ウィリアム・シェイクスピアのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
古代ローマ時代を舞台にしたシェイクスピアの作品を最近は読んでいる。ローマ劇というらしい。全部で何作あるんだろう?考えてみると、シェイクスピアの作品数も知らない。
最初は古代ローマのいつの時代の劇かわからなくてなかなか読み進められなかった。
ローマの最後の王を追放した頃の話らしい。
最初はコリオレーナスはものすごく内向的な人かと思ったけれど、ただ単にあまりにも融通の利かない、頑なな性格なだけかもしれない。
「しょせん人間の美点はそれぞれの時代の解釈次第だ、権力の座はいかにもすわり心地よく見えるものだが、功績をたたえてその座につかせてくれた演壇が、やがては墓場となることを覚悟せねばなるまい。」p.207 -
Posted by ブクログ
ネタバレ敵対するモンタギュー家とキャピュレット家、しかし、モンタギュー家の息子ロミオとキャピュレット家の娘ジュリエットはお互いに恋愛感情を持っている。本作はロミオとジュリエットを中心に展開される恋愛悲劇作品である。本作の途中でジュリエットは好きでもない人との結婚を迫られる。それを回避するために、修道僧からアドバイスを受ける。それはジュリエットを仮死状態にさせることであるが、これをきっかけに悲惨な結果を招く。しかし皮肉なことに、この出来事によって、モンタギュー家とキャピュレット家は最終的に和解する。
また、本作の解説者で劇作家である鴻上尚史も、シェイクスピア作品を読むうえで色々と参考となる。解説によると、イギリス人がシェイクスピア作品を読むのは、日本人が古典を読むような感覚で、読んでも理解できないことが多いらしい。そのため、単に読むよりは、口に出してリズムを味わうことのほうがが大事だという。さらに、古典作品を楽しんで読むために、読者が、キャスティングを頭に浮かべて読むというのがポイントである。自身をロミオ、ジュリエットと見立てて、一方で相手を好きな人というように妄想しながら読むと、より作品に没入できる。 -
Posted by ブクログ
アーデンの森で喜劇的なイベントが起こるこの感じは「夏の夜の夢」と似ているし、女性が男装をして思い人(パートナー)をだますという仕組みは「ヴェニスの商人」に似ている。
これらはすべて私が大好きな作品だ。そして本書「お気に召すまま」もその中に加えられた。シェイクスピアの戯曲なら悲劇より断然喜劇。二人の男女の恋愛がうまくいく過程が幸せすぎて顔がにやけてしまうのだ。
「ハッピーエンドよりもバッドエンドが好き」という人は死ぬほど見かけるが、本当か?もちろん私も余韻があったり、考察の余地が多いモヤモヤさせる作品は好きだが、この発言毎回気になってしまう。確かにバッドエンドものは劇的展開が多く、ストーリー構成が美しかったり、緻密な芸術性があり、「伏線回収がある美しい漫才」を好む人なんかは例外なく好きなジャンルであろう。
しかし、ハッピーエンドものを軽視するのは、単にあなたの読書量がまだまだ足りていなくて、質のいいハッピーエンドものにまだ触れていないだけではないのか?と思わずにはいられない。感性は人それぞれであるから、否定しようとしているわけではないのだが、「シェイクスピアの喜劇を読んでも同じことが言えるのか?一回読んでみろ!」と言いたくなる(笑)
つまり私は「ハッピーエンドもバッドエンドもどっちも好き。序列はつけられない」と答えるということだ。
また、pp.83-84にかけて、「この世界すべてが一つの世界、人はみな男も女も役者にすぎない」という一説があった。個人的にこの一節いいなと思ってフレーズ追加したところ、読み終わってネットの情報を漁ると、このフレーズ、つまり “All the world’s a stage. All men and women merely players”は有名な一説であることがわかって嬉しかった。
「お気に召すまま」が何を指しているのかは是非実際に読んで感じてほしい。よい読書体験だった。 -
Posted by ブクログ
分配される領土のことだけを考え、得るものを得たら父リアを見捨てる上の二姉妹、父を尊敬するがゆえに自分の正直な気持ちを言ったばかりに父から激怒され勘当までされたのに最後まで見捨てなかった末娘。
人ってバカというか、大事に思ってくれる人の気持ちは見えなくて、見えるのは自分の承認欲求を満たしてくれるものだけ。って、リア本人だけでなく、大事に思っていた末娘や忠臣や、周りの人にも救いがない。
で、リアは何者だったのだろう。一番大事な人をないがしろにして、口が上手いやつを高く評価し、ほんとうに助けてくれる人がしていることには気づかず、自分の悲劇しか考えない。いまの社会もほぼ同じことが起こっていると思うんだけど、それが400年以上前に書かれているというのは、やっぱりシェイクスピアが天才なのか、人間が変わってないのか、現実見せつけられ感が痛すぎる。 -
Posted by ブクログ
古代ローマ帝国興亡史でシーザーが死んだので、この本を読んでみた。最後に読んだのはずいぶん前で、細かいところは忘れてしまっていたので、新鮮に楽しめた。
アントニーとクレオパトラも読みたい。
2024年5月
この戯曲にはクレオパトラの影も形もないけれど、シーザーはこのとき、ローマの別宅にクレオパトラを住まわせて、子どもも二、三人いたんだよな…と思うと、前からひどいセリフだと思っていた、第一幕のシーザーのキャリパーニアに対する「石女」云々の台詞がより一層ひどく感じた。
ポーシャとブルータスのシーンで、ポーシャの太ももの傷が謎だったのでググってみた。
このセリフはポーシャの愛と強さの証明というのが伝統的な解釈だったけれど、自傷をする不安定な女性という現代的な解釈で演じられることもあるらしい。
キャルパーニアのシーザーに対する「あなたの分別は自信の強さに飲み込まれておいでです」というセリフが、自宅で暗殺の相談をする直前のブルータスの、シーザーといえども権力の座につくと人間が変わってしまうだろう、という内容のセリフを裏打ちしているように感じた。
「」p.47
第三幕第一場の「男も女も子供も、目をむき、声をあげ、駆け回りまるで最後の審判だ」というセリフで、当時の古代ローマで最後の審判が信じられていたのかが気になった。
第一回三頭政治が始まったのが紀元前60年。シーザーがブルートゥスら共和制支持者に暗殺されたのが紀元前44年だった。まだキリストも生まれていない頃だ。ユダヤ教徒はとっくにローマ帝国の一部だったけれど。
最後の審判の起源はゾロアスター教にあると言われているけれど、ゾロアスター教が成立するのは紀元前1200年から前700年ごろと言われている。
ユダヤ教成立は紀元前13世紀ごろと言われている。ユダヤ教の方がゾロアスター教より成立が早かったのか。
ゾロアスター教的な民間信仰はずっとあったけれど、ゾロアスターが誕生してゾロアスター教ができるのはユダヤ教成立より後だったということなのかな。
シーザーの時代のローマ人が「最後の審判の日」という言い回しを使ったかはわからないけれど、シェイクスピアの時代のイギリス人ならすぐに理解できただろうというのはわかる。
シーザーの市民への遺産の75ドラクマは、当時としてはどれくらいの価値があったんだろう?
シーザーやアントニーはポピュリズムの政治家だったのかな。でもどうして死後まで人気取りのようなことをしようとしたんだろう?クレオパトラとの間に生まれた子供が、王としてローマ人に受け入れられやすくするため?
王政だったころのローマすら、王は選挙で選んでいたのに、シーザーは自分の王朝を作ることを望んでいたのか?謎だ。
もしシーザーが暗殺されずにいたら、オクタヴィアヌスはどうなっていたんだろう。クレオパトラの子と権力争いの内乱を起こしてそう。
少なくともパックス・ロマーナも無かっただろうし、その後の世界の歴史が全く違ったものになっていただろうな。想像もつかない。
シーザーが独裁者の地位を望んでいたのか疑問だったけれど、シーザーは本当にローマとエジプトを統べる王朝を立てたかったのかもな。 -
Posted by ブクログ
3人の魔女の予言やそれを聞いた妻の煽動に乗って国王や同僚、部下などを殺戮してしまうマクベスの物語であるが、この本の解説はなかなかよい。解説では、マクベスは他の悲劇と異なり、マクベス本人の中にある善と悪が戦い悪が勝ってしまうこと、よってマクベス以外の登場人物は非常に影が薄いという特徴があることを教えてくれる。またシェイクスピアがマクベスを執筆した時期のイギリス情勢に関しても解説があって、当時の国王ジェームズ1世がバンクォーの子孫であることなどもわかりとても興味深い。
私は映像でマクベスを見たことがないが、「森が動きダンシネーンに向かってくる」シーンは迫力がありそうである。余談であるが、J.R.R.トールキン作の指輪物語にもエントの森が動き敵を破るシーンがある。トールキンは同じイギリス人としてシェイクスピアのマクベスが頭の中にあったのだろうか。 -
Posted by ブクログ
まさかシェイクスピアの沼を認識する日があるのか?と思っていたけど本当にそのまさか、1600年代に作られた作品が、この2020年代に読んでもまったく面白いのはすごいのひと言では?
当時の価値観が身についていなくても、国語の教科書よろしく下の方に脚注がついているからしっかりと内容についていけるのが良かった。それどころか、当時の演劇におけるウィットやイングランドの情勢に至るまで読者を置いていかない工夫が凝らされている。他のシェイクスピア作品を読む場合も岩波版が正解なんじゃないか?
舞台映えするであろう動きが見えるようだったし、観劇する機会さえあれば飛びつきたいなと思った。