190P
初版発行: 1623年
ウィリアム・シェイクスピア
イングランドの劇作家・詩人であり、イギリス・ルネサンス演劇を代表する人物でもある。卓越した人間観察眼からなる内面の心理描写により、もっとも優れているとされる英文学の作家。また彼の残した膨大な著作は、初期近代英語の実態を知るうえでの貴重な言語学的資料ともなっている。
マクベス
by シェイクスピア、大山俊一
【マクベス】 お前の顔は引っ込めろ。〔下僕退場〕 シートン! わしは気分が悪い。 あいつを見ていると……シートンはおらぬか? この一戦こそ 俺を永久に元気づけるか、それとも一挙に蹴落とすかだ。 俺はじゅうぶんに長生きをした。……俺の一生涯もすでに 凋落のとき、黄葉の時候に落ち込んでしまったのだ。 そして老年時代の伴侶として付き添うべきもの、 たとえば名誉、敬愛、服従、大勢の友人のごときは、 俺は持つことを期待してはならぬ。その代わりにあるものは、 数々の呪い……声にはなっていないが、根が深い、それに気の毒に、 家来どもの空世辞、追従……誰もがやめたくて、しかもやめられぬもの。 シートン!
〔若きシェイクスピアから巨匠へ〕 シェイクスピアが名作『マクベス』を書いたのはいつか、その的確な期日はわかっていない。しかし多くの最近のシェイクスピア学者たちが推測しているように、『マクベス』が最初に上演されたのはおそらくは一六〇六年八月と考えられるから、実際に書かれたのはその前年か、またはその年と考えてそう大きな誤りはないだろう。シェイクスピアが四十一か二歳のときである。十七世紀初頭の数年間、一六〇〇~六年はおそらくはシェイクスピアの劇作活動が最高潮に達した時期といえる。このあいだにシェイクスピアは『ハムレット』『オセロウ』『リア王』『マクベス』など、ふつう彼の四大悲劇と呼ばれている大作を次々に書いた。『マクベス』はこの中でも最後期の作品である。
マクベスはすでに何らかの形で王位を簒奪することを考えていたに相違ない。その悪の選択に対して魔女どもは誘惑の言葉、呪文を投げかけるのである。その点ではマクベスはすでに「汚ない」と言える。しかしそれだけで全部ではない。悪の選択をしたマクベスも、もし魔女どもの誘惑、マクベス夫人の誘惑がなかったら、彼の悪への芽ばえも萎えしぼんでしまっただろうとも言える。その点ではマクベスは「きれい」であるかもしれない。要するに初めて登場してくる主人公マクベスはリチャード三世の場合と違って、完全に「汚ない」悪党ではけっしてない。彼の性格はヒースの魔女どもを包んでいる「霧と汚れた空気」(一幕一場)同様、「きれいで汚ない」以外の何ものでもない。そしてそれから、この芝居全篇のドラマを通して、「汚ない」悪党の姿が徐々に形成され、展開されてゆくのである。『リチャード三世』ではわれわれ読者、観衆は主人公リチャードの悪党ぶりを外面からながめる。『マクベス』ではわれわれ自身も主人公マクベスの意識の世界に直接に入りこんで、その悲劇の苦悩をあいともに分かち合う。初期のシェイクスピアと悲劇時代の彼との違いが、ここにはっきりと浮き彫りにされている。
このことは後者の態度を精神分析学に置き換えれば、二つの態度はそっくりそのまま現在にも適用されるものであろう。現在では魔女は存在しない。しかし現在のわれわれにとって「魔がさす」という事態が依然として一つの事実であることが示しているように、マクベスの悲劇は常にわれわれの心の中に実在する一つの悲劇のパタンだと言える。同時代の哲学者ベイコンは魔女や亡霊の 跳梁 する「魅惑の鏡」を理性の光で払拭したかに見えたが、われわれは魔女から逃避することは永遠にできない。
魔女はこの「濃い」空気(霧、あらしなど)の中を箒などに乗って飛びまわり、自由に空中に「融けこむ」(身を隠す)ことができるが、これは彼女ら自身の力によるのではなく、いずれも悪魔の力によるものである。魔女は「使い魔」というものを従えている。「使い魔」はふつう猫、コウモリ、フクロウ、ヒキガエル、イモリなどの小動物で、主人たる魔女の命令を行なうものである。ジェイムズ一世などはこの「使い魔」が実は悪魔自身だと考えている。魔女は悪魔の奴隷であるが、その魔女の奴隷である「使い魔」となって魔女の行動を監視しているというのである。その場合には「使い魔」は実際には悪魔自身、魔女の主人である。