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とつぜん引退を宣言したリア王は、誰が王位継承にふさわしいか、娘たちの愛情をテストする。しかし結果はすべて、王の希望を打ち砕くものだった。最愛の三女コーディリアにまで裏切られたと思い込んだ王は、疑心暗鬼の果てに、心を深く病み、荒野をさまよう姿となる。戯曲を読む楽しみを追求しつつ、原作の気品と格調、ユーモア、激しい罵詈雑言などが忠実に再現された《安西シェークスピア》の第1弾。
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Posted by ブクログ
ここまで悲劇的な終幕が許されて良いものかと衝撃を覚えてしまった…… 別に何もかもが運命の悪戯や悪魔的な采配による不幸ではない。それぞれに少しずつ罪が有ったり落ち度が有ったりする。しかし、だからといって罪を悔い改めて己を見つめ直せたかもしれない者や、心優しき者まで犠牲になる終幕は容赦が無さすぎて唖然と...続きを読むさせられる 歴史的には本作が上演される際にはハッピーエンドに改作されたものがお決まりだったらしいけど、それが頷けるくらいに本作からは救いや幸福感は容易には感じ取れない では、何を本作は訴えてくるかといえば、人間は地獄と紙一重の世界で生きているのだと、それでもより良い人生を得る為に最良の未来へ手を伸ばす事を諦めてはならないのだという点かもしれない まず、冒頭からして衝撃的 物語が始まってすぐにリア王が娘達へ領地の分割を行うのだけれど、その際におべっかを口にするゴネリルやリーガンに良い顔をして、偽りのない言葉を口下手ながら発したコーディリアを勘当してしまうという衝撃 道徳的な作品であれば、偽りを口にした長女・次女にいずれ天罰が下り、真実を口にしたコーディリアに幸福が訪れるものだろうけど、本作では三者等しく不遇の死を遂げる。それどころか、真実を見抜けなかったリア王とて長女・次女から放逐され非業の死へと突き進む事になるのだから理解を超えている 面白く映ったのはリア王や三姉妹に対する作中人物に対する評価かな 心にも無い偽りを口にしてリア王の好感を勝ち取ったゴネリルとリーガンだけれど、彼女らとて同様に心にも無い偽りを口にするエドマンドによって財力や権威を狙われている。そして、その果ては⋯ と、こちらについては判りやすい構図をしている。この者らに関する構成は最早道徳的と言ってすら良い。そのせいか、作中でも彼女らの死について冷淡な反応が取られているほど 対して、リア王に対する作中評価の変遷は本当に面白い 冒頭の引退宣言やコーディリアに纏わる言動はケントなどから猛批判され、娘達の館に逗留した際の横暴さなど真っ当に非難されている。これらの展開はリア王が道徳的に考えれば討ち果たされるべき悪と見る事が出来る だというのに、娘に裏切られたリア王が荒野を彷徨う段になって評価は一変するね。実父に対してあのような非道を行うべきではないとか、忠臣としてお助けせねばとか 裏切れたショックにより狂気へと陥る老王の姿は確かに哀れに映る。此処まで来ると己の行いにより罰を受けていると感じ取る事すら難しい そして、リア王への評価がそのように落ち着いてしまったからこそ、彼へ偽りのない愛情を向けていたコーディリアとの再会は希望溢れたものと感じられ、その分だけ二人に訪れた非業の死に対する衝撃が計り知れないものとなる 救われて欲しい者が救われず、報われて欲しい者が報われない。鑑賞者や読者の期待を裏切り残酷な結末へとひた走る本作の展開を納得できるものと感じる事は難しい けれど、これによって本作を唾棄すべきもの、または認められるべきではない作品とも捉えられないのも事実。何故なら本作は真摯に絶望へと突き進んでいたのであって、読者の予想を裏切るべく衝撃的な結末を突如用意した訳では無いだろうから 本作は実社会に存在する地獄を真っ当に写し取ったのであって、作品そのものが誰かを裏切ってなど居ないとも言える。現実でも人が容易に陥る地獄を作中に用意し、罪の有る者も無い者も等しく地獄へと落ちてしまったというだけ ただし、登場人物残らず地獄行きに成ったら、本作を見ても何の感慨も得られない。それ故に用意されているのが生き残った三人の共通項。忠心を持つ三人が生き残った者の責務として、また若い衆として何をなさねばならないのか 悲惨な物語であるからこそ、狂気とは全く異なる感情がラストに残された事に想いを馳せてしまう、そんな受け止め方の難しい名作でした
冒頭から忠臣の命をもかけた直言に心揺さぶられる。 シェイクスピア四大悲劇の「リア王」 深い悲しみが全編を通して時折胸を突く。 その度に読書が止まる。 時代を経て生き残ったまさに素晴らしい作品。
シェイクスピアといえば、泣く子も黙る世界最高峰の文学者の一人だが、「リア王」はその中でも四大悲劇の一つとして名高い。残りの三つはいうまでもなく、「ハムレット」「オセロウ」「マクベス」だ。 「リア王」は4大悲劇の最後を飾る作品で、黒澤明監督の「乱」では、日本の戦国時代を舞台に映画化された。 ストー...続きを読むリーは単純といえば単純だけれども、実際読んでみるとかなり複雑。シェイクスピアの作品はいずれも有名だからあらすじはなんとなく知っているような気がするけれども、いざ読んでみるとかなり込み入っていて波瀾万丈で、それがまたおもしろい。 この光文社古典新訳文庫の目的は、古典を現代の言葉で翻訳し直そうというものだから、「リア王」の翻訳も、もちろん読みやすい。読みやすすぎて、せっかくの「リア王」なんだからもうすこし格調高く、凝った文章でもいいんじゃないだろうかと言いたくなるぐらい読みやすい。原作のシェイスピアがもともと面白いんだから、そんなに読みやすかったら読み始めた途端、途中で止まらなくなるのはいうまでもない。 だが正直なところ、個人的な趣味でいえば、この安西訳よりも、最初に読んだ福田恒存訳の方が好みだ。当時はまだ、文章が難しすぎて内容をよく理解できていなかったかもしれないが。 両者の訳がどれだけ違うかというと、 (安西訳) 必要? 必要だと? ええい、必要など持ち出すな! どんなに卑しい乞食であろうと、いかに下らぬ者であっても、必要以上の物は必ず身につけておる。人間から必要以外の物をことごとく奪ってみろ、人間の命は獣同然。 (二幕四場) (福田訳) おお、必要を言うな! 如何に賤しい乞食でも、その取るに足らぬ持物の中に、何か余計な物を持っている。 自然が必要とする以外の物を禁じてみるがよい、人間の暮しは畜生同然のみじめなものとなろう。 うむ。あまり違わないような、違っているような。 ついでに、岩波文庫に収められている斎籐勇訳。 (斎籐勇訳) おい、要不要の議論はいらん。極度に窮している乞食ですら、 極端につまらない物ながら何か余計な物を有っている。 人間が本来必要とする以上は授けられないとすれば、 人の一生がつまらないことは鳥獣と同然だ。 三つを較べてみると、個人的な印象としては、スピード感があるけれどもやや平易に流れすぎる安西訳、格調があってスピード感もある福田訳(でも漢字が多すぎ)、真面目に訳している風だけどおもしろみのない斎籐訳、というところかな。これだけで判断するのは大胆すぎるが。 こう見てくると、シェイクピアの原文はどうなっているか知りたくなる。 原文は、 O, reason not the need! Our basest beggars Are in the poorest thing superfluous. Allow not nature more than nature needs - Man's life is cheap as beast's. うむ。これは歯が立たない。上の飜訳あるから、かろうじて意味がとれるけれども。 ただ、斎籐訳は、原作の行にあわせて訳そうとしたものであることがわかる。そういうことをしてはたして意味があるかどうかはわからないけれども。(原書を勉強する学生には便利かも) なかなかおもしろいので、もう少し比較を続ける。 上はリア王のセリフだったが、次はケントの言葉。 (安西訳) 悲惨のうちにあらざれば、奇蹟にあうこともあらずという。 (二幕二場) (福田訳) 奇蹟に出遭うは窮しし者のみ。 (斎籐訳) 禍いを蒙らずには 奇蹟を見ることがまあない。 (Shakespeare) Nothing almost sees miracles But misery. (先生! シェイクス君の英語は意味分かんないんですけど! 校長先生はシェイクス君はスゴイっていってますけど、ホントですかあ) 最後はエドガーのセリフ。 (安西訳) 忍耐を忘れたのかい? この世に来るのも引っ込むのも、人間の勝手にゃならぬ。時の熟すのを待つしかないんだ。 (五幕二場) (福田訳) 人間、忍耐が肝腎、己れの都合でこの世を去る訳には行かない、こいつは出て来た時と同じ理窟さ、万事、木の実の熟して落ちるが如し。 (斎籐訳) 人間はこの世に出て来るのと同様、 世を去る時を辛抱して待っていなければなりません。 機の熟することが何よりもです。 (Shakespeare) Men must endure Their going hence even as their coming hither; Ripeness is all. シェイクスピアの原作は、散文ではなくて、韻文だった。通常の文章とは違うので、われわれには分かりにくい。 ただ、普通の英米人にとっても、わかりにくいのは同じではないかと思うのだが、どうだろうか。 学校でわれわれは古文とか漢文とか習うけれども、彼らの場合も、そういう勉強を通じて、古典作品が読めるようになっているのではないだろうか。 ということは、ひょっとしたら、われわれが学校でいくら習っても枕草子や源氏物語を個人的に読もうという気になれないのと同じで、一部の愛好者を除いては、シェイクスピアを実際読んでいる人は少ないのかもしれない。いくら日本の代表的文化だといっても、歌舞伎を実際見た日本人が少ないのと同様、シェイクスピアの劇も、むこうの人にはあまりなじみのないものかもしれない。 ただし英語の場合は、日本語に較べると、年数の経過による単語の綴りや意味の変化が少ないようなので、日本人が自国の古典に接するときよりも、まだ近づきやすいのかもしれないが。 シェイクスピアの作品は、残酷なときは非常に残酷で、五六年前にアンソニー・ホプキンス主演で公開された「タイタス」は、現代のホラー映画も仰天というぐらい恐怖と暴力に満ちた作品だった。 そんな彼の悲劇だから、人が死ぬこと死ぬこと。 こんな人間まで死んでしまうのかというぐらい登場人物が死んでしまう。タランティーノ監督も真っ青だ。これほど人を殺してしまうんだから、作品が悲劇と呼ばれてしまうのも当然だろう。死に方の安易なところは、ほとんど喜劇としか思えないところもあるが。だから、昔の映画やドラマなんかでもよく、登場人物が最後にばたばた死んでしまって、そんな御都合主義はないだろうと思うことがあるが、あれは作り手の想像力の欠如とか、番組を時間内で終わらせるための手抜きとかではなく、シェイクスピア以来の伝統ある作劇方法らしいのだ。 ただ違うところは、シェイクスピアの場合は、そこに至るまでの内容が非常に濃すぎて、それぞれの登場人物が担っている重荷の重さで、最後には物語世界そのものが吹き飛んでしまう、それが登場人物達の死となって結末するというところで、それでこそようやく観客は、この濃密な世界から解放されて、劇場の席を立って家路につける。そうでもしない限りかれの作品世界は観客の精神を縛って閉じこめたままにしてしまう、それほど強力で魅力的な世界なのだということだろう。
良識と思慮にかけた王様と、狡猾で身持の軽い長女次女。そして不器用で天然の入った三女。 この親子の中で誰に感情移入するかに寄って、善悪が入れ替わってしまう作品だと思う。最初は王様のあまりの放埒ぶりに、長女次女の方に利があるように見える。しかし正しさを身につけると人は残酷になってしまうもので、王様...続きを読むへの仕打ちは悪役のすることに変わってしまう。 最終的に親子の誰も幸せになれなかったできなかったけれど、彼らの誰もが問題を抱えていたので、どうにも同情しきれない。むしろ振り回されたあげくに、両目を失い死に絶えた家臣の方に、落涙を禁じえない。忠誠心溢れる彼の物語はサブプロットでもメインを喰うほど輝いている。
超資産家の老人が「もうそろそろ資産をすべて譲渡し、子どもたちに面倒を見てもらおうと思う。そのために子どもの君達が資産を譲る対象にふさわしいかテストします。資産を譲るから私は私で好き勝手に生活させてもらう」、と言ったら現代のリア王ができあがりますよね、たぶん。(家族全員が死ぬかどうかは別にして)それは...続きを読む別にして、読んでいると劇を見てみたくなります。 マクベスは魔女、ハムレットは親父の亡霊という、ふつう現代社会にはない想像しにくく、言ってみれば突然に悲劇がふって湧いてきます。しかし、リア王は身から出た錆というか、自分自身のふるまいが原因で悲劇が始まります。ふつうに現代社会にも似たような話が起こり得る話で、子どもの心情もかなり理解しやすい話だと思います。王様は「老いては子に従え」の真逆を突っ走っており、老後を悠々自適に暮らしていこうと、王の尊厳を保持してわがままに生きていけるような「余計な一手」を指してしまったがために、子どもにそっぽを向かれます。(というか自分も子供らも死ぬことになります)ほんと、自分も気を付けないと~。
沈黙は、金ではない。コーディリアは心優しいお姫様かもしれないが、それでも高慢だ。道化の秀逸な用いられ方は現代小説にはなく、興味深い。
言うまでもなくシェークスピアの名作。 王が突然引退を決め、その後継として、3人の娘に対し自分への愛情をテストする。 しかし、王の期待はもろくも崩れ去り、気がふれてしまった王は全てを失い、絶望の中、森をさまよう。 愛情と憎悪、忠誠と謀反、期待と絶望、栄華と零落。まさに悲劇。 訳も、実際に話しているよう...続きを読むな言葉。話しかける相手も括弧書きで示されていて、読む一役となる。
衝撃のクライマックス!ってやつですか。 読者は思いっきり放り出される感じですな。 途方にくれます。 面白かったっす。 戯曲とか全然読んだことなかったから最初は抵抗があったけど、よかったよかった。 それにしてもこの作品が関が原の戦いの時代に書かれたってのが信じられないぐらい新しい。 そ...続きを読むれが訳者の力量なのか、それとも作品自体の力なのかは分かりませんが。 解題も勉強になったし、よし、次もシェイクスピアでいきますか。
子ども向けに書かれたのを読んだきりだったが、こんなに壮絶な内容だったとは音読するのは憚られるセリフの数々…よくまぁ、これほど悪口雑言、罵詈讒謗の限りを尽くせたもんだ おおもとの物語はハッピーエンドらしい…なんで変えたんだろう
原文のシェイクスピア独特のリズム感が伝わってくる。 NTL(映画)の予習のために読んだけど、これが英語で俳優がセリフを喋ったらどんな感じになるんだろうと想像しながら読んで楽しかった。
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