ウィリアム・シェイクスピアのレビュー一覧
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この前読んだ「夏の夜の夢」と同じ動機、河合隼雄先生とシェークスピアの翻訳家松岡和子さん対談本「快読シェークスピア」をより面白く読みたいという衝動から読んだシェークスピアの2作め。
あまりにも有名な本書だが、これまでは読もうという気持ちはゼロだった。きっかけはどうあれ、こうして名作を体験できたのだから良かった。
4大悲劇の一つだというのだが、正直のところ悲惨さはあまり伝わってこなかった。登場人物全員が次々と死んでいく。
話の筋としては、主人公のハムレットの復讐劇だが、ハムレットが次々と殺していくというのではない。登場人物は、それぞれに、予想外の形で死んでいく。
皆あまりにあっけなく死んでしまう。その死を悼むとか悲しむとかの暇もなく、また次の死が訪れる。最後は死のラッシュだ。そしてハムレットの死などは、潔さとか爽快さのようなものまで感じられた。
ハムレットの復讐がどのように為し遂げられるのか、そういう観劇者の初期の期待が、登場人物の全員の死となって幕がとじる。なんという凄まじいストーリー展開。
シェークスピアのプロデュースの凄みを少しでも体験できたようか気がする。 -
Posted by ブクログ
自分はそもそもほとんどこれまでの人生で西洋作品に触れてこなかったうえ、人生初の演劇作品ということで些か読みにくい、という印象がどうしても先行しました…。
ただ、現代日本語に翻訳したとて色あせることのない―もちろん、翻訳者の腕が良いということもありましょうが―機知に富んだ文章表現であるとか、美しい音律をそなえたソネット形式のセリフであるとか、そういったものになぜこれほどまでこの作品がシェイクスピアの代表作足り得るのかということの一端を見たような気がいたします。
…正直こんなにもふんだんに下ネタが盛り込まれているとは思いもよらなかったのですが。 -
Posted by ブクログ
印象に残ったのは、ジャンヌ・ダルク、シャルル、ナポリ王レニエらフランス勢のやり取りと、イングランドの勇将トールボット父子の最期、かな。
それ以外はあちらこちらで貴族同士が対立するばかりでちょっと話が見えない。一応薔薇戦争の予習はしたんだが。
ジャンヌの力を試すためにシャルルが従者に扮装しジャンヌがすかさず見抜くという、この有名な逸話、ひょっとしてシェイクスピアが出どころだったりするのか?いや、いくら物語とはいえ、イギリスのシェイクスピアがわざわざフランスのジャンヌの神性を強調するエピソードを創作するのも変な話だが。でも元々あった逸話を劇に組み込んだのだとすると、当時にしてすでに敵国にまで知れ渡っていたのか。
イギリスから見たジャンヌはさぞや悪かろうと思ったけど、前半は予想してた程酷くはなかった。とは言えさすがに、可憐な聖少女という見慣れた日本のジャンヌ像はそこにはなく、傲岸不遜でやや滑稽。そして最期はみじめだった。
トールボット、はじめはどういう立ち位置の人物なのかわからなかったけど、父子のやり取りは熱かった。
シェイクスピアを読むのは高校以来なので、久々すぎて戯曲(これは史劇だけど)独特のあのノリにちゃんと乗っかれるか心配だったけど、やはりシェイクスピア、すごい。
話の展開についていけなくても、思わず反芻したくなる台詞回しだけで読ませる。 -
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シェイクスピアの豊かなイマジネーションの結果、喜劇。
「夏の夜の夢 A Midsummer Night's Dream」は、1590年代に書かれたと言われる。妖精パックのいたずらで複数の恋人たちがドタバタする喜劇。最後は収まるところに収まって大団円。職人たちの素人演劇は、きっと文字ではなく実際に舞台を観た方が笑えたかも。宝塚のPUCKと比較すると、なるほどここをこういう形に変えたのか、と興味深い。シェイクスピアも元ネタを上手に変える人でしたね。
「あらし The Tempest」は、シェイクスピア最期の作品と言われる。大学の授業で読んだ記憶はあるけれど、あらためて読むと、プロスペローがすべてを支配している話なのだと。復讐譚だけど怖くはない。妖精エーリアルはまるでジーニーみたい。そう思うと、もしかしてディズニーで出来る……とか考えてしまう。プロスペローは、最初こそ弟に領地を奪われて絶海の孤島に流れ着いているけど、この劇の間は無敵。そういう意味で、神とか運命に支配される人間という感じが薄い。むしろ神。ここがシェイクスピアのたどり着いたところかと思うと、なんとも言えないのだが、それはまだシェイクスピアの凄さがわかっていないからなのか。 -
Posted by ブクログ
有名な古典劇の戯曲で、ジャンルは復讐劇の悲劇です。
シャイクスピアのものを読むのは
『ロミオとジュリエット』以来の二作品目になります。
ぼくは演劇をよく知らないので、
他の比較してどうだとか、
現代劇と比較してどうだとか、
まったくわからないのですが、
この『ハムレット』に関していえば、
ストーリーのスピード、セリフの質などから、
「勢いがあるなあ」と思いました。
また、
「悲しみというやつは、いつもひとりではやってこない。
かならず、あとから束になって押しよせてくるものだ」など、
名言、警句、機知に富んだ言い回し、多様な比喩、
アンバランスな狂気の言葉がちりばめられていて、
シェイクスピアはめちゃめちゃ攻めています。
そして磨いていて鋭さもある。
攻めて磨かれた言葉たちなんですよね。
そして、それらによって、
熱狂というか、「熱」を生みだしているように感じました。
舞台で演じられているさまを想像しても、
観客の頭に「熱」が生じる感じです。
アドレナリンがふつふつと湧いていくるような快楽が
「熱」という形でやってくるとでもいえばいいのでしょうか。
いかに昔のひと(16~17世紀)の書いたものでも、
表現力と洞察力のすごさにはやるなあと思います。
未来永劫名前が残るひとってのはこういう高みある、
それも攻めの高みです。
原文で読めば、韻を踏んでいたり、
リズム感だったり、そういうところのすごさもわかるんだろう。
解説によれば、日本語にすることで、
シェイクスピアのよさは9割減になっているらしい。
それでも、早口でセリフを言うことで、
シェイクスピアのよさをちょっとは表現できるんだっていう話でした。
やはり、そこは、つまりシェイクスピアのよさっていうのは、
「熱」なんだと、僕は思うんです。
あとは雑学めいた話になるんですが、
「明日は14日 ヴァレンタイン様よ」という
オフィーリアのセリフが出てきた。
ヴァレンタインズデイはそんなに古くからあるのですか。
それと、
シェイクスピアのお嫁さんの名前、アン・ハサウェイっていうんですね。
これを知ると、現代のアン・ハサウェイに、
そういう由来だとか色付けを感じるわけです。
というわけで、wikiを調べてみると、
「名前の由来は劇作家ウィリアム・シェイクスピアの妻からである。」
と書いてありました。
ハサウェイ家に生まれて、ご両親がしゃれてたのかな。
なかなかおもしろかったので、
またいずれ、シェイクスピアのものに触れたいと思います。
悲劇ばかりじゃなくて、喜劇もあるそうなので、
次はそっちがいいかなと思っています。 -
Posted by ブクログ
これほど評価が難しい本に出会ったのは久しぶり。この『マクベス』はそれほど長い物語ではなく、更には将軍が主君を殺し王位に就くも、本来の王位継承者に殺されてしまうという簡潔なストーリーである。それも当時の王様に献上した話であるためか、何処か媚びへつらっているような印象を受けてしまう。それなのに『シェイクスピアの四大悲劇』として数えられているのだから始末に終えない。
この物語はマクベスを主人公と見るのか、王子であるマルコムを主人公としてみるかで大きく変わってくる気がする。マクベスは魔女の甘言から王位を望み、王を殺して王位を奪ってしまう。しかし魔女のもう一つの予言が気になり周囲全てが敵に見えて段々狂っていくという流れ。マルコムは突如として起こった謀反に為すすべなく親類のいるスッコトランドに逃げ込む。そこで機を窺い徐々に集まる忠臣と共にマクベスを討ち、王位を取り戻す。
マクベスを主人公として見るならこれは正しく悲劇といえるだろう。だが、マルコムを主人公として見ると正義は必ず勝つという勧善懲悪ものになってしまう。まあ、タイトルからしてマクベスを主人公として見る事が正しいのだろうがそうすると物語にはどこか無理があるような気がしてくる。
そして途中途中に時系列もしくは説明が抜けている部分があるため物語にのめり込む邪魔をしてしまう。これでは作者が作品に込めた意図を完全に読み切るのは難しい。