和子訳を読んだ。少し中だるみがあるし、変装すれば親兄弟でも分からなくなるのかといった突っ込みどころも多々あるが、やはりシェイクスピアの最高傑作はこの『リア王』で間違い無いだろう。途中経過がどうであれ、全ての希望が崩壊し、底なしの暗黒が世界を覆い尽くすかのごとき終盤のドラマチックさは、他の作品の比ではない。
あらためて胸を打たれるのは、グロスター伯爵の死がエドガーの口から伝えられるところ。その前にエドガーの作戦でグロスターが生きる意欲をわずかながらに取り戻し、親子が再び手を取り合う兆しを見せていただけに、死の場面すら描かれず、突然二度と会えない人になってしまった不条理さに胸が突き刺される。その不条理は、さらに壮大な形でリアとコーディリアのもとにも訪れる。本作の悲劇性は、登場人物がどん底から這い上がり、自らの過ちを認め、分厚い雲の隙間から光を見いだした瞬間に、その光が容赦なく叩きつぶされる点にある。『ハムレット』にせよ『ロミオとジュリエット』にせよ、ここまで用周到な残酷さは無い。
松岡和子の訳は相変わらずこなれていて実演向きなのだが、他の作品の訳に比べると微妙な体温の低さも感じる。あとがきで『リア王』に流れる女性嫌悪について書いていて、なるほどと納得したのだが、やはり彼女は根本的な部分で『リア王』という作品に共感しきれなかったのではなかろうか。また、この点を踏まえて黒澤明の映画『乱』を思い出すと、オリジナルに存在しない楓の方というキャラクターは、本作に流れる女性嫌悪のモチーフをより分かりやすい形で描いた、非常に優れた脚色だったのかもしれないとも思う。
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遺産分配の際に自分への愛を上手く伝えられないコーデリアを相続から外すリア王。フランス王と共にフランスに旅立つコーデリア。遺産分配後に2人の娘ゴネリス、リーガンに冷たくあしらわれるリア王。グロスター伯爵の元に身を寄せるが・・・。グロスター伯爵の庶子エドマンドの陰謀。陰謀により追放されたエドガー。ゴリネルの扱いに気がふれるリア王。リア王に追放されながらも忠誠を貫くケント伯爵。エドマンドにより追放されるグロスター伯爵。伯爵のために復讐を行うエドガー。上陸したフランス軍を率いるコーデリア。
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話は短い、魔女は登場しない。そんなわけで、シェイクスピア悲劇の中ではかなり読みやすい部類に入るかと。エドガーが男前。松岡さんの訳文はなめらかだな、と思いつつ、安西訳も気になる
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私が初めて読んだシェークスピア。悲劇とはこういうものかと衝撃を受けた(ちょっと大げさだが)いい人もみんな死んでしまう救われなさが古いのに私には新しい経験だった。中に登場する道化のユーモアもすごく気の効いたセリフで面白い。
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全てを失い
雷鳴の中に放り出され
丸裸になった二本足の動物が
絶命の間際に得たものは、
束の間の「喜び」だった。
仕合わせ者。
生まれたばかりの赤ん坊が
どうして泣くのか
アナタは知っていますか?
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権力を行使してきた者が、権力を行使される側に回った時の悲劇。物を与えられなくなった権力者は、その時になって初めて心から仕えるということを知る。現代においても学ぶところが多い作品。
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『リア王』は子どもの頃、お子様向けの読み物で読んだ記憶がある。三姉妹の父であるリア王が、一番優しいはずの末娘の言葉に怒り、追い出してしまう、その悲劇の顛末。…あたりは割とよくある昔話にも似たストーリーで、微かに記憶に残ってた。だが、シェークスピアのこの原作(翻訳であることは大前提として)はさらにグロスター家の父と息子たちも登場。元になった史実はあるみたいだけど、それにも増して、シェークスピアならでは(イメージです)の皮肉や性的なジョークも散りばめてある作品だった。
自分の財産を娘二人に分け与えた後、それぞれのところに代わりばんこに寄宿し世話になろうというのは、今も(というか今なら尚更?)トラブルの元。案の定、長女の元を追われ、次女からも疎まれることになる。
この作品を読んだきっかけは、この松岡和子さん翻訳の脚本で演じられる舞台を見に行くことになっていたから。(以下、舞台の感想も混じります。)結局、始まるまでに全部は読み終えられなかった。演じられた作品は大胆な演出で現代的というか前衛的なものになってた。シェークスピアの昔風の舞台をイメージしながら読んでたもので、前半戸惑ってしまったことは否めない。むしろ読んでなかった方が先入観なく見られたかもしれないという反省はした。ただ、登場人物を整理しながら読んでいたので、そこの理解はスムーズだったかも⁇予め元の戯曲を読んでいるのは悪いことではないと思うけど、そこからどんな演出がされるかはわからないから、なかなか諸刃の剣というところはある。聴力が落ちてきている年代なもんで、何を言ってるか、読んでた方が安心できるけど…。(俳優さんによって、聞き取りやすい方とそうでない方がいらっしゃったのは否めない…)
まぁ、パンフの情報くらいで、あんまり予備知識を入れない方が、今回においては良かったかな~。
読まずに見ていた最後、次々に人が死んでいく。心のどこかで救われる結末を期待していた自分に気付いた。そういえば『リア王』は四大悲劇の一つだった。
見終わってラストを読んだ。これがああなったのか…。やっぱり大胆な演出だ。正直、お金と時間があれば、もう一度見たい。というか、見落としてるところがたくさんある気がした。
Posted by ブクログ
シェイクスピア沢山読もうと思って
嵐が丘、リア王、白鯨が三大悲劇らしいし
正直者のコーディリアを追放したばかりに
愚かな父親だと思った
その他にもエドガーたちみたいな裏切られ方した人もいるし
こういう恨みつらみが好きなのかな………
Posted by ブクログ
大昔に読んでいたが、再読。国王引退に際して国を三つに分割して娘たち(長女と次女に関しては娘婿)に渡すことを決意したリア王。渡す前に「親への愛を語れ」と娘たちに大喜利させるが、姉たちの歯が浮くようなおべんちゃらが使えない程に率直かつ純真だった末娘のコーディリアを勘当、国外追放とする。
リア王は長女ゴネリル、次女リーガンの家を行ったり来たりの余生を考えていたものの、リア王親衛隊も含めた素行の悪さ・態度の大きさもあって、2人に邪険にされ、台風の中追い出され、狂っていく。
当時どういった感覚でリア王の言動が捉えられていたのか分からないが、現代の感覚からすると親としては完全なる失格とは思う。しかし、権力の頂点に立つ人間がその権力を手放すことが如何に難しいかという視点で考えれば、今にも通じる話だ。加えて、ここには老化によって世界が閉ざされていく悲しみがあり、自らの愚かさゆえに全てを失っていく悲劇があった。
忠臣ケントがカッコいい。リア王に追い出されても(その際のセリフがいい。「ケントより謹んでお別れのご挨拶を。新しい国へ行っても古い流儀で生きてゆきます」)変装して舞い戻り、狂った老王にも付き従う。当世風に考えれば、ケントにフォーカスを当てたスピンオフ作品がきっと作られるだろう。
訳者によるあとがきに、女性嫌悪のイメージが横溢していると書いてあり、まさにその通りだと感じた。息子ではなく、娘しか持てなかったということも、王としては何か思う所があったのだろう。また、道化とコーディリアは同じ場に登場しないこともあって、この二役は同じ役者が演じたとする説もあるとも知り、それも興味深い。
ということで、準備万端な状態でショーン・ホームズ×段田安則「リア王」を観に行ったのだが、自分が全くといっていいほどこの戯曲を読めていなかったことを思い知らされるのであった。
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道化の「知恵がつかないうちに年取っちゃいけないんだよ。」という台詞が印象に残った。
読んでいる時は負の感情が渦巻きまくっていたのだけど、訳者あとがきと解説を読み、自分の中で色々と整理することができて落ち着いた。
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父である王に、
自分のことをどれだけ好きか?と問われ
二人の姉は、お砂糖のように好きだと言い
末娘は、お塩のように好きだと答えた。
王様は怒って、末娘を城から追い出した...
うろ覚えだが、子どもの頃読んだ童話。
長いこと、それは何の話だったのかと
疑問に思っていたのだが
リア王だったのだと分かった。
翻訳本はあまり読まないが
松岡和子氏が、
シェイクスピアを全巻翻訳完結された、と聞いて
何か1冊読んでみようと思い、手にしたのがこれ。
Posted by ブクログ
シェイクスピアによる「4大悲劇」に含まれていることは予備智識として知っていたが、じっさいに読んでみるとなるほどたしかにこれは悲劇である。しかも、これ以上ないくらいの。何しろタイトルになっている「リア王」はもちろん、その娘たち3人とも最終的には亡くなってしまう。これではあまりにも救いようがない。せめてコーディリアだけでも生き延びてほしいというのが、多くの読者の願いではないだろうか。しかし、この悲劇は元はといえば、リア王が理不尽にコーディリアを勘当したところから始まる。そう考えると、この悲劇は誰にも止める術がなく、はじめからこのような結末を迎えるしかない運命だったのであろう。「邪知暴虐の王」は、かならず除かれなければならない。だから読んでいて、ゴネリルとリーガンの謀略もそれほど酷いとは思わなかった。断罪されるべき人間が「正しく」断罪される物語である。そのため、作中の人物にとっては間違いなく「悲劇」なのであろうが、今日の感覚でいえば、自己中心的な「悪人」たちがバタバタと倒れてゆくことに対して快哉を叫ぶような、「喜劇」としての側面もあるかもしれない。
Posted by ブクログ
四大悲劇だけあり、悲劇的結末で人もたくさん死ぬが、当時は人の命など儚いものだったのだろう。陰謀、親への不義、不貞、裏切りなど時代を越えても通じる要素ばかり。さすが偉大なシェイクスピア!
Posted by ブクログ
シェイクスピアを初めてちゃんと読んだ。
さすが、四大悲劇の一つというだけあって、救いがない。
悪党だらけ、たまに忠義にあつい者もいるがひどい目に遭う、そして何よりも主人公のリア王は耄碌ジジイ……。
歳をとって偏屈になったりボケたりした結果の自業自得の物語、とも言えるような。
ミソジニーも透けて見え、下ネタもたっぷり。
なるほどなぁ……。
Posted by ブクログ
自分の過ちによって悲惨な道を辿るリア王ですが、それを親身に支えるケントや、一見ひどいことを言いつつ実はずっと励まし続ける道化の存在が救いになります。